心許りの疵ばかり(雷コウ) 昼すぎより雷、土砂降りの雨となるでしょう。
流れる朝のニュースに目の前で明太子を頬張る男が窓の外の快晴を見上げながら訝し気に眉を寄せた。秋の空は変わりやすい。
この男と出会ってから十年ほど、この男を抱くようになってから五年とちょっと、それからこうやって自宅に泊めて一緒に朝ご飯を食べるような仲になってから三年ほど。
過去の自分がこの光景を見れば驚くのだろうが、今の自分だっていまだにこの光景を見慣れず新鮮に驚いてばかりだ。パンとコーヒーで食事を済ませそうな風貌のこの男が好む朝食は白米と明太子。この男がうちに泊まる日には必ず冷蔵庫に明太子を入れている。この男の為に買い置いているなどとは思われたくは無いからこの男が来る前日の夜には必ず封を開けて一つ食べる。明太子を食べれば翌日はこの男に会えるのだ、と訳の分からないことを思うようになってしまったことなど誰にも知られたくはない。
朝のニュースが切り替わる。流れたのは今夜放送予定のバラエティ番組。寝起きドッキリなどと今どき珍しい古典企画にくすくすと男が声を漏らす。
「そう言えば昔、君は俺に寝起きドッキリを仕掛けたことがあったな」
一瞬何の話か分からずに箸を止める。手繰り寄せた記憶、奥の奥から引っ張り出してようやく思い出す。いったい何年も前のことを言っているのだろうか。喉につかえた白米を無理矢理に麦茶で胃の方へと流し落とした。
確かにそんなことはあった。まだ高校生の頃、この男の寝ている部屋に寝起きドッキリを仕掛けて見事に躱された、それだけの話だ。子ども扱いも混じるその敗北に歯ぎしりをした感情もついでに蘇った。
「今なら仕掛け放題だが、もうあれはやらないのか?」
昨晩も同じベッドで寝ていた男は心底愉快そうに笑う。お味噌汁のアサリがじゃりと音を立てた。
あの頃は知らなかったのだ、この男がこんなにも眠れていないということを。
今日も今日とて瞳の下に浮かぶ隈。抱きしめて寝たはずの昔から成長のない小さな体は、いつの間にか腕から抜け出していた。今朝もいつから目を覚ましていたのか一人ソファーで珈琲を飲んでのんきにおはようと告げる。
「やるわけねぇだろ、子供じゃねぇし」
そうか、と瞳を閉じたこの男が何を考えているかなんて今も昔もよくわからない。
カミサマ面も、大人ぶった面も被っていない眠ったときの男の顔は、本当は年下だったのではないかと思うくらいに幼い。自分の知らない抱え込んだすべての荷物を唯一下ろしたその僅かな睡眠時間を邪魔することなんてもうできない。
知ってしまったから、もう、昔には戻れない。
「今日も美味しかった、ありがとう」
自分で料理ができないくせに舌だけが肥えている男がパチンと手を合わせて作った朝食の礼を言う。
「のんびりしている暇はない、会議に遅れる」
急かす声にはいはいと適当に返事をして最後のお味噌汁を飲み干す。
いつかそう、寝起きドッキリをしてやってもいいくらいにこの男がよく眠れるようになればいい。そんなことを願っている自分の事をきっと過去の自分は呆れたように笑うだろうと、そんなことを思った。