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    吸死サテヨモの民

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    爪とヤスリの続き
    これで終わり

    #吸死
    Kyuushi
    #ヨモツザカ
    yomotsuzaka
    #サテツ
    satinWithWavyPattern

     コロが走っている。柔らかな新緑の草むらの中を。ふかふかした土の上を。コロが走っている。
     矢のように走り、ピタリと止まっては満面の笑みでこちらを振り返る。また駆け出し、止まって振り返る。
     オレ様はコロに向かって手を振り、ゆっくり歩いて追いかける。お前のように元気に走り回れない。一緒に遊んではやれないんだ。
     そうだったか?一緒に走って散歩をしていたんじゃ無かっただろうか……?
     コロが駆け戻って来る。毛皮の中の筋肉が、力強く躍動しているのを感じる。美しい生き物だ。
     『犬は人類にとって最良の親友』とか言った愚物がいるらしいが、犬ほど優れた生き物ならば、どの種の親友にでもなれるだろうに。
     勢い余ってオレ様を通り過ぎ、そのまま足の周りをぐるぐると回り始めたコロを捕まえる。
     貧相でカサついた指が温かい毛に埋もれる。豊満な毛皮をゆっくりと撫でる。
     コロを撫でている時間は、幸福だ。精神が落ち着き、心が満たされる。掌に伝わる柔らかさと温かみがこんなにも愛おしい。それだけで涙腺が刺激される。
     コロが柔らかくて温かいのは当然なのに……。
     白い和毛を撫でていると、何処からか笑い声がした。
     低く落ち着いた声。
     無視してコロを撫でる。湿った鼻を押し付けて来るので頬を掴んで揉む。
     笑い声が近付いて来る。誰だ、コロとオレ様の時間を邪魔する奴は。
     押し殺した笑い声が耳元から響いた所で、地面が消失した。


     ガクンっと大きく船を漕いだヨモツザカが目を覚ました。首を巡らせると、何時もの研究室。うたた寝をしていたのだ。腹に抱えているフラスコを撫でる。固くて冷たいフラスコだ。低い体温を、押し付けるようにして温める。
     例の笑い声が響いた。
     夢で聞いた笑い声は、サテツだった。
     パソコンモニターで再生していた犬動画を見ているらしい。
     何をそんなに笑う事がある、とダルそうに首を揉む。
    「あ、おはよう御座います。…すいません、うるさかったですか…?」
    「ん…」
     薄いこめかみを押し込んで、眠る前の記憶を手繰り寄せる。
     指先の違和感で、サテツに爪を切られていた事を思い出した。
    「えと…どうですか?爪…痛かったりしませんか?削り過ぎてたり…」
     悲惨だった指先が整えられ、一応爪という体裁を保った形になっている。
    「大丈夫だ。うん」
    「良かった。また切りに来ますね」
     へらりと笑うサテツの顔は、どう見ても犬だった。頬を両手で包み込む。犬にしては硬い頬を揉む。
    「…………?」
    「………ん……」
     困惑して汗を飛ばすサテツから手を退かす。
    「お前、もう少し人間らしくしろ。そのうち犬になるぞ」
    「…所長さんは俺の事を犬イヌ言いますけど、所長さんの方がよっぽど犬っぽいと思うんです」
    「は?」
    「ちょっと見て下さい」
     サテツがパソコンモニターをこちらに向け、マウスを操作して、先程から見ていた犬動画を冒頭から再生し直す。
     そこには、ボルゾイが映し出されていた。
     世界一、身体が薄っぺらいことで有名な大型犬だ。
     体に負けず細長い足は、飼い主に握られている。飼い主のもう一方の手は、ニッパーのようなものを握っていた。
    「この子の爪を切る動画なんですけど……ふふっ……表情が……この嫌そうな顔がっ……ふはっ」
     ボルゾイは、長いマズルにシワを寄せて、たまに歯を剥き出しにしながらも、飼い主に大人しく爪を切られている。賢い子だ。
    「さっき、爪切られてた所長さんそっくりで…ふふっ」
    「は?」
     そんな訳あるか
    「顔なんて見えんだろ」
    「あ、お面ですか?うん。でも、お面、して無かったら、絶対こんな顔してたと思うんです……ほら………この顔、してた。……嫌そう…そっくり。はははっ」
     犬とこちらを見比べて、笑う姿が疎ましい。
     俺様が犬に似ているわけ無いだろう。
    「単に細長いだけだ」
    「あ…や、勿論細長いのも似てるんだけど…何かもっと、こう……あ!カズラさん!これ!この子、所長さんに似てますよね!」
     たまたま資料でも取りに来ていたのだろう、助手のカズラを手招きしてモニターを見せる。
    「何です?……あら、ふふふっ」
    「ね?似てますよね」
    「似ていますね、今まさに同じ顔してますよ、所長」
    「……してない、そもそも…」
     見えんだろうが。
     隠しているんだ。
     見えてたまるか。
     似ているものか。

     席を立って、仮眠用のソファーに蹲る。
     もういい、しばらく寝る。
     一段と喧しく、二人の笑い声が重なる。
     何だよ、と煩わしく顔を上げると…
     爪切りを終えたボルゾイが、クッションに丸まって不貞腐れていた。
     
     俺様が、犬に似ていてたまるものかよ。

     

     
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