花喰らい 八王子を主な拠点として活動し、三代目総長に就いた男。名を荒師慶三という。螺愚那六総長として君臨し、その大きな体格の見た目に違わず重い拳打。それを以って敵チームの荒くれ者達を次々と薙ぎ倒して気がつけば、西関東の殆どに影響力を及ぼすまでになっていた。
夥しい返り血で巨躯が赤く染まることから、ついた渾名は〝赤壁〟だ。読みは〝レッドグリフ〟であるので、花垣からは「北欧神話?三国志?」という問いかけをされているのだが、気にしたら負けである。
第一〝螺愚那六〟はその旗にあるように三代目であれば、己はチーム名を引き継いだだけであって、名付けてはいない。第二に〝赤壁〟も他人が付けた通称だ。
荒師には関係のないことなのだが、それを指摘して首を傾げた者こそ、目の前で困ったように笑う花垣武道である。
暴走族として喧嘩に明け暮れる荒師の隣に立っても不自然ではないように、と髪を金に染めた花垣ではあるが、どうしたって厳つさは獲得できない。それどころか何となく幼さすら齎されてしまっては、当初は隊員達から傍らに立つ螺愚那六総長の威厳に響くのではないかと不安視されたものだ。
だがその男は七転八起の人であった。彼等の危機感は杞憂で終わる。花垣の細く小さな身体は、驚くべきことに敵の猛攻に耐え抜いて立ち上がったのだ。
照りつける猛火の如き太陽のような瞳で、射抜くその様。
荒師とは反対の理由で顔を血だらけに。しかし大海原のような目で立ち向かう勇姿は青年たちの士気を上げるのに十分な。
ゆくゆくは本格的に西関東を取り仕切ると評される螺愚那六のチーム内において、随一の耐久性と負けん気を持つ。腕っ節は然程といった所であるが、喧嘩というものは最後まで立っていた方が勝ちなのである。つまりは花垣はある意味で無敵であった。そして、耐え忍べば忍ぶ程に重くなる会心の一撃。
隊員達の中では瞬く間に、花垣が荒師の横に佇む事が許容されていった。
その日も荒師の身体は血染めになっていた。白昼から敵対チームと遭遇して喧嘩に発展したのである。
遡ること一時間前、梅雨時だというのに空は気持ちの良い程の晴れ渡り。夏同然の暑さに身を焦がしていた。今日は訳あって集会も無く。二人で道行く姿は緊張感を帯びていた。何も知らない道端の不良はその様子に、まさか二人だけで討ち入りなのではないか、と恐々と背筋を伸ばす。
その日の内で最も気温の高くなる時間帯。
湿気の多い蒸し暑さの中で、じわりと額に汗が滲み、玉のようになって伝っていく。暑さ故に寛げられた特攻服の襟から覗く生白さ。荒師は、ぐ、と息を呑む。
顎から胸元へと一滴雫が落ちた汗。花垣はそれをぐいと服で拭って「暑……」とぼやくのだ。そのなんと煽情的なこと。抗争の時は雄々しいのだが、育ちの良さなのであろうか、普段の雰囲気は柔和で。その尖りの無い様子が、むさくるしい暴走族の隊員達の中では安らぎとなっているのだ。
交際に至って此の方、荒師は花垣の体格を考えて欲をぶつける事に尻込みしてしまっている。それは前述のように、清廉潔白なその花を手折ることは、どうしても引け目を感じてしまうからだ。しかし荒師も数々の荒事を乗り越えて来た族の総長が、ましてや恋人のしなやかな肉体を貪ることを躊躇うなど男の恥と言えよう。
己よりもずっと細くも、しかし芯の通ったその男の腰を荒師は抱き寄せた。
身体が寄せられて、密着した事で驚いた花垣。見上げたその顔。喧嘩の後でさえ見せたことのない程に、興奮と欲に濡れている。鼓動を跳ねさせ動揺した。腰が引けてしまいそうになるのを必死で留め、視線を絡め合う。その甘さはこの世のどんな蜜よりも濃厚で。今この瞬間の暑さなど易く上回るくらいに熱烈であろうと花垣は感じていた。
数日前、恋人の誕生日に気を回した彼に、手は出さないのかと勇気を出して問うたのは己の方だ。
出会った当初は拳に吹っ飛ばされたりしていた花垣。彼も不良であり、且つ性別は男であるから粗雑な扱いも覚悟していたのだ。しかしその予想は見事に外れることとなる。
〝赤壁〟と称される程に暴君な様に似合わず、恋仲となってからは実に優しく触れるから。花垣の方が焦れてしまって耐え切れなかったのだ。
痛みも苦しさもきっとあるだろう。しかしどれも平気だ。ただの暴力がぶつかり合う喧嘩に比べれば、苦痛も未知も恐怖など無い。愛がぶつかる事の何を恐れる必要があるというのだろう。
両者の盛り上がりは最高潮である。その褐色の頬に手を添えて、己の唇を触れ合わせようとした、その瞬間。
神の悪戯か。邪魔が入ったのだ。
それこそが、敵対チームの邪魔立てであった。否、邪魔立てと言っても、相手も積極的であったわけではない。見てはいけなかったものを見てしまったことを後悔するかのような表情で。取り巻き達も数人も流石に気まずさから目を逸らしていた。甘やかな恋人達の世界に分け入るのは、誰だって遠慮を感じるものだ。剰え、そんな本気でお互いを愛するような相手が居ない、或いは喧嘩ばかりで初心さを発揮してしまう場合もある思春期な彼等ならば猶更だ。おまけに、敵対チームの総長である荒師と強靭な耐久性を誇る花垣ならば、いい意味でも悪い意味でも目の毒と言って憚りないだろう。
一方、邪魔された荒師は、腕の中で顔を真っ赤にさせて恥じ入る花垣に熱く滾るものを感じていた。普段の誰よりも男前で清廉さを醸し出す彼とのギャップで、心は実に刺激されていた。そして同時に憤怒で支配される。
俗っぽく喩えるのであれば「いいところだったのに」といったところか。
壁のように高く、ずんぐりとした体躯が背負う怒気は普段の比ではない。
「お前ら、覚悟はできてんだろうなァ!?」
その日、相対した彼等は散々な目に遭った。
いつもが手抜きなのではないかと思わずにはいられない程に荒師は不良青年達を俊敏に殴打し、吹き飛ばして薙ぎ倒していったからだ。
嵐の如く勢いで敵を殲滅させていく彼に、男達が内心で涙を流すのも無理はない。所謂とばっちりであったのだから。
「もう、そのくらいでお終い」
花垣から制止の声がかかる。特攻服の裾が控えめに引っ張られた荒師は不良を掴んだまま勢いよく振り返って俯く彼を見下ろした。視線を泳がせて、時間、なくなっちゃうよ、と小さく速い口調で撒くし立てた。
その言わんとするところを察しない荒師ではない。既に不良達への興味は失せた。目の前で色事へ誘う恋人の方が何千倍も重要であるからだ。ぺい、と放り捨てて。花垣を抱き上げる。
大きな歩幅で己の家へと連れ帰る。誕生日プレゼントという程仰々しく考えていた訳ではないが、与えるつもりが貰ってしまうのであるから、どちらがどちらを祝うのか分からない。
腕の中で軽々と持ち上げられながら、花垣はとんだ誕生日になったな、と思いつつ彼の顔の血を拭ってやる。全て返り血ではあったが、今日ばかりは他人の血がその顔についていると思うと、無性に面白くない。
アパートに着いて、お互いに急いた気持ちを落ち着かせる暇さえなく。乱暴に開かれた扉の奥へと縺れこむように。
金属の扉を背に、がぶりと噛みつかれんばかりのキス。特攻服を床に落とし合う。花垣は精一杯背伸びして首が痛くなるのも忘れて没頭するのだ。
「据え膳、やっと食べる気になった?」
少しの息苦しさも心地よく、水気を帯びた瞳を溶かして尋ねて見せるのだ。
さぁ、今こそ喰らう時だぞと挑発するように。
「待ってた分、隅々まで残さねぇよ」
口角を上げて。かちりと歯を鳴らす。
その厚い肩に手を這わせ、首へと回す。その行動こそ、己の身を委ねる無言の合図である。
終