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    中途半端な進捗

     その日の夜、先生の言った通り彼は洞天のどこにもいなかった。しかし邸宅内にはあたたかな食事が用意されていて、風呂も沸かしてあった。作りたてだったわけでもたまたま湯がたまるタイミングで帰ってきたわけでもない。風元素で熱を逃さないよう施されているのである。
    「め、飯がある! 風呂もある?! ま、マメだな〜うれしいけど」
     まったくそうだ。家事はかれの仕事というわけではないのだから、放って行ってもいいはずなのに。
    「こういうところが世話焼きって言われるんだろうね」
     きれいになった体でパイモンとふたりご飯を食べる。昼間に言ってたパイモンの食べたいものはそもそもリクエストしていないため出ていないが、それでも彼女のすきなものばかりだ。お肉とにんじんのハニーソテーを頬張るパイモンはにこにこしている。やわらかで弾力のある獣肉と、肉汁と甘さが染み込んだにんじんはとてもおいしい。おいしい、が。
     空いた椅子に目がいく。俺とパイモンだけでは用意されなかっただろう席、彼が、セイがいつも座る席。キッチンに一番近く、それでいて一番おれたちの顔がよく見えるそこ。
     俺たちを見る彼を思い出した。テーブルに肘をついてこちらを眺めているとき、彼の青みがかった緑のひとみはとろりと緩み、まゆは柔らかく下がって、口端が少しあがる。嬉しそうで、満たされているようで、それこそ美味しいものを食べたときのような、どうしようもなく、幸せそうな顔。
     今日あったことを話しながら、おいしいななんて言い合いながら、話に入ってこない彼をふと見た時に、そんな顔をしている。視線があえば笑みが深まって「どうした?」と首を傾げるだけだ。不快だと思ったことはない。ただ、すこし照れ臭くなるだけで。
     今日はあれがない。作り物めいた美しい容姿から繰り出される荒い言葉遣いも、指先一つで操られる風元素も。邸宅内はいつもどおりに整えられているのに、彼だけがいない。そういう夜だった。
    「……もうすっかり馴染んじゃったんだなぁ」
    「どうした? 空」
    「なんにも」
     ほっぺにソースをつけたパイモンに笑い、肉を口に入れた。甘辛いそれはとても美味しかったけれど、どこか物足りない気がした。
     夜中に目が覚めた。隣のベッドではパイモンが寝ている。ひどい寝相だ、上半身がベッドからはみ出てのけぞっている。塵歌壺を譲り受けるまでベッドで寝るなんてそうそうなかったからか、普段消えるか浮くかして寝ているからか。パイモンはシーツの上で暴れまわるのだ。
     そっと真ん中に寝かし直す。伸びをした。目が冴えてしまったようだった。水でも飲もうかな。音を立てないように部屋を出た。吹き抜けを挟んで向かい側には、彼の部屋がある。
     階段を降りようと窓に近づくと、人の声が聞こえた。喋っている風ではなかった。リズムと、音程がある。──歌っている? 誰だろうなんて思うことはなかった。俺たち以外にここへくるひとなんか、決まっている。
     歌は外の、上の方から聞こえた。ハミングだけの歌、容姿に見合わない低い声がおだやかに、途切れ途切れで続いていく。窓から屋根の上へ登る。赤い屋根材の上、棟のあたりに片膝を立てて座る彼の背中がみえた。偽物の月は少し傾いて、どこからか吹く風が彼の淡い色彩をもった髪を撫でていく。涼しい夜だった。やや冷たくもあった。この箱庭に、四季や不快な温度なんて存在しないけれど、それでも、冷たいようで凛とした夜は彼によく似合っていた。赤い屋根材の上、棟のあたりに片膝を立てて座る彼の背中がみえた。
     声をかけようか迷った。こちらに気付いているのかはわからない。集中していない彼は、気配に鈍いというわけではないのだ。
     一歩近づけばいやでも音が鳴る。彼は振り向かず、歌もやめない。口を開いて──……鍾離先生の言葉が、頭をよぎった。それでもそのまま声に出した。
    「……セイ」
     彼の肩は震えなかった。代わりに歌が止まる。いつもと違って解かれた長い髪が揺れ、月明かりを受けてかほんのりかがやく瞳が俺を見上げる。
    「なんだい、空」
     彼は微笑んでいる。食事を眺めるときとは違う、けれど穏やかな笑みだった。……すこし、驚いた。彼は一度も俺たちの名前を呼んだことがなかったから。
    「……知ってたんだ?」
    「そりゃアな。呼び合ってんじゃねえか」
    「俺は知らなかったのに」
    「はは、悪かった。センセから聞いたんだろ?」
     不自然に風が吹いた。装飾具の付けられた指が空をなぞれば、元素がふたつのコップと蒲公英酒の瓶を運んでくる。そのうちの一つを受け取った。変わった、というか、巧みな元素の使い方をするものだといつも思う。
     注がれる酒を眺めながら、何も考えずにいった。
    「今日は一晩いないんだと思ってた」
    「それもセンセの入れ知恵かい? あのおひとは先見がありすぎていけねえな」
     彼は喉を震わせながら、自分のグラスに瓶を傾ける。躱された、と思った。受け答えに違和感はない。そういうつもりだった、というふうにも取れる言い方だ。ただ、直接的な言葉はくれない。つまりはその先を語るつもりがないのだろう。
     考える。これは線引きなのだろうか。踏み込んでくるなと、そういう意味なのだろうか。先生も普段通りに接してくれと言っていた。自分のことを語らない男なのだとも。それははっきり訊かれるのも苦手という意味なのだろうか。わからない。でも、探るのは今がいちばんいい気がする。彼が許してくれる距離、彼の琴線のぎりぎりのところ。これからも一緒に暮らすための境界線。
    「これから、セイって呼んでもいい?」
    「好きにしなァ。お前さんの呼びやすいどれかでいい、新しく増やしたっていいぞ」
     侵入野郎とかな? そう言って彼はいたずらっぽく瞳を細める。見た限りいまの彼に変わりはない。今日の昼間に見せた少しの動揺なんてかけらもなかったかのようだった。
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