最初を「夢を見た。」ではじめる夢を見た。
かなり不思議でおかしな世界だった。
夢は願望の現れというが、俺はそんな願望を持っていたのだろうか。
***
剣城が目を開けると一面、耳が割れそうなほどのたくさんの歓声に囲まれてまずはじめに驚いた。
色とりどりの紙吹雪が舞い、人々の歓喜の渦、チームメイトが、先輩が、顔も腕も足もそこらじゅう擦り傷だらけにして、それでいても嬉しい気持ちを隠しきれていない表情で天馬の許へ駆け寄っていく。
この光景はいつか見たような気がする、どこだったか思い出せない。雷門のユニフォームを着たチームメイトが駆け寄っていく様をスローモーションでぼんやりと眺めながらふと視線を天馬へ持っていくと、彼の手にはいつの間にか光り輝くトロフィーが握られていた。ホーリーロードの優勝カップ。そうだ、この場面は。ここでようやく剣城は思い出した。ホーリーロードの決勝戦、全ての決着がついたあと表彰式でチームメイトに囲まれて勝利を分かち合う状況だ、とようやく事態を飲み込んだ時、目の前で天馬がチームメイトらに胴上げされ、これ以上ないほどに嬉しそうな彼の笑顔を見て剣城もまた思わず顔が綻ぶ。本当のサッカーを取り戻して「サッカーが喜んでいるよ、ね!剣城!」と真剣な顔で迫られたあの日が懐かしい。まだこんなにも鮮明に記憶は蘇り、かつ夢の中でまたこの幸せな時間を追体験できようとは。既に夢だと認知できている剣城はこの分だと目覚めは良さそうだ、と次の日の自分を考えることに夢中になっていて、天馬が駆け寄ってきていることに気がついていなかった。
「京介!やったね!」
「(…今、なんて言った?)」
仲間たちの手から逃れてきた彼の手にはすでにトロフィーはなく、ちらりと向けた視線の先で影山が宙に高く放られていたので、胴上げ交代したのかと頭の中で納得したものの、それ以上何も考えることができずにすぐに霧散してしまう。剣城の思考が停止してしまった。話しかけたのに特に反応がない剣城の顔を心配そうに覗き込んでくる天馬ではあるが、ちょっとした違和感に思考を奪われている剣城にとって心配そうな視線に応えてやることは難しかった。
「お前、今、なんて…?」
「え?京介?どうしたの?」
「おっ!?お前、名前…?!なんで!?」
「?ずっと名前で呼んでるじゃん!も~、へんな京介!」
「(ずっと…?呼んでた…?っていつから?)」
夢の中ならば何が起こっても不思議はないのだが、名前で呼ばれ慣れていない剣城にとってみれば、名前を呼ばれるという行為そのものが衝撃的すぎて既に夢の中であることがすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。すっかり惚けてしまっている剣城の名を天馬が何度か呼んでみるが依然として反応はなく。どうしたものか、と天馬が困っていたその時、後ろから「天馬!」とひときわ大きな声がかかる。
聞き覚えのある大きな声にやっと剣城は我に帰った。そうだ、この声は円堂監督のもの。夢だ、夢なのだから何も驚くことはない、何があっても不思議じゃないんだ、と漸くここで自分を取り戻した剣城だったが、円堂の声に顔を上げた天馬の顔は先ほどの表情に負けないくらいきらきらと輝いたものになっていて、また剣城は小さな違和感を感じた。天馬はこんなに円堂監督に懐いていただろうか。いや、尊敬していることも慕っていることも十分に理解しているつもりだ。しかし今まで見てきた天馬はこんな反応をしていただろうか。ううん、とまた胸のモヤモヤに剣城が頭を悩ませたところで天馬はとんでもない爆弾を落としていった。
「父さん!」
「は?」
思わず声が出てしまった。
今、天馬は、確かに、「父さん」と言わなかったか。
誰を?今天馬が駆け寄っているのは円堂守、…とその隣にいるのはイシドシュウジ…もとい豪炎寺修也の二人の許で。剣城の記憶が正しければこの場に天馬の父親らしき人は見当たらない。
ということは。
「よくやったな、天馬」
「へへ、父さんたちもおつかれさま!」
「おう!お互い、だな!」
ばすん!と音がしそうなほど勢いよく飛び込んでいった天馬をなんてことなく受け止める円堂は流石元日本代表GKである。足腰がびくともしていない。いや違う、そうじゃない。あまりにも自然に「父さん」と呼ばれている円堂と「父さん」と呼ぶ天馬。これじゃまるで。
「あの、すみません」
「お?どうした、西園」
胴上げをしてテンションマックスであったはずの雷門のメンバーがいつのまにか、水を浴びて一気に目が覚めたような冷静な顔をしてこちらを見ている。多分俺もこんな顔をしているんだろう、と混乱している頭とは別にこの状況をどこか冷静に分析しているもうひとりの自分もいることを剣城はひしひしと感じていた。おそるおそる、といった感じで右手をあげて声を掛ける西園に剣城は拍手を送りたい気分だった。そうだ、そのまま聞いてくれ。この訳のわからない状況を打破してくれ西園!剣城は何故か自分と同じ状況かにあるであろう西園に、心の中で祈り始めていた。
「今、天馬が『父さん』って…」
「ああ、そうか言ってなかったっけ」
まるで頭になかったとでも言うように同じような顔をして顔を見合わせる円堂と天馬はちょっとだけ似ているような気がする。
「天馬は俺と豪炎寺の子供なんだよ」
円堂の言葉にはっと、この場にいる全員の一瞬時が止まったような気がした。
しかしそんなことに気付かない彼は更に続ける。
「あ、もちろん京介もな!」
「えっ」
小さく漏れた言葉は誰のものだったか。もしかしたら剣城本人のものだったのかもしれないが、そんなことはもうどうでもよかった。それ以上に衝撃的な事を言われてもう既に剣城の頭はパニック状態である。と、数拍おいて驚きによる絶叫の嵐。一斉に向けられるチームメイトからの好奇の目に剣城は今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
「つ、剣城と天馬のお父さん…聖帝だったの…?」
「は、はは……」
「自慢の父さんだよ!サッカー上手いし!料理も上手いし!」
「ホント、豪炎寺は何やらせても上手いもんな~」
「褒めても何も出ないぞ」
変な空気のこの場をものともせずに、まるで本当の家族のように和気藹々としている天馬と円堂と豪炎寺の姿を見て剣城はくらりと目眩がした。自分があの輪の中に入っている?何が起きているのかさっぱり理解できない。急かすように「剣城!」と嬉しそうに呼ぶ声が耳をくすぐり、もうどうでもいいやと状況を理解することを諦めた剣城は半ばヤケ気味に「今行くよ父さん!」と負けないぐらい大きな声で返事をし、好奇の視線を振り払うように、笑顔で待つ家族の大きな腕の中に飛び込んでいったのであった。
無論、剣城の頭から『この一連の出来事は夢である』ということは、とうに頭から吹き飛んでいた。
(2016/8/15 +2:44オーバー)