海風に吹かれ震えるお犬マン海風に吹かれ震えるお犬マンの後ろ姿は、とても哀愁に満ちていた。
「……」
僕はしばらく無言でその姿を見つめていたが、やがて意を決して声をかけた。
「あのー……お犬さん?」
「はい? なんですか?」
「いや、その、寒いのかなぁって思って」
僕がそう言うと、お犬マンは急に立ち上がって僕の方へ向き直った。
「ああ! ご心配には及びませんよ!」
そして彼はいつものように白い歯を見せて爽やかな笑顔を浮かべた。
「実は私、寒さに強い犬種なんです」
「あ……そうなんだ」
どう見ても寒そうだから聞いたんだけどね……。
まあいいか。本犬が大丈夫だと言うなら問題ないんだろう。
「でもそんな格好じゃ風邪ひくかもしれないし、よかったらこれ着ますか?」
僕は自分の肩にかけてあったジャケットをお犬マンの方に差し出した。
このジャケットには僕の体臭が染み付いているはずなので、きっと嫌がられるだろうと思ったのだが、
意外にもお犬マンは嬉々としてそれを受け取った。
「ありがとうございます! では遠慮なく頂戴しますね」
「えっ!?︎……あっはいどうぞ」
さすがに予想外だった。
てっきり断られるかと思っていたけど、まさかこうも素直に受け取るとは思わなかったのだ。
……というかこいつ本当に何者なんだろ? なんか普通じゃない気がするんだよなぁ。
う〜ん、謎の多い奴だぜ……。
それから僕らは並んで海岸沿いの道を再び歩き始めた。
相変わらず海風が強く吹きつけてくるけれど、先ほどより幾分マシになったように思う。
お犬マンが隣にいるという安心感もあるのだろうか?
おかげで道中はとても楽しく過ごすことができた。
それにしてもこのお犬マンは実に話し上手であり聞き上手であった。
初対面だというのにまるで昔からの友人同士のような気安さで会話ができるのだ。
こんな人は初めてである。
「ところで、お名前を聞いてもいいですか?」
道すがら、ふとお犬マンが尋ねてきた。
「あ、はい、そういえば言ってませんでしたよね。僕は『大和路セン』といいます」
「センさんですね。私は『黒路ムイ』と言います。気軽にムイと呼んでください」
「わかりました。よろしくお願いしますムイさん」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますセンさん」
お互い自己紹介を終えると、少し間を置いてから再び質問を投げかけられた。
「それでセンさんの方はどうしてこの辺りを歩いていたんですか?」
「ちょっと散歩をしてまして」
「そうなんですか。何か面白いものでもありましたか?」
「いえ特に何もなかったです」
「そうなんですね。ところでこの先の岬にある灯台に行きたいのですが、場所を教えてくれませんか?」
「いいですよ。案内しましょうか?」
「それは助かります。是非ともお願いしたいです」
それからしばらくの間、とりとめのない話をしながら歩いていると目的地が見えてきた。
「あそこの丘の上に見える建物がそうです」
「ああ、あれですか」
「はい。そこが灯台です」
「なるほど。では行きましょうか」
「はい、行きましょう」
そして僕たちは二人で一緒に歩みを進めていった。
途中、何度か強風が吹き抜けて行ったが、不思議なことにお犬マンは全く動じることなく平然としていた。
「すごい風ですね。怖くはないんですか?」
「ええ、全く怖いと思いませんね」
「へぇーそうなんですね」
正直かなり驚いた。
だって今の風速っておそらく10メートルはあると思うんだもの。
にもかかわらず平然としてるなんて信じられない。
やっぱりこいつは只者ではないようだな……。
そんなことを思いながらお犬マンの後に続いて歩くこと数分後。
ついに僕らは灯台へとたどり着いた。
「ここが灯台になります」
「おお! これが灯台なんですね!」
「はい。とても立派でしょう」
「ええ! 素晴らしいです!」
お犬マンは目を輝かせながらぐるりと周囲を見渡した。
「とても美しい建物ですね。感動しました」
「喜んでくれて良かったです」
「ええ、本当にありがとうございました。これで任務を果たせます」
「え? 任務ですか?」
「ええ、そうです」
「はぁ……ちなみにどんな任務なんですか?」
「この灯台を守ることです」
「……守る? 誰から……ですか?」
「もちろん神様からです」
「……えっと……」
どういうことだろ……意味がわからない……。
まさかこいつ電波な犬なのか……? いやそんな馬鹿な……でも……。
僕の脳裏に一瞬、犬が十字架を背負っている姿が浮かんだが、すぐに首を振ってその考えを打ち消した。
「あの……冗談とかではなくて……マジで言ってます……?」
「はい。大真面目です」
僕の問いに対してお犬マンは即答し、白い歯を見せて爽やかな笑顔を浮かべた。
どうしよう……頭がおかしい犬だと思った方がいいのかな……?
でもなんか悪い奴には見えないんだよな……変だけど……良い意味で……。
僕はしばらく真剣に悩んだ末、結論を出した。
「……わかりました。とりあえず中に入りましょう」
「はい。そうしましょ……う?」
「ほら、早く入ってください」
「は、はぁ……。では失礼します」
お犬マンが灯台の中に入ってきたのを確認してから、僕も続いて入った。
するとお犬マンが不思議そうな顔をしながら聞いてきた。
「ところでセンさん。何故私を連れてきてくれたのですか?」
「何故かと言われても困りますけど……まあ強いて言うならあなたのことが気に入ったからだと思います」
「そうだったんですか。それは嬉しいです」
お犬マンは少し照れたように頬を掻いた。……うん。やっぱり可愛い犬だ。
僕は思わず微笑みそうになったが、ぐっと堪えて本題に入った。
「さて、それじゃあ早速聞きますが、あなたは何者ですか?」
「何者と聞かれましても私はただの犬です」
「そう言わずに本当の事を言ってくれませんか?」
「本当の事とは?」
「例えば、実は人間だとか」
「いえ、私は正真正銘、普通の犬ですよ」
「……」
僕はお犬マンの瞳をじっと見つめたが、彼の表情に変化はなかった。……どうしたものか……。
「そんなことよりセンさんの方こそ一体どういう人なんですか?」
「え?」
「だって普通じゃないですからね」
「そ、そんなことないです」
「いえいえ。確かに見た目はごく平凡な青年ですが、中身の方が異常です」
「異常って酷い言い草ですね」
「すみません。ですが事実なので仕方ありません」……ぐうの音も出なかった。
「それでセンさんの方は?」
「だから言ったでしょう? 普通の一般人ですよ」
「それは嘘です」
「いや、どうしてそう思うんですか?」
「だって普通、こんなところまで散歩しに来たりしませんよ」
痛いところを突かれた。……そうだよね。
ちょっと冷静になって考えてみれば、いくら何でもこの岬に来る理由がないもんな。
「それに今どき珍しい着物姿というのも気になります」
「ああ、これですか?」
「はい」
お犬マンは僕の着ている和服を見ながら答えた。
「これは僕の趣味なんですよ。昔から洋服よりも浴衣と甚平を着ている方が好きなんです」
「なるほど。そういうことだったんですね」
「はい。そういうことなんです」
「では最後に一つだけいいでしょうか?」
「なんなりとお尋ね下さい」
「先程、私のことを『お犬マン』と呼んでいましたがあれはなんのことなのでしょうか? ひょっとしてどこかのご当地ヒーローの名前とかですか?」
「違います。あだ名です」
「あだ名? 誰の?」
「あなたのです」
「私にあだ名をつけていただけたんですか!?」
「ええ、そうです」
「ありがとうございます! とても気に入りました!」
お犬マンは嬉しそうな笑みを浮かべながら何度も頭を下げた。
「お気に召したようで良かったです」
「はい! これからはこのあだ名で呼ばれることにします」
「ははは。好きにしてください」
「ええ。そうさせていただきます」
「では僕はもう行きますので……」
「はい。お世話になりました」
「いえいえ」
「また来て頂けますか?」
「気が向いたら来ます」
「その時は是非とも歓迎させてください」
「……楽しみにしています」
それだけ言葉を交わすと、お犬マンは灯台の外へと出ていった。
「……さて……帰るか……」
僕もまた来た道を戻り始めたのだが、ふとあることが頭に思い浮かんだ。
……そういえばあの犬の本名って何なんだろ?
僕は立ち止まって振り返り、お犬マンが立っていた場所を見たが、既にそこに犬の姿はなかった。
「……まあいいか……」
別に無理して知らなくても……。
そして再び歩き出そうとした時、視界の端に何かが映ったような気がしたので、そちらに視線を向けた。
するとそこには……。
―――犬がいた。
灯台の入り口の前でお座りしながら尻尾を左右に振っている。
しかもその犬は全身真っ白で……まるで雪の精のようだった。
僕はその姿に見惚れていたが、すぐに我に返ると慌ててその場から逃げ出した。
何故ならその犬には見覚えがあったからだ。それも嫌というほど……。
「待てぇ~!!」
後ろの方からそんな声が聞こえてきた。
僕は全力疾走しながらも背後をちらと確認すると、案の定、お犬マンが追いかけてきていた。
「ちょっ、なんでついてくるんですか!?」
「そりゃセンさんを追いかけるためです」
「どうしてですか!?」
「だってセンさんが私の名前を呼んでくれたじゃないですか」
「知りませんよ!! そもそも僕は一度もあなたのことなんか呼びませんでしたよ」
「いいえ。確かに聞きました。『お犬マン』と。ですから私はあなたに一生ついていくことに決めたのです」
「勝手に決めないで下さい!!」
「いえ、私は絶対に離れません。例え地獄の底まででもついていきます」
「怖いこと言うんじゃないですよ!」
「大丈夫です。ちゃんとおトイレの時は離れてあげますから」
「そういう問題じゃありません!」
「あ、それとも一緒に寝たいんですか? それもいいですね。実は私もセンさんと一緒に寝たかったんです、ハァハァ!!」
「そんなわけあるかい!!」
僕は大声で突っ込みを入れた。
しかしその後もお犬マンは執拗に追ってきた。
「うわぁああああああ!!!」
「逃がしませんぞぉおおおおおお!!!」
こうして僕らの鬼ごっこはいつまでも続いたのであった。
「……疲れた……」
結局、家に帰った後もずっと走り続けたせいか、精神的にも肉体的にも疲労困ぱいしてしまった。
もう一歩たりとも動きたくない。
「……それにしても本当にしつこい犬だったな……」
まさかあんなに諦めが悪いとは思わなかった。
「……明日になったら、また来るかな?」
いや、多分、来ないだろうな。
今日一日で十分、懲りたはずだし。
僕はそう判断し、安心しきって眠りについた。
だが翌朝になってもお犬マンはやって来なかった。
どうやら昨日の一件を反省しているようだ。
「……」
正直、ホッとした。
これでようやく平穏な日常が戻ってくる。
僕は朝食を食べた後、いつものように縁側で日向ぼっこをしながら読書をしていた。
「平和だな……」
そんなことを考えていると、不意に玄関の扉が開く音がした。
「ん?」
誰か来たのだろうか?
僕は不思議に思って立ち上がると、そのまま玄関へと向かった。
するとそこには……。
「おはようございます」
お犬マンが立っていた。しかも満面の笑みを浮かべながら。
「…………えーっと……どちら様ですか?」
「お忘れですか!? お犬マンです」
「いや、それは分かってるけど……」
「では改めて自己紹介をさせていただきます」
お犬マンは背筋を伸ばしてぴしりと正座した。「私の名前はお犬マンです」
「いや、だから知ってますって……」
「いえいえ。これは私の名刺代わりみたいなものですので」
「は?」
「ちなみに特技は『鼻』です」
「……はぁ……」
「あと好きなものは魚全般とセンさんの匂いです」
「……そうですか……」
「それと苦手なものはお化けと雷とピーマンです」
「……そうですか……」(お化けはお前だろう、お犬マン…)
「あ、でもセンさんだけは例外です。むしろ大好きです。愛してます。なので是非とも結婚して下さい」
「……お断りします……」
「まあ、そう言わずに。とりあえず中に入れて頂いてよろしいでしょうか?」
「……何のためにですか……」
「もちろんセンさんに会いにきたんですよ」
「……帰ってください……」
「分かりました。ではまた来ますね」
「帰れ!!!!!二度と来るんじゃねぇ!!」
僕は力いっぱい叫んだ。
お犬マンは相変わらず笑顔のまま立ち去って行った。
それからというもの、毎日、お犬マンは僕の家を訪れるようになった。
僕の居ない時には、玄関にお犬マンにはちょうどいいサイズと思われる木の枝やら、木の実などが置かれている。
彼なりの土産のつもりなのだろうが…正直頭が痛い…。
僕は、玄関を掃除しながら嘆くのであった、あんな犬に声をかけるべきではなかったし、ジャケットなんて渡さなければよかった…。
「はぁ…普通の生活に戻りたい…」
-------おしまい-----