動きだす時間 怪我――とはいっても千鶴は鬼であることから傷口は全て塞がっている。だから後は長いこと眠りについてしまったことで引き起こされる弊害、身体の衰えだけだった。漸く体力が戻って来、料理を作れるまでには体力が回復した頃、千鶴は目が覚めて初めて共に過ごす八郎に初めて料理を作った時のことだった。
「勘を取り戻しながらなのでお口に合うかはわかりませんが…ど、どうぞ」
緊張した面持ちの千鶴に八郎は笑顔で応える。
「千鶴ちゃんが作ったものが口に合わないなんてことはありませんよ。君を僕の屋敷で預かっていた時もすごく美味しかったですし。…ふふ、楽しみだなあ。」
そう言って八郎は目をきらきらとまるで宝物でも見るような目で言うものだから千鶴は恐縮して顔を赤くさせてしまう。
「では、いただきます」
ぱちん、と八郎は手を合わせるとぱくりと千鶴が作り立てほやほやの献立に箸を伸ばした。そして―――
「!?は、八郎さん…っ!?どうして、泣いて……っ、な、何か苦手なものでもありましたかっ…!?」
慌てる千鶴を他所にふるふると八郎は首を横に振った。
「ちがう、ちがうんです…ちづるちゃん……」
ぽたり、ぽたりと八郎の瞳から流れる涙が床へと落ちていく。
「……」
「ただ、その…懐かしくて」
「懐かしい?」
「あの戦いを経て、そして君が眠りについてこの国は平和へと向かって行っているのに、ものすごい速さで昔では考えられなかったものがこの国に流れ込んできていて、街並みも人も、たくさん変わっていった。それなのに君は死んだように眠っていて、僕の時間はずっとあの日から止まっていた。でも、君は目を覚まして、僕の隣にいて、…こうしてあの日僕が食べていたような君が作った料理を僕は今、食べられている。それが、夢じゃないんだと思えて、僕と君の時間が動きだしたんだと思えて…懐かしくて、嬉しくて、僕はたまらないんです。」
そう言って八郎はぽたぽたと涙を零し落としていく。そんな八郎の涙をそっと千鶴は指で拭い、そっと頬を撫でる。
「……千鶴、ちゃん?」
「私は、ここにいます。ずっと寂しい想いをさせて、すいませんでした…。でも私はもう目覚めて八郎さんの傍にいます。怖いことも寂しいことも何もありません。もし、怖くて寂しいと思うのなら…私を呼んでください。私がそんな気持ちを吹っ飛ばして見せますから」
「千鶴ちゃん……」
その言葉にぱちぱちと八郎は瞬きを繰り返すと嬉しそうに微笑みを浮かべる。
「じゃあ、今からしてもらおうかな」
「今から、っていうと…」
「怖くて寂しいから君に励ましてほしいな?」
そう言ってそっと瞼を閉じる八郎。八郎が求めることを理解して、冷めてしまいそうになる朝食の事も考えてゆっくりと顔を近づける。八郎はそっと屈み、その頬に千鶴はそっと唇を押し当てる。八郎は驚いたように瞬きをすると甘えるように笑う。
「残念だな、唇にしてくれるんじゃないかと期待したのに」
「は、八郎さん!」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと揶揄いすぎたかな?」
「~~~っ、耳、貸してください」
「?はい」
その耳にそっと千鶴は囁く。
『朝食食べ終わったら唇でしてもいいです』――と。
顔を真っ赤にさせぱくぱくと口を開閉させたのち、箸を進めて八郎は食べていく。
「千鶴ちゃん」
「はい」
「美味しいです、すごく!」
「ふふ、よかったです。あまり急いで食べないで、喉に詰まらせてしまいますから」
ごくんと飲み込んだあと、はい。とまるで子供のように八郎が笑うからたまらなくなって千鶴は笑いだし、そして八郎と向かい合いながら自分も箸を進めるのだった。
-了-