fairy tale 5『鶴さん!』
『おう、光坊。慌ててどうした?』
『僕、今日の検査で150㎝だったよ』
『ついに並ばれたか!光坊はなんでも食べてて偉いからなぁ』
『鶴さんは?伸びてないの?』
『身長なんて些細な話さ。気にするな』
『でも鶴さん!身長だけじゃ…』
『鶴さん!俺も鶴さんよりも大きくなってやるぜ!!』
『おぉ、そうだな!貞坊も伽羅坊も、好き嫌いなく食べて、しっかり大きくなってくれよ』
「それじゃあ、驚いてもらおうか。」
周囲の空気がピンと張りつめている。
三日月は鋭い視線のまま、鶴丸を見ていた。
軽く肩をすくめた鶴丸は
「なんて、大風呂敷を広げてはみたが、種明かしは驚きに欠けてなぁ。」
ふっ、と、三日月から顔を背け視線を外す。再び三日月を見据えると、
「改めて自己紹介だ。名は鶴丸国永。年齢は23歳。身長は150㎝。体重は…まぁ、秘密だな。」
そう、おどけた調子で言った。
「何を…」
三日月には鶴丸の意図するところが見えなかった。名は初めて会った日に聞いている。年齢は23歳。23だと?目の前にいるのはどう見ても少年だ。
「出鱈目な話だと言っただろう?まるで御伽噺さ。俺の身体は、10年以上前から成長が止まっている。」
三日月の眼が見開かれる。こんな形でこの男を驚かせたかったわけではないのに。鶴丸は自嘲的な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「きみは三条の嫡男で、帝に近いようだから、きっと知ってるよな。先帝の『御使いを顕現させよ』の話。」
三日月から言葉は発せられない。常に余裕を持ち、胡散臭い笑みを浮かべていた顔も、未だ強張ったままだ。疑念が晴れないのか、単に話の突飛さに驚いているのか。どちらでもいいと鶴丸は思った。真実は係わった人間の数だけあるが、事実はいつもひとつだ。
「俺に翼なんかを生やしたのはそのせいさ。」
それはこの国の民ならだれでも知っている、黎明期の神話だ。輝く翼を持つ御使いが、ひとりの少女に神託を授けた。少女は数多の困難を退け、初代の帝になったという。
「五条博士は三条の遠縁の出らしいな。20年前、博士は御使いを人工的に作るよう依頼されたのさ。きみのご祖父上様に。」
「俺が研究所に連れてこられたのは、16年前だ。これでも当時は『神童』ってもてはやされてたんだぜ。どうだい、驚いたか?」
無邪気な笑顔で語る鶴丸に、三日月はようやく口を開く。
「何ゆえの死亡届だ。」
「…五条博士は、あまりにもよくできた『御使いもどき』が惜しくなったのさ。」
「そんなことで?」
「まぁ、きみも知っての通り、博士は変人だからなぁ。軍とはよく揉めていただろう?」
視線を大きな窓に移し、鶴丸は空を見上げた。晴れ渡る夜空には月が見える。奇しくも三日月だ。
「国一番と謳われた頭脳。純白の翼。見目麗しい、いたいけな少年。俺は8歳だった。老いぼれの帝に渡したところで、陳腐な政治に利用されるのがオチだ。」
自らを賛辞するその言葉も、どこか他人事だ。まるで鶴丸の身体を擦り抜けるように、虚しく響き消えていく。
「〈ヴァイス〉は元から俺一人きりしか存在しない。最初の死亡届は14年前。その後博士は〈ヴァイス〉という少年を新たに研究所に引き取っているだろう?」
「そうだ。お前もすべて承知の上か。」
「まぁ、仕方のないことだったからなぁ。しばらくして、俺の身体がこれ以上成長しないことが判明した。研究所には、定期的にお偉いさんの視察もあるからな。不自然にならないタイミングで、そのあと2回ほど死んだことになってる。羽を生やすことに成功したのは、記録上4人目の〈ヴァイス〉だな。」
「……」
「が、その実俺は一度も死なずに生活していたのさ。なんとも退屈な種明かしですまんな。」
「お前が23歳とな。俺と2つしか違わないだと?」
「まぁ、こんなナリだがその辺のやつらより、驚きに満ちた人生を送ってるぜ。」
悪戯っぽくのたまう鶴丸に、三日月は詰め寄る。
「ほかに話さなければならぬことは?」
「なんだい、きみ。人間、秘密を抱えていた方が魅力的だとは思わないか?」
虚をつかれた鶴丸は、近くなった三日月の瞳を見上げる。
「…お前が俺に隠しごとしておるのは気に食わんし、落ち着かん。」
憮然とした顔で、この男は何を言っているのだろうか。今の言葉の意味を理解しているのだろうか。
「…そうだな。実は翼は生えているが飛べない。どうだ、驚いたか?」
「あれだけの風を起こすのに、飛べぬのか?」
「きみな。鳥がどうして飛べるのか知らないのか?骨はスッカスカだし、始終垂れ流してるんだぜ。そんなことはごめんだな。」
呆れ顔の鶴丸がなんだかおかしくて、三日月はようやく緊張を解いた。何の気もなしに持ち上げた指は鶴丸の頬を摘まむ。ふに、とした感触に思わず笑みを浮かべた。
「む、なんだい、きみ。不躾に。」
身長差のため、どうしても上目遣いになる金色の眼が不服そうに睨む。その眼に自分の姿が映るのを認め、三日月は満足そうに頷いた。
「子どもの頬だなぁ。」
「身体は12歳くらいだな。夕方のあれだって犯罪だぜ。」
三日月の挙動の裏が読めず、されるがままの鶴丸は、三日月の働いた無礼をようやく責められた。
「はっはっは。なんとも興味深くてな。許せ。」
「三日月殿。」
扉の外から鶴丸の知らない声がした。
「石切丸か。」
「夜分に申し訳ありませぬ。御父上が火急の用向きとのことです。」
「あなや。帝か?いい加減にしてほしいものだな。父上おひとりでなんとかできるだろうに。」
嫌みに満ちた三日月のため息にも、石切丸は動じない。
「急ぎお戻り頂きたい。」
「この部屋の警備はどうする。」
「そうおっしゃると思いまして、岩融を連れてきております。」
十分すぎる手回しに、三日月には拒む選択肢がなかった。
「……鶴。ここで待っておれ。明日には戻る。」
「お疲れさん。三条の跡取りは多忙だな。」
鶴丸の言葉に、三日月は一瞬だけ目を眇めたように見えた。
が、次の瞬間身を翻して、扉に向かった。
扉の向こうが見えた際、鶴丸は石切丸と呼ばれた男と目が合った。彼は値踏みするような視線を鶴丸に投げ、何の感情も映さない表情ですぐさま扉を施錠した。
「なんだありゃ。」
明らかな敵意を向けられ、ひとり残された部屋で鶴丸は小さく呟いた。
三日月は今までに味わったことのない感情に戸惑っていた。苛立ち、ではないようだ。この感情に至る心当たりがなかった。
三条の館の中、父の執務室に続く回廊を渡る。こんな時間まで執務とは。相変わらず仕事一辺倒の御仁よ。三日月の父は一族の長として執務に熱心だ。しかし嫡男である三日月も含め、家族を省みることはほとんどない。幼いころからそれが当たり前だったので、三日月自身、そのことには何の感情も沸かない。『父親』というよりは仕事の同僚、と言った方が感覚としては近いだろう。
「まぁ、宗近。」
甘ったるい声に呼び止められる。顔には出さなかったが、最悪だ。と内心悪態をついた。母である。
むせかえるような白粉と香の匂い。ねっとりとした視線。自らを生んだことで、三条本家の正室の地位を得た彼女を三日月は嫌悪している。父も父なら母も母で、一般家庭で言う母の役割などしたことはない。そのことに特に寂しさも感じたことはないが、己がのし上がるためにこの女が何をしてきたのかを間近で見てきた三日月は、この生き物と同じ空気を吸うのも避けたかった。
今も三日月の様子など気にもかけずに、自分の話したい言葉ばかりを甲高く囀る。また見合いの話か。
地位など、欲したことはない。三日月の内心などお構いなしに、周囲はあれやこれやとお膳立てしてくる。気づけば跡目を継げ、だの、早く婚姻して世継ぎを、だの。うるさい羽虫が多すぎる。
母のせいばかりではないが、三日月は女性が苦手だ。かといって男色なわけでもない。
いずれ自分も、役目というだけでよく知りもしない女の胎に種を撒かねばならぬのか。
憚らずに大きなため息をつく。だが、目の前の母はそんなこと気にも留めはしない。
「そういえば、五条博士は行方知れずだそうねぇ。全く。あんなに研究に援助をしてやったというのに。」
かれこれ四半時は一人で話していただろうか。突然話題が変わり、何のことかと思えば、五条博士のことだった。自分の地位にしか興味のない母が五条博士を知っているのか。
「貴方の素晴らしい提案を現実のものとして頂く約束でしたのに。失敗したなんて、とんだ誤算だったわ。」
「提案ですか…?」
母の話は行きつく先が見えない。それはいつものことだ。だがこの話は聞かねばならぬ気がして、三日月は珍しく母に相槌を打った。
「そうよ!まだ5歳だったあなたの素晴らしい案!お義父様に進言したのはわたくしなのよ!」
また自慢か。自惚れるのも大概にしてほしい。この母と同じ血が自分に流れているのかと思うと虫唾が走る。
「御使いが欲しいならば作ればいい。そうよねぇ。そんな簡単なことにみぃんな気づかなかったのに、貴方はほんに賢い御子でしたわ。わたくしの自慢の嫡男。」
唄うような母の言葉は、それ以上三日月の耳には入らなかった。
『御使い』『鶴丸』『五条』『援助』『研究』『鶴丸』『失敗』『御使い』『作られた』『鶴丸』『もどき』『成長しない』『ヴァイス』『死亡届』『翼』『鶴丸』『鶴丸』『鶴丸』………
弾かれたように蘇る光景がある。
幼き自分と母。父。祖父。大人たちのうわべだけの会話が煩わしく、戯れに聞かれた質問を苛立ちまぎれにバサリと斬って捨てた。
『皆様そんなに憂うのでしたら、御自ら生み出せばよいではないですか』
退屈な5歳の直情的な言を祖父はいたく気に入ったのだ。
その結果はなんだ。
飛べない翼。成長しない身体。どこかに諦めを宿した金の眼。
あれを生み出したのは己の軽率な一言だったというのか?
血の気の失せる音が聞こえた気がした。
傍にいた石切丸がすぐに気づき、母に暇を告げ回廊を急ぎ足で渡る。
「三日月殿。」
石切丸の案じる声が遠くで聞こえる。三日月は答えられない。頭の中ではぐるぐると纏まらない思考だけが回り続けていた。
俺の業なのか。
相反する感情が三日月の中で暴れる。
俺のものだという歓喜。
俺のせいだという悲哀。
『特別』や『欲しい』などと思ったものは今までなかった。乞わずとも与えられ、欲するものなど何もなかった。鶴丸に会うまでは。
すとん、と覚えのない感情に名がついてしまった。
そして名がついた途端、そんなことは許されないと知る。
鶴丸の人生を狂わせたのは、記憶にすらなかった己の放言だった。
歯車が軋む。すべては坂道を転がり落ちるように進んでいく。
一人残された鶴丸は、薄明かりが照らす部屋から、眼下に広がる美しい夜色の街を見ていた。見上げれば星が見える。
成長が止まってしまった頃の夜を思い出す。眠れぬ自分に気付いた光忠たちが、星図を持ち出し寄り添ってくれた。光坊の説明も聞かず、貞坊が新しい星座を作ってくれたな。伽羅坊はずっと起きてる、と言って早々に眠り込んでいた。揃って寝過ごし、翌朝博士に笑われた。
三日月は今夜は戻らない。一度部屋に入った岩融はそう言うと、部屋の出入口の警備をするとすぐに出て行った。
三日月宗近。泰然としているあの男は掴みどころがなく、鶴丸を傍に置く目的も不確かだ。なのに、
『お前が俺に隠しごとしておるのは気に食わんし、落ち着かん』
そんな言葉を投げられても困るのだ。
はぁ、と小さくため息をつく。
「知りたくない。俺にはもう驚きはいらないんだ。」
誰に伝えるでもなく、鶴丸は頭を振った。
目的はひとつ。それさえ成し遂げられれば、あとはなんでもいい。
「弟たちの幸せを願う兄貴なんて、どこにでもいるだろう。」
言葉は行き場を失い、鶴丸の口の中で溶ける。鶴丸は大きく深呼吸をした。
首元の鎖に手を触れる。淡く光りだしたそこからは、掌に収まるほどの大きさの鍵が出現していた。やはり出鱈目だ。
「さて、路は開いた。いるんだろ、記録係。」
部屋の中に人の気配が出現する。だれも存在しなかったカウンター横に、長身の男が立っていた。一文字な眉と引き結ばれた唇か、男の頑固さを表しているようだった。
「それで?随分と遅い召喚だが。」
固い声が広い部屋に静かに響いた。
「監視が厳しかったの、きみだって見ていただろう。」
「仕事だからな。すべては事実に基づき記録する。主命とあらば。」
『主命』の部分を強調した物言いに、鶴丸は苦笑して、男に命じた。
「このひと月の記録を。」
「すべてお前の知る通りではないのか。」
不服そうな様子を隠さない男の質問に、どこか寂し気な笑みで鶴丸は答えた。
「何度も言ってるだろう。もう俺には何も『読めない」んだよ、長谷部。」
悪いな、三日月。隠し事ならまだ山ほどある。憮然とした顔を思い出し、詫びたくなった。
「人とは、愚かなものだな。鶴丸。」
どこからか出した書類の束を、長谷部と呼ばれた男は鶴丸に差し出す。
「だからこそ、俺たちは必死に生きてるんだろ。」
「まだ肩入れするのか。」
「何のことだかわからんな。だが、人生には驚きが必要なのさ。」
そう、例え俺にはもう必要がなくとも。