クラッシュ アーサーはクラッシュしてしまったのだ。
カインのことを考えると、回路が熱くなって、ありもしない心臓が高鳴って、泣けもしないのに涙が出そうになる。
アーサーに搭載されたカルディアシステムは、感情を学習し、自意識を構築して、基準を定め、選別した結果、これを恋だと決定した。
だけどあまりにも、この恋というのは難解で、複雑で、厄介だった。いくら心を模したシステムを搭載しているといっても、アーサーは機械だ。自分を人間だとは思わない。恋とは人間同士でするものなのだろう。他者のために心を砕くことは人間の特権だ。人に寄り添い癒やすためのアシストロイドが、感情に飲み込まれてしまっては意味がない。共感することはあっても、依存してはならない。
(でも……)
隣で眠るカインを見つめる。学習も構築も基準も選別も意味はなかった。人間が思考を巡らせるよりも速く、回路は回り、アーサーの体中を何度も何度も駆け巡る。何度それを繰り返しても、何度『考えて』も、最後に電気信号が指し示すのはいつだってカインだった。アーサーを形作る部品が全て壊れてしまったかのように、木から葉が落ちるように、太陽が西へ沈むように、あまりにも当然に、そして自然に、カインへと向かっていった。
カーテンを開け放したままの窓から、遠く、夜の終わりが見えた。ほのかに明るくなり始めた部屋の中で、薄い毛布にくるまって眠るカインが、カインだけが、唯一命あるものだった。呼吸をして、時折まぶたが動いて、睫毛が震える。穏やかな鼓動、温かな体温、脳は夢を見る。
好きだ。静かに眠るカインも、賑やかに話すカインも、アーサーを見つめる、とろける朝焼けの瞳も。どんなに否定しても、必ずここにたどり着く。
──カインが、好き。どんなにつらくて、苦しくて、涙が出そうになっても、カインが好きだ。繰り返し、繰り返し、そればかりが回路に浮かぶ。こんなことは、きっとおかしい。アーサーは機械だ。『感情』を、上手く処理できるはずだった。
本当に、アーサーは壊れてしまったのかもしれない。
「……アーサー?」
「おはよう、カイン」
いつだってカインが目を覚ますと世界に朝が来る。朝はカインのためのものだった。
「おはよう……って、今、何時だ?」
「まだ6時にもなっていないよ」
今日の日の出は6時38分15秒。空は白み始めているが、太陽はまだ昇っていない。
「そう、か。寝ちまったんだな、すまない」
そう言いながら立ち上がろうとするカインの手のひらを、アーサーはぎゅっと掴んだ。その手を通して、メディカルチェックのために付いている体温感知の機能が、カインのやわらかな体温を伝えてくるのが、嫌で、邪魔で、そして何よりも心地よかった。
引き止められたことに驚くカインに、アーサーは静かに声をかけた。
「今日は休みだと言っていただろう」
「そう、だけど……」
「もう少しでいいから、ここにいて」
胸に埋め込まれたカルディアシステムが、今にも光りだしそうに熱くなっている。ありもしない心臓の音は、急き立てる警告音のようでいて、背中を押してくれる励ましの声にも思えた。泣けもしないのにあふれそうになる涙が、もし本当にこぼれてしまったとしたら、カインはぬぐってくれるだろうか。
愛し、認めてくれるだろうか。
生命足り得ない、この心を。
*
【crash】
動詞 /kræʃ/
衝突する、破壊する、機械が故障する
【crush】
名詞 /krˈʌʃ/
押し潰すこと、恋、片思い、夢中になること