家事代行流花♀「週7で飯を作りにこいだぁ〜〜?!」
「週7って言っても3人でローテね。人の作ったものが食べたいけど、外食はしたくないんだって。花ちゃん月水土で入れる?」
「まぁいいけどよぉ」
目の前に座る初老の社長がニコニコ伝えてくる。娘や孫のように花道を可愛がってくれるこの人は人の良さだけで生きてきました、みたいな顔をしているくせに、たまにこういう突拍子もない案件を押し付けてくる。
行政と提携している家事代行サービスは、大学と部活の合間にスポットで入れて家事がそんなに苦ではない自分にはあっていると思う。今までは産後ケアがメインでたまにゴミ屋敷みたいなところの片付けに行っていた。今回の案件は『プロスポーツ選手の食事の用意」。
通常新規の案件に入るときはリモートで依頼主と顔合わせをする。出勤の要望や、食の好みをすり合わせるが、それも依頼人本人ではなく代理のマネージャーだった。どうやら依頼主は多忙らしい。まあ本人がそれでいいんならいいけど。マネージャーから伝えられた要望は「金に糸目はつけないから食材はいいものを買ってほしい。食費が足りなくなったら追加で渡す。初回の料理はこれとこれとこれ。2回目以降は不在時にきて、キッチンと冷蔵庫の中身は自由に使って構わない。栄養管理は栄養士がするので、献立はマネージャーに都度伝えてほしい。とりあえずお試しで2か月」
プロスポーツ選手って専属の栄養士が料理もするんじゃないのか? 勝手なイメージだけど。栄養管理はするけど、料理は外注なのか。しかもそれを高い金……行政の案件じゃないから確か1回3時間で8千円ちょっと。それを週に7日、別で食費が一人に3万ずつ渡してええっと……1ヶ月で33万円 食費が30万円超えってすごいな……。話を聞きながら頭の中でざっくり計算する。貧乏学生の花道では全然想像もつかない。まあ別に難しいことは言われていないし、安定して入れる案件がるならありがたい。掃除もなしで料理だけなら他より楽かも。ラッキー。そう思って軽い気持ちで引き受けた。
それがまさか、これからの花道の人生を変えることになる出会いになるなんて、この時は想像もつかなかった。
そして迎えた初日の土曜日。リクエストされた料理に必要な食材を買って、指定されたマンションに向かう。自動ドアをくぐれば立派なエントランスに、コンシェルジュの男性がいた。高そうなマンション。緊張しながら声をかける。
「湘北コンシェルの桜木と申します。11階のサワダ様のご依頼なのですが」
「あぁ、伺ってますよ。そちらの操作盤で部屋番号を呼び出して開錠してもらってください。エレベーターでどうぞ。11階は1部屋だけですから」
「わかりました、ありがとうございます」
愛想よく案内され、言われた通り操作盤で1101と押す。すぐに「はい」と聞こえ同じように名乗る。「どうぞ」と開いた扉を確認し、中へ進みエレベーターに乗り込む。ぐんぐん上がっていくエレベーターは高速運転らしく、耳が気圧差で少し痛い。
ものの数秒でエレベーターの扉が開いた。コンシェルジュが言っていた通り、玄関はひとつしかなく、表札は出ていない。ここから既に豪華さが伝わってくる。
玄関横のインターホンを押したら、すぐに玄関が開いて、人が出てきた。リモートで顔をあわせた、依頼人のマネージャーのサワダさんだ。
「湘南コンシェルの桜木です、よろしくお願いします!」
「依頼人のマネージャーの沢田です。こちらこそよろしくお願いします。さぁ、どうぞあがってください」
「はい!」
「桜木さんにお願いしたいのは食事作りです。概ね顔合わせでお伝えした通りなんですが、物の場所をお伝えしますね。2回目以降は僕も不在ですのでこのスペアキーで入って下さい。防犯の意味も込めて基本は玄関とリビングの部屋にはカメラが付いています。ただ、監視しているわけではないですし、仕事をしっかりこなしていただければある程度ご自身の裁量でしてくださって構いません」
自宅に監視カメラ……スポーツ選手って大変なんだな。悪いことをする訳でもないのに緊張してきた。物を壊したりした場合は会社の保険で弁償してくれるらしいし、過度に慎重にならなくてもいいハズ……、と言い聞かせる。とにかく仕事をまじめにすればいいだけだ!
「ここにある調理器具は自由に使ってください。説明書や料理本はこちらにあります。調味料の類はあまりないので必要なものは随時購入してください。食費が足りなくなったらお渡ししますので連絡ください」
「わかりました」
「それではよろしくお願いします。本日2時間ですね。私はあちらの部屋にいますので何かあったら声をかけてください」
改めてキッチンを見回すと広くてキレイで清潔感がある。大きい三口コンロはIHではなくガスで、グリルもビルトインのガスオーブンもある。今まで行ったどの家よりも立派で、見たこともないような調理器具も並んでいる。その割に使われた形跡は殆どない。形から入るタイプ? 家主の人物像がいまいち見えないが、それは今は関係ない。花道はさっそく仕事に取り掛かった。
それから週に3日、依頼人の不在時にせっせと料理を作りに行った。前日担当の人の料理がほぼ手付かずで残っていたり、マネージャーを通してリクエストの連絡はくるのに一度も感想は言ってこない。腹が立ちながらも他の案件より時給も高いしまあ続けている。
ある日いつものように料理をしていたら玄関の開く音がした。沢田さん? それとももしかして家主が帰ってきた? すぐにリビングのドアがあいて、そこにいたのは花道もよく見知った顔だった。
「流川楓……!?」
その人物に、思わず思考が停止した。今をときめくバスケットボール選手。本当に気づかなかった。いや、言われてみればヒントはそこかしこにあった。リビングに飾られたなんかのトロフィーや盾。よく見ればBリーグと書いてあったし、玄関にバッシュもあった。いつもきれいに片付けられていたがたまにユニフォームやジャージもみかけた。バスケは見るよりやる方が好きだから、あまり選手に詳しくない花道でも、名前もプレーも知っている。なんなら初めて知ってから1週間毎日流川の試合の録画を見ていたくらいだ。そんな有名選手が、いま目の前にいる。
流川楓の自宅だったら確かに監視カメラもつけられるか、と頭の片隅で一人で妙に納得してしまう。
「……おい」
はっ! 固まってしまった花道に流川が怪訝そうに話しかける。挨拶しなければ! 名前も呼び捨てしちゃったし。
「湘北コンシェルの桜木です! いつもご利用ありがとうございます」
「ん」
噂にたがわず不愛想だな~~~~。テレビや配信で見るまんまの流川楓がそこにいた。プレーは誰よりも熱いのにコートの外では無愛想でなんにでも無関心。ファンサもせず塩対応で、でもそれがかっこいいと女性ファンも多い。実は花道も流川での大ファンだった。顔や性格ではなく、そのプレーが好きだった。何度も夢中になって試合を見たし、必死にまねしたりもした。女子と男子ではフォームも違うが、高身長の花道にとって男子選手は手本となる部分が多い。いつか流川みたいに動けたら。花道のあこがれだった。
「えっと……もうすぐできるんですけどすぐ食べますか?」
「いや、またすぐ出る」
「あ、そうっスか……」
気まずい。流川がキッチンに来て冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターのボトルを出した。花道の背後から手元を見てくる。
「じゃぁいつも通り置いとくんで、帰ってきたら温めて食ってくだサイ」
「おとといの肉じゃが作ったのあんた?」
「そうです」
一昨日のリクエストで作った肉じゃがは少し多めに作っていたが今日冷蔵庫を覗いたら空になっていた。
「あんたの飯が一番美味い」
「え……あ、ありがとーございます!!」
流川に初めて褒められなんとも言えない気持ちになる花。ずっと会社側からのフィードバックも無だったから、すこし落ち込んでいた。別に、仕事だから誉めてほしいわけでもないが、作ったものをおいしいと言ってもらえるのはやっぱりうれしい。小さい子供がいる家に行くと、「いつもおいしいごはんをありがとう」と拙い字で書かれたお手紙をもらったりする。家族がいない花道にとって、誰かにおいしいとご飯を食べてもらえるのは嬉しい。
「俺、もう出るから」
「はい。行ってらっしゃい!」
「ん」
流川の耳が赤く染まっていた気がした。
*
「次で終わりだけど、花ちゃんどう?」
「できれば続けたいっス!」
「あぁ、よかった。実はね、継続したいって言われたのは花ちゃんだけなの」
「えっ」
もともと3人で週7という話だった。花道のほかにも2人、流川の家に行っていたはずだ。そのうちの一人とは花道も顔見知りだが、「私料理はあんまり得意じゃないのよねー。掃除してる方が好き」と言っていた。流川の要望は掃除はなしで料理がメインだから、あまり会わなかったのかもしれない。世間のイメージ通り、カタブツなところがあるのかもしれない。
「マネージャーさんから、花ちゃんの料理を美味しい美味しいと食べてるからぜひ継続をお願いしたい。1人で7日は無理だろうからどうにか、週4にできないかって言われちゃって。時給も上げるし、どう?」
正直一回顔を合わせただけだし、直接やり取りしたわけでもない。でもあの時言ってたのは本心だったのか。
「あの……依頼人って流川楓だよな」
「あれ、花ちゃん知ってたの?」
「1回早く帰ってきた時があって……私流川のファンなんだけど、それでもいいんかな?」
「ん~……あちらさんたっての希望だし別に過度に干渉しなければ大丈夫だよ。サイン貰うくらいならうちの規約には違反しないし」
「流川がサインしてるとこ見たことない」
所属チームで開催されるサイン会はいつも欠席だし、求められてもサインを断ってるシーンをよく見る。流川楓のサインはあまりにもレアで、一度チャリティオークションに出品されたサイン入りTシャツは100万円近い値がついてネットニュースにまでなっていた。だからきっと、サインは貰えないだろう。
「あ、そうなんだぁ。彼、クールだものね。ま、そういうことだからよろしくね」
「はぁ」
その日は継続の手続きをして、そのまま家に帰った。最近忙しくて見れていなかった、流川の試合の録画を見る。何度見てもすごい。1人でブロック何枚も抜いて、美しいフォームでシュートを決める。繊細で豪胆。基礎に忠実でありながらトリッキー。花道の一人暮らしの家の小さな19インチテレビの画面いっぱいに映る流川の姿。この人と会ったなんて嘘みたいだ。
それからしばらくは変わらない日々だった。マネージャーと連絡を取り合って献立を決める。
流川の家はほとんど使った形跡のないキッチングッズがたくさんある。ホームベーカリーや、ストウブ、それにバーミックスとか。あとはペアグラス。
ははーん、彼女が揃えてすぐに別れたのかな。それで手料理食えなくなったから外注してきたのか。あの流川楓に恋人。そんな噂聞いたことないし、想像もつかないけど。でもいない訳ないよな。
「ただいま」
「あ、流川さん。おかえりなさい」
「ん」
「今日はもうお仕事終わりですか?」
「そう」
「もうすぐできるんで。今日のは自信作なんで楽しみにしててくださいね!」
「 ……一緒に食う?」
「えっ!?」
「食事は一人で食べるより人と食べる方が美味いって、チームの人が言ってた」
それはそうだろうけどまさか流川楓からそんな言葉が出るなんて。
「いいんですか?」
「いいから誘ってる。自分で作った飯、自分で食えないっていうのも変だろ」
「じゃ、じゃぁお言葉に甘えて……?」
いつもは一人分を皿に盛ってるけど今日は二人分。流川の家には皿が二組ずつある。これって多分彼女のだよな……。使っていいのか?
ペアグラスはさすがに……と思ったものの、流川自ら出してきた。いいんだ……。
「美味い」
「よかったー! 絶対流川さんこの味好きそうと思ったんスよ」
「え」
その表情には「なんで」とありありと浮かんでいる。
「沢田さんから流川さんの食いつきよかったの聞いて」
以前はリクエストされたものを作るだけだったが、今はマネージャーから食べた時の様子を聞いて好きそうなものを予想して一品追加でつくったりしてる。予想があたっていたようで嬉しくなる。
「連絡先」
「? はい」
「俺の教えるから今度から俺に直接して」
「えっ……と、いいんですか?」
「いいから言ってる」
さっきと同じセリフ。
「わかりました」
業務連絡だし、他のお客さんは本人と直接連絡とりあってるんだし、別にやましいことはないはず、と頭の中でつらつらと誰にともなく言い訳を重ねる。
「言葉遣いももっと楽にしていい」
「そんな、お客様にできないっスよ」
「別に気にしねぇー」
「えっと、じゃあお言葉に甘えて」
「ん」
いま、笑った!? 初めて見た気がする。こんな風に笑うんだ……。流川のこんな顔が見れる誰かが羨ましい。でも、今は間違いなく自分に向けられてるんだから。勘違いしそうになる。そんな訳ないのに。
*
「え、流川さんと連絡先交換したんですか!?」
「ふぬ……。やっぱりまずかったスかね?」
「いえ、本人が言い出したことなので問題はないんですが。その、」
今まで家政婦を頼んだこともあったが、私物を盗まれたり、迫られたりして大変だったらしい。職業柄食生活には気を遣いたいけど自分は料理からきし。どうしようかと思ってたらチームメイトが花道の会社を紹介してきた。
「え、それって大丈夫なんですか!? あの……私バスケやってて、その、流川さんのファンというか……」
「あ、そうなんですか。背高いですもんね。桜木さんいつもしっかり働いてくれてますし、あの流川さんがおいしいおいしいって食べてるくらいだから大丈夫ですよ」
社長と同じようなことを言われた。まぁ、別にファンだからって本人にそれを伝えるつもりもないし、公私混同もしない。そりゃ一緒にバスケ出来たら、とか思わないでもないけどそんな大それたことをお願いできる立場だとも思わない。
それからも流川の帰宅が早い時は、夕食を共にするようになった。実際に話してみると流川は言葉数こそ少ないが、世間のイメージともコートの上の流川楓とは少し違った。美味しいとかありがとうとかを伝えてくるし、雰囲気も柔らかい。
「私、結構一緒にごはん食べてるんだけど、いいのか?」
「いい」
「でも、彼女とか……」
「そんなんいねぇー」
「そうなのか!? じゃあこのキッチングッズとかペアグラスとかは……、あ! 悪い」
「その辺のは仕事でもらったやつ。イベントの景品とか、スポンサーからの提供とか。食器は引っ越した時に親が祝いで寄こしたやつ」
「そうなんだ……」
ホッっと胸をなでおろす。胸のつかえがとれたみたい。いや、別に流川に彼女がいようがいまいが関係ないんだけど。
*
契約してしまった。バスケットリーグの配信サービス。月額550円。バスケは見るよりやる方が好き。そう思っていままで積極的に見てなかった。流川の試合を見たのもたまたま地上波で中継していた天皇杯。それから流川の試合だけは人づてに見せてもらったりしてたけど最近は意識して見てなかった。だって、こいつと一緒に飯食ってるとかどういうことだ!? って脳がバグる。でも、やっぱり知りたい。バスケしてる流川のこと。月に6試合くらい。1か月後まで見れるから学校とバイトの隙間で見よう。
う、うわぁーーーーーーー。かっけぇーーーーーーーーー!