「しにたがり」 あいつが常に陣頭に立つのは、部下に対して模範を示すため。特別な能力者として責務を果たすため。もしくは、ただの“良い格好しい”なんだと思っていた。
だが多少関係が深まると認識が変わった。違う、こいつは危険に身を晒したいのだ。傷を負って血を流して、そんなやり方でしか生を実感できず背後に控える死神を誘惑し続ける。
それでいて他者にはそれを決して赦すことはない。
「警部補、こんなことは散々言われてると思いますが。そんな軽装で最前線に立つのは止めてください」
「見えてねぇだけで超攻殻アンダー着込んでんだよ」
「頭は? まさか超攻殻ウィッグとか言いませんよね」
「おお、そいつは考えたこともなかったな。技術部に提案してみるか」
「警部補、真面目に言ってるんです。正直あなたの安全も考慮しつつ戦わなくてはならないのは迷惑なんですよ」
「頼んでねぇ。ほっときゃいいだろ」
「そんなわけにはいかないでしょう」
よく言う、この死にたがりが。
と、出かかった台詞を飲みこむ。俺とて危険を承知で立ってるんだ。てめぇには、てめぇにだけはとやかく言われる筋合いはない。
そうだ、こいつはこんな自己矛盾にあえて目を背けて今日もバケモノと対峙した。結果、怪我ひとつ負わなかったことを自負しながら一方で空虚な思いに駆られて俺に八つ当たりをしかけてきやがる。
ああ、始末に負えない。
気付けば、俺はスターフェイズの胸ぐらを掴んでいた。
「おまえ、なんでそんなに俺に突っかかる」
「言い掛かりはやめてください」
「いいや。目障りなんだろう?」
同じく最前線に立ちながら、死に怯え生きようともがく俺のことが本当は羨ましいんだろう。
「素直になれよ」
刹那スターフェイズの瞳が見たことのない色を湛えたかと思うと脇腹に衝撃を覚えて息が詰まった。
超攻殻アンダーといっても貫通しないというだけで衝撃は受ける。もちろん軽減はされるから実際ダメージは然程ではない。が、いきなり殴られたという精神的な衝撃が大きかった。
それはたちまち怒りに変換され、俺は衝動のままスターフェイズに殴りかかった。あとはもうガキのケンカだ。お互い反撃などお構いなしの殴り合い。バケモノ相手に無傷だったその顔に拳が入ったときは痛快だった。
ライブラといえど相手は飽くまで一般人、怪我をさせたのだからお咎めなしというわけにはいかなかった。先に殴られたことで公務執行妨害扱いにはなったが始末書は必要だった。
「なんて書いたの? ムカついたから?」
ようやく黄色くなった顔面の痣を指先で強く押されながらマーカスに小言を言われた。
署内でも生暖かい同情を寄せられ居心地の悪い思いをしていたその最中、思いもよらぬ出来事があった。たまたま立ち寄ったコンビニで偶然ライブラの女スナイパーと出会したのだ。
ビールの棚前で屈んで選んでいると上から伸びてきた腕が缶を片手で2本ずつ次々取っていった。その豪快さに驚いて顔を上げれば長身の女が俺を見下ろしているのだった。
サングラス向こうの目と一瞬視線がかち合う。が、知らぬふりで顔を戻した。相手も当然無視をすると思ったのだが予想外に頭上から声が降ってきた。
「この前はありがとう」
「あ?」
皮肉だと思った。なるほど、よくもうちの副官に喧嘩を吹っ掛けてくれたものだと恨み言を吐きにわざわざ店の中まで付いてきたのか。俺は立ち上がり聞く気はないと背中を向けた。
だがしかし、続く言葉に足を止めた。
「あいつムカつくでしょ、他人の事ばっかり。自分の心配しなさいってのよ」
「――心配?」
「そうよ。私たちが何を言ってももう聞きもしないけど、あんたを殴ったってことは多少思うところはあったんでしょう」
「じゃあなにか、“殴られてくれてありがとう”ってことか」
「あんたもやり返したんだからいいじゃない」
いいはずがあるか。おかげでいらぬ始末書を出す羽目になったんだぞ。とはいえ俺も積極的に喧嘩を買いにいったのだから言い逃れもできないが。
俺は舌打ちひとつ残して今度こそ離れようとした。瞬間、手にしていたカゴの重量がふいに増して危うく落としそうになる。見ればカゴの中には先ほど彼女が引っ掴んでいた缶が2本入っているのだった。
「このジャパンのビール、美味しいから」
そうして俺に有無を言わさず、先にレジへと歩いていった。
部屋に帰り、結局そのまま買ってきた日本のビールを飲む。美味い。満足しつつもどこか悔しさを感じながら俺は先ほどの会話を思い起こした。
彼女はあの一件の状況をよく理解しているようだった。当時現場に姿はなかったが例の如くどこからかスコープ越しに眺めていたのだろう。俺たちのやり取りを誰よりもはっきりと、もしかしたら唇も読んで会話も把握した。
心配、彼女はそう言った。スターフェイズとはおそらく長い付き合いだ、今までにも似たようなことがあったに違いない。我が身を顧みないあいつの戦い方が仲間を守るためだとしても、後方から支援する彼女にすればその無鉄砲さは特に目に余るのだろう。
俺に食って掛かったのも「心配」してのことだったとすれば。
(それなら言い方ってのがあるだろうが)
こちらにしても命懸けの職務を「迷惑」などと批難されて面白いはずがない。そうだやっぱり非はあいつの方にある。俺は思い返し、むしゃくしゃした気持ちを残りのビールで飲み下してふたつ目の缶を手に取った。
だが、俺はスターフェイズのことを誤解していただろうか。自ら死を招くような真似は自己陶酔か自己憐憫かと思っていたが、自己犠牲ということなのか。
これまでずっとあんなバケモノと対峙してきたあいつは俺の比ではないほど多くの死を見てきただろう。目の前で見せつけられる死に恐怖しないわけはない。それを回避するには力をつけて命を守るか、もしくは真っ先に自分が死ぬか、だ。
そんな心情を慮ってやる義理はないが俺の発言が神経を逆撫でしたのは確かなのだろう。あのときあいつが見せた眼差しの意味を少し理解した気がする。
ビールは何故か苦味が増して喉から腹へと下り落ちる。思えば俺はあいつのことを何も知らない。知りたい。そんなことを初めて思った。
ライブラから情報提供の連絡がきた。あいつから届いたメッセージはいつもと変わらぬ無駄のない文面であったが、俺にはその簡素さが急によそよそしく感じられた。
先日の件からまだ一度も顔を合わせていない。まだ腹を立てているだろうか。コンビニで余計な話を聞かされてから気に掛かっているのは否めなかった。
指定の場所に指定の時間より煙草を一本吸う分だけ早く到着した。ニコチンの鎮静作用に頼るでもないが会う前に一呼吸置きたかったのだ。しかし火を付けて程なくスターフェイズはやって来たのだった。
「お待たせしましたか」
「いいや、待ちたかったがな」
そんな俺の返答にスターフェイズは訝しげに眉を上げてみせた。それもそうだ。待たせて非難されるのならともかく、待たせなかったことを咎められたのだから。俺自身も素直に出てしまった台詞に戸惑って苦笑いで誤魔化した。
「気にすんな。吸ったままでいいなら始めてくれ」
「はい、ですがその前に先日のお詫びを。あのときは本当にすみませんでした」
淀みなく出てきた謝罪。おそらく頭の中で何度もシミュレーションしてきたのだろう。抑揚のない物言いに誠意がないとは言わないが“言わされている”という印象は拭えなかった。
「なるほど、今回のネタは“手土産”ってわけか」
そう、直近でHLPDから特定の情報を求めてはいない。これはライブラからの異例な申し出なのだ。いつもは出し惜しみをして出し抜くことすらしてみせるのいうのに、こんな気前の良さの裏には理由があるというものだ。
「ボスに絞られたかよ」
「――そんなところです」
スターフェイズはさすがに決まりの悪い表情で顔を逸した。三十路にもなってやらかした取っ組み合いの喧嘩を、ボスとはいえ年下から諌められたのだ。精神的ダメージの程は同い年の弟から責められるのとは訳が違う。
「そういうことなら遠慮なく貰っとこうか」
俺はようやく短くなった煙草を消してスターフェイズの持つ封筒に手を伸ばした。
(続くよ)