彼とカレの事情鶴丸のしつこい「お願い」を叶えるため、大倶利伽羅は年内最後の授業が終わった翌日、研究室を訪れていた。
PC作業など、鶴丸と貞宗の2人だけで終わるだろうに、この世話好きなDomたちは、大倶利伽羅が光忠との生活に安寧を見出しているのか気になるのだろう。何かと用事を作っては、大倶利伽羅を構いたがる。
作業を終えた大倶利伽羅は、食事の誘いを固辞し、キャンパス内を歩いていた。冬休みを迎えたキャンパス内は人通りも少ない。
ふと、正面から大きな荷物を抱え、きょろきょろと周りを見回す人影がやってくるのが目にとまる。外見から年齢が判別しにくいが、おそらく鶴丸と近い年頃だろう。
目が合うと、男はにこやかな顔で言った。
「すまんが、教員棟はどちらかな?」
来た道を引き返し、大倶利伽羅は男を教員棟の入口まで案內した。
口頭で説明したが、男が明らかにわかっていない笑顔で、「あいわかった」と言いながら逆方向へ足を踏み出したせいだ。
「足労をかけてしまったのぅ。助かった」
愛想の良い笑みを浮かべ、男は上階への階段を登っていった。どこかで見た気もしたが、思い出すことは叶わなかった。
男が去った教員棟は静かで、どこか物悲しげな空気を纏っている。大倶利伽羅にも伝播したのか、急に光忠が恋しくなった。
まだオフィスにいるだろうか。
自分を呼ぶ優しい声と、頬に触れる手の温もりに思いを馳せたときだった。
「会いたかったぞーーー!鶴ー!!」
大音量が、先程までの静けさをぶち壊した。
びくりと肩を強張らせた大倶利伽羅は、思わず何事かと2つ上の階にある鶴丸の研究室に向かった。
半開きの扉の向こうには、放り出された荷物とさきほどの男。男に抱きしめられた鶴丸。そんな二人を生温い視線で見つめる貞宗がいた。
「なっ、三日月、きみなんでここに、」
焦る鶴丸を見たのは初めてだった。
「はっはっはっ。さぷらいずだ!お前の好きな驚きだろう?」
「ちょっ、離せ、全くきみはいつも連絡もなく……!」
鶴丸が必死に藻掻くが、男の腕はびくともしないようだ。いつも余裕のある笑顔で大倶利伽羅を揶揄う鶴丸がいいようにされる様に、大倶利伽羅は驚きを隠せない。
「俺ちょっと飯行ってくるぜー。3時間くらい戻らないかも!」
騒がしい2人のやりとりを尻目に、貞宗がいつもの調子で声をかける。
「悪いのぅ、貞宗。」
「貞坊!待ってくれ!」
のんびりと返事をする男とは対照的に、鶴丸が懇願の眼差しで貞宗を見つめるが、貞宗はひらひらと手を振り部屋の扉を閉めた。
扉の外で固まっていた大倶利伽羅に、気づいた貞宗が言う。
「気にしなくていーぜ!三日月さん帰ってくるといつものことだからな!」
「三日月?」
大倶利伽羅は初めて聞く名に首を傾げる。
「そーだぜ!三日月さんは鶴さんの旦那だな!」
至極当然のことのように言われた言葉に、今度こそ大倶利伽羅は言葉を失った。
貞坊に置いてきぼりをくらい、観念して暴れるのをやめた。
「全く。きみは先触れってものを知らないのか」
悪態が止まらない。三日月は俺の小言などどこ吹く風だ。
おもむろに左手を取られる。
目線を合わせたまま、薬指に接吻。
「元気だったか?」
答なんてわかりきってるくせに、きみはいつだってその問いから始めるんだ。うっとりと俺の指に唇を這わせる男を、憎々しげに見つめた。
「誰かさんのおかげで、不眠気味さ」
辛かったのはおそらくお互い様だ。離れていられるのは長くて半年。これ以上は、体調不良で動けなくなる。
「きみな。いくら俺でも半年も放置されたら、思うところがあるぞ」
「あなや。それは悪いことをしたな」
思ってもいないくせに、形ばかりの謝罪を口にする。
そうして嫣然と笑い、三日月は請う。
「さて、命じてはくれんか。鶴よ」
「……『お座り』」
結局、きみはDomなのかSubなのか。今までダイナミクスが特定できない人間は他にいなかった。答ははぐらかされたままだ。こんなコマンド、果たして本当に意味を成すのか。
なのに、きみとの係わりだけが俺を満たす。
三日月はゆっくりと跪くと、目線だけでその行動の是非を問う。
三日月の目元に手をやり、その目を閉じさせる。されるがままに隠れた月を、俺だけのものにしたい。独占欲が首をもたげる。
「『見て』」
命じられるままに顕れたのは、宵闇に浮かぶ金色の月だ。
「鶴。会いたかった。お前でなければ満たされぬ」
その一言で、俺が半年かけて綻びぬよう強固に構築してきた城壁は瓦解する。軽い酩酊状態に陥る錯覚。目が合ったきみも同じ状態だとわかる。近くにいればいるほど、俺たちの思考は溶け合いひとつになってしまう。強すぎる同調は、俺たちが四六時中共にいることを阻む。
「三日月」
名を呼ぶとその目を細め、応えてくる。きみに俺を与えたい。
「『抱きしめて』」
熱を帯びた、大きな手に引き寄せられる。あっという間に籠の鳥だ。
「次は…3ヶ月で帰ってこい」
無言で笑ったのが、三日月の吐息から伝わる。
「承知した。今回はまぁ、やりすぎたな」
三日月の耳元に唇を近づける。そしてふたりだけのコマンドを吹き込む。
「きみを『刻みつけて』」
「すべてお前の望むままに」
今宵もまた、嗤う月が一羽の美しい鳥を屠る。