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    sari

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    sari

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    とても人を選ぶビクトールと坊ちゃんの話

    名前のない鳥オデッサが居るのに野宿はまずかろうと。
    ビクトールがそのような事を言ったので、彼女はあらゆる意味で彼の特別なのだと思い至った。
    いつでも資金不足な解放軍がなんとか搔き集めた旅費は心もとなく。
    「リオ、お前楽器は?」
    彼の質問の意図は理解できないまでも「主なものは。ひととおり」と答えた僕に。
    苦いものを飲み下したような顔をしながら「丁度いい」と言うビクトール。
    言葉と乖離した、そんな顔をするくらいなら何も聞かなければ良いのにと。
    そんな当たり前の感想を抱いた。

    「一度歌うから、お前、覚えろ」
    「何故一度なんだ?」
    「つたないくらいがいいんだよ」
    いいこだからと宥めるように、または黙って聞けと言い聞かせるように。僕の頭をぽんと叩いたビクトールは。
    宿の主人から借りたのだというリュートに似た楽器を自ら弾きながら。
    聞いたことの無い旋律の、初めて聞く短くて悲しい、孤独な物語を歌った。

    名も無い鳥の、彷徨う様の。希望は陽炎にゆらぎ約束は遠く、それでも終わらぬ旅路を行く。

    さみしさとせつなさが、雪のようにはらはらと。
    静かに積もりすべてを白く染めあげる、そんな印象を抱く歌を。

    「ビクトール」
    最後の一音の、余韻の中で名を呼んだ。終わりまで待つことなんてできないで。
    「どうした」
    どうしたと聞かれて、問いを持たない事をそこで初めて自覚した。
    呼びかけたかった。それだけなのだ。
    「ビクトール」
    だから、再びその名前を音にする。それしか知らない子供のように。
    「俺くらいの年代の、旅人には知られた歌だ」
    彼は僕の心を置き去りに、再びポロリと弦を爪弾く。
    ビクトール。呼ばれたその名をそうして置いていってしまうのならば。
    「貴方の声が合う歌なのだと思う」
    酒に焼かれた、
    時々手に入る煙草に燻された、
    戦で上げる声に潰された、
    そんな重くて深みのある声が。
    「あなたとか呼ぶなよ。むず痒い」
    「ではなんと?」
    「お前、でいいんだ。名前じゃない時なんてな」
    「お前のその、重みが必要な歌だビクトール」
    「さっそく両方か」
    案外よくばりな奴だな坊ちゃんは。そう肩を震わせながら自分の顎を撫でる。
    何かを考えている時の、その癖を。
    過去指摘した者は居たのだろうか。自覚はあるのだろうか。

    カイ師匠と旅をした大森林の。
    人を受け入れない森の奥、てっぺんが見えない程巨大で年老いた木に空いた、大きな洞。そのような男。
    全てを鷹揚に受け入れるような。全てを透過、させるだけのような。
    時々こぼれる、この国のものではない抑揚。
    それなのに赤月の、国を解放するのだと息巻く集団にこうして所属していて、逃げ出した貴族の子供を拾ったりしている。

    ねえテッド。
    こんな自由さを手に入れられたなら。
    僕は本当の意味で君を救えるのだろうか。
    救えたのだろうか。
    何度も問うた答えのないこの問題は。他のどの不完全性定理よりも僕を蝕む。

    「あと重みって言うなよ。重厚な声とかそこはちゃんと言ってくれ」
    「改善しよう」
    「お前の言葉遣いの方がよほど重い」
    「ああ、それは。自覚しているよビクトール」
    「してねーだろ…」
    呆れたように断定されたが。そんな事よりもビクトールはため息ではなく鼻から思い切り息を吐くのかと、僕はこの男の観察にばかり興味を惹かれている。
    「じゃなくてだな。これから人前で歌って小銭を稼ぐ。
    その為には俺みたいなさびれた大人じゃなくてだな。
    坊ちゃんみたいな一見純粋無垢に見えるヤツが場末で歌う、そんな状況が必要なんだよ」
    わかるか?と片眉を上げるビクトールに。
    もののあわれを乞うやり方を、した事はなかったが大衆の。
    その心の動きはわかるような気がした。

    そうか僕は。
    人の情に訴えて生きる。
    そんな状況で命を永らえる立場に今はあるのだと。唐突に理解した。

    「僕などの声で…」
    「だから精一杯無邪気を装ってくれ。この状況を、理解しきれちゃいないが、後ろの男に歌わされている。
    そんな舞台だ」
    さしずめ操り人形のように。
    「よく、わかった」
    ビクトールはこうしていつも。その後も長い間ずっと。
    現実で僕を殴り倒すのだった。

    声変わりも済んでいない、情緒も解っていないような幼さを前面に。
    頭から薄い布を被せられた僕はビクトールの奏でるリュートもどきにあわせて声を紡いだ。
    皆から見える口元だけは、歌に似つかわしくない、笑んでいるような形を保ちながら。
    無骨な指が、予想を裏切る滑らかさで弦の上を滑り。通常この歌とともに聞かれるよりも高い音程の歌にゆるりと添う。
    生きるのに精一杯であるはずの、この街の人達はそんな僕らに足を止め。
    ささやかに、でも間違いなく少しずつ、ポッチを投げてよこしてくれた。
    「この歌は。僕の今の声では似つかわしくないのに」
    「お前がこの歌と友となる頃にはリオ。
    酒のつまみの、良い思い出話になっているだろうさ」
    ポッチは無いからと、置いていかれたわずかな煙草と飲みかけの酒。
    それを抱きながらそうビクトールは語った。
    テッドが僕に与えなかった類の嘘のつき方を。
    こうして僕は手に入れていく。

    煙草はおろか酒さえも、ビクトールは僕に与えようとはしなかった。
    「お前さんが飲んでいいのは水かミルクだ」
    だから僕には。
    あわれと嘘だけがしんしんと降り積もりそうして残る。

    「おわかれだ、オデッザ」
    肩を落とし。自分が死んでしまいそうに聞こえる声を震わせ、ビクトールは初めて涙を見せた。
    どうしてそんなことが言えるんだと、つい先ほど僕をなじったその口は今はわななき。
    ああこれは。頑是ない子供の泣き方だ。
    僕など使わずともこの男は。誰からだろうと情を分けられる風情を見せることが出来るのだと、そんな圧倒的な絶望の中。
    僕はそのことを思い知る。

    スカーレティシア城攻略後。
    花将軍が集めた上等なワインは本拠地にも持ち込まれ。売りさばき資金と換えるもの以外は兵達に存分に配られた。
    「お前は傭兵をわかってるなあリーダー!」
    もう何本瓶を空にしたのかわからない赤ら顔のビクトールが。
    手放しで僕を褒めそやしたのは結局その1夜限りの出来事で。
    それなのに僕に許された水分は、ミルクとそれに僕を拘束する太い腕を伝う汗。
    あとは大声でもはや声にならない声をあげ、凶悪にしか聞こえない笑い声を立てる男たちの飛ばす唾。
    狂喜の宴から排除されないで、輪の真ん中に陣取っていられるのは逞しい腕のビクトールのお陰で。
    僕も従者を亡くしてから専ら使われる事の無かった頬が、久しぶりの出番に疲れるくらいには笑えていたのだと思う。
    そうして存分に男臭さを味わうことが出来たのだが味わいたいのはそれだけではない。
    ずっと彼の左腕に抱えられながら、隙を見てワインに手を伸ばす僕に最後まで1滴の酒も与えようとはしなかった。
    ビクトールは絶望的に僕をわかっていない。
    わかっていないからあのような言い方が出来てしまえたのだ。

    「リオ様」
    「離れることを、おゆるしください」
    ビクトール。お前は。積年抱いた望みを叶えてしまった今。
    こんなにも効果的に僕を突き放すことが出来るのか。
    むず痒いと言ったその口で、重いと断言した言葉を使うビクトールを。
    止める術など持たなかった。

    あの時のビクトールすら止められる程の手練手管を。僕が手にしていたのなら。
    ねえテッド。僕はあの谷で君の命を永らえさせる事すらできたのだろうか。
    もはや或いは、など考える余地もない問題を。
    もう何年も胸に抱いて呼吸をしている。

    全てを見渡せる丘の上の崖の先。
    そんな場所に墓を建てた、どこかの誰かにワインを送りたい。もちろんダースで。
    「やあビクトール。久しぶり」
    グレッグミンスターで一度死んだと思った男は、その後彼の故郷で再会を果たし。そうしてまた、こうして死んだ。

    「お前がこの先、何千年何万年生きようとなあリオ。
    いつまでもこの俺の歳を抜く事なんて出来やしないんだからよ」

    戦争が終わり再会したその後も。いつまでも水かミルク、それに汗と片腕しか僕には分けなかった理由が、そんな意味も根拠もない私情でしかなくて。
    森の大木の洞の底を見る事が叶わない様に、結局僕は最期までビクトールを知る事が出来なかった。
    ここまで背負ってきた荷を解き、そんな事を思いながら僕は墓へそれらを並べる。

    「煙はあんたの肺にまで入れるんじゃないよ。口に含んで、思い切り吹きかけてやんな」
    キンバリーはいつまでたっても情に厚い。
    煙草の吸い方を教わりに行って、逆に根掘り葉掘り聞かれてしまった。
    風強いこの場所では、火を付けた途端にどんどん燃えていってしまうので、僕は言われた通りすうと口に吸いこんで、長く細く、白い墓標へ吐いてやる。
    一呼吸分だけ。
    白い煙はすぐ飛散して、これでは少しも味わえないだろうと思いながら。
    歌しかまともに教えなかったビクトールが悪いのだと思う事にする。

    ワインの開け方は、サンチェスに習っていたので問題無かった。
    赤いワインを掛けられた白い石が、少々猟奇的になってしまったけれどきっと雨が浚ってくれる。
    僕は既にその味を知っていたのにビクトール。
    ミルクをいくら飲んでももう僕は。背を伸ばしたり出来やしないのだ。それは本当に、残念だ。
    お前の思惑通り、僕はいつまでたっても無垢な子供の幻想を纏うことに長けている。

    あの日借りたリュートもどきは、同じものを見つけられなかったので持ってこなかった。
    歌詞まで全部きちんと覚えているからそれで勘弁して欲しい。
    あの時と変わらない、低くなりきれない声で歌う。子守唄にはさみしい懐かしい歌。
    歌の中の幻のぬくもりはビクトールお前。
    故郷の人に求めるのか?それとも異国の赤い、先頭に立つ眩しい女か?
    それだけは聞いておけばよかったと、知ろうとしたら求められた遠い答えを仰ぎ思う。

    「ビクトール。僕はこの歌の、友にはなれない。永遠に」

    同じようにきっとお前とも。
    それが、どうしても、とてつもなく淋しい。

    でも確かにお前が救った僕がいたから。お前が一度だって与えようとしなかった全部をこうして持ってきた。
    酒と。煙草と。今頃には酒のつまみになるはずだった歌。
    それから最後に、おやすみのくちずけを。
    「…ひたいがどこか、わからないぞビクトール」
    まあどこでも構うまいと、白くて冷たい物言わぬ石へと。惜別の体温を送り笑う。

    おやすみビクトール。
    お前と同じ低音を手に入れて。僕はあのうたをうたいたかった。
    お前と酌み交わす。酒のつまみに。
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