救い主きませり〜ブラスオノレヨリ ツヨキモノニ シタガエ
己より強き者に隸え
モンスターの本能に刻まれた縛めだ。
縄張り争いで少々怪我をした幼いキメラの手当てをしながらブラスは久々に嘗ての主、魔王ハドラーを思い出した。
決して悪い主ではなかった……ブラスが仕えてきた主の中では。
モンスターが己より強い者に隸うのはそれのみが生きる術だからだ。
弱肉強食が唯一の法である魔界でも地上でも、弱者は強者の庇護が無ければ明日を迎えられる保証はない。
そして往々にして強者は邪悪さ故にさらに強くなるものだ。
魔族より弱者であるモンスターは主次第で邪悪にも善良にも、より強い方向へ矯められる生き物に過ぎない。
ハドラーは自ら魔王を名乗るだけあって魔力も覇気も、己の野心を充たす為に手下を操る術も桁違いだった。
憂さ晴らしに殴られ、目障りだ消えろとただ小突き回すだけの魔族の元からハドラーの傘下に入ったときの安堵の深さをブラスは忘れる事ができない。
そしてモンスターの自意識は主の強さによって支えられさらに強固になる。
ブラスと名を与えられ種族名でなく一疋として個性を持てば、本能からの反射でなく思考を巡らす余裕が生まれた。
鬼面道士という種族が持つ魔法という「鳴き声」が「呪文の行使」となり、主命を受諾しその成果を認められた時、喜びがブラスの身のうちから湧き上がるのを感じた。
ハドラーの命で敵対する魔族や弱者であるニンゲンを襲い破壊するのは楽しい。
ハドラーに隷うモンスターを其々の能力で揃え束ね磨くと、更に破壊できる範囲や効率があがる手応えを感じて誇らしかった。
魔の森から次々に生み出されるモンスターをデルムリン島に集め魔王軍兵士として訓練せよとの下知を受けて旅立つブラスに、ガンガディアが貴様は嬉しそうだなと嘲笑しながら言った。
「それを承認欲求というのだ」
ショウニン欲求。聞き慣れぬ言葉だ。
キギロではあるまいし嫉妬ゆえの物言いとは思えぬが、ブラスは曖昧な会釈で参謀役のデストロールをやり過ごした。
欲求と言うからにはそれが満たされるのは結構なことではないか。
島に駐在して訓練を施した己の手下が一糸乱れぬ行進をするのをブラスは満足げに眺め一人笑った。
そして今から3年前魔王の邪悪なる意思からブラス達は突然解放された。
常に血走り敵を見出さんとする目から険が消え鉤爪が体内にしまわれる。
支配される事に慣れたモンスターらの動揺をなんとか収めたブラスは斥候を地底魔城へ飛ばし、ハドラーが勇者に討ち果たされ魔王軍の兵士もその勇者パーティーと後から乗り込んできた人間の軍隊に滅ぼされたと聞かされ呆然とした。
魔王が殺されたのであらば勇者が新しい支配者になるはずだが、一向に新たな命が下らないのはなぜだろう。
ブラスにはハドラーを倒した勇者はその直後にモンスターへの支配権を放棄した様に感じられた。
ならば勇者に感謝を捧げ、他者を虐げるのを止めて生きても良いのだ。
ブラスがデルムリン島に取り残されたモンスターらにそう伝えると皆は歓びの鳴き声をあげ三々五々散っていった。
キメラの手当てを終え、さて日課の島の巡回をするかと腰を上げたブラスはその瞬間地面に這いつくばった。
人の目には光としか感じられないエネルギーが北東から肌を焼き切らんばかりに照りつける。
次いで不気味に揺らぐ大地の異常さに島に住まうモンスターも獣も鳴き声一つあげられなかった。
しばらく呆然とした後ようやく四肢に力が戻ったブラスはエネルギーを感じた方角を見上げると木々の隙間から白い雲が天に突き刺さっていた。
純粋な怒りが結晶したような雲は夕暮れまで消えずモンスターらを脅かした。
巣穴に籠もり皆が息を潜めてむかえた夜デルムリン島を嵐が襲った。
あの強大な怒りが呼び寄せたように荒れ狂う雷雨が島をなめ尽くした翌朝、からりと晴れ渡った浜辺に小舟が打ち寄せられているのをブラスは見つけた。
昨日の嵐で難破したのかと覗いて見れば揺り籠の中に人間の赤子が眠っている。
「可哀想に」
己より小さくか弱い存在はエサか無視する対象だったはずが同情するなど……死霊騎士の心持ちが分かる日がこようとは思っても見なかった。
抱き上げると小さい割に重みを感じた。生命の重みだ。
死霊騎士がその養い子にしていたようにブラスがそっと肩より上に差し上げると赤子がパチリと目を開いた。
オノレヨリ ツヨキモノニ シタガエ
総毛立つより先に身の内に染み込む声が聞こえて消えた。
「おや なんじゃお前たち」
いつの間にかブラスと赤子を島のモンスターが取り囲んでいた。
まさかエサと思っておるまいなと赤子を胸に抱き寄せると銘々が咥えてきた何かをブラスの、赤子の足元にそっと降ろす。
それぞれが深々と頭を垂れて最も美しいと、大切だと、美味しいと思う物を捧げていく。
まるで新しい主に恭順を表すように。
モンスターは邪悪でも善良でもなく主の心を映す鏡なのだ。
11年後地上を、地上に生きとし生けるもの全てを救う救世主がデルムリン島に辿り着いた瞬間だった。