繋がれる手(仮)後編夕刻、三兵団の合同会議も終わり自室に戻ろうと廊下を歩いている時、訓練に精を出す兵士の声が響き、導かれるよう窓の外を見下ろした。
あれから一月、調査兵団の体制が決まった。
巨人と戦っていた時とはわけが違う。エルヴィンもいない中、正直途中で投げ出したくなった。憲兵や駐屯兵団と違って、調査兵団にはブレーンが不在だ。そこも憲兵から補充される予定だが、果たして憲兵やってた人間が調査兵団で出来るのか。
「イカれてなきゃ続かねぇのは、巨人がいなくなったって同じだ」
現在調査兵団にて一番頭がキレそうな人物、俺にとって一番案じている部下は、何とか調査兵団に残留することが出来た。誰もが知っているミカサの状態。退団させる可能性が非常に高く危なかった。退団させて、あの状態のミカサが一人で生きて行けるとは思えない。
とは言え、ミカサが今後兵士として役立つかは俺でも分からない。
そう考えれば、残して良かったのか、それとももう解放してやればよかったのか。
答えの出ぬ悩みに眉間に皺を寄せると、近くから女の声が届いた。
「リヴァイ兵士長」
そこにいたのは、女性用の病衣を来た―――
「ミ、カっ・・?っバカか!てめぇ!!」
靴ではなくスリッパを履き、壁に手を寄せ、寄り掛かるように歩くミカサ。
最後に見た姿よりは良さそうで、顔は青白くなく、ちゃんと肌色をしている。幾分全体的に肉が付いたようには見えるが、それでも病人と呼ぶに相応しい。病衣もまるで子供が大人のサイズを着ているようだ。
「何をやっている!!医務官と一緒じゃねぇな。医務室に戻れ!」
俺が怒鳴ったところでビクともしないミカサ。はぁはぁと息を漏らしながら一歩一歩近づいてくる。
そんな姿を見てられなくて、ミカサに駆け寄ると左手でその体を支えた。
差し出された左腕にしがみつき、息を整えるミカサ。
一体何がこんな状態のミカサをここまで動かしたのか。チッと舌を打つと、支える左手に力を入れた。
「兵長は...言った。『自分の足で立ち上がれるようになったら』と」
ミカサの言う言葉。
その意味、思い当たること。
『―――抱いていいか?』
もう、忘れていたくらい前の事だ。
そんなこと覚えていたのか、このクソ野郎。だが、何のために?
「帰るぞ」
「どこへ?」
「お前の病室に決まってるだろ」
「イヤ!」
そんな大声出せるようになったんだな、とちょっと感動していたが、ミカサは仇を見つけたような形相で俺を睨みつけた。何がそんなに嫌なのか。
「せっかくここまで来たのに、このまま、何もないまま病室に戻るなんてイヤ!」
「って言う割に、ふらっふらじゃねぇか」
「でも!」
確かに自分の足で立っているが、壁に手を付かなければ十秒がやっとだろう。声ははっきりとし、昔のミカサそのもの。順調に回復してるんだなと、心の中でふっと笑い安堵した。
そんなミカサの腕を抱えるように掴み、病室に向かって歩を進める。ぎゃあぎゃあうるさいミカサの声には、耳に蓋をして。
「兵長、本当にイヤ。戻りたくない」
「ったく、いい加減にしろ」
「抱いて!」
ボカッ
このくらいなら殴ってもいいだろ。大丈夫なくらい頭は回復してるらしいからな、クソガキが。
「~~った、い」
「誰かに聞かれたらどうする!」
「もう聞かれてる」
あぁ?っと周りを見渡せば、そそくさと逃げる数名の後ろ姿。たまたまこの周囲にいたのだろう。訓練兵団の紋章に、駐屯兵団、厄介な憲兵団・・・クソっ。
「・・・ミカサ、てめぇ」
握った腕にぎゅっと力を入れ睨みつければ、さすがに悪かったといった様子のミカサ。
「とにかく、ここを離れる」
「へ?行っちゃうの?」
「勘違いされるような声色と台詞、口にするんじゃねぇ!」
思いっきりこめかみに青筋を立てて凄むも、置いて行かれる方が嫌なのか、縋りつこうとしてくるミカサ。
そんな彼女に深い深いため息が漏れる。
「置いて行かねぇよ。今のお前をひとりにしたら何が起こるか分からねぇ。かと言って、病室はイヤなんだろ?」
こくこくと頭を縦に振るミカサに肩を貸す。出来るだけ体重を俺に寄せれば、足は動くだろう。俺の方が背が低いから―――何か頭にくるな―――、体重を乗せやすいだろうし。抱っこしてやる方が早いが、これ以上変な噂が立つような事は避けたい。
「俺の部屋だ」
部屋に入り、椅子には座らせず、ベッドに腰を下ろさせた。
「取りあえず、寝ろ」
「一緒に寝ないの、ですか?」
「寝ねぇよ。誰がお前と」
「でも、前に兵長、抱いていいかって言った」
「言っ・・・たが、あれは忘れろと言ったはずだ。不快な思いをさせて悪かった」
本当にどうかしていた。ミカサに癒しを求めたなんて。
唯一自分の横で飛べる相手、唯一背中合わせで戦える相手、戦場ではエルヴィンより、ハンジより、力を信頼できた。まだガキだが、こいつなら大丈夫だと。だから・・・甘えたくなった。
「兵長、普通は不快、だと思う。上官から体の関係を強要されるなんて」
俺が言える立場じゃないが、強要、はしてなかった、と思う。たぶん、セーフ、だろ?アウトか?
「でも、私はイヤじゃなかった。兵長がそれで、満足するならいいと思った」
再び手を上げると反射的にミカサは両腕交差させ、頭を守った。その横から上げた右手を通すと、くしゃりと髪を撫ぜる。
「お前、自分を大事にしろ。他人の事ばかり優先するな」
ほとんど使わない自分のベッドに横になっている女。
まだ痩せているが、少しは健康的になったと思う。眠いのか、口が半開きで瞼が下がってきている。
「ねぇ、リヴァイ兵長。いつ、抱いてくれる?」
「お前が立体起動装置で飛べるようになったらな」
そうなるのに、何ヶ月、下手すりゃ何年かかるか。
それだけミカサは衰えている。改めて、そんな奴に無意識とは言え手を出そうとした俺はクソ野郎だと思った。
「待ってて、兵長。すぐ良くなる。頑張る」
「頑張るな。だが、すぐ良くなれ」
「うん」
手を伸ばし、ミカサの髪をゆっくり何度も撫でていると、ミカサはスッと目を閉じた。
規則正しい呼吸がスースーと聞こえる。
当分、ミカサは病室には帰らないだろう。ここをミカサの部屋にして、俺が部屋を移動するか。
そんなことして、果たしてミカサが満足するか。
かと言って同室で暮らすわけにもいかない、が。
「幸せな悩みだな」
そんなこと考えていること自体馬鹿らしい。
今までは生死をかけた戦いの事しか考えてこなかったのに、女と同居するかしないか、迫ってくる女を抱くか抱かないか、そんなくだらねぇ事を考える日が来るなんて。
「誰かと暮らす、ファーランとイザベル以来か」
だが、始まってしまえば、似ても似つかない生活が待っているだろう。
人生で初めての穏やかな悩みに、リヴァイは遠くに想いを馳せた。
Ende