ワンライ「間接キス」で笹仁。 その「事故」は、ネオンフィッシュのライブ後に稀に起こる。
「喉、乾いた……」
ステージが終わり、汗だくの笹塚が手を伸ばしたのは、ミネラルウォーターのペットボトル。楽屋の隅の仁科と笹塚の荷物と一緒に置かれていたものだ。
「待った。それ俺の……」
仁科はすぐに声をかけるが、時すでに遅し。笹塚は既に仁科のペットボトルに口をつけ、ごくごくと喉に水を流し込んでいた。
「…………間違えた」
笹塚は一通り飲み終えてからキャップに仁科の名前が書いてあることを認識したようだが、悪びれもせず、中身が半分になったそれを元の位置に戻した。
ライブハウスで貰えるミネラルウォーターは当然種類が一緒なので、取り違えが発生しないようにそれぞれ目印をつけているが、糸が切れた人形のようになっているライブ後の笹塚は、ろくに確認せず目についたペットボトルに手を出してしまう。「事故」は毎回こうして起こるのであった。
「いつも言ってるけど、ちゃんと確認しろって」
思わずたしなめる口調になってしまった。小言の域は出ていないが、笹塚は明らかに不服そうに顔をしかめた。いくら仁科でもそんな態度を取られたら多少は頭にくる。マナー違反なのはそっちだろ、と。
「何か言いたげだな」
努めてフラットに訊いてみると、笹塚は「別に」とボソリと呟き、目線を逸らした。
「何でそんなに気にするのかと思っただけだ。いつもそれ以上のことしてるのに」
「なっ……!」
それ以上のこと。
周囲には公言していない、二人の秘めた関係による行為の数々を思い出して、仁科は途端に赤面する。それは確かに間接キスの比ではないが、だからと言って人のペットボトルを間違えて飲んでいい理由にはならない。
「馬鹿言うなって。それはそれ、これはこれ」
軽い咳払いをして、仁科は再度笹塚をたしなめた。
「そんなもんか」
「そんなもんだよ。ほら、さっさと荷物まとめな。車に運ぶから」
笹塚はそれ以上反論することもなく、のそのそと身支度を始めた。
一方の仁科はとんだ不意打ちに火照った顔を冷ますのに必死だ。
笹塚と恋人同士になるまでは、仁科は他人を赤面をさせる側だった。誰にどんな甘い言葉を並べても感情が波立つことはなかったのに、この男には何気ない一言で完全に調子を狂わされる。
いやでも、さっきのは普通にあり得ないだろ。何開き直ってんだよ。デリカシーの欠片もないし。
心の中で悪態をつくことで、何とか平静を保とうとする。
しかし、仁科は結局笹塚に甘い。
ペットボトルの取り違えが本気で嫌なら、絶対笹塚の手に届かない場所にペットボトルを置くことなんて容易のはず。それをしていないということは、仁科だって「事故」の加担者なのだ。
心拍数は未だ高い。この熱はライブ後の高揚感と混ざり合い、簡単には冷めそうになかった。