1日1杯の約束「虎杖、ん」
平日の任務帰り。晩飯まで時間あるし、報告書を仕上げちゃおうってことで押しかけた伏黒の部屋。出してもらったローテーブルの前にあぐらをかいて、丁度切れてたシャー芯を詰め替えてたら、いつも通りの平坦な声が聞こえた。
「あんがとー、ココア?」
「違う、ミロ」
「ミロ? うわー! 懐かしっ」
なんか用意してくれたんかなと思って顔を上げたら、俺用に置いてくれてるデカめのマグカップがずいっと差し出された。伏黒は上下真っ黒のスウェットで、袖を捲った肘下の白さが目立つ。ちなみにこのマグは、しばらく前に韓国通販にハマってた釘崎がくれたやつだ。3等身くらいのトラががおーってしてるゆる〜〜い柄は割とお気に入り。
てか伏黒と「ミロ」って単語の似合わなさすげぇな。いつも通りの真顔で言われるとシュールな笑いすらある。そう考えてニヤニヤしてたら、飲まねぇのか、ってちょっと不機嫌になったから慌てて受け取った。
「ミロって久しぶりに飲むと美味いよなぁ」
「おう、淹れてやるから好きなだけ飲め」
「あざーす。やば、俺明日には五条先生並みに育ってるかもしれんわ。伏黒のこと余裕で抜かしちゃお」
「アホか、俺より2cmも低いくせに」
「はーー? 2cm『しか』違いませんけど?」
マグいっぱいに入った焦げ茶からは、ココアみたいだけどちょっと違う、あの独特の匂いがする。ちょい熱かったから、ふーふーして啜るように飲めば、じんわりと優しい甘さが夕飯前の身体に染み渡る。
向かいに腰を下ろした伏黒にちょけてみれば、マグに付けてた唇の端が機嫌良さそうに上がる。……あれ? 伏黒が飲んでんの、いつも通りコーヒーだな。
「オマエはミロ飲まねぇの? 余裕じゃん、俺に背ぇ抜かされても知らねぇよ」
「俺はいいんだよ、甘いから飲めねぇし」
「え? じゃあなんで買ったの?」
「……こないだの買い出しん時、たまたま目に付いたから」
不思議に思って聞いてみたら、唇を舐めながらふいっと目を逸らされる。なんか伏黒らしくないもにょってる返事だな。気になるし深掘りしたいけど、当の本人が報告書に本格的に身を入れ始めたからなんか突っ込みづらい。シャーペンを動かしながら、こんなモンいい加減デジタル化しろよ、とか悪態をついてるのが、更に何かを誤魔化そうとしてる感満載だ。らしくねぇの。
なんとなくの違和感を覚えながら、俺もマグを置いて報告書に取り掛かることにする。つってもまだ全然集中のギアが入らないから、適当にペンを回しつつ書き出しの文言を思いつこうとして早5分。LINEの通知が入って灯ったロック画面の日付を見て、全部の合点がいった。
「あーーっ!!」
「るっせぇぞ、なんだよ急に」
真っ先に目に映るのは日付の表示。2月14日、今日はバレンタインだ。
「え、そういうこと!? なぁ、これってそういうことか! も〜〜伏黒めっちゃ可愛いんだけど!!」
思い至った瞬間、シャーペンを放り投げてマグカップを両手で持ち上げる。ほこほこと上がる湯気が揺れて、甘い匂いがより一層俺たちの間を満たした。
「……悪ぃかよ」
ほんのり顔を赤くしてむすっと言い放たれた言葉だけで、俺のテンションは更にうなぎ登りになっていく。
バレンタイン。もちろん俺はチョコの用意バッチリだし、なんならこの後渡す気でいた。釘崎とも話したけど、伏黒ってモテるくせにこういうイベント事興味無さそうだし。だから一緒にチョコ食って、イチャイチャできればそれでいいかなーって。けど、なんかしようって考えてくれてるなんて思ってもみなかった。
「え、ちなみになんだけどさ、ココアとかでもなくなんでミロなん?」
「成長飲料だから実用的だと思った」
「……ッうひ、ひゃはははは!!」
ココ最近で1番デカい声出して笑っちゃった。
この際、ミロは原材料大麦だからチョコでもなんでもねぇことはどうでもいい。美味さの前には些細なことだ。けどなんなんだよその理屈。いつも合理的で思い切り良くてド直球で来るくせに、こういう時だけ自分の中でこねくり回した結果めちゃくちゃ迷走してんの。いやーもうヤバい、抱き上げて力いっぱいハグして顔中にちゅーして、なんかハリウッドみたいな愛情表現したい気持ちになった。
「……悪かったなセンス無くて」
「いや違うんだよ、ごめんごめん、嬉しすぎてテンション上がっちった」
「嬉しがってるヤツが泣くほど笑うのか?」
「ホントにホントだって! 俺のこと考えてくれたんだろ、ありがとな伏黒」
笑いすぎて出てきた涙を手の甲で拭きつつ、機嫌が絶賛急降下中の伏黒にフォローを入れる。テーブルの向こう側に膝立ちでにじにじと寄って、ん! って腕を広げれば、あぐらをかいて上目遣いで俺を睨む伏黒の目尻が少し緩んだ。かと思いきや、かなり強引に腰が抱き寄せられて、好きな様にさせてたらそのまま自重で床へ。俺は伏黒がマットになってたけど、やった本人は苦々しげにいてぇって悪態を着いている。
「これから毎日部屋来いよ」
「んー? なんで?」
「毎日欠かさず俺の部屋でミロ飲め、そんで育て」
「ふはっ、これ以上笑かすのやめてガチで」
「やっぱ笑ってんじゃねーか」
「てててて、胸掴むなよぉ。言われなくてもエブリデイお邪魔する気満々だから、俺」
お互い割れてるかってぇ腹同士をくっつけ合って喋ったり笑ったりすると、じわじわとしたやわらかい振動が共有される。この感覚好きだな。伏黒もそう思ってくれてるといいな。ちゅーできそうな距離で上がる口角に、それが叶ってるんだと知ってなおのこと嬉しくなる。
追加で軽口を叩けば、左胸がぎちぎち掴まれて地味に痛い。何? 「育て」ってそういうこと? じゃあご期待に答えちゃおっかな。
「俺さ、伏黒の誕生日にゆずジャム作ったじゃん。今日それ入れたチョコ作ったの」
「くれんのか」
「伏黒のために作ったんだって。……今すぐ食いたい? それとも『後で』にする?」
「──んなもん、後一択だろ」
俺の腰とケツの間の際どいところを撫でる指は完全に乗り気で、ニヤッとかっこよく笑う顔こそコイツの真骨頂だ。報告書はまぁ……、これこそ後でいいっしょ。恋人の日なんだし、ドロドロに下心にまみれてこうぜ。
下唇を舐める舌が苦いから、俺のとたくさん絡め合って甘くしてやろ。そう思って、いつもより温度の高い輪郭に両手を添わせた。