夜明けの光は誰にでも たん、たん、と、廊下に足音が響く。
時空警察庁、通称「TPA」の本部庁舎の奥。
普段であればあまり足を踏み入れない管制室のフロアを歩いているのは、時空警察特殊部隊の隊員、理人・ライゼだった。
「いくらなんでも、さすがにここにいるはずはないか……。いったいどこへ行ってしまったんだ、暁さんは」
手元のデバイスで再度通信を試みるが、応答の気配はない。
「今日は一緒にトレーニングをしてくださると仰っていたのに……忘れてしまったのだろうか」
ふう、とため息をつき、元来た道を引き換えそうと踵を返したその時、倉庫へと続く暗く目立たない廊下で蹲る人の影が目にとまった。
もしや急病人だろうか、と焦った理人は、思わずその人物に駆け寄った。
「大丈夫ですか?気分でも悪く……」
そう言いかけた時、理人は思わず動きを止めてしまった。
そこにいるのは、ずっと自分が探し続けていた人物――暁ナハトだったからだ。
「暁さん……!?どうしたんですか、大丈夫ですか!?」
思わず肩を揺するが、ナハトが目を覚ます気配はない。見れば、顔や腕など見えるところに打身のような痕がある。
「とにかく、医務室へ運ばなくては……」
理人は、ナハトを担ぎ上げると、医務室へと向かった。
「酷い怪我ですね」
なんとかたどり着いた医務室で医者に診てもらったところ、全身の打撲や傷など、それは酷いものだった。
「あの、暁さんは……」
「大丈夫、命に別状はありません。ですが……」
「ですが?」
医者が表情を曇らせたのを見て、理人も不安になる。隣で寝ているナハトは、目を閉じたままだ。
「正直に言って、よくこんな怪我をした状態で、今まで戦えていたな、と思います」
医者は、ナハトの体のダメージを負った部分の記録を理人に見せた。
「これは……」
「暁さんの負傷箇所と、その程度をスキャンしたものです。全身の打身はまあ大したことはありませんが、問題なのはこちらです」
「……足、ですか?」
「ええ。こちらは昨日今日負ったものではないですね。うちの技術でも、この負傷は治せないですよ。相当痛むはずです。よくこれで前線で戦えていたと思いますよ」
医者が持つ資料を見るに、確かに足に大きな傷のようなものがあるようだ。
(暁さんが、足を怪我していただなんて……知らなかった)
理人は思わず俯いた。こんなに近くにいたのに、気付かなかっただなんて。
しゅんと落ち込んでしまっている理人に、医者は励ますようにポンと肩に手を置いた。
「きっと大丈夫ですよ。あまり落ち込まないで。……っと、すみません、通信が」
その時、医者の持つ通信デバイスからピピピ、と電子音が鳴り響いた。医者はデバイスの呼び出し音に応えると、慌てて診療用のセットを整え始めた。
「ライゼさん。すみませんが、暁さんについていていただけますか?ちょっと急な呼び出しが入ってしまって」
「え?ああ、わかりました」
「よろしくお願いします!」
そう言うや否や、医者は慌てて医務室を飛び出していった。
医務室には、眠り続けるナハトと、状況についていけず困惑したままの理人だけが取り残されていた。
ふう、と深く息を吐いた理人は、未だに眠り続けるナハトの頬を撫でた。傷が青くなっているところもあって、見ていてひどく痛々しい。一体何があれば、ここまで傷を負えるのだろう。
(トレーニングで負うような傷ではないし、何より暁さんほどの方がトレーニングでこんな傷を作るはずがない。タイムジャッカーにやられたとしても、そうなったら自分に連絡が来るはずだ)
考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
わからないと言えば、先程医者の言っていた足の怪我である。そんなにひどいのだろうか、と気になった理人は、ナハトのかける布団をめくり、その傷を確かめようとズボンの裾に手をかけた。
「こら、何してる」
その時、後ろから声が降ってきた。聴き慣れた低くて優しい、安心する声だ。
「暁さん」
思わず顔を綻ばせた理人は、ナハトの顔を覗き込んだ。
「良かった。目を覚ましたんですね!」
「ああ……ここは」
ナハトはベッドに横たわったまま視線を彷徨わせた。
「ここは医務室です。廊下で倒れていらしたのでお連れしたのですが、お体は大丈夫ですか?」
「医務室……なるほどね」
ナハトはふう、と深く息を吐くと、目を閉じた。なんだかやつれているように見えて、理人は心配になる。
「暁さん、いったい何があったのですか」
「君が心配するようなことではないよ」
「そう、ですか……」
理人の表情がさらに曇る。ナハトがこんな目に遭っているのに、自分は彼の助けになれず、頼られてもいない。それが酷く情けなかった。
(自分にもっと実力があれば……)
つい、ため息が漏れてしまう。
「理人」
「は、はい!」
名前を呼ばれ、つい背筋が伸びた。ため息などついて、気を悪くさせてしまっただろうか、と不安に思ったが、ナハトの表情は穏やかだった。
「おいで」
そう言うと、ナハトは腕を開いた。理人は戸惑いながら、体重をかけないよう、ナハトに自分の体を重ねた。
「良い子だ、私の理人……」
「あ、暁さん……」
ナハトの手が理人の背中を撫でる。耳元にナハトの息がかかり、理人は思わず体をよじってしまう。これくらいのスキンシップには慣れているはずなのに、何故だか鼓動が早くなってしまう。
理人の背中を撫でていたナハトの手は、いつしか腰に移動している。ぴく、と理人の体が震える。
「んっ、だ、ダメです暁さん、こんなところで……、それに今の暁さんは体が、」
そう言ったところで、理人はふと違和感を覚えた。どこが、というわけではないが、どこかがおかしい。
体の触り方が普段と違うことか、あるいはナハトの体つきか、はたまたナハトから感じる香りか、その全部か。
少なくとも、目の前にいる人物が、理人の知るナハトでは無いと、本能でそう感じてしまった。
「……っ」
理人は思わず体を起こして身を引いた。
「理人?」
訝しむように眉を寄せるナハトは、緩慢に起き上がり、理人と向き合った。
「珍しいじゃないか、そんな遠慮をするなど」
「いえ、その……」
理人は困惑の表情を浮かべながら、ナハトの目を見た。少しやつれてはいるが、自分のよく知る彼そのものだ。それは間違いないはず。それなのになぜ、こんなにも違和感があるのだろうか。
「あなたは……暁さん、ですよね?」
自分の声が震えているのがわかる。何を言っているんだろうとも思う。しかしその疑問はどうしても拭えず、口から漏れてしまう。
「何を言っているんだ。私は暁……暁ナハトだよ」
目の前のナハトは、不敵に笑っている。その表情はやはり理人の知るものではなく、ぞくりと背中を汗が走った。
「嘘、です……」
「何?」
「貴方はいったい、どこから来たのですか。私の暁さんはどこにいるんですか」
理人は立ち上がり、少しずつ後ずさる。視線は外さずに、ベッドに腰掛けるナハトを見続けている。
「ふむ。さすがは理人、といったところか。私をよく見ている」
ナハトはベッドから立ち上がり、理人と向き合った。先程は必死で気付かなかったが、ナハトが着ている服は、理人の知るそれではなかった。あんな服を着ているところを、理人は見たことがない。
理人は、混乱と困惑で、ただただ立ち尽くしていた。逃げることもできず、ただ笑みを浮かべるナハトを見つめることしかできない。
数秒間、または数十秒経っていただろうか。理人と睨み合いを続けていたナハトが、おもむろにズボンのポケットに手を入れた。理人は思わず身構えたが、ナハトが取り出したのは小さな電子機器だった。画面のついた通信機に見える。
「それは……?」
「少し、未来の話をしてみようか。……今の君ならば、理解できるかもしれないしね」
そう語るナハトは、ここではない何処かを、忌々しそうに見つめていた。
タイムワープ技術は、常に向上を続けている。
座標の特定、転移、それから元いた時代への帰還。それらの技術が安定するようになってから、タイムワープは多くの現場で実用化され、さまざまな場面で使われるようになった。過去の人が夢見たもしもを可能にするその技術はいつしか、日常のものとなり、さらなる進化を遂げ続けている。
その中でも最近開発されつつあるのが、俯瞰的な未来の観測だ。
これまでは時空の観測といえば過去を見るだけのものだったが、それを未来に向けることが可能になった。未来へのタイムワープの応用だ。無論未来とは不確定なものであるため、結果として多少のズレは生じるだろうが、それもまた、未来観測の技術のアップデートにより、様々な要因がもたらす未来を複数観測し、それぞれの確率すら導き出せてしまうようになるのだと言う。
「世界で共有されている技術でこれだ。各国で秘密裏に行われている研究を紐解けば、おそらくさらに進んでいることだろう」
ナハトは、ベッドに腰掛けてゆっくりと話し続けている。理人は何も言わず、少し離れてナハトの話を聞いている。
「タイムワープを最初に開発した者は、おそらく大義などはなかっただろう。それを発展させゆく者にもだ。研究者というものは概してそういうものだと思うが……、それを活用する者には、理念と信念、そして大いなる義が必要だ。……この私のように」
「あなたの、ように?」
「そうだ。理人……私はね、理想郷を作り出そうと思っている。犯罪も、戦争も、災害すら起こらない、穏やかな世界。死が訪れるその時まで、調和の取れた幸せな未来。それを可能にするのが、時空の観測者……偉大なる父、というわけだ」
わかるかい?とナハトは理人に呼びかける。
理人とて馬鹿ではない。TPAに入り、そこでのし上がっただけの知能はある。無論、タイムワープに関する知識においても。しかし。
「偉大なる父、ですか?初めて聞きましたが」
「そうだろうな。これは、今から何年、何十年と先の未来で完成するシステムなのだから」
ナハトは何ということの無いようにそう言い捨てる。
そんなに先のことなのか、と理人は思わず息を漏らした。
理人が問題なく話についてきていることを確認したナハトは、手元で遊ばせていた端末を軽く持ち上げた。
「そしてその偉大なる父のプロトタイプにあたるのが、このアスミルだ」
「アスミル……」
「私が開発の責任者を任されている。……未来での話だがな」
そう言いながら、ナハトは端末の画面を覗き込み、指先を滑らせている。
ここにきて、理人はやっと確信に至ることができた。
「ではやはり、貴方は未来の暁さん、ということなのですね」
「そういうことだ。理解が早くて助かるよ」
ナハトはにっこりと微笑んだ。
違和感の正体が判明した理人は一瞬安堵したが、すぐに別の不安が顔を出す。
「では、この時代の暁さんは、今どこにいるのですか?あなたなら、ご存知でしょう」
「知りたいかい?」
「当然です。私のバディなのですから」
それを聞いたナハトは、どこか満足そうに「そうだな」と頷いた。
「君のバディなら、今ここにいる」
そう言うと、ナハトは手の中の端末を操作し、小さな画面を理人に見えるように掲げた。そこにいるのは、確かに自分のよく知ったナハトだった。
「暁さん……!場所は……コンピュータールーム……?何故そのような……」
アスミルは、断片的な情報を、一枚絵のようにして表示している。この小さな画面では、それ以上のことはわからなかった。
「私が元いた時代だよ。私……過去の暁ナハトには、この時代に襲撃を受けると思われるアスミルを守ってもらうために、飛んでもらった」
「何故わざわざそんなことを?あなた自身の力で守れば……あっ」
理人は思わず、ナハトの足を見た。先程医者が、「前線で戦えているのが不思議」と評した怪我だ。
「まさか、その怪我のせいで……?」
「まあ、そんなところかな……。さて、質問にも答えたところだし、私はそろそろ戻るとするよ」
そう言うと、ナハトは立ち上がった。よく見ると、足を庇った動きをしていることがわかる。
「未来に、ですか?」
「ああ、ここにいる彼の仕事を無駄にしないためにもね。ありがとう理人、君のおかげで助かったよ」
ナハトは、すれ違いざまに理人の頭を撫で、そのまま顔を覗き込んだ。
「……最後に一度、キスをしても?」
「えっ、いえでも、それは……」
思いがけない申し出に、思わず理人はたじろいだ。目の前にいるのはナハトだが、それでも今自分と通じ合っているナハトではない。結果、微かな拒絶が表情に出てしまった。
「……そうか、残念だ。若い理人の唇をもう一度味わいたかったが、まあ仕方ないな」
冗談めかして笑ったナハトはそのまま、タイムワープガジェットを取り出し、座標の設定をし始めた。理人はそれを眺めながら、どこか嫌な予感が胸の内をざわめかせているのを感じた。
彼をこのまま行かせてはいけない。放っておいてはいけない。どうしてもそう思ってしまった。
「ま、待ってください、暁さん」
「どうした?」
顔を上げたナハトは、歩み寄ってきた理人を見ると、「やはりキスをしてくれるのかい?」と笑った。
「違います。……私も、連れていってほしい」
「何を言うかと思えば。……無許可タイムワープは、始末書ものだと知らないのか?」
ナハトの視線が鋭くなる。が、理人も退かない。
「無論、知っています。ですが、暁さんが一人で未来にいると知った以上、放っておくことはできません。……私は暁さんのバディなんですから」
理人は真っ直ぐな目で、ナハトを見つめた。小さな睨み合いが続いたが、ナハトは小さく息を吐き、指を三本立てて理人の目の前に出した。
「条件が三つ」
「はい」
「一つ。私や、過去の私の邪魔をしないこと。……これから行く未来は、アスミルにとって大切な晴れ舞台。それを守るために暁ナハトは行動する。それの邪魔をしないと約束してくれ」
「……はい」
指を一本折り曲げたナハトは、さらに続ける。
「二つ。仮に未来の自分と出会い何を言われたとしても、私を信じなさい」
「……未来の、自分」
理人は息をのんだ。当然だが、未来の自分には会ったことがない。規則に則って仕事をしていれば、まず遭遇しないようにできている。しかし、これから行く未来には自分がいるということだ。しかも、ナハトの言葉から想像するに、どうやら未来の自分はナハトとは意見が一致していないようだ。一気に不安が増す。
「それができないなら、連れてはいけないな」
理人の不安を見透かすように、ナハトの鋭い視線が理人を貫く。
「いえ……わかりました。あなたに従います、暁さん。……それで、三つ目の条件というのは」
理人の真剣な表情を見たナハトは、フッと笑って、自分の唇に指をあてた。
「君の方から、してくれるかい?」
*****
「くそっ、どうしてこんな……」
未来にタイムワープした理人は、暁と別れ、TPAの本部の中を走っていた。
先程アスミルで見たのはコンピュータールームだった。しかし、普段コンピュータールームに出入りするわけではない理人にとって、最短ルートなどわからない。人に聞けば早いのだろうが、残念ながらそうはいかなかった。
「いたぞ!理人・ライゼだ!」
「捕えろ!」
「くっ……!」
慌てて道を変える。見知った建物だ。人を追い詰めるのも、巻くのも、さほど難しくはない。しかし、そうこうしているうちに時間は経過してしまうし、目的地へは遠のいてしまう。
「何故追われている……!無許可タイムワープが、そんなに早くバレるものなのか!?」
苛立つ理人は、一旦追手を巻くことに専念し、身を潜めた。早くナハトと合流しなければ、と気ばかり急いてしまう。
ふと周囲を見ると、非常階段の扉が視界に入った。
「ここを通っていけば……近くまでは行けるな」
理人は音を立てないよう、慎重に扉を開いた。
外に備え付けられた非常階段からは、本部庁舎の周囲の様子がよく見えた。多くの人が庁舎に吸い込まれていく。見れば、理人の知っている政治家なども多数含まれている。
「アスミルの晴れ舞台……それを見に?」
ナハトは随分と大きなプロジェクトを任されているらしい。そしてそれを守るのが、過去のナハトの使命だという。
「しかし、未来の自分は……いや、どうなっているかはわからない。自分の目で確かめるまでは」
理人は足音を立てず、人から見られないよう身を潜めながら、コンピュータールームを目指した。
運よくその後は追手に見つかることなく、目的の場所へたどり着くことができた。
(確か、この扉の向こうが、コンピュータールームだ)
理人は警戒しつつ、ブラスターを手に、扉を開き、中へ飛び込んだ。
「っ!!」
理人の視界に飛び込んできたのは、コンピュータールームのエントランスで追い詰められたナハトと、それに銃口をむけるTPA隊員だった。
「待てっ!!」
ブラスターを構えたまま、咄嗟にナハトの前に飛び出した。
銃を構えていた隊員たちが、驚きに目を見開いた。
「なっ、り、理人さん!?」
「私、だと……」
理人は傷だらけになっているナハトを庇いながら、周囲の状況を確認した。目の前にはTPAの隊員が二人。そのうち一人は自分自身で、もう一人は知らない若い隊員だ。そして、その近くにいる二人は、黒い服を着ている。レジスタンスのように見えた。
「理人。何故ここに」
背後からナハトの声が聞こえる。いつものナハトの声で、どこかホッとしてしまう自分がいた。しかし、気の抜けない状況であることを思い出し、ブラスターを再び強く握った。
「暁さんが連れてきてくれました」
「未来の私が……?つまり、お前も偉大なる父の賛同者、ということか」
「賛同者かどうかはわかりかねますが……私はただ、自分のバディの暁さんの加勢にきただけ……あなたを一人にはさせません」
「そうか……」
後ろにいたナハトが、体制を整えなおした。
「まあ、多勢に無勢は変わらないが、幾分かはマシかね」
「それより暁さん、お怪我は……」
理人がナハトを見やると、ナハトは笑みを浮かべていた。
「私はなんということはないよ」
「そうですか……良かった」
理人は、目の前にいる自分と、もう一人の隊員を睨みつけた。
「暁さんは殺させません。絶対に」
「理人さん、話を聞いて、その人は……」
未来の自分の隣にいる、若い隊員が口を開いた。
「失礼だが、あなたは?」
「僕はノイ。真白ノイ。理人さんの未来のバディだよ」
「私の……?」
「ノイ」
未来の自分が、咎めるような目で隣のノイを見た。
「仕方ないでしょ。ここで暁さんを止めなきゃ、未来がああなっちゃうんだから。過去の理人さんまで敵に回す余裕なんてないんだよ」
(未来が、ああなる?いったいどういう……)
理人はノイの言葉に引っかかりを覚えたが、タイムワープの前に交わしたナハトとの約束を思い出した。
(何を言われても、私を信じろ……か)
理人が何も言わないのを見て、ノイはさらに言葉を続けた。
「過去の理人さんは知らないだろうけど、未来の暁さんが作ったアプリのせいで、もっと先の未来は大変なことになっちゃうんだよ。だから、そこの二人が、それを阻止するために未来からやってきた」
ノイは、後ろにいたレジスタンスの二人を指さした。レジスタンスたちは、武器を構えたまま、理人たちの動向を注視している。
「だから僕らは、暁さんを止めなきゃいけないんだ。暁さんのアプリもろとも」
「暁さんのアプリ……それが、アスミルということか」
「そう。知ってるんだ」
「未来を観測するものだと、先程聞いた」
「じゃあ話は早いね。一応、そこの二人が、アスミルは破壊した。けど、暁さんがいる限り、何度でもタイムワープして、アスミルのシステムは蘇ってしまう。だから……」
「だから、ここにいる暁さんを殺そうというのか」
「そう……いうことになるね」
理人の眉が吊り上がる。
「そんなものは、私刑ではないのか。法にのっとったものではない。暁さんはまだ、何の罪も犯してない。それなのにお前たちは暁さんを殺すというのか。私から……暁さんを奪うと」
「だから、それはアスミルを……っ」
そう言ったノイは、何を思ったか急に黙り込んでしまった。すると、ノイの隣に立っている未来の理人が、静かに口を開いた。
「そう、これは私刑だ。意見の衝突による戦い。アスミルのある未来を選ぶか、それを拒絶するか。私たちは、拒絶を選んだ」
理人は、未来の自分の言葉を待った。ナハトとの約束を守るのであれば、聞かない方が良いのだろう。しかし、何故未来の自分がナハトと敵対しているのか、興味が勝ってしまった。
「アスミルが生み出すのは、厳格な管理社会だ。人の自由意思や人権が奪われた世界。自分の人生すら、勝手に決められてしまう未来……。……そんなものを暁さんが生み出すなんて信じられなかったが……、だが、事実、暁さんは……」
目の前の、未来の自分の顔が歪んでいく。ブラスターを持つ手が震えている。
「未来は不確定なものだ。だからこそ、人は夢を見るし、希望を抱くことができる。……あれを理想郷だとは、私は思えない」
未来の理人は、そう言いながら目を伏せた。
「……」
理人は、何も言えなかった。
何が正しいのか、何を信じていいのか。迷いが生まれてしまった。
自分はどうするべきなのか。それがわからなくなってしまった。
「話は、それで終わりかい?」
突如、ナハトの声が響く。しかしそれは、隣からではなく、もっと遠くからであった。
アスミルの発表セレモニーに行っていたはずのナハトが、そこにいた。
「ちょっと、また増えたよ。どうすんのさこれ……」
「暁さん……」
未来のナハトが、理人たちに歩み寄る。
「セレモニーは一時中断。システム障害とのことだが……どうやら、一歩遅かったようだね」
「すみません、暁さん。ですが、アスミルは本当に、理想郷を生み出すことができるのですか?私にはとても……」
「理人。ここに来る前の約束を忘れたのかい?言っただろう?私の邪魔をせず、ただ私を信じなさいと」
そう言いながら、未来のナハトは、過去のナハトの隣に並んだ。未来のナハトは手負いとは言え、実力者であることは確かだ。ノイたちの表情がさらに険しくなった。
「アスミルのデータの復旧は、邪魔者を始末してからにしよう。なあ、過去の私よ」
「……そうだな」
過去のナハトは、理人の制服に収納されていた小銃を手に取ると、それを構えた。
「っ!?」
驚愕の表情を浮かべたのは、そこにいる全ての人だった。
「……どういうつもりだ?」
未来のナハトが、過去のナハトを睨みつける。
過去のナハトは、その照準を、未来の自分に向けていた。
「すまないな、未来の私よ。話に乗ったつもりだったが、やはりやめることにした」
「何?……こいつらに絆されたか。まあ、あの未来を体験していない私では、無理もないか」
ナハト同士の睨み合いが続く。どう考えても、現状の未来のナハトには勝ち目がない。それをわかってか、未来のナハトはタイムワープガジェットに手を伸ばした。また別の時代へ行くつもりなのだろう。
「させるか」
過去のナハトが放った銃弾が、未来のナハトのタイムワープガジェットを破壊した。
「クゥ……ッ、……遅かったか!……ふ、万事休す、とはこのことか……」
銃弾が当たった部分から、血が流れ出す。
「暁さん!」
二人の理人の声が重なる。
「理人、未来の私の装備を剥げ」
「……っ、はい!」
理人は未来のナハトを拘束すると、破壊されたガジェットも含めて、武器と言えるものを全て手の届かない所へ放った。腕から流れ続ける血を止めるため、止血手当も行う。
未来のナハトは、過去のナハトと理人を睨みつけた。
「……連れてくるんじゃなかったな」
「読めなかったのかい?そのお得意のアプリで」
「……未来は不確定なものだ。全てを見通せるわけじゃない」
「そうか。それは、良いことを聞いた」
過去のナハトは、深く息を吐き、「……未来の私の後始末は、私がつけよう」と言って、コンピュータールームの出口へ向かった。
「理人」
「は、はい!」
「……少し、行ってくる。ここで待っていなさい」
振り返ったナハトの表情は、酷く穏やかだった。
*****
たん、たん、と足音が響く。二人分の足音だ。
TPA本部の廊下を、ナハトと理人の二人が歩いている。
「今日は……ひどく疲れました」
「そうだな」
「……早く寝たいです」
「だが、寝る前に始末書を書いてしまわないと」
「それはわかってます……」
未来から帰ってきた二人は、上司である管理官にこってりと絞られてしまった。タイムワープガジェットの無許可使用は認められていないにも関わらず、その利用履歴があったことを見咎められてのことだ。加えて、今日は何者かの襲撃があり、管制室のスタッフが全員一時昏睡状態にあったのだという。幸い実害はなかったが、もしタイムジャッカーによる本部への攻撃だったとしたら、重要な戦力である二人がいないのでは話にならない、もっと気を引き締めてかかるように、とのお言葉だった。
「しかしなぜ、管制室のスタッフが……」
「おそらく、未来の私の仕業だったんだろうね。しかし、管制室のスタッフ全員の治療とバイタルチェックをしたことを考えたら、今日は医務室のドクターも、我々に劣らず激務だったろう」
「ああ、なるほど」
理人は思わず納得の声を漏らした。
「なるほど?何がだ?」
「いえ、先程、未来のあなたを医務室に運んだ際に、医者の先生が急いで出て行ってしまったので……それが原因だったのかと」
「未来の私を、医務室に……何か言っていたか?」
「えっと……そうですね。足に酷い傷が……古くて深いものがあって……前線で戦えているのが不思議だと、先生は仰っていました」
「そうか……」
足の怪我。それはナハトにいずれ訪れるとされている未来の一つだ。ナハト自身も、未来のナハトからアスミルについて聞かされたときに、概要は聞かされていたらしい。
「私の足の怪我が原因で、お前もバディが変わったそうだな」
「ええ、先程の青年ですね。ですが……これからそうなると決まっているわけではない」
未来は不確定なものだ。
人が自分の意思をもって決断し、行動していく限り、その結果は変わっていく。
予測通りになることも、あるかもしれない。しかし、変えていくこともまたできるのだろう。
「未来は自分の手で変えていける。……だからこそ、今を生きる価値があるのだと思います」
「……そうだな」
未来がどのように変わるかは、今の段階ではわからない。しかし、確かめようとも思わない。
願わくば、未来のナハトも、理人も、他の者たちも、より良い未来を選び取ってくれていればと思う。
そうやって話しながら歩いているうちに、二人は共に過ごしている集合住宅へと到着していた。
「理人。今日は私の部屋に来なさい」
「え?何故……まさか監視でしょうか?さすがに始末書は書いてから寝ますよ」
「違う」
ナハトは、眉を下げる理人の耳元に、そっと言葉を流し込んだ。
「未来の私に触れさせた部分を、塗り替えさせてもらう」
「えっ」
思わずナハトから距離を取った理人は、恐る恐るナハトの顔を見た。
感情の読み取れない、張り付けた笑顔がそこにあった。
「あ、えっと、あの、私、今日はその、疲れていて……」
「無論私も疲れている。無理はさせないさ」
「暁さんの無理と私の無理は、程度が違……」
「鍛え方が足りないんじゃないか?」
気づくと、ナハトの手に理人の腕は捕えられていた。
「あ、あの……お手柔らかに、お願いします……」
一気にしおらしくなった理人は、そのままナハトの腕の中に収まった。
ナハトの表情は、いつしか自然な笑顔へと変わっていった。
*****
タイムワープの技術がある限り、犯罪によって傷つく人がいる限り、「偉大なる父」はいずれ出来上がってしまうのかもしれない。
それでも、人が自由を求める限り、明日を夢見る人がいる限り、立ち上がり、戦う人はきっと生まれてくるのだろう。
人が人である限り、その戦いはきっと終わらない。それでも、それだからこそ、得られた幸福には価値がある。
その幸せを得るために、人は前に進み続けるのだろう。
おわり