「包帯」雑伊+数馬 もう水仕事をするには少し辛い季節になってきた。包帯を洗う手を止めて、冷え切ってかじかんでしまった指先に息を吹きかけた。
温かい呼気でぬくもる度に、じわじわと血が通う気配に指先がうずき出す。
人体の不思議に心奪われ、赤みを取り戻す指先をじっと見つめた。
「伊作先輩、残りは僕が洗ってしまいますから。どうかお部屋に戻ってください」
井戸端で伊作と並んで包帯を洗っていた数馬が顔を上げて伊作をとがめた。その後ろには小山のように積まれた包帯の束がある。
「なに言ってるんだい。数馬のほうが残りの量が多いじゃないか」
「でも――そんなに指先ばかり見ていると、風邪をひいてしまいます」
「そうならないように、早く終わらせて医務室でお茶でも飲もうよ」
「なら、切ないようなため息を天に向かってつかないでくださいね」
「えっ、ぼく――そんなことしてた?」
「どなたのこと考えてらしたのか、夢を見ているような顔をされていましたよ」
「ご、ごめんね……」
数馬の言葉に伊作ははっとなった。わずかばかり体温が上がり、空気の冷たさが気にならなくなった。
それ以上を伝える気はないのか、数馬は無心に作業を続けている。伊作も唇をぐっと引き締めて井戸水をたらいに満たした。
白く長い包帯は雑渡の体を包んでいたものだ。半身を覆うほどの包帯は、量も長さも普通ではない。そして、材質もかなり気をつけられている。綿か絹か、およそ伊作たちが使い捨てにする古ふんどしとは違っていて、雑渡を囲む環境が素晴らしく整っているのがそれを触れるたびに伝わってきた。だから顔がゆるんでしまうのを自分では止めることができない。
(ダメだなあ)
雑渡とは奇妙な縁で、この夏に知り合ったばかりだ。それでも幾度かの邂逅――偶然も必然も含めて――の中で、すこしばかり相手の懐に入り込めたのではないか?と思うことが増えた。
(だって)
おなじだけ、伊作の心にも雑渡のいろいろが入り込んでいるからだ。
「先輩」
「あっ、はい!」
わずかばかり、怒気を含んだ数馬の声。
「手が止まっていますよ」
「すまない、数馬」
「ぼくは食満先輩とは違いますからね!」
「ごめんってば」
白く、どこまでも続く包帯を指先でたぐる。水の中でゆらゆらと流れる布を目にすると、ふと笑みが浮かんだ。
この先に、あの優しい人の気配があるから――
「先輩は……」
「あっ、ちゃんと洗っているよ!」
仕上げた分を空いたたらいに移して、数馬の背後に積まれた束に手を伸ばした。
「――怖くはないんですか」
張り詰めたみたいな数馬の声に、伊作は顔を上げた。誰のことか、など名前を出さずにも分かってしまう。顔に出ていたのかもしれない。忍者失格だ。修行の足りない自分がふがいなくて、伊作はほぞをかんだ。
「もしかして、気を遣わせてる?」
「いいえ――」
うつむいたまま、手を止めずに数馬が首を振った。それをなだめるみたいに、伊作はできるだけ穏やかな声で応えた。
「優しい人だよ」
「――先輩にだけです」
「そんなことはないよ」
「いいえ……だって」
なにかを伝えたいのに、言葉にできない人がそうするように、数馬がいったん息を止めたあと大きく息を吐いた。
「僕はやっぱり、まだ少し怖いです」
「そっか。そりゃそうだよね」
数馬は三年生だ。一年生や二年生よりは知識があって、それなのに技量や体力は上級生にまだまだ及ばない。四年生のようになにかひとつを頼みに鍛えているわけでもなく、得意武器もまだなく、保健委員としての伊作のように毒に詳しすぎるわけでもない。
なまじ雑渡がどういう力を持っているか、をおぼろげながらに理解できるだけ恐怖は増すだろう。ましてや自分の身を守るなにかを得ていなければ尚更だ。
そういえば、雑渡が医務室を訪れるときは、佐近は普段より物言いがとげとげしくなるし、乱太郎は隅の方で小言も言わずにおとなしく委員会の仕事をこなしている。来訪を無邪気に喜べる伏木蔵が、希有な存在かもしれなかった。
「ぼくには最初にあった時から一度だってあの人のこと、怖いと思ったことはないよ。……驚かされることはたくさんあるけれど」
「……」
「それに――医務室に来られるなら、みな等しくぼくたち保健委員の患者さんだからね」
数馬の揺れる瞳と目を合わせ、伊作は微笑んだ。
「数馬もいつか分かる日がくるよ」
「そ、それ、は――」
ぱっと赤くなってしまった後輩を伊作は黙って見守った。
いつか、彼にも――その人のことを考えて、いたずらに時間が過ぎてしまったり、自分の手でいつだって包帯を巻き直して差し上げたいなんて、らちもなく思い詰めてしまう日が――来るに違いない。
「ねえ、数馬。歌おう。包帯のうた」
「えっ、でも」
「その方がきっと早く終わるよ。そしたら、この前、雑渡さんから頂いたとっておきの南蛮菓子を一緒に食べようね」
「……南蛮、菓子」
「そうだよ。甘くて美味しいんだって。どういうわけか、雑渡さんという人は南蛮のお菓子に詳しくていらっしゃるから。今回頂いたのはもう、ほんの少しだから、ね……みんなには内緒だよ?――さあ、そうときまればもう一踏ん張りだ。頑張ろうね」
「――はい!」
南蛮菓子の誘惑のおかげか、数馬の返事に力が戻った。伊作は笑んで歌いはじめた。保健委員ならだれだって歌えるようになる、包帯のうただ。数馬の歌声もそっと追いかけてきた。
包帯は しっかり巻いても きつすぎず すばやくきれいに ゆるまぬように――