ワンルームで朝食を(雷コウ) 久々に自分の部屋に他人を招いて眠ったせいだろうか、朝に弱いはずの雷我が携帯電話のアラームを待たずに目を覚ました。目覚めたときに目の前にあったのはそこんじょそこらでは男だろうと女だろうと見ないほどのドギツイ美人顔で、その美人がよく眠っていたものだから寝ぼけたままだった意識は一気に覚醒する。
この男の寝顔を見た回数が少ないわけではない。ただそれはいつも抱きつぶした後の暗い夜の数時間のことで、こんな朝日の眩しい朝に見るのは初めてのことだった。不眠症を患うこの男はいつだってこちらが目を覚ます前に目覚めては生き急ぐように仕事をこなす。
真っ白な陽の光に照らされて髪の毛と同じ色をした色素の薄い睫毛が、透けるように光を反射しながら寝息に合わせて揺れていた。いくつ年を重ねたところで抜けないあどけなさ、眠っていると余計にそれが感じられる。これでも七歳差があるのだけど。
口を開けば小言ばかりのこの男も、さすがに眠っていればこちらを苛立たせることもない。眉間に皺の一つも寄せず眠る男に触れたいという欲望を、出来ることならば長く眠らせてやりたいという理性が押し切る。伸ばしかけた手を引っ込めて、音をたてないようにベッドを抜け出した。一歩、二歩、進んでベッドを振り返る。どうやらまだよく眠っている。自分のベッドで恋人が眠っているという気恥ずかしさと、滅多に無い男の姿を見られた高揚感に駆け出したくなるような気持ちを抑えて雷我は冷蔵庫の扉を開けた。
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自分でも作りすぎたというのは自覚していたのだ。明太子を好物とする男に合わせて作り上げた和食の朝食。生まれ育った実家では毎朝白米と味噌汁を食べていたものの、自分一人の時は面倒だからと一人暮らしを始めてからはパン食が多かった。朝食が所せましと並べられた机は自分でも見慣れない。
浮かれた気分のまま作り始めた朝食。種類も多ければ量も多いそれを、珍しく朝寝坊した男が困惑したように眺めていた。
ソシャゲでも周回して男が目覚めるのを待っていればよかったのだ。それで目が覚めたら近所の店屋にでも寄って朝食を食べる、寝る前はそう予定していたはずだった。けれどどうしてか浮足立ってじっとしていられず、朝ごはんでも作るかと覗き込んだ冷蔵庫。偶然にも先日実家に寄った際に持たされた野菜やら魚やらなにやらが大量に冷凍室に保存されていて、思いつく限りにおかずを作っていたら阿呆のような量になってしまっていた。
「……さすがに、この量は食べられない」
申し訳なさそうにお客様用に出した割り箸を握りながら男が言う。わかっている、雷我自身ですらこの量を食べるのはギリギリだろう。食の細いこの男に間食できるはずもない。
「アンタ肉ねぇんだから食え」
アンタが寝てるのが嬉しくて浮かれて朝ごはん作りすぎた、だなんて口が裂けたって言えやしない。照れ隠しのように吐き出した言葉を真に受けて、というよりもこの男の性格からして出された料理を残すのは気が引けたのだろう。それ以上の文句を言わずに男は箸を進めていく。それでも徐々に限界は来るもので、そのペースは落ちていく。
吐きそうになるまで食べさせるのは本意ではない、苦しませたくて作ったわけでもない。食べなくていい、というのは生来の意地っ張りが邪魔をして口にすることはできなかった。
自分の分は全て間食してまだ少々腹には空きがある。あれもこれもとうっかりしすぎた産物である、冷凍のからあげを一つ、男の皿からつまんで口に入れた。
「あ!?」
憤るような男の声。恨みがましい視線が雷我に突き刺さる。
「人の皿から奪うのは少し行儀が悪いのではないか?」
「あ?アンタが食いきれなさそうだったから食ってやっただけだろ。こんなに食えない、っつったのアンタじゃねぇか」
助け舟を出してやったというのにどうしてか男は本気で怒っていた。おもちゃをとられて拗ねているような駄々をこねているようなそんな怒り方は珍しい。
「食べられなくても後で食べる!」
これ以上取られまいと引き寄せられた皿。男は箸を持ったままなおも言葉を続ける。勢いよく飛びだした言葉はどうしてか小さくフェードアウトしていく。
「せっかく君が作ってくれたものを残したくは、ない……」
小さくなる言葉と反比例するように、耳元からじわじわと赤くなっていく男の顔。
「あの、その……君が手料理をふるまってくれたのは初めてだろう……」
だから全部食べたい、と視線をそらすように告げられた言葉の最後はもはや聞き取れないほどに小さかった。
つられたようにじわじわと上がっていく雷我の体温。きちんと咀嚼したはずのからあげが喉の奥につかえたような息苦しさに、誰もいなければ勢いよくベッドにダイブして叫びながら転げまわっていたかもしれない。
「……あー、んじゃ、ラップ、取ってくるわ」
いい年した男二人、お互いに顔を真っ赤にして何をしているのか。逃げ出すように雷我は台所へと向かった。