俺の(元)相棒がどうも怪しいこじんまりとしたテーブルを覆う皿、皿、皿。
一口サイズにカットしたバゲットにたっぷりと塗られ、立派な層が出来ているハーブバター、こんがりと焼けた分厚いベーコン、アンチョビとクラッカー、燻製ソーセージ、そしてやはり欠かせないフライドチキン…。
ぎっしりと詰まった脂肪とたんぱく質らが眩く輝いていた。
いつもならすぐさま手を伸ばしてひょいぱくとつまみ食いをかますはずのブラッドリーは、ウィスキーの瓶を持ったままその豪華な風景を眺めているだけだった。テーブルの上はすでに満席だというのに、シンクから聞こえてくる水の音がやまない。
「…ネロ…」
「ん? ああ、そのソースは好みで付けてくれ」
この、サワークリームにチャイブをざく切りにしたのをまぶしたソースのことだろう。ここにあるもの、どれを取って付けても最高に美味しいだろうけど、ブラッドリーは困ったなあ、と頭の後ろを掻くしかなかった。
やがて音が絶え、テーブルに近づいたネロは片手に最後の皿を、もう一方の手には自分の分のグラスを持っていた。
「…どうした?」
「……別に」
門前払いされてた頃を思い返せば、きっと感動的な場面で合ってるだろうが…。
くしゃみの度に四六時中どこにでも飛ばされるってのは、言わずもがな面倒極まりないことであったが、突然の旅路も悪いことばかりではなかった。予想外の場所で中々いい手土産を手に入れるのは、それこそ宝石ではなくとも、ささやかな宝物を運良く見つけた時のようなスリルがあった。付きがないばかりに裸で飛ばされたり、人の影も形もないところに落とされない以上、いつだってそういう宝探しが始まった。珍しい果物、初めて目にする缶詰、手の届く限り何でもポケットに詰め込んだりなどしたが、やはり一番良いのはお酒だった。とびっきり良い酒を一本持って帰り、固く閉ざされた3階の部屋のドアをノックすることはやがて、ブラッドリーの日常の欠片となった。
苦々しい表情、冷ややかな瞳、頑固たる塩対応。それらと出くわしてから何回目だったんだろうか。バターを塗ったパン一切れがそっけなく出てきたのは。パン一切れは幾つかの時間を経てナッツになり、ナッツはまたゆっくりと干し肉になって、それが切れ端の肉を使ったまかないになったのかと思いきや、今や豪華なおつまみの皿が目の前にずらっと並べられるようになったのだ。
何より、ブラッドリーがテーブルで何をしようとも何も言わずにただ、窓の外を眺めていたネロが、今になってはテーブルの端にそっと腰掛けてグラスを持ち上げたりすることに、おそらく最後の緊張を緩めてしまったのだろう。
もしや? と思っても、根掘り葉掘り聞き出すのは風情に欠ける。そうやって見て見ぬふりをして、知らぬ内にそれで満足してしまったのが敗因だったのだろうか。 ブラッドリーは小さくため息をつき、揚げたてのフライドチキンをひとつ持ち上げた。ネロの視線は今日も今日とてブラッドリーの手先に釣られ、料理が口まで運ばれていくまでの長い放物線を全て、追いかけている。生半可に白を切るつもりもなく、堂々と頬杖までついて、その姿を眺めながらウィスキーばかり舐めるその表情といったら…。
山ほどご馳走を並べておいたご本人様もいくつか摘まんではいるが、ブラッドリーに何度言われたってうん、うんと適当に答えては聞き流すのが常だった。最初は、本当に誰だって騙されそうな周密な計画だったのかも知れないが、変なところで浅はかな底が見え透いちまうところも変りないようで、この有り様ときた。
テーブルの向こう側からにこにこ微笑んでいて、ゆっくりじっくりねっとりとしたあの視線に絡まれて、唇を舐めている最中の視線の末、本当は何があるのか。知らん振りに限界がきている。
本日用意したのは度数が馬鹿ほど高い、熟された北のウィスキーだった。グラスが空いたらすぐ注いでやって、また注いでやることを何度か繰り返したら、いつの間にか自らグラスをなみなみと注いでいたので、ブラッドリーは首を軽く振ってから苦笑した。皿が丁度二枚ぐらい空になったところで、おつまみもなしに続けざまに酒ばかり飲み干していたネロが、ふらふらと立ち上がった。危なっかしく体を引きずって、自分のベッドにやっと辿り着き、倒れると、額に手を当てては何かしらぽつぽつ呟く声が聞こえてくる。ブラッドリーはグラスをゆっくり置いてからつかつかと足を運び、ネロの顔の横に両腕を支えた。
「…ネロ、そろそろ言っちまえよ」
「ん~?」
「ん? じゃねえんだわ、ん?」
「あはは」
無邪気な笑い声が気持ちよく響く。無機質なベッドの上、しわくちゃになった素朴なシーツの真ん中で無防備に横になっているネロは、ブラッドリーの両腕の間に囲まれたってのに全く気にしていない風に笑ってばかりいた。耳のてっぺんまで赤くなった顔で、まともな返事もしないでへらへらしているのがちょっと憎たらしくて、結局、その鼻をぎゅっとつねってみる。ぐぇ、と気の抜けた声を上げるその顔を、再び憎めなくて、困ってしまって、でも後に引けなくて。
ブラッドリーはそれなりに真剣な声で、ネロの琥珀色の瞳を覗き込みながら畳み掛けてみる。
「…俺が知らないとでも思ったのか」
「……。」
ネロはゆっくりと腕を下げ、焦点の濁った瞳でブラッドリーをぼんやりと眺めていた。瞬きをするとまつ毛が触れ合うぐらいの距離で息をしている。濃いウィスキーの香りが呼吸に混ざりあってて、熱かった。沈黙が長くなるにつれて、ブラッドリーは腕を曲げて包囲網を狭め、近づいていく。らしくない脅迫がちょっと照れくさいらしく、揺らぐ視線と後ろに逃げる腰をぐっと掴んで逃がさない。こんな顔をしているが、ネロだってとっくに、気付いているようだった。
「……バレた?」
あーあ。
ゆっくり、しがみつくように首の後ろに巻かれた腕が、手慣れた様子でネクタイを外す。ソファーの下へと布が落ちる音を合図に、ブラッドリーを支えにして体をゆっくりと起こすと、やっとベッドのヘッドに身を寄せたネロは、相変わらず微笑んでいた。まるで抱いてくれとでもいうように、甘えるように、再び伸びてきた両腕に、ブラッドリーはせかされることもなく、ただ待っていた。
むぎゅっと、わき腹を捕まれる感覚と正面から向き合うまで。
「…あは、…ふ―…」
ネロは満足げに大きく息を吸い込んでから、むぎゅ、もにゅっ、ブラッドリーのわき腹を遠慮なく揉みしだき始める。最初は撫でまわすようにしていた手は、段々と躊躇いがなくなり、いつのまにか下腹、太もも、もっちりとした肉付き全てに手を伸ばし、好き勝手に触れる。形よく鍛えられた筋肉の上に、念入りに立たされた塔のような贅肉が容赦なく歪み捕まれる感覚には、泣く子も黙るブラッドリー様だって耳を赤らめるしかなかった。その決まらない顔さえすっかり見せられてしまって、もう満面に笑みを浮かべているネロに八つ当たりでもするように言い放つ。
「…い~い趣味してんな、おにいさん。」
「…昔だったら…、…想像もできなかっただろ、…ふふ」
「まあな、死の盗賊団の頭の腹なんざそうそう揉めたもんじゃないだろうよ」
「いい食材がいっぱい…、あるから、作るのも…、…あんたも…」
途切れ途切れの言葉の間でも欲深に握ってくる手だけは絶対離さないネロを見てため息をつき、ブラッドリーは逮捕でもするかのようにその両腕を掴んで持ち上げる。悪い事をしようとしてバレてしまった猫のような顔をしているネロの頬は、熟した杏子色に染まっていた。それでも口の端がまだ上がっているのを見るに、どうも反省する気はみじんもないようだった。
「俺様の腹肉に謝れよ、おい」
「……ごめんなさ~い……、…ん、ふ…っ」
むわっと漂うウィスキーの匂い、舌が痺れるほど残っているアルコールをすべて舐め上げ吸い込む。油と唾液で潤んだ唇を噛んで舐めて、このまま懲らしめてやろうかとも一瞬思った。そんな中でも容赦なく入り込む手つきの方が寧ろ赤裸々で、途中で一度口を離すしかならなくなって…。
「てめえ、手、本当いい加減に…」
「……何、照れてんの?」
「馬鹿言え、酔っぱらいがよお…。」
「…俺はかわいいと思うけどなあ…」
「これ、てめえも手伝えよ、分かったな?」
「……ん。」