未来は不確かで、ほんの些細な行動で変わってしまうものだ。
それなのに、ナハトの望む未来はどんなに試行錯誤しても見つからない。
ナハトが知る未来の可能性は二つ。そしてナハトが選び取ることができるのは、そのうちの一つだけだった。
「暁さん」
静かな部屋に突如響いた聞き慣れた声に、ナハトはハッと後ろを振り向いた。
声の主がこの場所を知るはずがない。
ここはナハトが密かに進めているシステム開発の為に用意した部屋だ。誰にも伝えていないのだから、訪れる者がいるはずもない。
だがそこには確かに、長年共に戦ってきたバディが立っていた。
「理人、なのか?」
思わずそう尋ねてしまったのは、目の前の理人の姿が自分の知る理人とは少し違ったからだ。
今の理人よりも少し歳を重ねていることがわかるし、凛々しい雰囲気が増している。そしてこの理人は、どこか悲しげな目をしていた。
「はい、暁さん。自分はあなたの知る自分よりも、10年先の理人・ライゼです」
「……未来の理人がどうしてここに?何故ここを知っている」
ナハトはこの先も理人にこの場所を知らせるつもりはない。理人が知るのは、ナハトが占いアプリの開発に携わったという事実だけだ。
その先でナハトが成し遂げようとしていることも、そのために用意したこの部屋も、理人は知らずに生きていくはずなのだ。
だが事実、未来の理人はここに現れた。ということは、未来の自分はしくじったのだろうか。
ナハトの問いかけに、理人は悲しげな笑みしか返さない。
「あなたに、見せたいものがあるんです」
そっとナハトの手を取った理人は、見慣れないガジェットを操作し始める。
「待て理人、何をする気だ」
「お願いです、このまま自分についてきてください」
理人の必死な表情に、ナハトは思わず口を噤む。
この理人は、どちらの未来の理人だろうか。どちらにしても、未来の理人が今のナハトに会いに来る理由などないはずなのだが。
考え込んでいるうちにガジェットの操作が完了し、ナハトは次の瞬間、見知ったTPA本部の屋上に立っていた。
「これ、は……」
見下ろす街は、ナハトの知るものとは少し違うようだ。一部の建物が違うものに変わっているし、街を歩く人々の服装も雰囲気が異なる。
「ここは、あなたの時代から50年後の未来です。時間渡航ではなく、予想した未来を仮想空間で見せるシステムによるものですが……」
「50年?そんなはずは……」
理人の言葉に驚きながら、ナハトはもう一度街を見下ろす。
街は平和そのものだ。人々は自然な様子で、隣に歩く人と言葉を交わし、笑う。
そこには管理によってもたらされた規律はなく、増加する犯罪によってもたらされた悲惨さもない。
ナハトは、こんな未来を知らない。
「どういうことだ、理人。この未来はなんだ?」
「……自分は未来で、暁さんがやろうとしていることを知り、それを止めました」
理人の答えに、やはり自分はしくじったのだなと納得する。
だがそれだけでは、この世界は説明がつかない。
ナハトが失敗した後に迎える未来は、犯罪による混乱と恐怖に満ちた世界のはずだ。
「自分たちは管理される未来を選ばなかった。でも、暁さんの言う悲惨な未来も、選びたくなかった」
ナハトと同じように街を見下ろす理人の瞳には、変わらず悲しみが宿っている。
「だから自分たちは法を作り、仕組みを作り、戦って、ようやくこの未来にたどり着く世界を手に入れたんです。犯罪も災害もゼロにはできない。それでも、人が人らしく笑って生きていける世界です」
ああ、この未来は存在するのか、とナハトは微笑んだ。
ナハトがどんなに探しても見つけられなかった未来。それを理人は見つけ出して、ナハトに提示してくれた。
ならばナハトは、理人に止められることを選ぶ。
そこには希望が残っているのだから。
理人が再びガジェットを操作すると、次の瞬間には元の部屋に戻っていた。
ナハトに向き合った理人は、乞うような表情でナハトにすがりつく。
「暁さん、お願いです。あなたの隣にいる自分のことを、信じてくれませんか。自分にあなたの背負うものを、分け与えてくれませんか」
「……何?」
理人の言葉にナハトは眉根を寄せる。
そんなことをしなくても、理人があの未来を作り出すのだろう。
理人を引き入れるような真似をするのは、あの未来の妨害に他ならない。
「理人は望む未来を手に入れたのだろう?何故過去に戻ってきてまで、私にそれを伝えに来た。これではまた、未来が変わってしまうかもしれないだろう」
「……自分たちの未来は多分、変わりません」
ナハトの服を握りしめる理人の手が震えている。
「自分たちの世界はおそらく、あなたの知る世界とは切り離されてしまった。自分の知る暁さんは、過去の自分も呼び寄せて未来を選び取ろうとした結果、過去の段階で死亡した存在になりました」
理人の説明を聞いて、なるほど、とナハトは納得する。
過去の自分が未来に手出しをし、排除されてしまった影響で、それ以降の暁ナハトは帳尻合わせのために世界から存在を消されてしまったのだろう。
そして世界はナハトが死亡した世界と、生存している世界に分かれてしまった。
そしてこの理人は、ナハトが死亡したことになった世界の理人だ。
つまり時間どころか、世界すら飛び越えてやってきた存在ということになる。
「自分はあなたが生きていた時間のことを、あなたの志を覚えています。たとえこれが許されないことだとしても、自分はあなたにこの未来を掴み取ってほしいんです」
理人はナハトから離れ、ナハトを見上げる。
「あなたはまだここにいる。あなたに三つ目の未来を、あなた一人では掴めない未来もあるのだということを、示すことができました」
「……私もあの未来を選べると?」
「はい。そのために、あなたの理人をあなたの側に置いてください。きっとあなたの力となって、あの未来をあなたと共につくります」
ナハトにあの未来をつくることができるだろうか。
だが未来の、別の世界の理人は可能性を示してくれた。
一人きりのナハトでは得られない未来は、確かに存在する。
ナハトが頷くと、理人は初めて笑顔を見せた。
だが次の瞬間、理人の手先が透けていくのが視界に入り、ナハトはぎょっとする。
「理人、手が」
「……ああ、間に合って良かった」
消えていく自分の手を見遣った理人は、驚く素振りも見せず、穏やかに笑う。
「大丈夫です、あなたの理人は消えません。でも、別の世界から干渉しに来た自分は、この世界にとっては存在してはいけない異分子だ。だから、この理人・ライゼが消えるだけです」
「理人!」
伸ばした手は空を切る。
「……暁さん。自分も、あなたのところに行けるでしょうか」
そうつぶやいた理人は、ぱちりと弾けるように姿を消した。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くすナハト一人だった。