コンッ、と音を立ててグラスをコースターに戻す。
氷がからんと鳴って薄暗い店の間接照明を弾くのをすこしぽわんとしながら見つめた。
カウンターに、外して置いておいた時計は、もうすぐ頂点を指す。
シュミットは、次に飲む酒を何にしようか考えながら頬杖をついた。
今日は、仕事で些細なミスをした。
些細すぎてどうでもいいと言われそうで、愚痴も言えない程度のミスだったのだが、完璧主義なシュミットにはそれが酷く面白くなくて、ストレスを感じてしまい、こうして深夜まで馴染みの店に入り浸って忘れようと務めていた。
カチ、カチ、秒針が進んでいく。
次も同じ酒にしよう、そう思いグラスの中身を飲み干した時。
「迎えに来ましたよ、シュミット」
オーダーをする前に、聞きなれた声が自分を呼んだ。
「エーリッヒ…どうしてここに」
「あなたが行きそうな場所くらい分かっています」
涼しい顔をして、突然現れたエーリッヒは当たり前のようにシュミットの隣に座った。
「……あまり強い酒は、外では飲まないようにって。言いましたよね、僕」
エーリッヒが眉を顰めてシュミットの手元を見る。
シュミットはふんと鼻を鳴らした。
「過保護も大概にしろ」
「飲むなとは言っていません。僕の目の届くところでなら、いくら飲んでも構いませんから」
エーリッヒはカウンターからシュミットの腕時計を取り上げ、シュミットの手を取った。
無言で時計をシュミットの手首に戻し、そして自分のポケットから財布を取り出すと、既にエーリッヒとも顔馴染みのマスターに、数枚の札を渡す。
シュミットはむうっと唇を尖らせ、エーリッヒにはめられた腕時計を撫でさすった。
「おいエーリッヒ!私はまだ帰らないぞ」
「帰るんですよ、この酔っ払い。もうすぐ0時になるじゃないですか」
「だから何だ」
「……0時になれば、あなたの誕生日が来ますよ」
言われてシュミットは目をぱちぱちとさせた。
そうだ。
忘れていた。
仕事に没頭しすぎて、自分の誕生日のことなど頭になかったが、エーリッヒは毎年こうして律儀に覚えてくれていた。
「僕、明日は休みを取っていますから。あなたの食べたいものを何でも作りますよ」
ご実家のパーティーに比べたら、ささやかですけれど。とエーリッヒはシュミットの目を見ず、呟く。
「ケーキだって焼いてあげますし、ワインも良い物を買っておきました」
「エーリッヒ…。…お前、ほんとうに私のことが好きだな」
揶揄い半分に、照れ隠しでそう言うと、エーリッヒは
「何を今更。知らなかったなんて、言わせませんよ?」
とシュミットの頬に手を伸ばして、そのまま唇を塞いできた。
静かな店内、客もまばらではあるものの、シュミットはいたたまれなさを感じた。
「人前でキスなんてするなって、いつも言ってる…」
「いいでしょう、別に。今どき男同志だからって隠すこともありませんし。それに」
エーリッヒは少し怒っているような口調で、空のグラスを持ち上げる。
「約束を守っていないのは、お互い様、じゃないですか」
「…大した量は飲んでいない」
「どうだか」
エーリッヒの機嫌をこれ以上損ねてはたまらない。普段、温厚な奴ほど、怒らせるとこわいものだ。
シュミットは大人しく、席を立った。
「勘定も済ませたし、帰るか」
「ええ。帰りましょう」
エーリッヒはシュミットに手を差し出す。
手を引かれなくてもきちんと歩けるつもりのシュミットは、一瞬迷ったが、酒に酔ったせいにして手を繋ぐのも良いか、と思い直してエーリッヒの手に手を重ねた。
腕時計の針は、ちょうど真上を指すところだった。
それに目敏く気づいたエーリッヒが、
「今年もあなたの誕生日を祝えて、嬉しいです」
と告げ、またシュミットにキスをした。
「…シュミット。誕生日、おめでとう」
「ありがとう、エーリッヒ」
路地裏の小さな店の、薄暗い店内でのこと。
シュミットは今年もエーリッヒの隣で歳を重ねた。