美味部屋中に散漫するツンと鼻につく香り。俺の大切なその人は匂いを発しているその液体と同じ色の長い髪を床に垂らし、知らない人間の喉元に牙を立てていた。
「あぁ、ごめん。覗くつもりじゃなかったんだ。」
そう言って踵を返す。吸血鬼の食事を覗くだなんて悪趣味な真似をするつもりは本当になかった。ただ、俺も飢えていたのだ。
今日は妙に外が明るくて、ソワソワして。あぁ満月だったか、と気付いたのはその匂いに連れられて無意識に彼の部屋を開けてしまってからだった。
「待って。」
いつもよりワントーン低い声が腹に響く。食事中の彼はいつものコーサカではない。髪も爪も牙も羽も、狩りの道具が全て隠されずに晒されている。化け物として上位種の彼の本来の姿の前では俺だって少しの恐怖を覚えてしまう。
「ごめんって、怒らないで。」
そんな恐怖を悟られたらコーサカが傷付くことを俺は誰よりも知っている。相方で、同じ化け物で、友達で。何より大切な家族みたいなもんだから、怖いなんて感情は悟られてはいけない。いつも通りの笑顔で食事の邪魔をしたことを詫びれば、彼は困ったように眉を下げた。
「怒ってない、来て。」
人間を偽らないコーサカは言葉が少ない。いつもはあんなに多弁なのに。
「ん。」
傍に寄り差し出された手を取れば、ぐいと引っ張られコーサカの顔が近づき、そしてごくあっさりと唇を奪われた。唇で唇を開かれ、注がれる噎せるように甘美な液体。その正体が血液だと気付く頃には彼の表情が伺える距離に戻っていた。
うまくね?コレ。なんて言いながら俺も食べやすいように四肢をもごうと動くコーサカ。しかし彼の言葉なんかよりも俺は困惑していた。
「え????俺ら今キスした??」
「は?」
ドスの効いた声で顔に影を落としながら出てきたその言葉に、ひっと声が漏れた。あれだけ恐怖を悟られないようにと決めていたのに。
「え、あー…………したわ。うん、した。」
俺の心配なんて気にもせず、というかそんな言葉は耳に届かなかったかのようにぽかんと口を開け空を見上げるコーサカ。次第に髪は短くなりいつもの彼の姿に近付いていく。
「かんっっぜんに無意識だった。」
まだ完全に普段の人間に寄せた姿には戻っていない彼の尖った耳が薄紅色に染まっていく。
「美味いもん、分けてくれようとしたんだ?」
「ったりめぇだろ、貴方も好きそうな味の部分だったんだよ!」
ぶっきらぼうに言う彼に、恐怖なんてものはもう抱かなくなっていた。