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    vermmon

    @vermmon

    @vermmon 成人済/最近シェパセ沼にはまった。助けて。

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    シェパセなれそめ続き。2枚目のイベントスチルが解放され、シェーシャくんは「落ち」ました。ヘビレちゃんはシェくんのことを「意外と頼りなるけど不真面目なのがむかつく」と思ってます。守ってはくれるけど腹立たしさが消えない(意外と頼りになるのがまたむかつく)。

    #シェパセ

    傷と誘惑3 荒野を走る輸送車両の中は静かだった。時間的にはまだ昼だが、一晩中戦闘が続いたせいで、皆疲労困憊していた。窓はすべて日よけが降ろされ、車内は暗い。
     ほとんどの乗員はシートベルトやハーネスで身体を固定し、車体の揺れをものともせず眠っている。戦闘に参加しなかった運転手以外に外を警戒する余力があるものはおらず、道中、サンドビーストや野盗に出くわさないことを祈るほか無かった。先発した二台は影も形も見えない。無事ロドスに辿り着いただろうか。
     固い座席に背を預けたシェーシャは、青い紐のついた金色のメダルを手の中で弄んでいた。メダルには幾何学模様を組み合わせた意匠とクルビア文字が刻印されている。B、F、T、R、I──何かのイニシャルだろうか。
     隣に座っていたクランタの女性がシェーシャの仕草を見とがめて眉を寄せた。
    「それは、パッセンジャー……さんのものですね?」
    「ああ」
     小声での詰問に生返事を返すと、灰色の髪をした彼女──ヘビーレインは、ますます視線を尖らせた。
    「シェーシャさんは何故、彼を気に掛けるのですか? 私はいまだに彼を信用できません」
     そう言って、メダルを忌々しげに睨みつける。
     彼女はシェーシャと同じく、かの闇市の主がロドスに加入する契機となったサルゴンでの任務に参加していたのだが、その時抱いた不信感をまだ引きずっているようだ。当時サンドソルジャーと名乗っていたあの男の態度からすれば、無理もないことだが。
     メダルは、パッセンジャーの持ち場に落ちていた物だった。
     作戦は無事終了したものの、撤収時、周囲はまだ安全とは言えず、オペレーターたちは可及的速やかに合流地点へ集合するようにと指示があった。だが、落とし物に気づいたシェーシャはそれを拾おうとし、居合わせたヘビーレインとちょっとした口論になった。
     ドクターの指示を厳守したかった彼女は、そのせいで合流が遅れたことを怒っているのだ。シェーシャは自分の事を放っておけば良かったのにと思っているが、重装オペレーターとして仲間を守ろうとする彼女の信念は尊重しているので、口には出していない。
     二人がようやく合流地点に辿り着いたとき、三台用意されていた車両は一台しか残っていなかった。二台は負傷者と医療オペレーターを乗せて先に出発したという。ドクターは責任者の務めとして最後まで残っており、そのこともシェーシャに対するヘビーレインの怒りを増大させた一因だ。
     そのドクターは前方の座席で眠っており、頭をがっくんがっくん揺らしている。彼女は心酔する指揮官が首を痛めるのではないかと、時折気がかりそうな視線を注いでいた。怒ったり心配したり、忙しい女だと思う。
     パッセンジャーは合流地点におらず、落とし物を返すことは叶わなかった。メダルに付けられた青い紐は途中で断ち切られており、血がついていた。先発車両に乗ったということは、怪我をしたのだろうか。
    「シェーシャさん、答えてください」
    「……恩を売りたいんだよ。個人的な取引のためにな」
     ヘビーレインに理解しやすい理由を選んだのだが、彼女は納得しなかった。
    「彼が落とし物を拾ってもらったくらいで恩に着るような人とは思えませんが?」
    「お前は知らねえだろうが、あいつは意外と義理堅いんだぜ?」
    「自分の都合のいい時だけそうしているのでは?」
     その可能性もゼロではないのだが、何故かシェーシャは無性に苛立った。
    「あいつが恩に切ろうがなんだろうが、お前には関係のない話だろ?」
    「あなたがそれを拾いに戻らなければ、ドクターはもっと早く撤収できたんです!」
     ヘビーレインが眦を吊り上げた。彼女の怒りの根幹は、結局そこなのだ。かちんと来たシェーシャも激しく言い返す。
    「それについてはドクターに理由を説明して、許してもらっただろ! 今、危険にさらされてるわけでもねぇのに、いつまでも根に持ってんじゃねえ!」
    「シェーシャさんはいつもそうです! いま問題ないからって、不真面目な態度で──」
    「そこ、うるっせぇぞ!! 静かにしろっ!」
    「──悪い」
    「──すみませんでした」
     口論で眠りを妨げられたオペレーターに怒鳴られ、二人は首を竦める。ヘビーレインは恐る恐るドクターの様子を伺ったが、彼はまだ眠っているようだ。
    「チッ……もう寝るからな」
     シェーシャはそう言ってメダルをハンカチに包んでポケットに押し込み、目を閉じた。
    「私は納得してませんよ……」
     ヘビーレインは溜息をつき、しかし、それ以上は言葉を発しなかった。周囲に倣って仮眠をとることにしたのか、ドクターをハラハラしながら見守る作業に戻ったのかもしれない。
     エンジンの振動を聞きながら、瞼の裏の暗闇で考える。
     恩を売りたいというのは、嘘ではない。
     パッセンジャーに対し、多少有利な立場に立っておきたいのは確かだ。
     そして、ヘビーレインの言う通り、あの老獪なリーベリが落とし物を拾ってもらった程度で恩を感じるとも思えない。
     このメダルを拾ったのは、打算からではない。地面に落ちているきらめきが何か理解した瞬間、拾ってやらなければと思ったのだ。
     シェーシャの記憶にある限り、あの美しいリーベリの襟元には、常にこのメダルが輝いていた。サルゴンで出会ったときからずっと。
     これがただのアクセサリーに過ぎないとしても、何にも執着しない男が、単なる惰性で身に着けているとは思い難い。見たところ、メダルはかなり古いものだったが丁寧に磨かれていたし、紐も擦り切れてはいなかった。長年大事にされてきたものに違いない。
     もし、そうでなかったとしても、特に問題はない。ちょっとした善行を積んだだけだ。
     何も問題はない──そう考えて、睡魔に身を委ねる。


     ロドスに着いたのは夕方になってからだった。道中何事も無かったのは僥倖としか言い様がない。もしドクターがトラブルに遭遇していたら、ヘビーレインの嫌味はそのコードネーム通りの激しさでシェーシャに降り注いでいただろう。
     駐車区画でドクターに解散を言い渡された瞬間、シェーシャは足早にその場を去って隣接する医療部棟に向かった。どうやら先発車両には重傷者が何人もいたらしく、普段は静かなその一画は、野戦病院のように殺気だっていた。シェーシャは待合室で順番待ちをしている軽傷者たちと挨拶を交わしながら、飛びぬけて高い身長を生かして人混みの頭越しにパッセンジャーを探す。
     ぐるりとフロアを見回すと、応急処置室に赤みがかった金髪の持ち主が見えた。どうやら、医療オペレーターの問診を受けているようだ。いつもより青白い顔で生返事を返す患者に呆れたのか、気の短い担当医(ガヴィルだ)は最終的に数種類の飲み薬を押し付けて放逐し、次の患者を呼んだ。パッセンジャーは紙袋を手に、ふらついた足取りで遠ざかっていく。
     不安げな患者や大声を上げて忙しそうに行きかう医療オペレーターたちを掻き分けて近づくのは躊躇われ、シェーシャは回り道をすることにした。いったん階段を降りて、下から回り込むことにしたのだ。だが、彼の進行方向にある階段を上がったのに姿が見えない。
    「なあ、パッセンジャーを見なかったか?」
     周囲に尋ねまわると、一人が「さっき、甲板に上がっていったぞ」と教えてくれた。シェーシャは礼を言いうと、三段飛ばしで階段を駆け上がる。
     扉を開けると、強風が吹き込んできた。長い前髪が目に入りそうになり、シェーシャは手で風を遮る。ロドスは沈みゆく太陽に背を向けて、次の補給地点を目指して移動中だった。
     探していた相手は後部甲板にいた。長い髪と長衣の裾をはためかせて、西の方向──遠ざかる任務地を未練がましく眺めている。いつもは冠のように髪を飾っている濃紺の耳羽は悄然と垂れ下がり、背中には諦観が漂っていた。シェーシャは燃える空と同じグラデーションの髪を素直に綺麗だと思う。自分とさして変わらない身長の男の後ろ姿を儚く美しいと思うなど、完全にどうかしていたが。
    「──パッセンジャー」
     近づいて声をかけると、相手はびくりと肩を震わせた。一瞬遅れて振り返った顔には、いつもの笑みが張り付いていたが、内心を取り繕いきれていないのか、少しやつれて見える。そもそも、声をかけられるまで気配に気づかなかったのも、警戒心の強い彼らしくない。
    「よお、お疲れ」
    「シェーシャくん……お互い、お疲れ様でした」
    「怪我したんだろ? 早く休んだ方がいいんじゃねえか?」
     彼の服は胸元から襟に掛けて大きく切り裂かれ、乾いた血で黒く汚れていた。露出した肌には止血シートが貼られている。ポケットからは、乱雑に押し込まれた処方薬の紙袋がのぞいていた。この様子では、真面目に薬を飲もうとしないかもしれない。
    「軽傷ですよ。もっと重傷の患者の対応で忙しいからと、五分で終わる細菌感染の検査も後回しにされたほどですから」
     物憂げな受け答えには、いつも以上に生気がなかった。おそらくその理由が分かっているのに「なら、どうしてそんなに意気消沈してるんだ」などと聞く趣味はない。
    「ほら、これ。あんたのだろ?」
     シェーシャはポケットから取り出したものを見せた。包んでいたハンカチを開くと、青い紐のついたメダルが現れる。
     パッセンジャーは絶句した。
    「何故、それを……」
    「拾ったんだよ。それ以外あるか?」
     彼の驚愕の表情を見るのは初めてだったが、満足感はなかった。シェーシャは震えながら差し出された手の中に、そっとメダルを落としてやった。パッセンジャーはそれをきつく握りしめ、唇に押し当てる。それは祈りのようでもあり、愛する人の形見の品を渡された恋人のようでもあった。
     また見てはいけないものを見てしまった気がして、自分の行いは正しかったと確信したにも関わらず、申し訳なさの方が先に立つ。
     ──何故、彼を気に掛けるのですか?
     さあ、どうしてだろうな。脳裏に響くヘビーレインの問いかけをはぐらかしながら、シェーシャは自分の取った行動の理由を確信していた。薄々わかっていたのだ。あのメダルは、自分のペンダントと同じような品なのだと。
     しばらくして落ち着いたのか、パッセンジャーが顔を上げた。
    「ありがとうございます、シェーシャくん。心から感謝します」
    「お、おう……」
     ここまで真摯な声を聞くのも初めてだ。ちょっとどころでなく居心地が悪い。
    「お礼をしなければなりません……ですが生憎、君が求めているものは品切れです。どうしたものでしょう。何か他に欲しいものはありませんか? どのような手段を使ってでも、手に入れて見せます」
     意外と義理堅いなんてレベルじゃなかったぜ、ヘビーレイン──心の中で同僚に報告しながら、シェーシャは慌てて手を振った。
    「あ、いや……そんな大げさなモンじゃない。俺は落とし物を拾っただけだぜ?」
     大事にしないでくれと伝えたが、相手は納得しなかった。
    「恩は必ず報います。それが、私の数少ない信念のひとつなのです」
    「恨みも?」
    「もちろん。何十年かけてでも」
     パッセンジャーは当然のように頷いた。
     シェーシャは途方に暮れる。確かに恩を売りたいとは思ったが、そんな重大な事をしたつもりはまったくないのだ。ただ、自分がこのペンダントを無くしたらどれだけうろたえるか予想がつくから、それと重ねてしまっただけで。
     相手は真剣な顔で返答を待っている。困り果てたシェーシャは、紅い髪をくしゃくしゃ掻き回し、望みをひねり出した。
    「なら、それがあんたにとってどんな品物なのか教えてくれ。どうしてそんなに大事にしてるのか、気になる」
     よほど意外だったのか、パッセンジャーは虚を突かれたような顔をした。
    「……そのようなことで、良いのですか?」
    「あんた自身の過去だ。安いもんじゃねぇだろ?」
     どうでしょうか、と呟いて彼はメダルの表面を親指で擦った。
    「誰にも聞かれなかった……それだけの話ですよ?」
    「形見か?」
    「そのようなものです」
     長い睫毛を伏せたリーベリは唇を湿らせ、すこし迷った表情で話し始める。
    「これは、私が所属していた研究所のメンバーに与えられる記章です。かつてはバッジだったのですが、私がループタイに改造しました」
     彼はそこで言葉を切り、一瞬目を伏せた。
    「卒業後の進路に迷っていたとき、たまたま大学を訪れた先生……ソーン教授と出会いました。彼は私の論文を読んで、卒業後は自分のところに来ないかとスカウトしに来てくださったのです。入所の日、先生は手づから、このメダルを私の胸に着けてくださいました。私にとっては、生まれて初めて純粋に自分の能力を認められ、必要とされた瞬間でした。彼との思い出の品は、もう、これしか残っていません」
     どんな品かという問いには最初の一言で答え終わっていたので、その後は全てパッセンジャーが上乗せした「感謝の値段」なのだろう。その品が自分にとってどれほど大事なものなのか説明するにあたって、さしもの彼も無感情ではいられなかった。事実、その声には懐旧の念が滲み、普段よりもほんの少し柔らかな視線がメダルに注がれている。
     そうしていると、パッセンジャーはよくできた美術品などではなく、血の通った人間に見えた。先ほどまで絶望に青ざめていた頬には生気が戻り、彼が僅かに見せた隙は綻びかけた花のつぼみのようだった。
     「生まれて初めて」とはどういう意味だと思いはしたが、シェーシャは触れないことにした。幸福だった瞬間を思い返している相手を、わざわざ不快にさせる必要はない。過去を語るリーベリの表情に目を奪われていたシェーシャは「そうか」とだけ言って、胸元のペンダントに触れた。
     パッセンジャーはその仕草の意味を即座に悟ったのだろう。共感の眼差しを向けてくる。
    「自慢ではありませんが、私は記憶力はいいほうです。これをくれたとき、先生は笑っていました……ですが、私の中の先生はもう笑ってくれないのですよ。彼の笑顔だけが、どうしても思い出せない」
     ほろ苦い笑みを浮かべ、彼は言う。
    「君はどうです、シェーシャくん? 君の中のお兄さんは、まだ笑いかけてくれますか?」
    「ああ……」
     シェーシャは目を閉じた。瞼の裏に兄の姿を思い浮かべる。
    「──まだ、大丈夫だ」
    「そうですか。羨ましいことです」
     彼は目を伏せ、風に身を任せた。長い髪が激しく煽られ、表情を覆い隠す。
    「戻らないのか?」
    「もう少し此処にいます。今日はご親切に、ありがとうございました」
     そっけない感謝の言葉──話し過ぎたことを後悔しているのかもしれない。シェーシャもまた、踏み込み過ぎてしまった事を悔みながら階段を下りる。
     風になびく髪の幻が、瞼の裏に焼き付いていた。それは沈みゆく陽の光に透けて、薔薇色に輝いている。
     指先が無意識に宙を掻く──その仕草に気づいたとき、シェーシャは自分があの髪に触れたがっていたことを悟った。


     翌朝の目覚めは爽快だった。ぼんやりした頭で、つい先ほどまで見ていた甘い夢をふわふわとなぞる。だが、にわかに我に返ったシェーシャは、全身から冷たい汗が吹き出るのを感じながら飛び起き、シーツをめくって呻いた。
    「思春期じゃあるまいし……」
     淫夢を見て射精するという経験がないわけではない。だが、問題は相手だった。
     ピンク色の夢の中、自分と裸で抱き合っていたのはパッセンジャーだったのだ。
     昔から色恋沙汰は苦手だったし、復讐の道に足を踏み入れてからはいっそう、そういう話からは遠ざかっていた。一生誰かに恋愛感情を抱くことも無いのだろうと思っていた。
    「いや、そういうんじゃねえし……何とも思ってねえって、あんな奴……」
     どちらかというと苦手なタイプだ。綺麗なだけの薄っぺらな笑みなど、不快の一言に尽きる。だから、彼が微笑の仮面の下に隠した表情ばかりが夢に現れた。苦悩も愛も、注意深く覆い隠されてはいるけれど、確かに彼の中に存在している。垣間見えた脆く柔らかな魂の輝きを、美しいと思って──
    「違う。そういうんじゃねえ」
     自分があのリーベリを気にするのは、彼が間違いなく己の末路の一つであるからだ。
     かつてパッセンジャーが言った通り、法で裁けない相手には、殺す以外に報いるすべはないのだろう。だが、それをやり遂げても救われない。彼自身がその生きた証拠だ。
     兄が死んだ日に始まった、長い長い悪夢。歯を食いしばって歩き続けた結末に待つのは、目的を失った人生という絶望だけ。すべてを捧げて復讐を遂げたとしても、苦痛に苛まれる日々からは逃れられないなんて。
     家を出るときに幸福な未来なんて捨てたはずなのに、自分はまだ希望を握りしめている。二度と元の自分には戻れないと知っているくせに、救いなどないことを突き付けられて、理不尽に憤っているのだ。
     夢の中、自分の腕の中で、パッセンジャーは笑っていた。どんな顔だったかは思い出せない──見たことがないのだから。だが、それを見つめる自分の感情は覚えている。幸せそうに微笑む彼を、この世の何よりも美しいと思っていた。
     シェーシャは、パッセンジャーが心から笑うところなど見たことがない。彼自身、自分がそうする所など想像もつかないに違いない。できると思ってもいないだろう。

     ──つまり、自分はあのリーベリに笑って欲しいのだろうか?

    「だから、そういうんじゃねぇっての……!」
     目覚まし時計のアラームが鳴るまで、シェーシャはベッドの中でひとり煩悶しつづけた。

       +

     やはり、礼があれだけでは足りないのではないだろうか?
     磨きなおしたメダルを眺めながら、幾度目かの自問自答をした。ここ数日、メダルが目に入る度に同じ問いを繰り返している。これを永遠に失っていたらと考えると、昔語り程度で済ませてしまうには足りないと思ってしまうのだ。
     だが、手持ちのもので差し出せそうなものはひとつしかなかった。
     奪われるのではなく、求められてもいないのに、それを差し出したことは一度もない。少なくとも、無言の要求は必ずあった。舐め回すような目つきや、仄めかされる取引──だが、対価なく差し出すことは決してしないと決めていたし、与えられた屈辱は何年かかろうとも命で償わせた。この身に触れようとする者は、すべからく嫌悪と憎悪の対象だったから。
     だが、今の自分に差し出せるものはこれしかない。彼は多分、価値を見出すだろう。
     あの赤毛のヴィーヴルの視線には気づいてる。以前から度々感じてはいたが、ここ数日は顕著だ。このメダルについて、彼と話した後から──そのせいで、自分が過敏になっているだけかもしれないが、不快に感じないのが不思議ではあった。
     ともかく、この身は彼にとって多少なりとも価値はあるはずだ。彼が受け取らなかったら、それはそれでいい。自分もきちんと恩は返し終わったのだと納得できる。

     それに、あの青年がうろたえる顔を見るのは、面白いかもしれない。
     この虚ろな人生の、ひとときの慰みとなってくれるだろう。
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