紅に染まるこの世は残酷だ。努力すれば報われるなんて嘘で、大抵の事は儚く散って消える。正直者は馬鹿を見るが、嘘をつき続ければ破綻した。
そういう、わけのわからない世の中なのだ。何が正しいのか、何が間違ってるのか、終わってみるまで分からない。だけど終わった時には遅いのだ。何もかも、手遅れで。
「マイキー、寒くないか? 」
マイキーは話さない。口をつぐんだまま、小さく頷くだけ。だけどその唇は紫色に染まっている。
首に巻いていたマフラーを解いて、車椅子に座ったままのマイキーの膝にかけた。これで少しくらいあったまればいいが。
自らの意思で動かされることがほとんどない手足は、気づけばすぐに冷えきってしまう。これから冬になるって言うのに、もうこいつの身体は冷たく凍りついていた。
「なんか買って帰るか。たい焼き食えそう? 」
「……」
「そうか、まあ食えなかったらオレが食うからよ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でれば、綺麗に整えた黒髪が乱れる。昔なら子供扱いすんなって文句が飛んできたもんだが、今はそんなこともない。ただ、静かにそこに、座っているだけ。
その目に映るものは何者か。ガラス玉のように透明な瞳には、確かに景色が見えているのだろう。それでも、心が動かされているのかどうかはわからない。
「おまえ、あそこの商店街のたい焼き、こないだ結構食ってたよな」
ほとんど変わらない顔色を、僅かに示される意志を、すくいあげるように。日々はそれでも続いていく。ただ淡々と、オレがいてもいなくても、こいつがいてもいなくても、夕日はたしかに沈み、朝日はたしかに登った。
だらんと膝の上に乗せられた手が動くことは無い。ただ行儀良く、オレが家を出る前に乗せた膝の上に並べられているだけ。それでよかった。それだけで、オレたちは。
伏せられていた視線が揺らり、宙に舞う。何かを探すように、何かを追うように。ぱさりと顔に伸びた黒髪は、そろそろ切ってやらないと不味いだろう。
「マイキー? 」
「ぁ、う」
「どうした、なんか気になるか? 」
喉から絞り出した声はしゃがれていた。当然だ、今日声を発したのは朝起きた時の一回きりだから。正面に回って目線を合わせるためにしゃがむ。
真っ直ぐ見つめた先にマイキーの瞳はない。ふらり、ゆらりと宙に舞った目線を追えば、そこには赤に色付いた木々があった。
「紅葉、もう赤くなってるな」
膝に置かれていた手がそれに触れたいと手を伸ばす。細くなった腕、真っ白な指先。肘は曲がったままで、腕は簡単に落ちた。
支える筋肉が残っていないのだ、ということに気がついて、マイキーの腕を支えてやる。肩に腕が乗せられて、首に回った手が、踏ん張った足が、地面へと。
ぐ、と立ち上がった身体に腕を添えた。マイキーが自らの意思で何かをしようとするとは喜ばしい。だけどそれをできるだけの力はないだろうから。
「綺麗だな、おまえ、紅葉好きだったっけか」
「ぁ、」
「気に入ったならまたいつでも連れてくるよ、っと」
立っていられなくなったのかしゃがみこんでしまいそうになった身体を支えて車椅子へと座らせる。心做しか顔色がいい。今日は機嫌がいいみたいだ。
珍しく顔を上げたままのマイキーは、余程赤に染る視界を気に入ったらしかった。瞳に赤が反射する。
その瞳に映るものが、美しいものだけならば。これ以上、こいつが傷つくこともないだろうから。
「なあ、これからまた、綺麗なもの見に行こうな」
せめて、その苦しくて重い人生を。これから先は、見ないふりができるように。オレたちの生活はどこまでも続く。きっといつか、その命が尽きる時まで。