可愛い人と微笑む君よ 暴走族たちの不良青年達の活動は夕方から真夜中。空が明るくなる頃にはバイクの排気音は小さく。道路には静けさが広がり始める。朝方帰宅して眠りにつく不良達。従って起床時間もその分遅くなる。
今牛若狭も同様だ。朝方四時頃家に着き、世間の者達が起き出す頃に就寝。起床は昼頃なのだが、この日だけは公道の白豹も早々に牙と爪を仕舞った。
六月二十四日の夜から二十六日の朝まで、己は恋人だけに愛を紡ぐ一人の男に成り下がるのだから。
学生の身ではあるが、その風体はおよそ十代には見えない。私服はシンプルでありながらも小洒落ていてセンスを感じさせる。着やせして細く見えるが、無駄のない均整の取れた躯体。その身体は宙を舞って、敵方の不良達を鮮やかに薙ぎ倒していく研がれた武器である。
だが世間からすれば一見モデルかと見紛う整った容貌だ。垂れ目がちな瞳は色香を放ち、色素の薄い髪をふわりと風にはためかせる様子は、まさかその青年が関東一の勢力を誇る黒龍の初代特攻隊長だとは誰も思うまい。
十時からのデートの待ち合わせまで、あと二十分もある。
色めきだってちらりと視線を寄越す者。果敢にも声をかけてくる者。そのどれもが今牛の視界には入らない。これがもしも以前の彼であったならば、甘いマスクで絡め取り、身体だけを重ねる火遊びに興じたであろう。だが本気の恋と出会った彼には最早必要としないスパイスなのだ。寧ろ、鬱陶しくさえある。浮足立って早く着き過ぎた己にも非があるのだが、声をかけられている場面を恋人に見られて、嫌われたらどうしてくれようか。
嫌われることは無いとしても、きっと眉尻を下げて困ったように笑うだろう。ただでさえも、同性同士のカップルである事に引け目を感じているらしい恋人だ。身を引こうとしてしまうかもしれない。
ジーパンのポケットに手を突っ込んで視線を落とし、取り合わないように無視を決め込む。苛立ちながらも、堅気や女子供には手を出さない黒龍であるから、声を荒げることすら憚られた。
しかしこの日は不運にも引っ切り無しであった。そろそろ不愉快さが頂点に達しようとしていた。睨んで追い払う行為くらいならば許されるだろうか。
お兄さん、と本日何度目かの声が掛けられる。眉間に皺を深く刻み、顔を上げたその正面。
今牛が豆鉄砲をくらったかのように呆気に取られていると、青い瞳を細めて件の人物は小首を傾げてみせる。
「待ちました?」
悪戯大成功、とでも言うかのように相好を崩す花垣武道が其処にいた。
今牛が待ち望んだ、恋しい存在が。
花垣武道という人物は今牛よりも二歳年上なのであるが、華奢で可憐なその様は己よりも年下に見える。
しかし、出会った時の印象はそんな言葉とは程遠いものであった。今牛率いる東関東の煌道連合と荒師率いる西関東の螺愚那六が実質的に統合した当初、己達の頭が無名の佐野真一郎の配下に入ると聞いて当然のように離反者や反発者は後を絶えなかった。
離反した不良達はチームを作り暴れたから、さぁ大変。
見事に暴走族界隈は荒れた。少し考えれば当然ではあるのだが、被害は堅気にまで及ぶようになってしまい、暫くは治安維持の為の粛清に明け暮れたものだ。それが結果として黒龍を関東一になるまでに押し上げ、延いては関東の東西統一に繋がって行ったのである。
そんな粛清中の折、今牛は花垣に出会う。
彼も不良ではあった。しかし十八歳――当時はまだ誕生日前であったので花垣は十七歳――という年齢故か。将又学校に行って授業にきっちりと出席するような真面目さがあったからか。
恰好だけは不良という、なんとも中途半端な存在であった。今牛から見たら当時の彼は〝三下〟感が強く、道端で通り過ぎただけならば歯牙にもかけなかった筈だ。
だが、人間とは普通の出会いではないからこそ恋に堕ちるのである。
唐突だが花垣は女子に人としてモテた。異性として熱い視線を向けられていたかと問われれば、それは其処まで多くないであろう。だが花垣に本気で恋をしている者達がいたのも知っている。その理由も今となっては十分に理解できる。明らかに己よりも図体の大きな不良数人を前にして、見ず知らずの女性の盾になろうとする気概。頼りなく見える筈の相手に守られて逃がされたら、心が甘く軋んでしまうのも無理はない。その上花垣がボロボロになれば、なった分だけ「敵わない相手に、自分を守る為に立ち向かってくれた」と錯覚してしまうのだ。
ここからが重要であった。モテたのは、何も異性だけからではない。男にも惚れられることが多かった。佐野真一郎もよく男惚れをされていたので特段不思議なことではなかったが、それでも佐野のような男がこの世にまだ居たのか、と今牛を大いに驚かせるには十分であったのだから。花垣も相当であったのが間違いない。同時に、何故彼が何処にも属していないにも拘らず、不良という体裁のまま五体満足でいられるのかも察せられた。
二学年上の世代ではおそらく、花垣をチームに勧誘することにおいてお互いに睨みを利かせ、水面下で交渉しないように取り決めていたのかもしれない。所謂『抜け駆け禁止』の状態であったのだろう。
交際した直後、既に引退していた二、三個上の元暴走族から「よくもまぁ花垣に選ばれやがって」と遠回しに恨み言を向けられたので間違いない。揃いも揃ってガチ勢が多すぎる、という奴である。
何度殴られても立ち上がって、あのギラつく瞳で真っ直ぐ射抜かれたら、内心で熱い心を持った不良青少年にとってその視線は堪ったものではない。
『耐える』という行為を知らない荒ぶる若人達にとっては、忍耐だけで形勢をひっくり返すことができる喧嘩の仕方に憧れ惹かれて止まないのだろう。
だから、現場を通りがかった今牛は、ボロボロになりながらも瞳の輝きを失わないで立つその青年に、思わず固唾を呑んだのだ。
その雄々しい花垣を、組み敷いて屈服させたくて、腹が騒ついたのを覚えている。だが花垣が、今牛は自身が相対している不良の仲間ではないのだと分かると、ふと緊張感を和らげて。安堵したその彼のあどけない表情に、見事にその心臓は射抜かれた。
今牛若狭十六歳。初恋である。
そして、狙った獲物を逃がさぬ白豹の猛攻が始まった。
その結果がどうなったかは、言うまでもないだろう。
花垣はこの年の三月に高校を卒業し、就職を果たした。その為この数か月は中々デートも出来ないでいたのだが、今日は特別だ。花垣が十九歳を迎えた記念すべき日なのだから。
黒龍が結成して間もなくの頃に二人は出会い、付き合って早くも一年程。
昨年の今日、つまりは十八歳の誕生日、遊びに行こうと連れ出して。その勢いで告白し承諾を得たのだ。実は付き合って一年記念でもあったりする。
己の誕生日であるというのに「ワカ君とデートしたいな」と謙虚で、しかし確実に恋人との逢瀬を希求した花垣。恋人から己を喜ばせるようなおねだりをされて、叶えない男が何処にいる。否、この世の何処にも居ようはずがない。
一足先に社会的に大人になってしまった恋人に対して焦る気持ちが無いと言えば嘘になるが、こうして誕生日に昼間から花垣を独り占めできるのだと思うと〝子供〟であるのも悪くないなと実感するのだ。己がまだ〝学生〟という無職で時間のある年齢だからこそ許される特権なのだろう。
仲間とバイクを走らせて喧嘩に明け暮れるこの生活が何時まで続くかは分からないが、気の合う仲間、大好きなバイク、そして本気の恋に燃える相手が居て。彼にとってのこの世の春とはこの瞬間である。
「待ってねぇよ?」
棒付きの飴を咥える口元がゆるりと綻んでしまうのがわかる。時計に目を落とせば、待ち合わせの時間まであと五分となっていた。
「俺もワカ君とそう変わらない時間に着いたから、十五分分くらい待っててくれたの、知ってるよ」
思いもよらない言葉に、目を見開いて恋人を見遣る。
「俺の誕生日ではあるけど、今日で付き合って一年だし。それに最近会えてなかったし……」
視線を少し流して恥じらいながら頬を掻いている。
楽しみに思っていたのは己だけではなくこの恋人も同様なのだと知ると、ささくれ立っていた機嫌は忽ち快方へと向かう。花垣がデートの日を待ち詫びていてくれて、己と同じ気持ちなのだと思うと胸が高鳴って仕方がない。
するりと真っ直ぐに目線を合わせる彼。その少し紅潮させた頬は、まるで雄を誘うような艶やかさが滲んでいた。
無意識に喉が鳴る。
「待ち合わせの十時までなんて、待てないよ」
花垣は飴の白い棒を唇から引き抜いて。少しだけ踵を上げてみせた。
終