Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    kofaku

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 6

    kofaku

    ☆quiet follow

    名前のないふたりの話です

    題名:思えば自己紹介をする時、いつも憂鬱だった。
    幼少の頃は名前がなかった。名前を呼ぶ人がいなかったから、必要とさえもされなかったが。
    青年期には名前を捨てた。戸籍には仮にパードレなんてクソみたいな名前を入れてもらって、名前がない可哀想な子___もしくは、名前も貰えなかったほど神に見捨てられた子として見染められた。
    日本に来てからはパードレも意味さえ言わなきゃ何も言われない。ただ喉のそこまで"最悪にお似合いだろ"と嘲笑するセリフがいつもいつも引っ掛かってきて、どうしようもなく苦しかった。

    「オレのことは神父って呼べ」
    「しんぷさま!よろしくね、しんぷさま!」

    「神父でいいよ、よろしくエイカチャン」
    「……どうも、神父さん」

    「名前ェ?ただの神父。教える義理もないだろ」
    「あら冷たい。神父サマってば意地悪ですネ〜」

    ……憂鬱じゃなくなったのは、いつからだっただろうか。

    ————————

    「名前の由来をさ、訊いてみてーんだけど」

    愛羅の何でそんなことをと心底疑問に思うような丸い目が神父には痛くて堪らなかった。

    「どうした、心境の変化があったのか」
    「そこまで変かよ」
    「だってアナタ好き好んで人の事なんか訊かないでしょう」

    2、3、別方向から刺すような言葉がまた聞こえてくる。因果応報、日頃の行い。言いたいだけ言わせとけ。
    そんなことを考えていると、道化がちょちょいと神父の肩に手を伸ばす。

    「ンだよ」
    「いや急に言われても、ワタクシ全く理由とかないんですが」

    それもそうだ、道化の名前は自分自身で付けられた"後付け"品。親の愛も見栄も美的センスもそこにはなく、道化本人のお遊びで文字の様な形を象っているだけだ。
    後付けに後付けの設定を重ねるなんてガバガバな人生設計だが、まあ、それでも都合良くできるのが紫樂道化だ。神父の目的を叶えるには何の支障もなかった。


    「ダイジョーブ、2日後に席を用意してるから」

    人を象るのが名前か、名前を象るのが人か。

    ————————

    「というわけで、お集まり頂きありがとう諸君」
    「俺も要るのか??」
    「要るに決まってンだろ」

    ダイニングテーブルに人数分のインスタントコーヒー……と餌皿の牛乳が並べられた所で神父は口を開いた。
    華野愛羅は相変わらず不思議そうに彼の顔を見つめているし、瑛佳麗は軽く資料のようなものを整えている。紫樂道化はつまらなさそうにテーブルに体を寝そべて正面のシルヴィオが迷惑そうな顔をした。
    無名はと言うと、本日は神父の膝の上で丸くなっているようだった。

    「名前の由来を訊きたいとかいうワガママによく付き合って頂けました」
    「そんな仰々しくやることです?」
    「さっさと始めろ、時間がもったいない」
    「チッ」

    道化と麗の冷たい瞳と、愛羅の丸っこい疑問の目、シルヴィオの気にしてないぞみたいな生暖かい双眸。会場の視線が一気に一つに集結する。あーあーあー、オマエ(無名)はガン寝してるけどな。

    「……わーったよ、始めましょー始めましょー」

    誰も知らない時限式トラップが、今音を立てて動き始めた。

    ————————

    「ハイまず愛羅。華野愛羅。随分タイソーな名前だよな」
    「言われてみれば漢字ゴテゴテですよネ」

    ぱちん、と鮮やかな瞬きを一つ見せる。瞳の中にハートが浮かんでいるのではないかと錯覚するほど甘いピンクは、特に肯定も否定もないような感情の色を湛えている。特に興味はないのか、それとも"アイツ"だったりするのか、なんて神父は背筋を覆う不安を隠し持っていた。

    「……愛羅ちゃんの名前?かわいい名前でしょ!」
    「言うと思った……親御さんに由来とか訊かなかったのか?」
    「んぇ?だって愛羅ちゃんは______」

    と、と指でテーブルを叩く音がした。

    「……えーっとねぇ、おかーさんはぁ〜……」

    神父は音のした方に、普通の仕草のように目を向ける。紫樂道化の虹彩がばっちりとその目線を捉え、肘を突いていた右手で軽く指を振る。どうやらこの悪魔、無理矢理彼の記憶を捻じ曲げ、一部の発言をNGワードに押し込んだらしい。だよな、コイツ正直すぎて"自分でつけた"だなんて言いかねないし。

    「愛羅ちゃんの名前はね、最初は"てぃあら"って読む予定だったんだってぇ」
    「俗に言うキラキラネームってヤツか!」
    「オマエそれ人に依ればめちゃくちゃ失礼だぞ」

    という神父も、掲示板か何かでキラキラネームを叩いていた記憶がなくもない。この名称にマイナスな印象を持つ時点でオレはコイツより失礼なヤツだろうな、とか。
    道化が作り上げた記憶なのかと思ってもう一度そちらを見るも、当の本人は少し困惑したようにそちらに聞き入っている。ああ、想定してないんだな、と神父は愛羅の方を向き直った。

    「けどね、"あら"の方がかわいいでしょう?って。確かに、あらちゃんって呼びやすいでしょ!てぃあらちゃん、あらちゃん、ほら!」
    「まあ、読みやすさの点でも"あら"の方が断然呼びやすいよな」

    口の中を転がっていくようだ、と麗は何度か"あら"を反復しながら応えた。確かに一度舌を回すのを声には出さず確認してみる。"あら"。素っ頓狂にも聞こえるがなんとはなしに丸っこくもあり、転がっていくとは言い得て妙だと神父はぼうっと思ったのであった。

    「最初はね、"羅"って漢字が、てぃあらの"ら"だからって、あんまりかわいくないと思ってたんだって」
    「阿修羅の"羅"とか、銅羅の"羅"ですものネェ、愛"羅"武勇とかなんかもありますか」
    「フロッピーより古いぞ道化クン」
    「n00年モノなので当然かと♡」

    シルヴィオの皮肉も華麗にかわす道化だが、愛羅には不満げな顔をされてしまった。"確かにそうだけどぉ"なんて、自分の根底が否定されたような声を出す。申し訳ないと言ったようにポージングだけ眉を下げ、彼は続きを促す。

    「……けど、沙"羅"、とか、綺"羅"、とか。繊細なイメージもあるんだって知って、そのままこれで行こーってなったんだって」

    そう語る愛羅の瞳はどことなく何かへの愛おしさに満ちている気がして、神父は少し焦りを覚える。
    だって、それ、オマエが自分で決めたんだろ、改変されてるとはいえ、何をそんなに______
    疑問に思うのは思うのだが、これ以上追求してはならないと思い一つ瞬きをして深呼吸。もう一度見ると、区切りの言葉と共にその隻眼は何も変わらない無を呈していた。

    ————————

    「……次、麗、瑛佳麗。……オマエなんかガチっぽくない?」
    「当たり前だ、これでも名前に誇りはある」

    そう言って瑛佳麗は手に持っている資料を改めて揃え直した。数ページにまとめられてはいるがぎっしりと文字が詰まっているのが見えて、これ寝たりしねーかなァとか青年期以来の不安を抱く。"まあ、かいつまんで話すとだ"と麗が皮切りに言ったので、それなら大丈夫だろうと神父は溜飲を下げたのであった。

    「……瑛佳は"瑛"、透明感のある美しい字と、"佳"、これまた美しいとか、秀でているという字を合わせた、比較的……日本の歴史の中では、新しい方の苗字らしい」

    そう聞いてみると、"瑛佳"は随分と壊れやすいようにも覚える。漢字で見れば___神父には大体の漢字がそう見えるが___厳つい様相をしているために、どこかしら厳粛で重い感じのする名前だと思っていた。
    だがジャポネの感性ではそんなことはないらしく、耽美で、儚く、脆いものにも思えるのだとか。よくわからないがそう思えてくるのが思い込みのすごい所だ。

    「で、麗なんだが。そのままだな、"麗"しくあれって事だ。後は形が整ってるという意味からどこに出ても恥ずかしくない人間であれ、とかそういうのもあるらしい」
    「随分と一文字に掛けるんだな、日本人は……」

    興味深いというようにシルヴィオがじっと麗を見る。神父もそれに釣られて目を向けると、名は体を表しているのか、はたまた今限定か、彼の顔立ちはおろかひとつひとつの所作でさえも整って見えるような気がする。女に間違えられるほどあどけない顔つきなのはともかく、どこに出ても恥ずかしくないのは確かだろう。
    ""宝石"なんですネー"、と道化がつまらなさそうに言う。真一文字に結ばれた口元は少し機嫌を損ねたようにも見えた。

    「……それならもっと違う字でもいーよね?"凛”とか、男の子でもぜんぜんいー名前でしょ?今のれーくんの名前が悪いとは言わないけどぉ」
    「ああ、それなんだけどな」

    愛羅の言葉を聞いて麗は思い出したように続ける。

    「願掛けなんだって」
    「願掛けェ?」
    「そう。由来はよくわかっていないが……"い"で終わる事に意味があるらしい。おおかた"言い切り"とかだろうが」

    へえ、とシルヴィオが少し目を丸くする。そういえば父親の瑛佳"帝"も、妹だと言っていた瑛佳"累"も"い"で終わる名前を有している。案外根深い伝承なのかもしれない。

    「俺の従兄弟にも"頼"とか"彩"とか……あと"慶"も居たかな。そんな感じで、おれの名前もそれに因んで"麗"だ」

    そう言って瑛佳麗は軽く笑う。どこまで行ってもどこまで嫌っても、彼は血筋に雁字搦めにされていることに変わりはなかった。
    だが、麗の言葉を思い返せば名前に誇りはあるという。___きっと願掛けも無駄ではないのだろう。

    「(帰属意識に依る裏切りの阻止か、子の将来を自ら縛ることに依る忠誠の表れか。
    なんであれ、ポジティブな願掛けじゃなさそうだ)」

    ふとシルヴィオの方を見ると、彼も同じことを思っていたみたいでその碧い目が合った。口元が動く。

    「(何も言わなくていい)」

    神父は読唇術には疎いが、彼の口の動かし方はそれを見据えたはっきりとしたものだった。
    現実を見せる必要がないと思うのは同じなので、言われなくてもそれに従うと意を込めて軽く手を振った。

    ————————

    「じゃ次道化、紫樂道化」
    「あらァ〜〜?訊いちゃいます?」

    浮き立った様子でバイオレットが細まる。2日間練りに練った後付け設定が上手くいったのか、悪魔は喜びを隠せない声色でわざとらしく疑問を投げた。

    「言いたくないなら次だな俺」
    「黙ってろバカ」

    なんだかんだ、シルヴィオの名前を聞くのが怖い。コイツの名前、オレ未だにちゃんと知らないんだよ。名はともかく姓の方は神父も少なからず関わる可能性があるために、兄もどきの話はできる限り後回しにしておきたかった。恐怖というか、無意識な防衛本能だろうか。

    「ワタクシのお名前はですネ!
    ……"道"に"化"けると書いて"道化"です。お分かりですネ?」
    「まあ、わからなくはないが」

    麗が一言肯定を示すと、引っかかったというように怪しく笑うのを神父は見逃さなかった。話に乗せるのが上手いというか、話を引き出すのが上手いというか。道化の話術にはしばしば驚かされる時がある。

    「その道を開拓する先導者、もしくは___その道に成る殉教者かもしれませんが。ともかく、ワタクシってばそんな期待と重くるしィ〜エゴを背負った"人間"なんですゥ」

    そう言ってメソメソと泣き真似をする道化に対し、"なんだあれ”と目線を送るシルヴィオ。白々しいという空気に包まれ、道化が再び顔を上げた時には皆が呆れ返っていた。

    「いやまあ嘘ですハイ。実際オナマエは別のものですし」
    「それ言っちゃっていいの?」
    「いーんですヨ!そんなにワタクシが悪いみたいな空気出されると困りますもので!」
    「(別にその事実があっても変わンねーよな……)」

    開き直ってけらけらと笑い飛ばし、道化はその脚をテーブルの上へ乗せて麗に再び直される。"ワタクシこっちの方が楽なんですけど"なんて小言を無視して、一つ疑問を投げかけた。

    「……深くは訊かないが、"紫樂道化"が偽名なら実際の名前はなんなんだ?」
    「訊いちゃうんですか?
    「訊かなくていいんじゃない?本人がそっちで呼んでほし〜って言ってるならあらちゃんはそれでいいから」

    しかしそんな愛羅の静止など意にも介さず、道化は高らかにひとつ。


    「ワタクシの名前は、iVBORw0KGgoAAAANSUhEUgAAAFoAAABaCAYAAAA4qEECAAAGlUlEQVR4Ae2aUZMcRwiDvS7……」


    「ってところですかネ!」

    「……何も訊いてない事にしろよ」
    「ちょっと魔が差しただけですって、悪魔だけに♡」

    ————————

    「……ところで」

    徐に道化は神父に呼びかける。
    先程の"聞いてはならない"呪文まがいの口上のせいで、2人以外の人物は全員その場で倒れていた。安らかな寝息と、時折苦しそうな唸り声が聞こえる。道化曰く「寝落ちした記憶とトラウマになり得る記憶を同時に植え付ける事で睡眠をしていなくとも悪夢に閉じ込められる」のだとか。

    「アナタ、なんでこんなことしてるんです?」
    「……それが訊きたいがための"これ"ならキレるぞ」
    「それなら前日にでも訊きましたヨ。今思いついたから今訊いてるんです」

    心外だというように眉を下げる道化に、神父は懐疑の目を向ける。息を吐くように嘘を吐くこの男に信用なんてしてはならない。現に自分以外の人間には"こう"して危害を加えることもできるのだ。思いつきだなんて、以ての外だ。
    しかし、そういう男だろうと彼は無条件で信用している。たった少し演技めいた目を向けて相手の色が変わるのを見て、それが本当なのかどうかくらいは確かめられるのだ。

    「ちょっとした絡繰だよ」
    「カラクリ?」
    「オマエにはそんなに関係ない。聞きたきゃ聞いてればいいが、あくまでこれは"オレ"の問題だよ」
    「へえ。珍しいですネ、アナタが世界とか神様とかとは関係なく、ひとりの人間を騙るなんて」

    皮肉か、本音か、道化は大して面白そうではないというように一言呟いた。
    自嘲じみた笑顔を浮かべて、男は笑う。

    「生憎、オレは人から生まれた人の子だもんでねェ」

    ————————

    「……さて。兄貴。早く」
    「そんなに俺のことが聞き」
    「早くしろ」

    閑話休題。再び踊り始めた議論と猫のミルクを啜る音。
    シルヴィオは嬉しそうとも気まずそうとも言い難い複雑な表情をしていた。おそらく、神父に今まで"本名"を告げていない事にあるだろう。

    「……というのもだな、俺はお前や他の人にこの名前で接する気はないんだ」
    「そんなに重苦しい名前なんです」
    「まあな!ネットで検索すればぽんとバカみたいな噂が出てくるはずだよ。……半分くらいは根も葉もないものだが」

    "それに、その名前を背負わせたくない"。シルヴィオははっきりそう言った。

    「まだオレはオマエなんかと血縁とは思わねーけどな」
    「しかし99.9%は事実だ。仮にそうでなくとも一瞬でもお前がその名を意識することさえ俺には耐えられない」
    「いいから吐け。呪いなら甘んじて受けてやる」

    これが本命か、と道化は神父の剣幕を見て思った。責任とか、地位とか、そういうものはうんざりだと宣うあの神父が、わざわざ"それ"を背負おうとするなんてことはあり得ない。事実、シルヴィオは今面食らったような顔をしている。
    他人を巻き込んで"自分だけ“なんて逃げ道を無くさせ、無理やり追い込む。絡繰に組み込まれたのはワタクシでした、と悔しいような面白いような。

    「……いいか、すぐに忘れろ」
    「墓に刻んでやるまでな」
    「…………」

    息を吸う音が聞こえる。どうしようかと迷っているらしかった。シルヴィオの珍しい葛藤に、なんとはなしに神父は優越感を覚えた。完璧超人紛いの彼も、案外人間らしい悩みを抱えているらしい。

    「……Silvio…………Amato.よかったな、お前も名前さえ持てばAmatoだ」
    「ブッッッッ殺すぞオマエ」

    両者……と、多少意味がわかるのか笑いの堪え切れていない麗を除いた2人はただそこに固まっている。"甘納豆みたいだね〜""ですネ〜"なんてまるで創作物のような会話を交わしていると、シルヴィオから補足が入った。

    「シルヴィオ。これは普通に名前で森とか自然とかって意味だ。アマートは姓だ。最愛の、って意味だぞ」
    「……ってことは神父サマ、Padre amatoとしたら"最愛の神父"なんてコトになる可能性があるんです!?アッハハハハ!!!」

    道化が言うのを皮切りに、全員がどっと笑いに包まれる。大方が、"あの"神父に"こんな"名前が!なんて嘲った笑いだ。愛とは無縁(だと思われていそう)な彼にこんな名があっただなんて、一体誰が想像しただろうか。当の本人も顔を伏せて、腕の隙間から"訊かなきゃよかった"なんて恨み言が聞こえてくる。
    一頻り笑い切った後、シルヴィオが再び口を開く。

    「というのが俺の名前だ。……まあ、キミたちにはこの名前はサッパリだろうが」
    「オレもサッパリだよ」
    「78代」
    「………………ウッッッッソだろ血縁!?????」

    神父が飛び跳ねて驚くのに肯定の頷きを返す。つまり、"御国の偉い人"ぐらいなら神父は軽く記憶に残っている、ということだ。ますます何の仕事してるかわからなくなった、と彼はため息混じりの目を向けた。「こんなヤツが"これ"だなんて世も末だな」、とも。

    「さて、これで終わりかな?楽しかったぞ諸君!特に」
    「待てよ兄貴、オレが終わってない」

    シルヴィオが感想を述べようとしたところに、彼が被せてひとつ放つ。
    シルヴィオの瞳が困惑の色に満ちるのを、神父は見逃さなかった。
    ————————

    「え?しんぷさま、ちゃんとした名前あるの?」
    「あるある、どうやって生きてると思ってんだ」
    「初耳だぞ?教えろ、知り合いの詐欺リストに登録しといてやる」
    「オレから搾り取れるの小銭しかねーだろ」

    麗と愛羅が疑問と憎まれ口を叩く中、道化は神父の動向を窺っていた。
    ___いいえ、あの人は言えないはずでしょう。きっとただのブラフです。だって、"それ"を自分の名前とするなんて、あの人にはあり得ないですもの。
    それでも、その堂々とした佇まいといい、飄々とした独特の空気といい。
    彼はいつもと変わらず、そこに居る。

    「(……気になるのは、お兄様の方ですけど)」

    ちらりと目線を横にやると、神父とは似ても似つかない真っ青な顔で彼の兄が息を呑んでいる。道化と同じく"それ"を名乗るとは思っていなかったのだろう。
    それでも、あの双子には道化にはないものがある。嘘か真かどうかくらい、見ていれば分かるのだ。
    分かるはずなのだ、と、シルヴィオは自分に言い聞かせた。

    「というワケで、オレの名前と由来を発表しまーす」

    「(…………嘘だ、)」

    高性能コンピュータにも似た脳がその事実を受け止められずにエラーを起こす。認識を都合良く変える。
    嘘だ、違う、やめろ、やめてくれ、お前は、"そんなの"じゃ、

    「オレの名前は〜〜……」

    やめろ、言うな、世界に定義するな、お前は"それ"じゃない、行かないでくれ、どこにも、俺の手の届くところに、

    引き摺り降ろして

    神を墜として

    俺の



    「…………………………」



    気がつくと、シルヴィオは神父の口を無理やり塞いでいた。


    「……」
    「……大丈夫です?顔色が___」
    「ハイそこまで」

    麗がシルヴィオに手を伸ばした瞬間、道化の鋭い声と共に彼の意識が落ちる。同時に愛羅も椅子の上で多少なりと踏ん張っていたが、それでも眠気に抗えずすうすうと寝息を立て始めた。
    神父は、特に驚く様子もなくされるがままシルヴィオの方を見据えている。

    「……道化ェ、そいつら見ててヨ。オレらちょ〜っとばかし混み合った事情があって」
    「ハイハイ、仰せのままに〜。アナタ達っていつもそう。少しぐらい素直に話せないもんなんです?」
    「悪いな、兄貴はこうでもしないと吐かねーんだよ」

    神父は手の中でぷうぷうと息を立てる猫を道化に差し出すと、そのままシルヴィオの手を引いて部屋を出る。

    「(……人生の終わり、みたいな顔できるんですネ、あの人)」

    シルヴィオの開いた瞳孔に暴れる呼吸、血の気の引いた真っ青な表情。それは道化の犯した所業ではなく、これから"それ"を糺されるという事実についての絶望。

    ___きっと、美しいものだろう。何物にも換え難い、世界にひとつだけ与えられた命に対する最上の賛美。
    道化はそれらに興味はない。性質が自身の好奇心を満たしてくれるなら、そんな定義は些細なことだ。
    それに、命令ですもん。従順な悪魔は従うほかありませんし。

    だから、彼らの背中を鼻歌を歌いながら見送る。
    彼らの懺悔が何を語るかを、悪魔は知らないままにする。

    碧い目が一縷の望みを絶たれたことを視認してそっと諦観に浸るのを、誰も見ることはなかった。

    ————————

    「…………さーて」

    真白な壁と無機質なテーブルが、2人の空間をモノクロームに彩っている。
    今ここで息をしている色は神父の澄んだ碧だけであり、それを泥の混じったような瞳でシルヴィオが見つめている。

    「……何を訊く気だ」
    「知ってるだろ」

    神父の冷たい声色はいつものものと大して変わりないが、それが酷くシルヴィオにとっては不気味に見える。
    "あの時"はもっと緊迫した目を___子供のように縋り付くような涙を浮かべていたのに。
    同じ場所、同じ時刻、同じ位置関係。その真っ直ぐ前を見据える彼の顔だけが、記憶をフラッシュバックさせなかった。

    「はっきりと言え」
    「オマエが知ってるオレの名前だ。勿論"アレ"じゃない」

    僅かに手が震えた。鼓動が走り出す。罠に嵌められたのだと知るのに気付くのは遅くなかったが、どうしてもあの手を止められなかったことを思い出す。
    "アレ"は口にされてはならない。いいや、されても構わないが、俺が許せない。
    その理由を、許しを、今彼は問うている。

    「………………はっきりしろ」
    「オレらの親が、オレに付けた、名前を、吐けって言ってんだ」

    ___ああ、言われてしまった。このままぼかし続けてくれればこちらにも利が有ったのに、とシルヴィオは目を伏せる。

    「聞かなくていい」
    「聞かなくてじゃない、"訊く"んだよ。いいか、何をそんなに隠すのか知らねーけどな、オレにだって知る権利はある」
    「お前の名前じゃないかもしれない」
    「しかし99.9%は事実だ。……だろ?」

    先程言われた嫌味を返して、神父は彼を見据える。唇が恐怖と絶望に震えるのを感じた。
    軽蔑されているだろう。どう足掻いても彼は利己的でしかなく、黙りを続けていても残っているのは崩落しかない。知らないで欲しいという願いは慈愛という名のエゴに満ちた、ただの鉄格子にしかすぎないというのに。

    「……どうして黙るんだよ。オマエはただ吐けばいい。オレはただ聞くだけだ。そこにお前の感情が挟まれる余地はないだろ」
    「…………」
    「ガキじみたワガママを通せると思うなよ、わかりませんで許される歳じゃねーぜオレら」
    「……俺にとっては、永遠に弟だ」
    「オレにとってオレはオレにしか過ぎねェけど?」

    ……ああ。塞がれた。
    弟と云う言い訳を塞がれた。他でもない彼がそこに仁王立ちして、前を見据えている。
    そこにもう、自分が見ていた幼少の彼はいないのだ。護られる存在であった愛おしい弟はいないのだ。
    彼は、ただの人間である。

    口を開く。言い訳が思いつかない。これ以上自分を逃す道が見つからない。ひたすら、ひたすら、楽になるなら言う他ないと自分の中の何かが追い詰めてくる。

    「……なあ、何考えてんだか、オレはわかんないけどさ」

    神父が声を掛ける。咎められている気がして俯いた。次は何を糾されるのだろう。次は何を塞がれるのだろう。
    理想は、理想のままではいられない。現実に正されて夢物語として語られる様になるだけだと、自分がよく知っていただろう。


    「…………なあ、」


    湿っぽい母音が耳を焼き付けた。


    「……名前は、あるんだろ。中身とか、上辺とか、そういうのはいいんだよ、オレは」


    じくじくと心を貫いてくる。あつい何かをおしつけられて、だんだんと掻きむしりたくなるほど身体がふるえ始めて。


    「…………愛されていたことを知りたいって、そんなに悪いことかよ…………」


    いつの間に顔を伏せていた彼の瞳が、牡丹雪が落ちる様に机をひとつ打ちつけた。

    ぼと。

    決壊して溢れてくる。積もり積もった愛情の欠乏はこんな自己満足の涙じゃ満たされない。

    ぼた。ぼた。

    しゃくりあげて、声を漏らして、どうしようもできない苦しみから目を逸らす。堪えられない。抑えきれない。
    もう、人の幸せを望むのは間違っていると云うのに。
    ただ、彼は愛のかたちを知りたいだけだと云うのに。
    涙の打ちつける音が鳴る前に、シルヴィオが弟を抱き締める。

    「俺じゃダメなのか」
    「…………どうして、オマエになるんだよ」
    「俺じゃあ、お前の特別にはなれないのか」
    「オマエだけが!!オレの全てだと思い上がるなよ!!!」

    噛み付く様な怒りの声が上がる。涙でぐちゃぐちゃになった言葉の中でも、そこにある覇気はシルヴィオを気圧すには十分だ。

    「オレには人生がある!!産まれて!!!生きて!!!ここに至るまでの二十何年間!!!オマエがずっとそこに居たわけじゃないだろ!!!!」
    「それでも俺は、お前を愛しているんだ」
    「うるせえ自分をよく見せたいが為に他人の愛を偽るな!!オレは生を受けた!!紛れもなくそれは愛されていた証拠なんだよ!!!それを可視化したいと思うのは間違ってんのかよ!!!!」

    悲痛に満ちた叫びが部屋の中を木霊する。声帯が張り裂けそうな程の苦しみを、動物的本能で突き動かれて大声で彼に叩きつける。

    「愛されたいのは間違いか!!多くの愛を受けたいのは間違いか!!!少しでも愛のかたちを夢想したいのは間違いか!!!?どれだけ手に入らなかったと思ってるんだよ!!!!」
    「…………」
    「言っとくけどなァ!オマエはオレみたいに自由に生きれなかったかもしんねェし!!世界の裏側を知ることもできねェし!!何でもしてくれる兄貴も弟も居ないけどさ!!オレと違ってオマエには愛があったんだろ!!!親から受け取る無償の愛だ!!唯一つの愛なんだ!!」

    シルヴィオの胸ぐらを掴んで鳴く。返ってこない返事を期待して、酷くバツの悪そうな眼に向けてどうしようもない八つ当たりをする。青い瞳の中に情けない自分の姿を見出した。
    おもちゃを買ってもらえなかった子供みたいに、ありったけの自分の鬱憤をばら撒いているのだ。
    そんな彼に対峙する兄もまた、「彼の名前を自分以外に知られたくない」なんて子供じみた意地を張っている。


    その様子は、側から見れば兄弟喧嘩だったのだ。
    喧嘩をしたことがないから、お互いの弱いところに傷をつけてしまう。距離感も当り所もわからない。


    「頼むから、なあ!!!オレは、オレはッ、愛されてたんだろ、なあ!!!」


    「命に!!!価値があることを!!!」

    「オレが存在していて!!祝福されたことを!!!」


    「オレがっ、そんな、悲しい人間じゃない、ってことを、あいしているならおしえろよ……!!!!」



    シルヴィオの肩に崩れ落ちてわんわんと泣きじゃくるおとこがひとりいた。

    あいが分からないのにあいを知りたいとあいしているひとの前で喚くこどもがひとりいた。


    神に心臓を貫かれて尚息をする人間がひとりいた。


    ————————


    「あら、……暴力に訴えると思ったんですが」
    「残念だが、この通り意気消沈しただけだ」
    「うるせえばかつぎあったらころす」
    「威勢のよろしいこと。お兄様の勝ちですかネ」

    兄の後ろに隠れる様に神父は俯きながら帰ってきた。その瞳は今も潤んでいて、やはり感情を伴う弁論では神父が有利すぎて自滅してしまうようだ。
    道化は猫の姿のままの無名とポーカーをしている。無名が手を差したカードを道化が入れ替えて、両手で机を叩けばスタンドの合図だ。無名は猫とはいえ多少の知性は持ち合わせているので、役の一覧表と睨めっこしながら相手よりも良い役を作ろうと必死になっていた。
    残念ながら、ロイヤルストレートフラッシュは道化のものである。

    「いーじゃないですか名前なんて、知ったとこでどうこうなるワケでもありませんヨ」
    「……けじめの問題だよ」
    「けじめねェ。もうとっくに振り切れてたクセに、みみっちく愛だの恋だの騒ぐんじゃありませんヨ、男らしくない」
    「ポリコレに訴えられろ」
    「元気じゃないですか、第二ラウンド始めたらどうです?」

    そう言って道化はシルヴィオの目を覗き込む。焦燥に駆られていたあの色は見当たらない。ただ、憐れむような目で自分の後ろに潜む弟を見下げている。

    「(……それが、1番の屈辱なんですけどネ。自己至上主義も大概にすればいいのに、自覚がないのか、なんなのか)」

    探るような瞳は結局、彼が変われないことを再確認しただけに終わった。どうやっても、彼の中で神父は「弟」の域を出ないらしい。

    「さて、そろそろお暇しようかな。随分長居してしまった」
    「二度とくんな」
    「そうするよ」

    笑顔でシルヴィオは応える。
    神父はそれを肯定しかけて______

    「……真に受けんな」

    じくじくいまだに疼く酷い傷が、柔らかい所にナイフを入れられた気持ちをよくよく分からせてくれる。
    きっと彼もそうなのだ。
    "そこ"に、手を出すべきではなかった。

    「………………いいのか?」
    「オマエの為じゃない、オレの保身の為だ。来ない理由が喧嘩したからと言ってみろ、折衷案が出るまで麗が黙っちゃいねーぞ」
    「それもそうか……」

    自分への気遣いではないと知って、シルヴィオが少し眉を下げた時だった。

    「……それに」
    「ん?」

    「まだオレは負けてない」
    「まだ言います?」
    「次回に持ち越しだよ」
    「アナタもアナタで意固地ですよネ〜〜、毎回このオチにされると困るんでもっと穏便な解決策見つけてください」
    「目隠しして最初に道化の目潰しできた方の勝ちな」
    「死んでくださいませんか!?!?!??」


    「(______なんだ)」

    お前はもうあるんじゃないか。
    ただ、酷く鈍感なだけで。


    「……それは俺もぜひ参加させて欲しいな!」
    「2人まとめて死んでいただけますか!!!!!」
    「思いっきりいけよ、遠慮はすんな」
    「遠慮されなくて困るのはワタクシですがーー!!」
    「「知ってる」」
    「この人達コンプラないんですか!!助けて無名さ」
    「ずぴ〜〜〜」
    「ヤダーーー!!!まだ死にたくないーー!!!!」


    弟の為なら何でもすると言ったのに、結局プラスチックのナイフさえ突き付けることはできなかった。
    ならばせめて、花束だけでも贈らせてはくれまいか?それが例え他人の花だとしても、それをお前が受け取れるようになる手伝いくらいはさせて欲しい。

    名前のないお前に、名前のない愛を、名前のない花と共に。
    名前がなくとも、それはきっと美しい。


    ————————

    題名:

    ————————

    名前を象るのが人、ですよ

    神父の捨てた自分の名前とシルヴィオの知っている名前は別ですよ。切先を突きつけるほど傲慢になれない人です。

    瑛佳家の名前縛りは、あそこ結構在り方が古い家なのでおそらく帰属意識を持たせるための願掛けでしょうね。
    帝は少なくともそれをわかっていますが、ここでそれを破るほどあの人は自信家ではないです。

    道化の名前は「世界の変換者、人間社会の咎、アナタの悪魔」。base64を途中で切って解読できなくなってるので記載

    兄の姓「amato」はネタバラシすると78代大統領です。遠い血縁ですし、兄、ひいては父親の事業は政治とはあまり関係なかったので、顔を合わせたこともありませんが。
    最初洗礼名が好きなのでジョバンニって入れようとしてたけどダサいから辞めた。

    「理想は、理想のままではいられない。現実に正されて夢物語として語られる様になるだけだと、自分がよく知っていただろう。」
    →兄の中の弟と神父の乖離。

    「うるせえ自分をよく見せたいが為に他人の愛を偽るな!!」
    →好きなセリフ。弟を守ってるフリしてるだけだもん。

    ・「愛されたいのは間違いか!!多くの愛を受けたいのは間違いか!!!少しでも愛のかたちを夢想したいのは間違いか!!!?どれだけ手に入らなかったと思ってるんだよ!!!!」
    ・お前はもうあるんじゃないか。
    ただ、酷く鈍感なだけで。
    →これがこうなります。神父は、恋愛以外の愛は形がないと気付けないタイプ。

    弟の為なら何でもすると言ったのに、結局プラスチックのナイフさえ突き付けることはできなかった。
    →「結局、どうやっても片割れという刃は自分可愛さのプラスチックに過ぎなかったのだ。」
    どこまでも偽らぬ愛を、より。

    ならばせめて、花束だけでも贈らせてはくれまいか?それが例え他人の花だとしても、それをお前が受け取れるようになる手伝いくらいはさせて欲しい。
    →すこーーーーしだけ、分かってくれたかもですね、神父のこと、自分のこと。

    これ自体は去年書いたもので、それを少しブラッシュアップしてお出しすることになりました、ネタがないしね。
    なんだかたくさんの人に神父たちを見てもらえるようになったので、本編ももうちょっと書き直してまた出そうと思います。楽しみだねえ、君たちの未来。

    それでは、また来年!
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator