その日。市内をふらふらと彷徨くロイドは珍しく、不機嫌な表情をしていた。
知り合いに声をかけられれば笑顔を浮かべるものの、ひとりになるとまた眉をひそめてずかずかと歩き出し、やがてやってきたのは西通り。辺りを見回してその事に気づいたロイドは、いつの間にかビルの近くへと戻ってきたのか、とため息をついてくるりと方向を変えると、住宅街に向かって歩き出そうとする。そこへ、聞き覚えのある声がした。
「よう、ロイド。珍しい顔をしてるな?」
「……何か用か? オスカー」
声をかけてきたのはロイドの幼なじみで、この西通りにあるベーカリー《モルジュ》でパン職人をしているオスカーだった。仕事中ではないのか、と少し疑問に思いつつ、幼なじみ相手に取り繕う必要も意味もないか、とロイドがぶっきらぼうに答えれば、苦笑したオスカーにちょっとコーヒーでも飲んでけよ、とモルジュの外のテーブル席につかされる。誰か出てきやしないだろうか、とちらりと支援課ビルの裏口の方角をうかがいつつも、席を立つ事はせず、店内へと入っていったオスカーを律儀に待っていれば、やがて戻ってきた彼が持っていたトレーにはコーヒーとパンが乗せられていて。ぱちりと瞬きをしてその顔を見れば、余りもんだから気にするな、と言われ、小腹も空いていたため、ならばと遠慮なく手を伸ばして頬張り、おいしい、と頬が緩んだところで、それで喧嘩の原因は? と問われて、そんなに分かりやすいだろうか、と思わずぶすっとし。聞いたのはそっちだからな、と前置きしてから、ロイドはたまった鬱憤を晴らすべく口を開いた。
きっかけは、単純な事だった。
今日は朝からやけに何度も頭をポンポンとなでられ、戦闘中も前に出すぎだの無茶しすぎだの、人の事が言えるのか、と言い返したくなるような事ばかり言われ。それがロイドを思いやっての言葉だと分かってはいても、子供扱いされているようで段々腹が立ってきて。
支援要請を全て終え、ビルへと戻ってきたところでとうとう爆発してしまい、呆気に取られるランディを尻目に外へと飛び出し、街をふらふらしていたのだ。
「そ、そうか。それは、まあ、何と言うか……」
「俺はもう18だぞ! それにランディとは3つしか違わないのに、なんであんな風に子供扱いされなくちゃならないんだ!?」
ぷんぷんという擬音が頭上に見えるようなロイドの怒り方に苦笑したオスカーは、そういうところが子供扱いされる原因なんだろうな、と思う。
何と言うか、ロイドは分かりやすいのだ。おまけに童顔で、身長もそこそこあるし体格もかなり良いはずなのだがそれを顔が打ち消してしまっている。もしかすると、それ以外にも理由はあるのかもしれない。だがあのロイドの同僚が子供というか、弟扱いするのもわからないではない。
しかしロイドもセシルを始めとして、年上の、主に女性からだがそういう扱いをされる事には慣れているはずで。それはつまり、あの赤毛の同僚に弟ではなく対等に見て欲しいということなのだろうか、と思いつつ、割と珍しいロイドの愚痴を相づちを打ちながら聞いてやるオスカーだった。
そうやってロイドがオスカーを相手に鬱憤を晴らしていた頃、ランディは東通りでロイドを探していた。
爆発したロイドがビルを飛び出して行った後、なぜあんなに怒ったのかとぽかんと扉を眺めていたランディにまさか自覚してなかったの? とエリィが言い。そうみたいですね、と冷静にティオが相づちを打ったため、一体何をだ? とランディが尋ねれば、ふたりは揃ってため息をつく。
そして自身の今日一日の言動をふたりから聞かされて、やっちまった、とランディは頭を抱えた。
原因は昨夜見た夢だろう。《闘神》を継ぐための試練だと言われたあの時の夢。ロイドはあいつじゃないとわかっていても、あの自分を慕う真っ直ぐな瞳に、どうしても彼と重ねて見てしまい。ロイドもどこか手の届かない所へ行ってしまうのではないかと不安になり、つい、過保護にしてしまったのだ。
とはいえ、普段も頭をなでたりする事はある。なのになぜあんなに怒ったのかとまだ悩むランディに、再びため息をついたエリィはこう言った。
「……ロイドはね、あなたに認められたいと思っているのよ」
「お嬢?」
「年もそんなに違わないのに、腕っぷしが強くて気づかいも出来る。そんなあなたに敵わないと思いつつも、対等に、頼るだけでなく頼られるようになりたいと思っているの」
「おまけに見た目も色男ですからね、ランディさんは」
「おいおい。年上をからかうなよ、ティオすけ」
「別にからかってるわけではありません。少なくとも、ロイドさんはそう思っているという事です」
「よせよ。俺はそんな大した人間じゃねえ」
「それは私たちに言われても困るわ」
「ロイドさんに直接言ってください。まあ、言ってもそう変わらないと思いますが」
「確かに。そんなことないよ、ランディはすごい! ……って言いそうよね」
「勘弁してくれよ。……はぁ」
ため息をついたランディは、しばらく前にロイドが飛び出していった扉を見やるとそちらへと歩き出す。恐らくロイドを探しに行くのだろうと察し、夕食の支度はしておくから、早めにロイドを連れて帰ってきてね、と声をかけたエリィは、ティオと顔を合わせると、やれやれと肩を竦めるのだった。
東通りから広場へと戻ってきたランディは、これからどうしようかと考え込んでいた。
目撃証言はたくさんあった。むしろありすぎた。そのせいで行き先も絞れず(どうやら特にこれといった目的地もなくあちこちふらふらと歩き回り、困った人がいれば手を貸しているらしい)さて、どうしたもんかと思っていたところで、声をかけてきたのはロイドの幼なじみ、この広場にあるオーバルストア《ゲンテン》で働いているウェンディだった。
「あれ? あんた確か、ランディ、だったっけ? ロイドの同僚の」
「あ、ああ。そういうあんたは、ウェンディか。ロイドの幼なじみだっつう」
「今日はひとり? 珍しいね。大概他のメンバーと一緒なのに」
「……ロイドを怒らせちまったんだよ。それであいつを探してるんだが、行き先がわからなくてな」
「へえ? ……ちょっとそこで話を聞かせてくれる? 力になれるかもしれないし」
珍しい事もあるものだ。そんな顔をしたウェンディからの願ってもない申し出に一も二もなく飛びついたランディは、屋台で飲み物を買って彼女にも渡すと、噴水前のベンチにふたり並んで腰をかける。
そして経緯を話せば、ウェンディはあいつがそんな風に怒るなんて珍しい、とポツリとこぼした。
「そうなのか?」
「うん。両親を早くに亡くした事もあるんだろうけど、ロイドは基本的に物分かりが良い、というか良すぎるんだよね」
「それはまあ、分かる気がするな」
「だからさ、何か腹が立つ事があっても、それを自分で飲み込んじゃって、表にはあまり出してくれないの」
まあ、兄貴とかセシルさん、自分やオスカーにはある程度は本音も見せてくれてたけど、と言ったウェンディは、にっと笑うと、ちょっと安心した、と話を続けた。
「安心?」
「怒りをぶつけたって事は、それだけ心を許してるってことでしょ? そういう相手が増えて、ほっとしたって事。もう分かってるだろうけど、普段は冷静なくせに時々無茶するからね、ロイドは。だからあいつの事、頼むね?」
「あ、ああ」
そして行き先についての心当たりの話になり、そういえば、とウェンディから告げられたのは、港湾区。昔から何かあると港に足を運び、海を見ながらぼーっとしたり考え事をしてたと聞いたランディは、サンキュー、と礼を言うのもそこそこに走り出し。
その背を見送ったウェンディは、ジュースを飲み干すとまだ仕事中だった、とゲンテンへと戻っていった。
オスカーと話をした後、ロイドは港へと来ていた。
広場を横切る時にちらりと覚えのある赤毛が見えたが、こちらに背を向け、話に夢中になっていたためそっと通り過ぎ。とぼとぼとため息をこぼしながら歩いてたどり着いた港湾区。夕刻、もう暗くなろうかという頃合いのためあまり人通りもなく、ミシュラム行きの定期船もまだしばらく来ないため、しゃがみ込んで水面を眺めながらまたため息をつく。
幼馴染みに鬱憤を吐き出し、頭が冷えた結果、自分がいかに子供っぽかったかを自覚し、嫌気がさしたのだ。
その姿を見つけたランディは、ほっと息を吐き、声をかけようとロイドへと近づいた。
「……こんなんじゃ、まだまだ兄貴には追いつけないよな。もっと頑張らなきゃ」
「何を頑張るって?」
「うわっ!?」
「っと、あぶねっ! ……大丈夫か? ロイド」
「あ、ああ。ありがとう、ランディ」
「いや、俺が不用意に声をかけちまったせいだし。……どうやら頭は冷えたみてえだな?」
だがロイドは全くランディに気づいておらず、いきなり声をかけられて驚き、バランスを崩してしまい。海に落ちそうになったため、慌ててランディが抱き留めた。そのおかげで落ちずに済んだロイドは顔を上げて素直に礼を言い。それから気まずげに視線をそらし、俯いてしまう。
その様子に、自分を責めてそうだな、と察したランディはロイドを離すと口を開いた。
「……その。今日はすまなかった。子供扱いしてるつもりじゃなかったんだが、お前にそう思われても仕方ねえような事をしてたな」
「いや。……俺も悪かった。弟扱いには慣れてるはずなのに、なぜか腹が立って仕方なかったんだ。だからあんな態度を取ってしまった。あれじゃ本当に子供だよ。……ごめん、ランディ」
その言葉にランディはパチパチと瞬きをする。そして思わずため息をつき、顔を上げたロイドは訝しげな顔をした。
「……な、なんだ? 何かおかしな事を言ったかな? 俺」
「おかしなことっつーか。……いや、何でもねえよ」
「? そんな風に言われたらますます気になるんだけど」
「いいから気にすんな。ほら、帰るぞ。お嬢とティオすけが待ちくたびれてる」
「そ、そうだな。すっかり遅くなっちゃったし、帰らないとな。……うう、ふたりにも子供っぽいと思われただろうな」
「まあ良いじゃねえか。ますます可愛いとか思われてそうだよな。羨ましい限りだぜ」
「むうっ」
自分がなぜ腹が立ったのか自覚していないようなロイドの言葉に、嘘だろう? と頭を抱えたくなったランディだったが、ここでわざわざ自覚させる必要もないかと頭を振って気持ちを切り替え、いつも通りに声をかけ、怪訝な顔をしていたロイドも話を逸らされて深く考える事はせず。
こうしてすっかりいつもの調子を取り戻したふたりは、支援課ビルへの道を辿り始めたのだった。
「……ところでランディ。今日の料理当番ってエリィとランディだったはずだよな?」
「ああ、ティオすけが変わってくれるっつーから任せてきた、が……」
「激しく不安だ。ちゃんと食べられる物が出来てると良いんだが」
「そいつは女神のみぞ知るってな。そっと様子を窺ってみて、ダメそうなら百貨店辺りで何か買うか」
「そ、そうだな……」