「ハロウィン」そらお@masakanootiran「なんでこうなっちゃったんだよ~」
伊作は頭を抱えて部屋の隅にうずくまっている。
「なんでって、君が突然こんなところまでやってくるからだよ」
「雑渡さん~」
「辛いならやめてもいいけど、任務どうするんだい」
「だって――まさか、こんなことするなんて思わなかったんですよ~」
「大丈夫。よく似合ってるよ」
「なんの慰めにもなってません!」
「言っておくけど、今回わたしはなにもしていないからね」
「分かってます~~!」
うずくまったまま嘆く伊作を横目に、雑渡は雑炊の入った竹筒を軽く振って、ここに伊作を連れくるまでを思い返した。
忍術学園の六年である善法寺伊作がうずくまっているこの場所は、タソガレドキ領内の一角にあるタソガレドキ忍軍の拠点のひとつである。
普通なら怪しいものの侵入を許すはずのない忍軍だが、伊作は町人のように街道を通って城下へと入り込んでいた。
雑渡に付き従う部下たちは決まったもの以外は持ち回りなので、忍軍の半数は保健委員たちの顔を把握している。そんな部下のひとりがタソガレドキ城下で不運に見舞われている伊作を発見したのだ。
報告を受け、すぐさま迎えに走った雑渡だったが、部下に保護されていた伊作を見てあまりの不運ぶりに言葉を失い(崖から滑り落ちたみたいな悲惨な状態だった)なにも聞かずここまで連れてやってきた。
風呂にいれさせて汚れを落とし、水と少しの食料を与えると青ざめていた伊作の顔はみるみる普段の穏やかさを取り戻し、雑渡をほっとさせた。
「で、こんなところまでなにしに?」
「……」
落ち着いたところで、口火を切ったのは雑渡だった。知らない相手ではないが、ただ顔を見てさようならで終わる話ではない。たまごとはいえ忍びの端くれなのだ。万が一を疑うのは忍びとしての本質でもあった。
「だんまりじゃ、分からないね」
尊奈門が用意したぬるめのお茶を伊作へと手渡して雑渡は息を吐いた。非道な扱いをするつもりはないが、忍び組頭としての責務をないがしろにもできない。
「……」
雑渡の懊悩を知るや知らずか、伊作は思い詰めたように唇を引き結ぶばかりだ。こうなった保健委員長を解きほぐすのはなかなかに骨である。
「わたしはたいがい君に甘い自覚はあるが、さすがに理由くらいはしりたい」
ちろり、と大きな目が雑渡をはかるように上目遣いになった。それは非常に雑渡の好みの顔をしていて、つい笑んでしまう。
「……じ、実は」
雑渡のまとう雰囲気がゆるんだのを察したのか、伊作がためらいがちに口を開いた。
「――かくかくしかじかで……」
「ふん、大川平次渦正の思いつきで、珍しい菓子を得たい、と。そのために学園生を任務でかり出したんだね」
伊作の話を聞き終えた雑渡は長いため息を吐いた。あいも変わらずあの老人は酔狂で生きているようだった。かつての天才忍者の読めない顔を思い出して、雑渡は苦々しくつぶやいた。
「南蛮のお祭りにあるそうです。子どもたちがなにかと引き換えに大人たちにおやつを頂くそうです」
「うーん」
「けれど一年生から三年生を監督もなしに任務へ出すわけには参りません。外へ行くのは我ら上級生。忍術学園と親しい城主の数や自由に行き来できる町などは限られているので、必定われわれ六年生はさらに遠い場所を選ばなければなりませんでした」
「残っている子達はどうしているの?」
「先生方から頂くはずですよ。保健委員のみんなは籐で編んだかごを作っていました」
「……そう」
「珍しいお菓子というのと南蛮のお祭りというお話しで、とっさに浮かんだのがタソガレドキで……」
「事情は分かった。その任務、君に菓子を渡せば終わるのかな?」
「あっ、あの――その前にやらなければならないことがあって!」
伊作が勢いよく立ち上がった。
なにやら特別にあつらえた装束で、きまった口上を述べる決まりがあるという。用意のために伊作を隣の部屋へと案内し、見張りとしてその前に雑渡は立った。
(ほとほと甘いな)
こればかりはどうしようもない。改めるもなにも、理屈ではないのだ。尊奈門などに知られると、小言をうけること間違いない。
「あ、あの……」
ふ、と隣の部屋の気配が揺らぐのを感じ、雑渡は無言で障子を引き開けた。
「は――?」
雑渡はひとつしかない目を大きく見開いて、おずおず姿を現わした伊作を見つめた。そこには、忍装束のうえから動物の耳と尻尾を模した飾りをまとっている伊作の姿があった。
「これ、どうなってるの?」
「あのっ、あのっ……耳は止めつけるようになっていて、尻尾はひもを腰に巻いて生えているみたいに出して、尻尾の先に繋がっている細いひもを手に――こう」
くいくいと伊作が手を動かすと、尻尾が同じように動いた。芸が細かい。
「可愛いからって何をしても許されると思うんじゃないぞ」
「ざ、雑渡さ~ん」
自分がなにを口走っているか気がつかないまま、雑渡は伊作の肩を両手でつかんだ。
「これでなにをするつもりだ?」
知らず、追い詰めるようになってしまう。すこしためらってから、意を決したように伊作はきっ、と雑渡を見上げ口を開いた。
「とりっくおあとりーと! お菓子をくださらないと、いたずらします!」
「……ぐっ」
雑渡は息を飲んだ。本物の毛皮ででもできているのか、耳の毛はふさふさと雑渡のあごをくすぐり、行き場のない伊作の手が動くたびに柔らかな毛に覆われた尻尾がゆらゆらと揺れた。
伊作の髪色とも絶妙に合っていて、まるでほんとうに以前から生えていたのではないか? と思わせる作りをしている。雑渡は喉の奥の悲鳴を苦労して飲み込まねばならなかった。
「菓子は用意しよう。だがこちらの条件ものんでもらうぞ」
「は、はいっ!」
「忍びが条件も聞かずに返事をしちゃいけないよ」
「雑渡さん……」
感極まったかのように大きな目を潤ませる伊作を見下ろして、雑渡はあまりたちのよろしくない微笑みを浮かべた。
「組頭ご報告――」
部下たちが部屋を訪れる度に驚愕に目を見開いている気配に気がついて、雑渡ははっと我に返った。
「ご苦労――ほら、伊作くん」
部屋の隅でうずくまっている伊作を自分のそばへと呼び、ぺしり、と尻尾のついた尻を軽く叩く。
「とりっくおあとりーと! お菓子くださらないといたずらします! あなたじゃなくって、雑渡さんにですよ!」
雑渡の膝を覆うように体を伏せ、やけっぱちに伊作が叫ぶ。
「く、組頭!こ、こちらを――」
冷静沈着なタソガレドキの忍びは動揺を瞬きでごまかして、あらかじめ申し合わせてあったとおり、美しい紙に包まれた小さな菓子をそっと雑渡の目の前にある籠に差し入れた。
――報告は小頭に。火急の知らせに対処、よくやった。
矢羽音を飛ばすと、なにかを耐えるように若い忍びは雑渡の前で深く頭を下げた。雑渡がうなずくと、そのまま音もたてずに部屋を去った。
これが雑渡が伊作に出した条件だ。
訪れる部下たちに必ず口上を述べること。それを雑渡のそばで行うことのふたつ。
悲嘆に暮れている伊作を見下ろしながら、雑渡はその若い肢体の望外の柔らかさを膝で十分に堪能した。たっぷりした尻尾を撫でるのも忘れない。
「悪い条件ではなかっただろう」
「それはそうなんですが……」
後輩たちが作ってくれたという籠はもうすでにいっぱいになっているが、タソガレドキ忍軍総出の歓待だ。集まった菓子の数はまだその半分に満たない。
雑渡だって鬼ではない。伊作が条件をのむ代わりに、陣内を通して、タソガレドキ忍軍のすべてに珍しい菓子を探し出すように伝えている。
陣内には信じられないものを見るような顔をされたが、雑渡は権力だって効果的に使う主義だ。
「なにか、大切なものを失ったような――」
「子どもたちも、なにかと引き換えに菓子をもらえるんだろう?」
「うう……」
体をひねって、伊作が雑渡を見上げてきた。つり上がった目がすがるみたいに雑渡を追ってくる。
「お菓子はもらったんですけど、いたずらもされた気がしてます~! するならぼくの方なのに!」
「わたしだっていたずらが良かった」
「え!」
驚きすぎて固まってしまった伊作のつけ耳を柔らかく撫でながら、雑渡はくくく、と喉笑いを漏らした。