『きり丸と伏木蔵と合戦場』授業が終わり、一年は組の生徒達はそれぞれ委員会や鍛錬、或いは自由な時間を謳歌しようと教室を出て行く。
乱太郎もその波に乗って教室を出たが、背後から呼び止められた。
「乱太郎!今日、暇?」
きり丸に声をかけられ、乱太郎は何となく要件を察して足を止め、眉を下げる。
「残念、今日は保健室にいないといけないんだよね。伊作先輩が実習に行かれてて不在だから」
「何だそっかぁ」
しんべヱも、今日は用具委員会で大規模な補修を行うからとさっさと行ってしまった。
あからさまに肩を落とすきり丸に、乱太郎は首を傾げる。
「きりちゃん、今日はバイト無いんじゃ無かったの?」
「いや、実は……」
「あれぇ?乱太郎?」
その時、反対方向からも声がかけられた。乱太郎にとっては保健委員会で慣れ親しんだ声だ。
顔を向けると、隣の一年ろ組から鶴町伏木蔵が顔を覗かせていた。
「どうかしたの?」
乱太郎の困った気配に、伏木蔵が問いかけてくる。
「えっと、きりちゃんが手伝って欲しい事があるみたいなんだよね。バイトか何かで」
要件はまだ聞いていないが、十中八九金儲け関連だろう。
伏木蔵はおおよそ理解し、こてんと首を傾げる。
「保健委員会の当番、代わろうか?」
光明!とばかりにきり丸が表情を変えるが、乱太郎は首を振った。
「ううん、今日は私が伊作先輩から留守を頼まれてるから。それに………」
乱太郎がぐっと拳を握る。
「伊作先輩に、軟骨作りを任されてるんだ!打ち身と切り傷と火傷の三種類も!」
保健委員会において、調薬を任されると言うのはとても名誉な事だ。
おおー、と伏木蔵も感嘆をあげてぱちぱち手を叩く。
善法寺伊作委員長から託された大事な仕事を放り出すわけにはいかない。乱太郎は責任感と意欲に燃えていた。
これは来て貰えないと察し、きり丸が嘆息した。
「ちぇ、仕方ない。一人で行くかぁ」
「そう言えば、どこに行くの?」
断るとは言え、我関せずも貫けないお人好しな乱太郎は、有耶無耶になった答えを改めて問う。
きり丸はあっさりと言った。
「いや、昨日○○で戦があったからさ。金目の物が落ちてないか見に行こうかと思って」
「あー、成る程」
「戦場に?それってすっごいスリルとサスペンスー」
苦笑する乱太郎の側で、伏木蔵の青白い顔に好奇心が浮かんだ。
「………………」
きり丸と乱太郎は思わず顔を見合わせた。
◆◇◆◇
土井先生には渋い顔をされるが、きり丸にとってそれは物心ついた頃からの立派な“生きる手段”の一つだった。
矢尻や折れた剣、鎧、銭。戦場には、金になる物が沢山落ちている。それらは我先にと拾われ、そうで無い物はただ朽ちていく。
鉄は貴重だ。拾えば、助かる人間は確かに存在する。きり丸も、元手が必要無くても金が手に入る。
勿論、危険もある。
山賊のような厄介な奴だって狙っているし、不発弾や刃物が至る所に転がっていたりもする。
しかし、きり丸は仮にも忍者のたまご、忍たまだ。
多少の危険は回避出来るし、切り抜けられる。
それに、戦の真っ只中でバイトをするよりはずっと安全だろう。
と言っても、戦場跡だ。
火薬や血の臭いはまだ色濃く残り、帰る事が叶わなくなった兵があちこちに倒れている。
本来、忍たまと言えど一年生はまだ合戦場には滅多に出入りしない。
きり丸に付き合ってすっかり慣れた乱太郎やしんべヱならともかく、他の一年生には刺激が強い筈だ。
来たいと言うから連れて来たが、きり丸は少しばかり後悔していた。
案の定、伏木蔵は目の前の凄惨な光景に目を丸くしている。
「その………大丈夫そう?」
恐る恐る問いかけると、伏木蔵はきょとんとした目できり丸を見返した。
「ほえ?大丈夫って、何が?」
ケロッとした態度に、きり丸は拍子抜けする。
「あー………ドぎついじゃん?」
目の前の光景を指差すと、伏木蔵は「ああ」と声を上げた。
「血とか怪我は見慣れてるよ?保健委員だから。後は生きてるか死んでるかの違いでしょ?」
それで納得して良いのかは分からないが、言われて見ればその通りだ。
大丈夫なら、それに越した事は無い。
「なら良いけど……」
物珍しそうに辺りを見ている伏木蔵はひとまず置いておいて、きり丸は目的を果たす事にした。
「じゃあ、俺は金属拾ってるから。伏木蔵も、矢尻とか落ちてたら拾ってくれる?」
「はぁい」
伏木蔵は頷くと、戦の爪痕が刻まれた地を歩き始めた。
「きり丸ぅ」
どれくらいそうしていただろう。不意に、伏木蔵が呼ぶ声がした。
「どうかした?」
きり丸が振り向くと、伏木蔵は地に伏している一人の足軽の前に立っていた。
きり丸も側に寄る。
慣れてはいるが、近寄ってまじまじと見たい物でも無い。
眉を顰めるきり丸とは対照的に、伏木蔵は目を見開いてじぃとその男を観察し、口を開いた。
「この人、忍者じゃないかなぁ?」
「………っ!」
きり丸の目の色も変わった。
伏木蔵はしゃがみ込み、足軽姿の男の傷をみる。
「こーゆー傷、たまに見るけど、これって忍者の暗器だよねぇ?」
言われて見れば、傷が驚く程小さく、なのに急所を的確に斬られて……………いや、刺されている。合戦場ではあまり見ない傷だ。
きり丸の脳裏にも、小さな傷で確実に仕留める類の武器が過った。
例えば、忍たまは滅多に使わない棒状の手裏剣。五年の久々知先輩の得意武器。
中在家先輩が操る縄鏢。
いずれも忍者特有の武器だ。
伏木蔵が「すっごいスリルゥ」と呟きながら男の服を漁り始める。
きり丸達にとっては見慣れた、ただの足軽ならば持っている筈の無い武器や道具が次々に出て来た。
確定だった。
男はどこかから指し向けられた忍者で、戦に紛れて殺されたのだ。
「どうする?」と、伏木蔵がきり丸を見上げて目で問いかけてきた。
どうするかなど、決まっている。
戦場に近い場所で生きてきたきり丸は、踏み越えてはいけない一線を見極める能力には長けていた。
これは、きり丸と伏木蔵が関わるべきでは無い。
「ここから離………」
呟きかけた瞬間、きり丸と伏木蔵は同時に寒気を感じて振り向いた。
一年生とは言え、忍たまだ。
咄嗟に身構える。
目の前に、黒い忍び装束の男が立っていた。
口当てと頭巾の間から覗いた剣呑に目が細められる。
「お前ら、ただのガキじゃないな?」
「“ただ”は嫌です!違ったただのガキですぅ!!」
こんな時だと言うのに、脊髄反射で“ただ”と言う言葉に反応してしまう自分に泣きたくなる。
慌てて無害な少年を装うが、既に手遅れだ。
死体が忍者である事を突き止めるのも、忍者相手に咄嗟に身構えるのも、どう考えても普通の子どもではあり得ない。
忍者が黒光りする苦無を構える。
「ひぇぇ〜」
小さく伏木蔵が悲鳴をあげる。
余裕がありそうに見えるが、微かに体が震えていた。
きり丸も同じだ。
(切り裂かれるのも刺されるのも嫌〜〜〜!)
二人は無言で顔を見合わせる。
これ、殺される流れ?
確実に口封じされるよね?
視線で確かめ合うが、何の解決にもならない。
せめて、伏木蔵は逃さなければと思う。
誘っ……………ては無い、が、連れて来たのはきり丸だし。
そりゃ、一文にもならない死体を観察して、コイツが忍者だと気付いてしまったのは伏木蔵だし、忍具を引っ張り出したのも伏木蔵だし、何ならこれってあれじゃね?
不運委員会特有の不運!!!
あれ?巻き込まれたのは俺の方??
いやいやいや。
そんな事はどうでも良い。大体、乱太郎といてこんな不運に巻き込まれた事とかな……………………………………………………………無いし。
きり丸はキッと目の前の忍者を睨み付けながら小声で言う。
「お、俺が引きつけるから…………伏木蔵はに、逃げろ!」
忍術学園の先生か先輩か、誰か呼んで来てくれるまで持ち堪えられる自信は……………これっぽっちも無いけど!!!
「きり丸ぅ……」
伏木蔵は目を見開き、ぶんぶんと首を振ると、覚悟を決めたように表情を引き締めた。
指を口元に当て、大きく息を吸い込む。
ピュィィィィィィィィィィ
辺りに、細く甲高い音が響いた。
少し震えたそれは、猛禽類から逃げ惑う小鳥の鳴き声のようだった。
息が続く限り吹ききった伏木蔵は、ハァハァと息を荒げる。
対峙する忍者は、憐れむように笑った。
「それは何の真似…………」
次の瞬間、一帯を冷気が覆った。
全身が粟立つようなその気配を、きり丸は知っているような気がした。
けどきっと気のせいだ。だって、こんな恐ろしい気配、遭遇してたら生きていない。
気配だけで人を殺せるとしたら、正にこれがそうだ。
目の前の、プロの筈の忍者も硬直する。
ただ一人、伏木蔵だけはそれが安心出来るものだとばかりに頬を緩めた。
きり丸は意識が遠のく中で、忍者の背後から見慣れた深緑が駆けて来るのが見えた。忍者の背後からふわりと白い包帯を首にかけ、素早く絞め落とす手際に思わず笑い…………
そこで、きり丸の意識は途切れた。
「……………る、きり丸」
優しくて、真摯な声に名を呼ばれている。
軽く頬を叩かれ、緩々と目を開いた。
間近に、穏やかな微笑みがある。
どうやら、きり丸は伊作の膝を枕に寝かされているようだ。
「良かった、気が付いたね」
「…………ぜ……ぽう……じいさ…………せんぱい?」
呟き、きり丸はハッと我に返る。
「忍者は!?」
「伊作先輩がぐるぐる巻きにしたよ」
伊作横から、伏木蔵がひょっこり顔を出して微かに笑う。
目を移せば、包帯で縛り上げられた忍者が地べたに転がって目を回していた。
「あれ…………善法寺先輩がヤッたんすか?」
「殺して無い、殺して無いからね?ちょっと気絶させだけ」
伊作が苦笑いする。その姿は、深緑の忍び装束だ。
「……………何でここに善法寺先輩が?それに………何でオレ…………気を失って………」
まだふらつく頭を振りながら呟くと、低い声がそれに答えた。
「それは私の殺気に当てられたんだよ」
「っ!?アンタは…どんとこなすもん先生!?」
「雑渡昆奈門だ。それに、もう私は先生では無いよ」
少し離れた場所で、草むらに横座りし忍たま達を眺めていた雑渡が淡々と訂正した。
「アンタが何でこんな所にいるんだ!?」
「いたのは偶々だけどさ」
雑渡が手招きすると、子犬のように伏木蔵が駆け寄った。
伏木蔵を膝に乗せて座らせながら、雑渡は言う。
「伏木蔵くんの警告音が聞こえたから、殺気を飛ばしてみたんだけど」
きり丸は、さっきのあの肌が粟立つような異様な空気が“殺気”だと気付いた。
雑渡昆奈門の殺気は、一時的には組の先生をしていた時の授業で散々浴びたと思っていたが、とんでもない。
一年生の忍たま相手に、本気の1/10も出していなかったのだ。
「まぁ、伊作くんが気付いて駆け付ける方が早かったけどね」
雑渡の言葉に、伊作は苦笑する。
「…………僕も、実習で近くにいたんだよ。すぐに駆けつけられなくてごめんね」
実は、きり丸達が曲者と接触した事にはもう少し早い段階で気付いていた。
しかし、居た場所が悪かった。あらゆる物が散乱した戦場跡は、疾走するには場所が悪すぎた。
必死で走ったが、雑渡の殺気で数秒足止めしていなかったら、間に合わなかったかも知れない。
「伏木蔵くんに、警告音を教えておいて良かったよ」
よしよしと伏木蔵の頭を撫で、竹筒で水を与えながら雑渡がしみじみと言う。
「はいぃ。居るんじゃ無いかって思いましたぁ。ここら辺、なんだかビリビリしましたから」
どうやら、伏木蔵は近くに雑渡がいる事を感じていたらしい。
「警告音?」
きり丸が怪訝な顔をすると、雑渡は肩を竦める。
「まぁ、落とし穴や崖から落ちた時に助けを求める程度のつもりだったんだけどね」
苦笑いしたのは伊作だった。保健委員は、しょっちゅう『助けを求めなければならない』目に遭っているのだ。
しかし、仮にも他の城の忍組頭に助けを求めていて良いのだろうか?
ぼんやり考えていると、ふと伊作が表情を引き締めた。
「きり丸、伏木蔵。駄目だろ?合戦場を不用意にうろついたら」
「すみません」
「はぁい、ごめんなさぁい」
最上級生のお叱りに、きり丸と伏木蔵は揃って項垂れる。
二人が反省するのを見て、伊作は表情を和らげた。
「無事で良かった。一緒に忍術学園に帰ろうか」
「先輩、実習は良いんですかぁ?」
伏木蔵が首を傾げると、伊作は痛い所を突かれたようで少し頬を引き攣らせた。「……………補習は慣れてるから大丈夫」
こんな所で『は組』らしさを感じたく無かった。
しかし、今回はきり丸のせいでもある。
「………すみません」
ポツリと謝ると、伊作がきり丸の頭を撫でた。
「どの道、失敗だったんだよ。不運にも、追っていた密書を他の忍者に奪われてしまって。行方を追ってたんだけど、見つからなかったから」
「そんな伊作くんに良いものをあげようか」
聞いていた雑渡が、不意に立ち上がった。伏木蔵を片手で抱えたまま伊作の側に寄ると、深緑の装束の懐に紙を差し込む。
「はい、実習完了。これで補習しなくて済むね」
「え?」
ポカンと目と口を丸くし、伊作は慌てて懐の紙を広げる。
宛先、差出人、内容。
間違い無く、自分が奪う予定だった密書だ。
「何で雑渡さんが!?」
「ソコのが持ってたよ。私はもう内容覚えたし、ウチには関係無かったから、あげる」
指先で指したのは、伊作が包帯で縛り上げた忍者…………………………では無く、伏木蔵が忍者と見抜いた足軽姿の亡骸だった。
「密書を奪ったはいいけど、追手に殺されちゃったんだねぇ」
その“追手”とは、伏木蔵達を襲った忍者だろう。しかし、合戦の混乱に乗じて暗殺したは良いが同じような姿の大量の足軽に紛れてしまい見失い、亡骸の中から見つけようとした所で、不運にも伏木蔵達に先を越されてしまったのだろう。
伊作が足取りを掴めない筈である。足取りを残す事が出来なくなっていたのだから。
伊作は丁寧に密書を畳み直すと、落とさないよう懐深くに仕舞った。
「ありがとうございます」
雑渡はにこぉと目を細めた。
「じゃ、帰ろうか」
伏木蔵を抱き上げたまま、伊作ときり丸に並ぶ。
和やか歩き始める伊作と雑渡、そして伏木蔵に、きり丸も慌てて後を置い…………
「って、アンタまで学園に来る気かよ!?」
叫んだ。伏木蔵が不思議そうに首を傾げ、頼りの綱の先輩もきょとんとする。
雑渡は眉を寄せた。
「大人をアンタ呼ばわりはしてはいけません。だって、学園まで無事に送り届けないといけないでしょう?だって……………」
言いかけ、雑渡は唐突に伊作の首根っこを掴んだ。
「ほらソコ、地面割れてる。足取られるよ?あと、そっちに砲弾落ちてる」
「……………」
「山賊とか狼とか猪に出くわしたら危ないしね」
思わず黙り込むきり丸に、雑渡は肩を竦めて見せた。
そして、空を見上げて目を細める。
「黒い雨雲が近づいてきてるから、早く帰ろうね」
「本当だ、あれはきっと超集中豪雨だね」
「雷雨かも知れませんよぅ?うーん、スリルとサスペンスぅ」
「こらこら、雷に打たれたら駄目だからね?」
「そうだ、雑渡さん。雨宿りがてら、保健室に寄って行ってくださいよぅ」
「うーん、でもきっと学園に着く前に降ってきて、学園に着いた途端に止むんだろうな」
「わぁ、僕たち不運ですからねぇ」
「じゃあ、濡れたら包帯を替えるの手伝ってくれるかな?」
「「お安いご用です!」」
笑い合う三人に、きり丸は唖然とするしか無い。
「………………なんかさーせん」
保健委員と雑渡昆奈門の思わぬ関係性を目の当たりにし、きり丸は唸るしか無かった。