Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    名実(メイジツ)

    @meijitsuED

    推しカプの小説置き場

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 17

    赤柳。赤也に恋した柳の話。

    恋の落とし穴 就寝時だが枕に頭を置いた柳は眠れずにいた。先ほどから思考は穴に嵌ったかのように1人の人物だけを思い描いている。
     
     赤也のことだ。
     
     今日は部活後に帰る時間が一緒になり2人で帰路についた。いつも通りの会話をしながら普通に帰っているつもりだったが、なぜか柳の目には今日の赤也がキラキラと輝いて見えたのだ。
     なぜこんなに気になるのだろう、と不思議に思いつつも去り際「お疲れさまっした! 柳先輩また明日」と笑顔で手を振った赤也を目にした瞬間、心がヒュッと落ちた感覚がした。
     嬉しいような喜ばしいような一言ではうまく言い表せない未知の感覚が湧く。戸惑いつつも帰宅したが、ふわふわとした気持ちは寝る間際の今となっても柳から離れていかない。
     柳はこの気持ちは何だろうと考える。そして1つの仮説が浮かび上がっていた。

     恋ではないか?

     しかし柳はその仮説を何度も立ち上げては打ち消した。相手は赤也である。それはない、と自分に否定する。
     赤也のことは非常に将来性のある選手で手はかかるが、かわいい後輩だと柳は思っている。それ以上の感情はないはずだ。
     だが赤也のことを考えると嬉しいような楽しいような胸が弾むような気持ちになる。普段からありとあらゆる書物を読む柳はこの気持ちに思い当たる言葉はやはり1つしかない、と思った。

     恋ではないか?

     いやいや落ち着け。赤也だぞ。そんなことあるわけが……。何度も己の内で否定した言葉をなおも柳は反芻する。
     何か勘違いしているのかもしれない。今日は普段通りのトレーニングだったが思ったより疲労がたまっていて赤也が特別に見えただけかもしれない。一晩寝たらリセットされるだろう。
     柳はそう無理やりに結論づけ、これ以上は何も考えまいと寝ることに集中した。

     翌朝、柳は少し早く家を出た。朝練に遅刻しがちな赤也を迎えに行くためである。
    「ふぁ~、柳先輩、おはよーございます……」
    「おはよう。今朝も随分と眠そうだな」
     あくびをしながら出てきた赤也を見ても昨日のような感情が出てこないことに柳は安堵しながら、赤也の服装をチェックした。ネクタイは緩いものの締められている。が、シャツのボタンは1個ずつ掛け違えていた。
    「赤也、ボタンを掛け間違えているぞ」
    「あとで直しておきます……」
     教えると赤也は眠そうな声で答え、目元をぼんやりさせたまま柳の隣を歩いた。
     本人の言葉を信じ柳もそのまま歩いていたが、赤也はしきりにあくびをするばかりでボタンの掛け違えを直そうとはしない。柳は赤也がこのままの格好で部室に入るんじゃないかと少々気がかりだった。
     朝練があるので風紀委員の真田が服装頭髪チェックで校門の前に立っていることはないはずだが、ジャージに着替える前に部室周辺で会う確率は高いだろう。そしてだらしない赤也の姿を見た真田が「たるんどる!」と赤也を叱る確率は100%だ。
    「赤也、そのままの格好で弦一郎に会えば怒られるぞ。早く直せ」
    「ふぁ~い」
     気の抜けたような返事をし、赤也がずれたシャツのボタンに手をかける。眠そうな半目で、ボタンを掛けなおす手元はおぼつかない。柳が注意深く赤也を見ると、今度はボタンを2個ずつ掛け違えていた。どうしてそうなる。
    「赤也、またボタンを掛け違えているぞ」
    「えっ? あれ?」
     柳に指摘されると赤也は自分でもなぜこうなっているのかわからないと言いたげな不可解そうな反応をした。結んでいたネクタイもいつの間にかさらに緩んでいる。
     柳は息を吐いて、周りに人通りがないことを確認し、立ち止まった。
    「ほら、直してやるからこっちを向け。その間にちゃんと目を覚ませ」
    「え。あ、ハイ」
     向かい合い、柳は赤也のシャツに手をかけ、ボタンを丁寧に外し留めていった。ついでに緩まっていたネクタイもきちんと締めなおす。これでは先輩後輩というより幼稚園児の世話をしている母親のようだな、と思いながら。
    「せめて服装くらいはちゃんと整えてから出てこい」
    「はい…………」
     赤也は柳に言われた通りぱっちりと目を開けおそらくちゃんと目を覚ましたようだが、どこかぽかんとしていた。何事もなかったかのように柳が歩き出すと赤也も少し遅れてから隣を歩き始めた。赤也はちゃんと起きたはずだが何もしゃべらなかった。
     赤也が何も言わないので柳はやりすぎただろうか、と不安になった。そのまま2人は特に何も話をしないまま部室に到着した。

    「柳先輩! ちょうどいいところに」
     昼休みに柳が廊下を歩いていたら、上機嫌そうな赤也が駆け寄ってきた。
    「どうした?」
    「指貸してください」
    「どういうことだ」
     先の読めない頼みに柳が尋ねると、「これっす!」と赤也が手に持っていたスマホを掲げた。ディスプレイにはソーシャルゲームの画面が映っている。見覚えのあるそのゲームは丸井や他の部員もやっていることを柳は思い出した。
    「石貯まったんで10連引こう思ってるんすけど、俺最近ガチャ運悪くて……。なんか柳先輩なら引きがよさそうだなーって。ここ押すだけでいいんで、俺の代わりに回してくれません?」
    「……かまわないが、校内でスマホゲームをやっていることが教師に見つかれば没収されるぞ」
    「まあまあそうなんすけど、一瞬だけなんで! お願いします!」
     必死に頼み込んでくる赤也に柳は呆れつつも、赤也に言われた通りに画面をタップした。
    「引きが悪くても文句は受け付けないからな」
    「大丈夫ですって。お!」
     結果は上々だったようで、赤也は「すっげええっ」と興奮していた。
    「神引きっすよこれ! さすが柳先輩」
     よっぽど嬉しかったのか「イエイっ」とハイタッチを求めてきたので、柳は苦笑しつつ手を合わせた。ゲームをプレイしていない柳に赤也の感動はよくわからないが、テンション高くはしゃいでいる姿は見ていて微笑ましかった。ふと昨日感じた言葉にできないふわふわとした心地がよみがえる。
    「丸井先輩に自慢しよーっと。柳先輩ホンットにありがとうございました」
    「礼を言われるほどのことでもない。それより、早くしまった方がいいぞ。弦一郎が来る」
    「げっ!?」
     柳が忠告すると赤也は急いでスマホをポケットにしまい、なぜか柳の後ろに隠れた。
    「……赤也、なぜ俺の後ろに隠れる」
    「いやあ、なんとなく」
    「何をしておるのだ貴様は」
     柳たちのもとへやってきた真田は、隠れている赤也を訝しそうに覗いた。
    「さ、真田副部長が迫力あるんで、つい」
    「俺が廊下から歩いてきただけでひるむとは、た」
    「『たるんどる!』とお前は言う」
    「……蓮二。俺のセリフをとるな」
    「フッすまない弦一郎。赤也とは偶然会って、少し立ち話をしていただけだ」
    「そうか」
     柳の言葉に真田は納得すると、そのまま廊下を歩いて去っていった。
     真田が立ち去ったことを確認したのか、赤也がひょっこりと柳の背から姿を出す。
    「柳先輩、ホントのホンットにありがとうございました!」
    「俺は何も礼を言われるほどのことはしていないがな」
    「けど柳先輩が教えてくんなかったら俺、副部長にスマホ没収されるとこでしたよ」
    「弦一郎ならやりかねないな」
     昼休みの終わる時間が近づいていたので、柳がそろそろ教室に戻ることを告げると赤也も時間に気づいたようだった。
    「次現代文なんすよ〜。けど昨日柳先輩に読んでもらってふりがな振っといたんで、余裕っす」
     音読を当てられるから、と昨日聞きにきた赤也に柳は読んで教えた。もう慣れたことである。
    「寝過ごさないように」
    「あはは、やるだけやってみます」
     笑顔で手を振り去っていった赤也の姿が昨日の帰り際と重なり、柳はまた心が浮遊した感覚になった。

     部活も終わり、今日は赤也だけでなく丸井やジャッカル、仁王という賑やかな面々と柳は帰りをともにした。
     柳が丸井に借りていたCDの感想を伝えていると、丸井が思い出したように話し出した。
    「そうだ柳。俺にも指貸してくれ」
    「お前もか」
     赤也からゲームの話を聞いたのだろう。丸井は「どうしても当てたいんだよ」と柳に懇願してくる。代わりに引くのはかまわないがお目当てのカードが当たるとは限らないぞ、と答えようとしたら、
    「あ! ダメっすよ丸井先輩」
     丸井との会話を聞いていたのか、柳の前を歩いていた赤也が振り返り、丸井と柳の間に体を割り込ませてきた。

    「柳先輩は俺のなんで」
     
     丸井に渡すまいとばかりに柳の手を握る。指の間を絡めてがっちりと。いわゆる恋人つなぎであった。一瞬のことに柳の思考は一時停止した。

    「まるで参謀の恋人みたいな言い方じゃな」
     後ろを歩く仁王が赤也の言葉を茶化す。
    「柳はみんなの柳だろい」
    「柳先輩に引いてもらったのは俺が最初だったんで! 柳先輩の神秘パワーを丸井先輩に渡さないっすよ」
     赤也が柳とつないだ手を見せつけるように丸井へかざすと、「ちぇっ」と丸井が諦めた。
    「そしたら俺は今度幸村くんにお願いしよーっと」
    「幸村なら当たりがよさそうだな」
    「やっぱジャッカルもそう思うだろい」
    「神の子じゃしのう」
    「幸村部長もパワーありそうっすもんね」
     そのまま赤也は丸井たちとゲームの話で盛り上がり柳はほとんど聞き役に徹していた。赤也が身振り手振り話すのでつないでいた手はとっくに解かれていた。赤也の温かい手のひらの感触が、柳の手に残っていた。

     枕に頭を置いた柳は今日も眠れずにいた。理由は赤也である。
     今日の朝、昼、そして一緒に帰った夕方、それぞれに起きた赤也との出来事が頭の中で勝手に再生される。特に帰りのあの言葉。
    『柳先輩は俺のなんで』
     正しくは『柳先輩にガチャを回してもらう権利は俺のなんで』であろう。そうはわかっていても柳の心は多少浮かれた。手までつないだのだ。赤也や丸井達からすればただのじゃれ合いにすぎないが、柳は嬉しかった。
     そう、それはノートをめくろうとしたら紙で指を切ってしまったり、伸びた前髪を切ろうとしたら予定よりも短く切ってしまうなどの凡ミスをしてしまうほどに、嬉しかったのだ。
     浮かれてぼうっとしすぎている。精神がたるんどる、と柳は友人の言葉を借りて己に喝を入れた。しかし赤也のことが頭を離れていかない。赤也の姿を思い浮かべると、心がほわほわとほぐれた気持ちになる。
     やはり恋なのかもしれない。そう思う気持ちと、いや恋と勘違いしているだけだ浮かれている場合じゃない、という気持ちが戦っている。
     これは勘違いだそうに違いない、と今日も無理やりに結論づけ、柳はもう何も考えまいと寝ることに集中した。
     翌朝も柳は赤也を迎えに行った。遅刻したら元も子もないので念には念を、である。
    「柳先輩、おはよーございます」
    「おはよう。今日は昨日よりシャキッとしているな」
     赤也の身だしなみをチェックするとネクタイは緩いが、ボタンの掛け違いはなかった。あくびもせずきちんと目も覚めている。注意すべきところは何もなさそうだ。だが、ぱっちりとした赤也の目が柳のある1点に向けられていることに気づいた。
     昨夜切りすぎてしまった前髪である。
     赤也から遠慮のない視線をじっと感じ、柳は気恥ずかしさを覚えた。
     短くなって視界は良好になったが、人にそんな凝視されると見映えが気になる。短くてもばらつきがないよう切りそろえはしたのだが。柳は手ぐしで前髪を整えるフリをして、なんとなく赤也の視線から隠した。
    「やはり、変だろうか……」
     前髪に手を当てたまま柳が自信なく尋ねると、赤也がぶんぶんと首を横に振った。
    「全然変じゃないっす! むしろかわいいっす!」
     赤也は馬鹿にするようなテンションでもなく、いたって真剣にどこか熱を込めて柳の前髪を褒めた。
    「そ、そうか……?」
     人生で初めて年下から真面目に「かわいい」と褒められ、柳は困惑のあまり疑問形で返してしまった。 
     それからは昨日と同じように学校までの道のりを赤也と歩いたが、言葉を交わしていても時折赤也の視線が前髪のあたりに注がれているのを感じ、柳は心が落ち着かなかった。
     
    「お、柳先輩はっけん!」
     昼休みに柳が廊下を歩いていると、嬉しそうな笑顔を浮かべた赤也が駆け寄ってきた。
    「今日はどうした?」
    「あのー、今日も指貸してくれませんか」
     へらへらと笑いながらも遠慮がちに頼み込んできた赤也は昨日と同じようにスマホを掲げて見せた。今日は単発のチケットガチャというものらしい。柳が言われた通りに画面をタップすると、赤也は「うおっすっげえきた!」と昨日と同じように興奮していた。どうやら柳の役目は果たせたようである。
    「やったー! 柳先輩、はい」
     赤也が手のひらを柳の前にかざしてきたので昨日と同じようにハイタッチをした。無邪気にはしゃぐ赤也の姿に柳は癒されていた。
    「あれ? この絆創膏どうしたんすか?」
     赤也が柳の人差し指に巻かれた絆創膏に気づくと、その指にちょん、と触れた。
    「昨日、紙で切ってしまったんだ」
    「あー。地味に血出て痛いやつっすよね。『いたいのいたいの飛んでけー!』なんちゃって」
    「……」
    「そんなドン引きされると、ちょっと傷つくんすけど……」
     赤也はそう言って気まずげに笑ったが、柳はドン引きなどしていなかった。傷の痛みどころか今日ここまでの疲れが一気に吹き飛ぶくらいには癒され、胸が満たされるあまり、何も言葉が出てこなかったのである。
    「やあ。2人ともこんなところに立っててどうしたんだい?」
    「幸村部長。どもっす」
    「精市、」
     幸村の声で柳は我に返った。
    「柳先輩が指怪我してたから俺が早く治るように呪文かけたんすけど、なんか俺スベっちゃって……」
     あはは、と幸村が楽しげに笑う。赤也はショックを受けたようなため息をついた。
    「穴があったら帰りたいっす……」
    「それを言うなら『穴があったら入りたい』だろう」
    「あれ? 『帰りたい』じゃなかったでしたっけ」
    「『入りたい』だ。穴を見て家に帰ってどうする」
     赤也の言い間違いを柳が素早く訂正すると、幸村が吹き出した。柳のツッコミがツボに入ったらしく、お腹を抱えて笑っていた。

     部活後、この前と同じように赤也と帰る時間が一緒になった柳は、今日の部活の話をしながら歩いていたが、朝と同じように時折赤也の視線が前髪のあたりに注がれているのを感じていた。
    「何か、言いたいことでもあるのか」
    「はい?」
     気になり柳が尋ねると、赤也は質問の意味がわかっていないような反応を見せた。
    「今朝もそうだったが、今日はお前からの視線をよく感じる」
    「そっすか? 俺そんなに柳先輩のこと見てたのか……」
     どうやら赤也は無自覚のようだった。
    「いや、なんつーか……。柳先輩って意外と、」
     赤也が言葉をつづけようとした時、着信音が鳴った。赤也のスマホからだった。すんません、と断ってから赤也が電話に出る。話を聞いている限り電話の相手は赤也の姉のようで、赤也は時々声を荒げながら不機嫌そうに通話を切ると
    「すんません柳先輩。姉ちゃんにおつかい頼まれたんでちょっと行ってきます。じゃ、お疲れさまです」
     早々に元来た道を引き返して去ってしまった。
     言いかけた言葉の続きを言わないまま。

     枕に頭を置いた柳はやはり眠れずにいた。原因は赤也である。
    『柳先輩って意外と、』
     どんなことを言うつもりだったのだろうと考えに考えたが、こればかりは赤也の思考は読めなかった。
     いいことだろうか。よくないことだろうか。一体赤也は何を言おうとしていたのだろう。柳はひたすら気になっていた。
     そしてこんなにも気になってしまうということは、やはりこれは恋ではないのか、という確証も日に日に増している。
     赤也への感情は一度整理する必要がある。が、もう夜も遅い。明日の部活に支障をきたすようなことがあってはならないことを考え、柳は自然と回転させてしまう思考を止めて、寝ることに集中した。
     
     柳はベッドの上に押し倒されていた。押し倒されているということは、押し倒してきた相手がいるということだ。そしてその相手は、赤也だった。赤也が柳の上に覆い被さっていた。
    「赤也、ダメだ。こんなこと……」
    「柳先輩、なんでっすか?」
     赤也が柳の手を掴み、まっすぐな瞳で見つめてくる。赤也の手は、熱かった。
    「だって、俺とお前はただの先輩と後輩なのに、こんな、」
     柳が断ろうとすると、赤也が柳を掴む手を強く握った。想いの強さが伝わってくるようで、柳の鼓動は甘く高鳴った。
    「でも柳先輩、俺のこと好きなんすよね?」
    「それは、そうかもしれないが、」
    「ね、俺も同じ気持ちっすから。だから柳先輩、俺と」
     赤也の顔が近づく。唇が触れそうなほどに。

    「赤也、ダメだそんなことっ……ぁ、……………………………………………………
     
     夢、か………………………………………………………………………………」

     朝日がさしチュンチュンと鳥の鳴き声が外から聞こえてくる。
     俺がいわゆるヒロイン側なのか、と今見た夢にツッコミを入れつつも、赤也に迫られるのは悪くなかった、と夢見心地のまま胸を高鳴らせ、柳はついに赤也への恋心を認めた。
     柳は今日も赤也を迎えに行った。赤也が朝練に遅刻するのを未然に防ぐためだ。決して柳が赤也に会いたいからというわけではない。決して私欲ではない。決して。
     チャイムを押すと、いつものように赤也の母親がインターホンに出た。普段であれば「いつもごめんねえ。すぐ支度させて行かせるから」と応対してもらえるはずだが、今日は違った。
    「ごめんねえ。まだ赤也を起こしてないのよ」
     赤也の母親が答える声は慌ただしい。柳は外でただじっと赤也が出てくるのを待っているよりも何か手伝った方が得策だと考え、自らが赤也を起こしに行くことを申し出た。これは後輩が朝練に遅刻しないよう手を打つ先輩としての務めである。赤也の母親は「本当にごめんねえ」と申し訳なさそうにしつつも快く柳を迎え入れてくれた。
     
     赤也の自室の扉を開けると、赤也はぐーすかと寝ていた。柳が扉を閉めてベッドに近づいても起きる気配がない。柳はいまだぐっすりと眠っている赤也の肩を揺すった。
    「赤也、起きろ。起こしに来たぞ」
    「……んん…………」
     赤也は寝返りを打っただけで目を覚さない。今度は肩を叩くことにした。
    「赤也、遅刻して怒られてもいいなら俺はこのままお前を置いていくぞ」
    「んあ……? やなぎせんぱい…………?」
     ようやく赤也が反応し、まぶたを開いた。が、すぐに閉じてしまいそうなほどに薄く、今にもまた眠りに落ちてしまいそうだった。柳は赤也が寝直さないよう、赤也の肩に手を掛けて体を起こそうとした。
    「ああ。そうだ。お前を起こしに」
     来た、と続けようとした言葉は音にならなかった。
     赤也が柳の首に腕を回し、抱きついてきたからだ。
    「っ、おい赤也」
    「柳せんぱい……」
    「あ、赤也、寝ぼけてないで」
    「いい匂い……」
     首に赤也の吐息がかかる。柳の胸はトクントクンと絶え間なく高鳴っていた。なんだこれは。状況は違うが、昨夜見ていた夢となんとなく重なって見えてしまう。しかも相手は今朝柳が想いを自覚してしまった赤也だ。すぐそばにある赤也の体温に心臓が落ち着かない。
     しかし朝の時間は限られている。今はとにかく赤也を起こさなければ、と柳は冷静になった。それが今の柳の役目なのだ。
     赤也の体を離そうとするが、赤也の腕は柳を離すまいとばかりに絡みつき、思うように離れていかない。 
    「赤也、起きたのならちゃんと」
    「柳せんぱい、」
     声がかぶり、赤也と顔が触れそうになった。唇が近づく。
     全身脈打っているかのようにドキドキしている柳は頭が真っ白になった。
     夢の中の景色と重なる。まさか、こんな。このままでは。
     寸前のところで柳は赤也を引き離した。
    「そおい!」
     初めて口から出たへんてこな掛け声で渾身の力を使い、柳は赤也をベッドに押し戻した。赤也が、ぐえっと潰れた声をあげたような気がする。
    「ぃってえ……えっ? 柳先輩?」
     ようやく赤也は完全に目を覚ましたようである。なぜ柳がここにいるのかと言わんばかりに目を大きく開けて呆然としていた。
    「外で待っているからさっさと起きて支度をしろ。5分経っても出てこなかったら先に行くからな」
     寝起きの赤也に背を向けてそう口にし、柳は赤也の自室を後にした。自分の体が耳まで熱くなっていることを自覚しながら。
     
     外に出ても柳の鼓動は落ち着いていなかった。事故とはいえ、好きな相手とキスしそうになったのだ。冷静沈着と周りから評されている柳もさすがに脈が乱れていた。
     正夢にでもなったのか、と疑うような展開だった。あの時、流されそうになった柳であったが赤也とはただの先輩後輩でこんな都合よく唇を重ねていいわけがない、と思い立っての行動だった。多少強引ではあったがああやって赤也を引き剥がすのが正解だったと自分に言い聞かせる。もしあのまま身を任せていたら……という仮想と後悔を、しないわけではないが。
     深呼吸をして鼓動を落ち着かせる。柳はこの後赤也と顔を合わせても何事もなかったかのように振る舞えるよう、頭の中でシミュレーションした。
    「いってきまーす! あっ柳先輩まだ待っててくれたんすね!」
     柳が頭の中で赤也とどんな会話をするか巡らしているうちに赤也が家を出てきた。時刻を確認すると、柳が赤也の部屋から出てきてちょうど5分が経っていた。シミュレーションに集中するあまり、時間の感覚を失っていた。
    「5分ぴったりに出てきたな」
    「まっ俺が本気出せばこれくらい余裕っすよ」
    「時間もあまりないから今日は急いで行くぞ」
     得意げな赤也をスルーして柳はさっさと歩き始めた。
    「あ、ハイ」
     赤也も慌てて柳の歩調に合わせて歩き出した。

    「そうだ、さっきのことなんすけど、」
     普段より足早に歩いていると道中、赤也から話を切り出され柳はドキリとした。
    「なんか俺、……変なこととかしてないっすよね……?」
    「変なこと、とは」
    「え? えっと〜、迷惑かけたり、とか……俺寝ぼけてあんまり覚えてないんすよね」
     ということは赤也は気づいたら柳に投げられていたのだろう。柳は用意した答えを声に出した。
    「寝ぼけてベッドから落ちそうになっていたぞ。打ちどころが悪いと致命傷にもなりかねない。今度から気をつけろ」
    「……そっすか」
     赤也は柳の言葉に納得してなさそうなぼんやりとした表情を見せたが、特にそれ以上は何も聞くことなく、黙って隣を歩いていた。柳も特に口を開くこともなく歩き続けた。2人は特に何も話をしないまま部室に到着した。
     部活での基礎練習後、柳は幸村や真田とともに自主練を行った。他のレギュラーも各自選んだメニューで練習を続けている。立海のテニス部では見慣れた光景だ。
     今日予定していたトレーニングもこなし、柳は練習を切り上げることにした。真田と幸村はまだ続けると言うので、先に部室へ戻ることにした。
     他の部員はとっくに練習を終えていたようで、制服で帰る姿が多く見受けられる。すれ違う部員と互いに挨拶を交わしながら部室まで戻り、柳が扉に手を掛けようとすると、よく知った声が耳に入ってきた。
    「……って意外と、」
     赤也の声だ。よく通る声だから、部室の窓を開けたままであれば外にいても聞こえてくる。

    「かわいいんすよね」

     赤也の一言に柳はなぜかドキッとした。その前に赤也が口にしていた言葉と合わせると、まるでこの前言われた『柳先輩って意外と、』の続きのように思えたのだ。
     実際はそんなわけないだろう。柳は願望のような都合のいい妄想を打ち消し、今度こそ扉を開けようとした。が、
    「ならいっそのこと告っちまえば?」
     意味深な丸井の言葉が聞こえ、扉を開けようとした手を再び止めてしまった。
     もしやこれは、赤也の恋愛相談なのではないか。
     憶測に過ぎないし勘違いかもしれないがそうとしか思えなくなり、柳は誰もこないことを祈りながら、室内の会話に耳をそばだてた。
    「えー。でも断られそうじゃないっすか」
    「なんだよらしくねえな。男なら当たって砕けて来い」
    「骨は拾ってやるぜよ」
     なんだ仁王もいたのか。もしや赤也の真面目な相談がこの2人に遊ばれているのでは、という気が柳の内にしないでもない。
    「……なーんか先輩たち、俺で楽しんでません?」
     俺もそう思うぞ、赤也。柳は部室の外からうなずいた。
    「そんなことねえって。ま、ウジウジ悩んでるよりは思いきって気持ちを伝えてみたほうがいいんじゃね? ってこと。じゃあな」
    「プリッ」
     突然部室の扉が開き、中から丸井と仁王が出てきた。扉のすぐ前に柳が立っているとは思わなかったのか、2人とも「うおおおおわわわわっ!?」と本気で驚いて、後ずさりしていた。
    「お、お疲れ……」
    「ああ。お疲れ様。2人とももう帰るところか」
     柳が答えると丸井は「そんなかんじ」と自身を落ち着かせるようにして返した。そして思いついたようにニヤッと笑った。
    「そういや赤也がなんか言いたいことあるらしいから、一緒に帰って聞いてやって」
    「ちょ! 丸井先輩っ!」
     奥から赤也が焦ったように丸井を呼び止める声がした。丸井は赤也に気にも留めず、「じゃあな〜」とヒラヒラ手を振り、仁王も「ピヨッ」とお決まりの鳴き声をあげて、2人は揃って帰っていった。
     丸井の残していった言葉に柳は頭がじんわりと熱帯びたような心地になったが、呆然と立ち尽くしてるわけにもいかず、部室に入って扉を閉めた。中にはすでに制服に着替えている赤也だけしかいない。
    「お、おつかれさま、です」
    「お疲れ様」
     赤也の口調はぎこちない。顔を合わせても視線をそらされる。気まずげな空気が室内を漂っていた。耐えきれず、柳は赤也に尋ねた。
    「俺に、話したいことがあるのか」
     深く考えず平常心を心掛けて声に出したつもりだったが、緊張していたのか思ったより低く小さな声になってしまい、
    「あ、えっ、いや、あの、ええっと」
     怒っていると勘違いさせたのか、赤也をうろたえさせてしまった。
    「丸井がそのようなことを言っていたから。よければ一緒に帰るか?」
     柳は反省し、今度は努めて普段通りの声音で帰りの誘いをした。ここはせめて先輩としてリードしなくては、と思っての行動だった。
    「え、いいんすか?」
    「ああ」
    「じゃあ、校門で待ってます」
     赤也は簡潔にそう告げると、そそくさと部室を出ていってしまった。

     夕日が沈みつつある帰り道を柳と赤也は2人並んで歩いていた。
     会話は時々お互いが思いついたように口に出すが、なぜかうまく続かない。赤也との間にまるでボタンを掛け違えているかのようなぎこちなさを柳は感じていた。掛け直そうとして話しかけても、会話のボタンははまらない。柳は赤也に、言いたいことがあるんじゃないのか、とこちらから話を引き出そうかとも考えたが、赤也のペースに合わせ待つことにした。
     
     なんせ赤也が言わんとしていることなどとっくに見当がついているからだ。

     丸井の言葉を思い出す。「告っちまえば」と。あれは柳が踏んではならない盛大なネタバレだったのだ。そして「赤也がなんか言いたいことあるらしいから」である。頭の回転が早い柳はもうこの後自分が赤也に何を言われてしまうのか察してしまった。
     間違いなく、これから赤也に告白される。
     赤也が先に部室を出ていった後、柳はこんなことがあるのかと着替えもしないままひとり混乱していた。
     どうする。何と答えればいい。
     もちろん柳も赤也のことが好きである。両思いだ。ならばこの告白を受け入れることが本望だろう。
     しかし柳は本当にそうしてよいのだろうか、と踏みとどまっていた。

    「柳先輩、」
     赤也が立ち止まる。雰囲気がそれまでよりも引き締まったことが柳にも肌で伝わった。
     柳も足を止め、赤也と向かい合った。日が沈みかけている。辺りには人通りもない。
    「あの、伝えたいことがあって」
     ついにこの時が来てしまった。
    「いきなりこんなこと言うのは、びっくりさせちまうと思うんすけど」
     柳の心はまだ迷っていた。両思いとはいえ、部活の後輩である。そんな相手と特別な関係を結んでしまうことへのためらいがあった。
    「あっ先に言っておくと、部活やめるとかじゃないっすよ?」
    「それはわかっている」
    「そ、そうっすか」
     話の内容をわかっているだけに、ちょっとずれた赤也の予告に柳は即答すると、赤也は気圧されたようなリアクションをした。あくまで何も知らない体を装わなければならないのに、焦れるあまり必死になっている自分を柳は反省した。
     赤也が一呼吸置いてから、柳を真っ直ぐに見つめる。
    「柳先輩のことが、好きです」
     想定していた通りの言葉だった。柳はもちろん嬉しかった。好きな相手から「好き」と言ってもらえたのだ。きっと赤也に恋愛感情を持っていなかったとしても、この告白を歓びとして心に刻んだだろう。そう思うほどに柳は赤也に惚れていた。
     だからこそ、これ以上踏み込んだ関係になってはいけない。
     赤也のテニスの可能性を柳は信じている。今の実力ではまだ柳や真田、幸村と同じ段階では決してないが、いずれ頂点に立つ男だと思っている。そんな潜在性を秘めた魅力あふれる赤也をはたして自分だけのものにして留めていいのか。柳は迷っていた。
    「……そうか」
     柳はありがとう、と感謝を述べて赤也の告白を終わらせようとした。
     柳が選んだのは、自分の気持ちを封じめることだった。
     以前丸井が戯れに「柳はみんなの柳」などと言っていたがその言い回しを借りれば柳にとって「赤也はみんなの赤也」だった。
     赤也は前だけを見て上に進むべき人物なのだ。そのことを考えると、独占してはいけないような気がした。
     赤也のことは好きだけれど。気持ちを伝えるべきではない。
     だが柳がお礼を言うより先に、赤也が口を開いた。
    「絆創膏、とれたんすね」
     赤也の目線が柳の右手に注がれている。柳はとっくに絆創膏を外した自身の右手を見た。
    「たいした傷じゃあなかったからな」
     柳はそこでハッと気づいた。赤也はそんな小さな変化まで見ていたのか、ということを。
    「柳先輩」
     赤也に呼ばれ、柳は人差し指の傷から視線を上げ、赤也と目を合わせた。
     澄んだ瞳に、心が掴まれる。それだけでどうしようもなく胸が騒いだ。

    「俺、寝坊も遅刻もするし、すぐにキレるし、頭もバカなんすけど、
     柳さんのことが大好きで……、絶対柳さんに見合う男になるから! 
     なんで……付き合ってくださいッ」

     頭を下げた赤也が右手を差し出している。

     柳は心が震えていた。赤也には本心を伝えないまま、何もなかったように先輩後輩の関係に戻ることが正しいのだと思っていた。
     けれど目の前でこんな真剣な告白をされてはそんな選択には戻れなかった。
     理性で動くよりも先に柳は赤也の右手を握った。赤也が驚いたように顔を上げる。

    「赤也。俺も、」
     
     好きだという柳の声と、マジっすかあ! と喜ぶ赤也の声が静かな通りに重なり、響き合った。
     
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭🙏💞💞❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works