夜遅い時間、ミネラルウォーターを買いに来たインターナショナルスクールの寮にいちばん近いコンビニで、エーリッヒを見かけた。
「よぉ、何買ってんの?」
エッジはへらへらと片手を上げて、エーリッヒに歩み寄る。
「明日のお茶菓子を切らしてしまって。間に合わせで」
カゴの中には、数種類のコンビニスイーツが入っていた。お茶菓子、なんて、いかにも優雅でアイゼンヴォルフらしいなーと思いながらもエッジは、
「あのお貴族様たちがこんなスイーツ食べんの?」
と揶揄うように言う。
「文句は言われますけれどね。ミハエルに添加物の多いものはあまり食べさせたくない、とか、スナック菓子は栄養も偏るし中毒性があるから与えるな、とか」
苦笑するエーリッヒ。どこか愛おしそうな表情をしている。脳裏にはきっと、シュミットを思い浮かべているのだろう。
エッジは「シュミットって口うるさいんだ?」とまたへらへらしながら言う。
「まぁ、彼にも色々言い分があるんですよ」
にっこり、エーリッヒは笑った。
「パシリにされて、文句まで言われて、エーリッヒも大変だね」
「パシリ?いいえ、シュミットが自分で買いに出ようとしたのを止めたんですよ」
はぁ、と今度はエーリッヒは溜息をついた。
「え?なんで?」
エッジがきょとんとすると、エーリッヒもきょとんとして
「え?だって、こんな暗い時間にシュミットがひとりで外を歩くなんて、危ないじゃないですか?」
と当たり前のように言い放った。
「……なるほど」
ミハエルに過保護なシュミット、シュミットに過保護なエーリッヒ、ってわけね。と、エッジは心の中で思う。
「ふたりで来れば良かったのに」
「でも、シュミットはもうパジャマに着替えていましたから。わざわざまた着替えさせるのも」
そう言いつつ、エーリッヒはカゴの中のミルクを手に取り揺らしてみせる。
「すみません、もういいですか?早く帰らないと、シュミットがコレを待っているので」
「ミルクも切らしてたの?」
「ええ。寝る前に僕がいれたホットミルクを飲むのが、シュミットの習慣なんです」
ふーん、とエッジは想像する。
あの高飛車なシュミットが、パジャマ姿で寛ぎつつ眠る前にホットミルク。可愛いな、おい。
「じゃあ早く帰んないと、お姫様待たせらんないね」
「お姫様?……シュミットのことを言ってます?」
「そそ。いやー、女王様の方が似合うかなって思ってたけどさぁ。ホットミルク飲まないと眠れないとか可愛いとこあんじゃん」
エッジがにやにやして言うのに、エーリッヒは眉を少し顰めて、
「それ、本人に言わないでくださいよ」
と釘を刺した。
レジに向かうエーリッヒの背中を見送り、「ほんとよく尽くすよなー」とエッジは心の中で思った。
そしてふと考える。
合理的なうちのリーダーは、あんなにマメにシュミットの世話を焼けるのだろうか、と。
あんなにも尽くされるのが当たり前になっているシュミットを、落とせるんだろうか。
「……ま、無理なら無理で。いいんだけどさ」
独り言を呟き、エッジは当初の目的であったミネラルウォーターを陳列棚から取った。
そしてまた別の日、別の時間帯。同じコンビニで今度はシュミットとばったり会った。
シュミットは、顎に手を添え、チョコレートの棚を睨んでいた。
「シュミット!珍しいね、ひとりで買い物か?」
エッジは気安く声を掛ける。
シュミットは振り返り、
「ああ、エッジ。……別に私だってひとりで買い物くらいするさ」
と苦笑した。
「チョコ?」
「ああ。ミハエルが。でも、種類が多すぎてどれがいいのか」
「コンビニチョコなんて食わせていいの?」
「どういう意味だ?」
シュミットは首を傾げる。
さらりと前髪が額にかかった。
「だって前にエーリッヒが言ってたぜ?添加物だのなんだの、気にしてるって」
「それはそうだが、この辺りにちゃんとしたショコラトリーはないし、ミハエルは今すぐ食べたいと膨れっ面で」
はーぁ、とシュミットは額に手を添えて深く息を吐いた。
なんだかんだ、ミハエルに甘いんだな、とエッジは興味深く思った。
「エーリッヒは?一緒じゃないの?」
エッジはキョロキョロと店内を見回す。あの目立つ銀髪褐色肌は見つからない。
「アイツだって24時間私に張り付いているわけじゃない」
「……外出すること、エーリッヒに言った?」
「いや?言ってない」
「じゃあ今頃、シュミットのこと探し回ってるかもね、エーリッヒ」
エッジはくくくと笑う。
シュミットは、にや、と口の端を吊り上げて、
「たまにはひとりで自由に出歩いてみたくもなるさ」
とまるで箱入り娘のような事を言った。
「ふーん。あ、でもさ。暗くなってからは、あんま出歩かない方がいいぜー?」
エッジは親切のつもりで軽くそう告げる。
「どうして?」
「どうしてって。危ないじゃん。シュミット、美人で雰囲気がえっちなんだから」
揶揄うと、シュミットは
「えっちってなんだ!それに、美人なんて、男に使う言葉としては適切じゃない」
と顔を赤くして怒った。
「高圧的なところが堪んない、って変なファンついてるの、知らないの?ヒールで踏まれたい、みたいな」
「………知らなくは無い」
ぷいとシュミットはそっぽを向いた。
すごく不本意そうだ。
こういう顔や仕草は意外とこどもっぽいんだな、とエッジはますますシュミットを揶揄いたくなった。
「俺もシュミットのファンだよ?…その強気な顔が崩れて涙に濡れるとこ、見てみたいなぁ」
わざと声を潜めかすれさせて言うと、シュミットはツンっと澄まして
「そう簡単に泣くか。女子どもじゃあるまいし」
と突き放した。
「いやいや。なにもマイナスな涙じゃなくてもいいのよ?泣いちゃうくらい気持ちイイこと、俺がしてあげたいなーって!」
「セクハラ…されているのか、私は?」
シュミットは困惑した顔をする。
ただ揶揄うために何も考えずペラペラ言葉を紡いだエッジだが、過ぎた快感に溺れて泣くシュミットを想像して、うわー見てぇ!とちょっと本気で思った。
「まぁ気が向いたらいつでも相手するから声掛けてよ。あ、このチョコ美味かったよ」
棚のチョコレートのひとつを指さし、エッジはへらりと笑って手を振ってシュミットに背中を向けた。
「待て、エッジ」
思いがけず呼び止められ、エッジは振り返る。
「……私を泣かせるほど、テクニックに自信があるのなら、ぜひお相手願いたいな」
シュミットはエッジに顔をぐっと近づけて、色っぽく耳元で囁いてきた。
「……は?」
「いつがいい?私は今夜でもいいぞ」
ディナーの約束でもするかのように、あっさりとシュミットは言ってのける。
だが、瞳は色気たっぷりに、にんまりとこちらを窺っていた。
「え、マジで言ってる?」
「なんだ。君は本気じゃなかったのか?残念だよ」
ふっと笑い、シュミットはエッジの肩をぽんと叩いて、すれ違いざまに「したくなったらいつでもどうぞ?」と言い残して棚からエッジが勧めたチョコレートをひとつ手に取りレジに向かって行ってしまった。
「え、うわ、え??………揶揄われた?え?本気……なわけ、ないよな???」
エッジはその場に立ち尽くし、シュミットの華奢な後ろ姿を追うこともできず見送った。