星状の十五夜草「そんなもの関係ない」
よく見知った少年に見下ろされる。
「総長だとか〝極悪の世代〟だとか。――そんなの知るか!」
喚くその姿に、襲撃して来た不良少年達も当惑している。少しずつ冷静になってきた頭で、座り込んだ斑目は、怒気で昂ぶる藍の目を見据えていた。
聞かねばならないことは多い。だが、今は一つだけ。
「何で、戻って来んだよ……」
己の問題だからと、言葉少なく拒絶して逃がした筈ではなかったか。
「助けたいから助けるんだ」
「……てめぇの助けなんか、誰がいるかよォ」
鉄パイプが直撃してガンガンと響く頭部を押さえながら、嘆く。
己は黒龍総長で、悪を極める立場。己の王からその立場を引き渡されて、意志を継がなければならないのだ。
だが、実の所、八代目の頃に僅かな期間で黒龍の評判を反転させたその余波は物凄く。既に引退した先達からの恨みは大きかった。それだけではない。黒龍という伝説に憧れていた者達の中には、何とか八代目の悪行を阻止しその名誉を守ろうと徒党を組んで、宣戦布告して来るような事態も起こる。
黒川イザナという人物は最強の名を恣にしてその全てを排除した。挑んでも潰されるからと雌伏の時を過ごした青少年達は、斑目に代替わりした途端に再び排斥しようとする動きを激化させることとなる。
誰から恨まれようと、それは当然のことなのだ。そして、その恨みすらも跳ね返せる程に強く在らねばならないのだ。
それなのに、目の前で斑目に降りかかった理不尽さを代わりに憤る少年。一人で全てを跳ね返せるならば未だしも、それが無理ならせめて助けを叫ぶべきだと主張する。同じチームでもなく。黒川の下に集う同胞でもなく。それでも心を預けることなど許されるのか。逡巡して躊躇う斑目に、業を煮やした彼が背を向ける。
「あ……、おいッ!武道ッ!」
「斑目君が何も言わないなら、俺にだって考えがあるんだから」
少し拗ねたような声色で、複数人の彼等に向き合った。その闘志が揺らめく相貌に気圧されつつも、鉄パイプを再びきつく握った青年。花垣は「来いよ」と挑発するかのように。将又、既に頭に一撃見舞われた斑目を庇うかのように、立ちはだかってみせたのだ。
その背中の、何と逞しいこと。
夜空に煌めく青星のよう。それは太陽のように全てを焼き尽くさんという光明ではない。散りばめられた星はもっとずっと優しく、暗闇で這いつくばるどうしようできない者達へと柔らかく照らして寄り添うのだ。
斑目の地面についたその手。ガリリと、固いアスファルトに爪を剥く。まるで勝ち目の無い何かに噛みつくかのように。
決して抗ってはいけないと思っていたのだ。〝悪さ〟には、光る友情なんて生温いものだ、と。わざわざ戻って来て斑目を庇ったところで花垣に利益は無い。黒龍に加入したいなら、誘った当初に頷けば良かったのだ。剰え、斑目を打倒しようとする彼等から目を付けられるなんて。それこそ愚の骨頂。
〝友人〟も〝仲間〟も、斑目獅音は知らなかった。
だがもしも、それがこの世に存在しているのだとすれば。それが斑目の身に降って咲くというのなら、それはきっと彼の事を指すのだろう。
出会った頃を思い出す。
思えばこのひと月少々で、最初の頃の印象は随分と薄れたものだ。
新芽の鮮やかな緑が輝かしい頃に斑目獅音が出会った一人の少年。名を花垣武道。
黒川イザナから黒龍の総長の座を引き継いで九代目に就いで間もなく。二〇〇二年の五月の初めの頃であった。同い年ではあるが華奢で頼りない印象があった。如何にも弱そうな見た目であった。金髪に染めて、前髪を立たせた所謂ソフトモヒカンの髪型は不良然としているが、どこにも属していない少年であった。
斑目の名前どころか黒龍という名前さえも知らず。名が知られていないという不愉快さも忘れて、素で「潜りか?」と花垣に問うてしまった程だ。同じ不良という部類だとは信じられなかった。少年院入所経験のある斑目とは中々に縁遠そうな純粋さと正直さを持つ人間。黒龍で横行している悪事を面と向かって諫めるその男に、何度ウンザリしたのかは数えきれない。
だが、そんな口五月蠅い花垣は、斑目の傍を離れることは無かった。喧嘩では勝てないのに、斑目を殴ってでも主張を曲げず。何度殴られても言葉を尽くすのを諦めず。そうやって向き合われれば、どんな人間だって多かれ少なかれ絆されてしまうものだ。
ましてや基本一匹狼でフラフラしているタイプである。斑目を諦めずに、誰かが根気良く交流を続けようとしてくれた経験などは皆無で。不良として活動する現在も、九代目総長という肩書以外に己を肯定してくれるものは無い。心を許せる部下も当然おらず。外部には敵が多い。
であれば、利害も恐怖も超えて悪性から引き戻すかのように手を取ってくれる者を、どうして煩雑に思いはしても本気で拒絶できようか。否である。
少し揺れる視界を振り払って、腰を持ち上げる。
花垣の胸倉を掴む青年を蹴散らして。斑目はにかりと歯を見せる。
「手伝うなら、きっちり最後まで付き合えよ、武道ィ!」
ひゃはっ、と声を上げる。鉄パイプによる攻撃を貰ったのは不意打ちであったからだ。本来ならばそんな後れは取らない。巻き込まないように遠ざけていた花垣に意識が逸れていたのもある。彼は喧嘩が弱い性質であるのを知っているので、巻き込みたくなかったのだ。
只でさえ己と共にいれば、とばっちりで恨みを向けられてしまうかもしれない。そんな斑目の少しの覚悟さえ超えて、体当たりでぶつかって来る男、花垣。泥臭くも眩しいその姿勢が、斑目は存外嫌いではなかった。
執拗にその者の顔面に拳をのめり込ませる。箍が外れたように暴れ回るように、追い打ちをかけて。一人、また一人と地面に転がる人物が増える。
「やりすぎだよ、斑目君。もう皆気絶してるから、帰ろう」
振りかぶった右手を掴んで言い含めるその声は穏やかで、芯が一本通っているかのように明瞭であった。肩の力を抜いて、腕を下ろした。気が静まった斑目は倒れ臥す青年の額を指で弾いて、花垣の方に向き直った。
「帰るか」
安堵の溜息を吐いて、彼は首を縦に振るのだ。
「疲れた~~~」
不満な声で疲労を叫びながら、自身の家へと斑目を招いた。
返り血のままでは店での食事など到底できる筈もない。とりあえず、着替えようという事になったのである。
「誰もいねぇのかよ。」
「え?あ、うん。今日は居ないみたいだね」
「今日、お前の誕生日だろうがよォ。〝普通〟の家の奴は、ケーキ食ったりとか、パーティーとかすんじゃねぇの?」
「ウチ、放任主義だから。俺も中学生になったし、しないんじゃないかな」
今日の二人の予定は丸潰れであった。その原因となった敵対する不良達への非難めいた色はまだありありと。花垣だって不良である前に中学生だ。友人と遊びたい盛りである。友人と定めた彼が暴走族であったとしても、普段の気怠そうな静さかさは隣に在って居心地が良く。意見の衝突で喧嘩をすることはあっても理不尽に暴力を振るわれたことはない。
保冷剤あったかなぁ、と冷凍庫を漁っている花垣を眺めながら斑目は声をかける。
「集会着いて来いよ。終わったら埋め合わせするからよォ」
実は黒龍の集会は夜の十時から。
十五歳となった日の祝いも兼ねて街に繰り出していたのだが、少し歩けばものの見事に不良に邪魔されて。その度に斑目に「どっか行ってろ」と遠ざけられてしまっては堪忍袋の緒が切れていた、というのは正直な花垣の心情である。誕生日の日くらい、友人と平和に遊ばせてくれと思うのは何らおかしくないことだろう。
ならばせめて夕飯くらい、と話し合っていた所に、駄目押しのように武器持ちの集団からの襲撃。加えて斑目は強い語調で、花垣にどっか行ってろと追い払うのだ。庇おうとしているのは分かるが、己は黙って守られている程か弱い存在ではない。それを斑目は知っているであろうに。
巻き込まれる覚悟はとうにできている。巻き込む覚悟を決めるのは斑目ばかり。
だからあの時の花垣は、答えが欲しかったのである。
時刻はとうに午後八時回って、最早九時に近い。
「殆ど怪我ねぇぞ」
手渡された保冷剤をぼやきながら受け取りつつも、素直に頭部へと宛がう。隣りに腰かけた花垣の切れた口端をさすって慰めるように。
痛いか、と尋ねる声の小ささ。平気だよ、と安心させるように撫でる手に頬を預ける。すり、と温かさに感じ入るように花垣は目を伏せて。
「……じゃあさ、帰りにラーメン奢ってよ」
十五の夜。少年達はお互いの存在に確かめるように触れ合う。片方は壊さぬように、もう一方は壊れやしないよと教えるように。
湿気を帯びた夜風に若葉は揺れる。
夏にかけて情は育まれ、きっとそれは蕾をつけるだろう。そして秋に星状に花開かせて咲き誇るのであろう。その花はきっと淡い紫色をしているのだろう。
Asterという星の語を学名に冠すその花の名前を「シオン」と称するのだ。
終