ブラレノ掌編「ブラッドリー、俺の羊を食べようとするのはやめてくれないか」
魔法舎の庭でいつものように羊に囲まれた男は困ったようにそう言った。困り眉の下では、鉱物のような赤い瞳も常の硬さを和らげるものだ。
つるりと光る赤に、ほう、と漏らした息はレノックスには届いていない。腕に庇った羊を優しく抱いて宥めるように撫でている。そうしながらレノックスは、代わりのものを仕入れてくるから少し待て、と言った。哀れな羊の代わりを差し出すから、と。
願ってもない台詞に、思わず口角がニヤリとあがってしまう。
「ああ、もらってやろうじゃねえか」
言うやいなや、レノックスの襟をぐいと力任せに引き寄せた。そうして目の前に近寄せた唇にかぶりつく。体格にしてはこぢんまりとした口を、大きく開けた口ですっかり塞いでしまう。赤い瞳が見開かれる。その変化に気をよくして、腰を引き寄せながら舌をねじ込んだ。下手に動かれる前に、と性急に膝で長い両脚を割って手近な木へとその体を押しつける。
「……っ、」
腿で股間を擦り上げるようにしてやると、湿った息が舌を辿った。レノックスの両手はまだ羊を抱いている。ねっとりと、優しく丁寧に歯列をなぞってやる。そうしてから、誘い出した舌を絡ませる。その厚みを堪能してからキツく吸ってやる。腰が震えるのが手のひらに伝わる。赤い瞳が濡れて、果物のようだ。そんなことを思ったところでようやっと、レノックスの手のひらが胸を押した。羊は地面へと逃がしたようだ。要求を素直に聞いてやって、もったいぶった仕草で唇を離してやる。
「……ブラッドリー」
「んだよ、お前が言ったんだろうが」
「食材になった覚えはないんだが……」
「そうか?」
眦に親指を滑らせ、そのまま頬を撫でる。小指を首筋に触れさせても、レノックスは動かなかった。
「俺にはご丁寧にお膳立てされた獲物にしか見えなかったがな」
こうまで許しておきながら、どの口が言いやがる。誘われたようなものだ。そういう、話の流れだった。罠とも言えぬ幼稚な罠で爪を引っかけたのはこちらだが、わざわざそれを甘んじて受けたのは、紛れもないレノックス本人だ。
欲しいものは奪うのが信条だ。譲られるものなどには興味はない。けれど、この頑健で大きな獣が赤い瞳を濡らして腹を開いてみせる、その様にそそられないほど薄情な男でもない。
「もらってやるにはうってつけの日だ。そうだろ?」
互い交わし合う視線に、色が混じるようになったのはいつからだったか。好ましさの種類を他へ振り分けることは簡単だった。数百年と生きていれば、その程度の器用さはみな持ち合わせているものだ。けれどつい、目が合った。互いに用意した席に、同じ欲の色を塗った。そこに腰掛ける口実が、今日の名の下にもたらされただけだ。
べたりと腹に手を置いて、縦に割くように指先で撫でる。布越しにもわかる筋肉のくぼみをくすぐると、ブラッドリー、と呼ぶ声がした。いつもは瞳と同じで鉱物のような声。いまはすっかり湿り気を帯びている。
「……きれいに、美味しく、食べてくれるか」
「ぬかせ」
すっかり興が乗ったが、時間も場所もいかにも最悪だ。わかってやっているのだろうと思えば質がわるい。興奮と苛立ちのまま、手付けとばかりに喉仏に噛みついてやる。ひゅ、と息を呑む音に、むくりと欲が育って失敗を悟った。けれど、もうすぐそこにちっこいのの気配がある。
小さく呪文を唱える。ぱしりと乾いた音がして湿った空気が取り払われた。レノックスから距離を取り、その喉に付けた傷に目隠しをしてやる。
「いつでもいい。お前から来い」
「……ああ」
すっかり硬さを取り戻した低い声が発した肯定に、満足して踵を返した。誕生日も悪くはない。うまい肉が向こうから転がり込んでくるのだから。御馳走を前に舌なめずりする、この高揚感は何百年生きても褪せることはないのだった。