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    ムーンストーン

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    ムーンストーン

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    ダイの大冒険 ラー→ヒュン(まだ友情)の姿を借りたダイポプです。
    ヒュンケルとラーハルトとポップの考察と年単位で捏ね回した捏造設定のコラボです。

    #ダイの大冒険
    daiNoDaiboken
    #ポップ
    pop
    #ラーハルト
    rahalto.
    #ヒュンケル
    hewlett-packard
    #ダイポプ
    dipop

    klares Gift/澄みきった毒~ラーハルトパプニカ王国
    農民ハロルドの子   ダン 13才 家具職人スレイの子  ホセ 16才
    ロモス王国
    商人ガルバの子    ディー 14才 僧侶ヘレズの子    フレイ 17才
    カール王国
    薬師ダレスの子    ドール 15才 薬師ダレスの子    ポール 18才
    ベンガーナ王国
    オーザムからの避難民 ダヌ  16才 オーザムからの避難民 ヘンリー 19才
    リンガイア王国
    オーザムからの避難民 ヒューバート 23才 
    オーザムからの避難民 ラインハルト 24才

     これらはバーン大戦終結後に大魔道士ポップが入手した偽造身分証と近年確定されたものである。
     かつて勇者アバンや竜の騎士バランが使命を果たしたのち辿った迫害の歴史を鑑み、勇者ダイが一般人として生きる道を残す手段として、または密かにいずれかの国の後ろ盾を得る為に用意したものと推察される。

     しかしバーン大戦から5年後、魔界から帰還した彼らはテラン王国に所属することを選んだ。
    「バーン大戦及び地上統一戦争について」より

    ☆発露
     バーン大戦から約2年たったが未だに勇者ダイの行方は知れずアバンの使徒を中心に探索の旅は続いていた。
     ラーハルトと共にダイを探し続けてきたヒュンケルが体調を崩したのはそんな頃だった。

     ヒュンケルが不意に高熱を発して寝付いたのがダイ捜索の情報共有の集合日に近かった為、ラーハルトは自力での移動に拘る彼をなんとか旅籠に逗まるよう説得しポップとの待ち合わせ場所に一人向かった。

     約束の場所にはじめて一人で現れた事に訝しげな視線をおくるポップにラーハルトが事情を手短に説明する。
    「あいかわらず無理してやがんな〜」
     ヤレヤレとオーバーアクションで首を振るポップを見下ろすラーハルトの額に苛立ちの青筋が立つ。
     バーン大戦中、戦後を通じてダイの為にならどんな無茶もやり遂げ不可能を可能に変えてきた男が言うと揶揄ではないとどの口が言うかと説得力が無いこと夥しい。
    「その減らず口を閉じるか槍の錆になるのか、さっさと選べ」
     ドスの効いた声にポップはヘラリと笑って話題を変えた。

     ヒュンケルの待つ街へ二人で向かいながら彼の病状とどの地域に滞在した時に発症したのかを聴き取るとポップは頭の中の医学書を紐解き直ぐに病の見当がついたのか眉根を寄せた。
    「ロモスの湖沼地帯で古くから知られている風土病かもしれねぇ。土地の人間はまずその地域に近寄らないから殆ど罹らねぇが言い伝えを知らねぇ移住者や旅行者から稀に発病者が出るんだ」
     その病であるならば人から人に感染する病ではないが特効薬が無いため治癒に日にちがかかるとポップが説明するや否やラーハルトはヒュンケルの待つ街へと疾風の如く走りだした。
    「待てって!トベルーラでもついてけねぇよ!」
    「急げノロマめ」
     苛立つラーハルトが駆け戻りとうとうポップの首根っこを掴んで再び走り出すと、土煙と共にポップの情けない悲鳴が街道に尾を引いた。

    「あ〜死ぬかと思った」
     痛む首を撫でながら部屋に入ってきたポップにヒュンケルは床についたまま目を丸くした。
     よう 久しぶり、と部屋に蟠る病の気配を無視した軽い挨拶をしてヒュンケルの寝台の端に腰掛けたポップがいつもの剽げ顔を改め真剣な眼差しで問診をし、脈をとる。
     しばらく話す内に苦しげに高熱からの目眩を堪えるヒュンケルに対して、後はラーハルトに聞くから楽にしてくれと言いおきポップはラーハルトを連れて部屋を出た。
    「やっぱり嫌な方に当たりだわ。明日の朝知り合いの家に連れてって暫らく療養してもらうからヒュンケルを説得しといてくれや」

     知り合いとはアバンの事だろう。
     カールの王となった師に厄介をかける事に対して難色を示すだろう友の頑固さと、自身の嫌う「人間」に借りをつくる事への不快感にラーハルトは渋面を隠さない。
     ラーハルトの不機嫌の原因を読みとりポップは肩をすくめてアバン先生の所じゃねえよと請け合う。
    「カールに行くなら今直ぐ出発するさ。違うから準備が必要でね」
    「承知した」
     足取りも軽く去っていくポップを見送りラーハルトはため息をつくとヒュンケルの休む部屋に足をむけた。
     頑固で潔癖なまでに己の過去への贖罪を最優先する友を説得するには長くかかるだろう。
     黒を白に丸め込む口八丁は魔法使いの専売特許ではないのか。
     既に気が重いラーハルトはポップに内心で八つ当たりしてから、ヒュンケルを納得させるまで根比べだと下腹に力を込めて己を鼓舞した。

     翌朝ラーハルトが旅籠の一階に降りて行くと既にポップはカウンターで女将と歓談中だった。
     兄弟子が寝込んでいるのに大した余裕だな暇人めと口には出さないがラーハルト顰め面になるのを止められない。
     ヘラヘラ笑いながら挨拶がわりに朝飯は済んだかとポップに問われ、ラーハルトは顔を曇らせた。
    「ヒュンケルは熱のせいか数日前からほとんど食えていない。無理強いもできんしな」

     この様子ではラーハルト自身もろくに食べていないだろう、と察しをつけたポップは持ち帰りできる消化の良い軽食を選んで女将に頼み、準備ができる間に宿を引き払おうとラーハルトにヒュンケルを連れてくるように言った。

     さほど待たせることなく階段を軋ませ降りてくるヒュンケルの足どりは僅かにふらついているが兄弟子の矜持がさせるのだろう、直ぐ後ろからついてくるラーハルトの手助けをその背中が拒んでいる。
     彼が一階につくや勘定は済ませたから、とポップは軽食の入った袋をラーハルトに押し付けさっさと出口に向かった。

     何か言いたげなヒュンケルをいなしてラーハルトが宿の外に連れ出すとポップが勝手知ったるとばかりに朝になっても薄暗い路地へ入っていったので二人は慌てて後を追いかけた。
     魔族特有の爪を革手袋で隠し、目以外の殆どを布で覆っているとはいえ魔族そのものの容姿をしたラーハルトが気軽に宿泊できる旅籠がある一帯はお世辞にも治安が良いとは言えない。
     酔い潰れた酔漢は兎も角、年格好を値踏みし若輩者と見れば強盗に早変わりする荒くれ者に事欠かない地域だ。
     ポップの身の安全を心配する二人が路地へ完全に入ってから人目が無いことを確かめ魔法使いは飛翔呪文(ルーラ)を唱えた。

     ルーラでの移動を殆どしたことがないラーハルトはその速度と支えもなく飛翔する不安定さに心臓が竦み上がる思いを味わったが、意地でも表情に出すまいと飛龍でならもっと高所を飛んだことがあると呪文のように胸の内で唱え続けた。
     魔法を使えぬ相棒はどうだろうと恐る恐るポップを挟んで反対側を覗き込むと意外にもヒュンケルは目を輝かせて隼を追い越すほどの凄まじい勢いで飛び去る景色を眺めている。
     兎に角スピードが飛龍とは段違いだが次は……ヒュンケルの病が治れば直ぐにでも飛龍に、それも最速の竜に乗せてやろうとラーハルトは決心した。

    ☆隠家
     ポップが知り合いに借りたという山あいにひっそり建つ家に瞬く間に到着した時は、ヒュンケルの体調を慮ったのかルーラの着地音や衝撃はほとんど無かった。
     バーン大戦中にポップがルーラを習得した当初は速度は兎も角着地は酷いものだったらしいが、ルーラの着地音の大きさや着地の衝撃は運ぶ人数や移動距離、使い手の習熟度に比例するらしい。
     ラーハルトが超竜軍団の一員として滅ぼした国の出身の特徴である色素の薄い髪をした少年から聞いた話だ。

     ダイ様の捜索情報の共有をかねロン・ベルクの元を訪ねた時に北の勇者から鍛治師へと前代未聞の転職をしたノヴァという変わり者の少年は、故郷の敵ではあるが今はあからさまに対立もできない微妙な立ち位置になっているラーハルトとの話題に困ったのかお互いの知人にあたるポップを引合いにだしたようだ。

     少年は、呪文契約はそれより前に済ましていたらしいけれどルーラを習得した当日に大陸を跨いでバルジの大渦近くの大魔道士マトリフの住まう洞窟まで自力で戻ったなんて信じられない、と自らもルーラを操るが故にその価値が判るのだろう尊敬に混じる畏怖を隠しきれない声音で囁いていたのがつい昨日のことのようだった。

    「……ハルト、ラーハルト?聞いてるか?」
     怪訝そうな顔でラーハルトの顔を覗き込むポップに無論だと反射で返す。
    「とりあえずヒュンケルは横になってくれ。家や周りに何があるかはラーハルトに説明するから」
     記憶にあるより強引さを増したポップがヒュンケルをベッドに押込み、ラーハルトを厨と風呂の他に二間しかない家から押し出した。

     ヒュンケルの療養の為に滞在する事になった板葺の家は、最早記憶も朧なラーハルトの生家に似て背後の森に溶け込みそうなほど古そうに見えたが、設えはしっかりして二人暮らしに必要な家具は揃っていて掃除もゆきとどいて埃一つなかった。
     庭先には小さな畑と幾種類かの果樹が植えられていて、また北風を遮る防風林があり母屋を西日から遮るよう建てられた物置小屋は鍬などの使いこまれた跡がある農具の他に、薪がギッシリと蓄えられていてこのまま一冬は過ごせそうだった。

    「井戸はあるけど暫く使ってねぇから最初に水を沢山汲み上げて新しい水と入れ替えてくれ。それまではこっちの湧き水の方が淀んでないから雨が降って水が濁るまでは使えると思う」
     井戸は投げ釣瓶で綱も釣瓶もまだ新しい。
     古い家屋に似合わぬ新しい家具が幾つか混ざっていてちぐはぐな印象を拭えないが間借りをする立場で詮索はしない方が良いだろう。

    「湧き水は結構水量多いんだよ。ついでに一日一回畑に水遣りしてくれると助かる」
     ラーハルトが思っていたより深く澄んだ湧き水から柄杓で汲んだ水を、いつの間にか手にした錫の如雨露に溜めて畑に撒きながらポップは遥か北を示し声を潜めた。

    「あの目立つ槐の木の向こうに少しひらけた場所があるんだ。あそこなら俺のルーラの着地音もヒュンケルに聞こえないと思う」
     お前なら聞こえんだろ?とわかりきった確認をするポップに頷きで答えを返す。
     どうやら先にヒュンケルの病状を話し合ってから一度別れてラーハルトが家に戻った頃合いにポップが丁度庭先に現れたように見せかけたいらしい。

    「3日毎に様子を見に来るよ。薬と食料も補充しないとな」
     俺達二人位は周りの森で狩りをして賄えると言い返したかったが、食が細り薬も必要としているヒュンケルに野生の獣を捕らえて用意できる炙り肉ばかりを食べさせる訳にはいかないのでラーハルトは不本意だが首肯くしかない。

     俺の気にしすぎかもしれねぇが、と前置きをしたポップは弟弟子相手だからって空元気に振舞われると病変を見落とすかもしれねぇし、とあくまでも真面目にヒュンケルの容態を心配しているようだった。
    「なにも離れた所へ降りずとも。スカした兄弟子とやらに此処ぞとばかり恩をきせなくて良いのか?」
     何時にないラーハルトの揶揄に対してポップはバツの悪い表情をした。
     今日の分だけすぐに飲めるよう丸薬にしたと紙袋を雑な仕草で渡しながらポップは肩を竦める。
    「いつもの長兄面で俺は不死身だ〜って言ってる奴ならな。あんな青白い顔してちゃあ嫌味もでねぇよ」
    「相変わらず甘い奴だ」
     どうとでも言え、とポップは逸れた話を切り上げ住まいや家財などの説明を続けた。
    「着替えやシーツなんかのリネン類の予備は寝室にある柳行李の中に入ってる。サイズは適当だけど小さくはねぇはずだ。当面の食料は厨の壺にパンと干し肉と乾物が揃ってるし、調味料は岩塩とハーブが何種類かある。あと野菜は畑のこっち側のを使ってくれよな、ヒュンケルは人間なんだから新鮮な野菜が必要なんだ。黒パンは日持ちするけど硬ぇからスープに浸して食べ易くしてやってくれ」
     あんたたちはどうも食事ってもんに頓着しねぇ悪い癖がある、とポップは続ける。
    「明日からの薬は寝室の机の引出しに症状別に分けて入れてある。薬の分量と使い方は一番上の引き出しに入れてあるから用法用量を守ってくれよ」
     薬草と野菜の畑に目をおとしながら話すポップの横顔を見ながら、 一日で準備したとは思えない療養所のような家の説明にラーハルトは集中する事にした。

     説明の最後にポップは防風林へラーハルトを伴い丁度中頃にある木の根方に半分埋もれた大人の両手で包める程の大きさの石を見せた。
     色はその辺りに幾つも転がっている石と同じく白色に近い灰色で、家に面した側は滑らかに磨がれた上に魔法陣が刻まれているが、上面1/4程が鋭い断面をみせて切取られて魔法陣を未完成にしていた。

    「お前さんが一緒にいるときは不要だが、念のため認識阻害とモンスター避けにマホカトール結界をはる仕組みを創ったんだ」
     いっぺん「外」から見ていてくれ、とラーハルトを数歩分外側へ歩かせてからポップは側に置かれた石の破片を填め合わせ、刻まれた魔法陣が正しい形に戻ると同時に地面には破邪結界の紋様が輝き光の壁が家を中心に庭全体を包む。
     破邪の光が淡く安定すると結界の近くに立つラーハルトは僅かな嫌悪と倦怠を感じた。
     成る程「破邪呪文」とは小規模でも魔族に不快感を与えるものらしい。
     大魔宮にかけられたミナカトールは更に効果があったのだろうがその時はいちいち頓着してはいられなかったが。

     丁度庭に向かってにじり寄ろうとしていたスライムが結界の直前でピタリと動きを止めそそくさと逃げ出すのを見て、しゃがんでいたポップが気遣わしさを隠さない顔で見上げてきたのでラーハルトは溜め息をつく。
    「ムカつくから心配そうな顔はやめろ。パプニカの姫が全力ではったミナカトール結界の中でも支障は無かった。雑魚モンスターと一緒にするな」
     そうだったな、と左手の平に右手の拳をポンと叩きつけるポップに悪意は無いのは分かっているがむかっ腹はたつ。
     擬態の為か結界を形どる光は更に淡くなっていくのでラーハルトは暫く滞在する事になる「家と庭」の範囲を周囲の風景と共に頭に刻み込んだ。

    ☆毒娘
     3日後、ラーハルトの父譲りな聴力が微かだが特徴的なルーラの着地音をひろった。
     暫くそのまま魔槍の手入れを続けてからヒュンケルにそっと話しかける。
    「森を一回りしてくる。今朝張り直した罠が気になってな」
    「…ああ…」
     ポップが用意した解熱薬は睡眠作用が強いらしく、この家に来てからヒュンケルは昼夜を問わず半覚醒の状態なので今の返事も本当に分かっているか怪しいので念の為夕方には戻ると書き置きをして家をでたが、ヒュンケルが目覚める前に帰ることができればそ知らぬふりで枕元から除ければいい。
     ラーハルトはポップが用意した家全体を結界で包む結界石を慎重に槍の石突きで僅かにずらして結界を消し、[外]にでると急いで元の位置に戻して結界を起動させた。
     ポップが帰った翌日興味本位で結界何するものぞと片手を破邪の結界に突っ込んでかなり痛い目に遭ったラーハルトはポップの賢者としての実力に舌を巻き、更にはあの大勇者アバンが手掛けたデルムリン島の結界を素手でこじ開けたハドラーは伊達に魔王を名乗った訳では無いのだと渋々納得した。
     それはさておき今日はヒュンケルの病の原因になった湖にいく事になっているので逸る胸を抑えラーハルトは待ち合わせ場所へ急いだ。

    「魔槍はいらねぇよ 誰と戦うんだよ」
     ヒュンケルが病になった場所に行くのだから武装は当然だと言い張るラーハルトにゲンナリしたポップは一頻り呻いたあと諦めたように自分の肩に掴まれと言ってルーラを唱えた。

     前に約束した通りラーハルトをロモスの湖沼地帯に連れてきたポップは、湖の遥か上空でルーラを解除しトベルーラに切り替えた。
    「この湖もダイの行方の手掛かりが無いか調べたんだろう?」
     無論だと告げるラーハルトは改めてこの異様な湖全体を見下ろしポップの話しだすのを待った。
    「可怪しいよな、ここは。湖からかなり離れた所まで草が生えてないし、水草も碌に生えて無いそうだ。勿論魚や虫も殆どいないから水が澄みきっていて中央の一番深い所でも水底が見えるんだよ」
    「まどろっこしい。病の原因を言え」
     ラーハルトと肩を組んだ姿勢のままポップは器用に肩を竦める。
    「毒娘の呪いだ」
    「冗談は時と相手を選べ」
     額に青筋を浮かべたラーハルトが魔槍をポップに突きつける。
    「待てよ、地元の伝承なんだよ。《死の湖の呪い》《毒娘の呪い》ってのは」
     アバン先生からの受売りだけどと前置きをしてから伝承とは言ったが数百年前の実話が元になっていてな、とポップは語りだした。

     昔々ロモス王に湖沼地帯の領主から美しい娘が側室として献上されたが、初夜をすごした翌朝その娘が頓死した。
     当然娘の死因が調べられたが病死か他殺かも不明な為に領主が取調べを受けたんだ。
     まあはっきり言えば拷問だわなとポップは口元を歪める。
     領主曰く王を暗殺するため毒娘を献上しました、初夜を迎える直前に毒の効き目が強まるよういつもより多めに毒を飲ませたので死んだのでしょう、だとさ。

     その毒である無味無臭な水、通称klares Giftの入手先がこの「死の湖」なんだ。
     近くの火山から流れてくる毒が湖の何処かに涌いているらしくて、水に溶けて湖の表面から霧になって滲み出し普段は地表近くに溜まっているけれど風にのって湖岸に沿って広がり、時折人の背の高さまで上っていって大量に吸込んだ者が病に倒れるんだそうだ。

    「湖の周りに草が生えてないのはそのせいか」
     ラーハルトはギクリと身を強張らせた。
    「何をボサッとしているポップ。貴様も毒の霧を吸う前にさっさとこの場から離れろ」
    「大丈夫だよこれほど上空ならな。さっきも言ったろ霧は地表近くに溜まる物だって。それに俺は毒への耐性が高くなってるんだ、竜の血を飲んでからな」

     お前は違うのか?同じ男(バラン)から黄泉がえりの秘術として竜の血を与えられた同胞よ。

     まるで硝子のように表情は抜け落ち、遥か下に満々と死の水が湛えられた湖のような透明な視線が真っ直ぐにラーハルトを射抜く。
     咄嗟に視線を逸らし内心の動揺は隠したが大魔道士相手では到底質問まではぐらかせないと悟りラーハルトは仕方なく答える。
    「判らぬとしか言いようがない。あれから…バーン大戦からは怪我をしたことはあっても毒に害されたことがない」
     それに俺が黄泉がえったのは貴様から数十日余り遅れだ条件が違う、と苦々しく吐き捨てる。

     情けないことに俺はバラン様に最後までお仕えすることができなかった。
     更にはお傍にいながらも黒の核晶の爆発からダイ様をお護りする事も、共にキルバーンの人形を空へと遠ざける事も出来なかった…この片手で捻り潰せるほどか弱い人間の魔法使いと違って!
     あの日以来燻ぶり続けるコンプレックスはラーハルトの感情を容易く翻弄する。
    「仕方ねぇさ俺は身体のダメージはお前より少なかったし、死んで直ぐに姫さんのザオラルをうけた上にゴメ公、いや神の涙が引き留めてくれたしな」

     神の涙、奇跡の具現。 
     清い願いを叶える度に己の身を削る物。
     ラーハルトはそれに似たものを知っている。

     幼いダイ様の清らかな願いで友としてモンスターの姿を形作った意思をもつアイテムは、魔王軍との戦いの中でアバンの使徒達に悟られる事なく細やかな願いを叶え人間に力添えし続けたが、バーンパレスの最終決戦までその身が目に視える程小さくはならなかったと聞く。
     だからバラン様にメガンテを仕掛け生命力を枯渇させて死んだポップに授けられた奇跡は、ザオラルを成功させるような強力なものではなく死出の途を辿る彼への呼びかけのみであって決して神の涙はその身が大きく損なわれる程に強い力を奮った訳ではない。

     テラン城での戦いの際にヒュンケルとクロコダインは我が子と死闘を繰りひろげるバラン様の力を削ぐ事でダイ様へ助力しようと死力を尽くしていたから、神の涙はパプニカの姫と占い師の娘からのポップの蘇生を乞い願う祈りを叶えようとしたのだろう。

     神の涙は生の世界から歩み去ろうとするポップを弱虫だと詰り、ダイは一人で闘っている、お前はダイを見捨てる薄情者だと……お前のメガンテで散る姿を見て記憶を取り戻したと悟らせてまんまと「ダイを死んでも見捨てない」と奮起させて足止めに成功したのだ。
     ならば死したままポップが放ったという魔法は、ダイ様に死の鉄槌を降さんとしたバラン様を一瞬とはいえたじろがせる程の威力をもった魔法力は何処から齎されたのか?

     ポップが魔法力を使い切ったのを俺はこの目で見ている。
     ダイ様が匿われたテラン城へ我々が向かう途上に現れたポップは重力魔法(ベタン)で騎竜を三頭圧殺し、飛竜をも爆殺した上でガルダンディーにとどめをさす為に残り少ない魔法力を振り絞っていた。
     いやしくも獣人ならば人とは比べ物にならぬ耐久力を持つのだから、ガルダンディーを倒したイオは少なくない魔法力を使ったはずだしその証拠に直後ポップは気絶していた。 
     魔法使いが魔法力を使い切ると往々にしてそうなるものだ。

     そこからテラン城へ引き返す時にヒュンケルが携帯していた薬草をポップも口にしたそうだがあれには体力を多少戻す効力しかない上、短くはない距離をヒュンケルの肩を借りて戻ったということは一刻を争う事態でもルーラを使う魔法力すら戻っていなかった証拠だ。
     魔法力を使い切ってしまったら回復アイテムを使うか睡眠に相当する休息をとらねば回復しないのは、初歩魔法の心得がある程度の俺ですら知っている。

     それだというのに一度に一つの細やかな願いしか叶えることができない神の涙がポップの足止めに力を使っていた時に死者が魔法を撃ち、しかもそれはダイ様の絶体絶命の危機を救うタイミングでバラン様の背後を襲ったのだ。
     他のアバンの使徒も獣王もダイ様とポップの魂の絆がもたらした奇跡だとして理由を考えようともしない。
     答えを知る筈の神の涙が失われたとはいえ、なぜ彼等は疑問すらもたないのかラーハルトは未だに理解できない。

     バラン様が人間抹殺の志を捨てダイ様に地上の未来を託されたのは、ダイ様が仲間を守る為に常識では勝てる筈もない成体の竜の騎士との戦いに相討ちにまで持ちこまれた事が大きいだろう。
     だが人間に絶望しておられたバラン様の御心を先に揺るがせたのは、友の為にバラン様と竜騎衆にただ一人戦いを挑み、友の記憶を取り戻す為に自己犠牲呪文を唱え、死してなお友の危機を魔法の発動で救い、竜の血を授けられれば友の歎きに応え死んではおられぬと刹那に甦ってみせたこの魔法使いだ。
     悲しみと憤りの中に閉じておられたバラン様の世界をこじ開けたのは、俺の忠義ではなく死のさなかに放たれたポップの魔法力とダイ様の怒りと悲嘆だった。

     俺がヒュンケルに想いと魔槍を託し、安堵して黄泉路を降っている間にもダイ様を心身共にお支えしたのはポップなのだ。
     甦る迄の時の差を思う度ラーハルトは唯人の筈の魔法使い自身が奇跡を起こした可能性を、秘跡をうけた者全てが蘇生する訳では無いとご存知だったバラン様がポップの蘇生に驚かれなかった意味を繰り返し考えざるを得ない。

     黙考に沈むラーハルトに対していつも通りかつての自らの死に関心なさそうなポップは今まさに水面から湧き上がってきた白い霧を指差しあれが毒の霧だと説明をした。
    「似てると思わねぇか?毒に慣れさせ最後には全身が毒を帯びるようになるはずの“毒娘”とミストバーンが自分の器にしようと暗黒闘気をヒュンケルに与え続けてたのはよ。どちらも少しずつ毒に慣れさせて思い通りの兵器に作り上げようって遣り口がさ」
    「馬鹿げた考えだ。毒に慣れたからといってその身が毒に変じる筈はない。魔族の一部には毒を体内に溜め込んで武器にする者もいると聞くがひ弱な人間如きがそんな真似ができる訳がなかろう」
    「そう、できる訳がねぇんだ。何千年と生きてきたってのにミストバーンにゃあ所詮“生き物”のことはなんにも分かりゃしなかったんだよ」
     ポップは独り言のように続けた。

     王の暗殺に差し向けられた娘も、ヒュンケルもたまたまその毒素に他の候補者より耐性があったに過ぎねぇ。
     暗殺にその水を使おうとしたのはその領主だけじゃなく、それ以降も何度もあったそうだ……毒が揮発して薄まった「死の水」を飲まされる“毒娘”や暗殺対象よりその水を毎日のように汲みに行かされる下働きの方がよほど多く死んだろうにな。

     ヒュンケルもそうさ。ミストバーンに拾われた時あいつはまだ8つかそこらだったのによ。
     小さな子どもが暗黒闘気を、あのダイがそれで受けた傷を治そうとベホマをかけても直ぐに回復しなかった程の毒を10年余りも飲まされ続けたんだ。
     ヒュンケルは昔の事とはいえ弱みを口には出さないがどんなにか苦しかっただろうに。
     どんなに苦痛でも生きるために飲まざるを得ない毒で死にかけては生き返り、また死にかけて。
     ミストバーンは暗黒闘気で傷を修復できる身体に…ハドラーがそうだったように魔族のような体質にヒュンケルもなったと勘違いしただけなんだよ。
     人間にはそんな無茶は長くは続かねぇのによ。ミストバーンがマアムを乗っ取った所を見たろ?
     身体が壊れるのを無視した、リミッターを外した力を数分でも振るうと人間は深刻なダメージを受けるんだ。
     いくら暗黒闘気で修復するとしても、回復しきれないダメージは身体の根の深い所へ蓄積されていく。
     アバンの使徒として暗黒闘気を使わなくなったからヒュンケルの身体が壊れたんじゃねぇ、時間の問題だったのさ。
     人間の寿命は魔族に比べて短い上に戦士として魔族に勝る程の戦闘力を奮い続けられる期間は更に短いんだ。
     俺の師匠、大魔道士マトリフは大戦当時「1分だけならまだ地上最強だって自信がある」と言ってたが裏を返せばそれ以上は保たねぇってこった。まあ100才にもなる年寄りだかんなあのお人は。

     ポップはあの丘に降りるぜ、と湖の上空から離れながら続けた。
     この湖の伝承をアバン先生から俺が聞いたのは修行の旅の途中でたまたま側を通りがかった時のことさ。しかもかなり離れたこの丘からだったよ。ほら、そこの木がちゃんと生えてる所からさ。
     アバン先生がヒュンケルと旅をしている時にこの近くまできたことはあったが決して近寄らなかったそうだ。
     毒の霧は子どもの腰丈位まで溜まっている所もあるって話だからな。
     先生はまだ子どもだったヒュンケルを万が一にも傷つけるような真似はしなかったがこの湖の、天然の毒について教える機会が無かった事が今となっては仇になったのかもしれねぇ。
     ゆらゆらと毒霧の陽炎が立つ湖面を遠くから見つめるポップは幼いヒュンケルを見失ってから今も続くアバンの苦悩を慮り眉根を寄せた。 
    「ポップ。これ以上被害者が出ぬよう貴様のメドローアでこの湖を消すことはできないのか?」
    「出来ねぇことはねぇがそいつは先生に止められた。湖の何処から毒が湧いているか分からねぇし、逆に言やぁ今は湖水が直接空気中へ噴出しねぇように蓋になってるからな」
     下手に消し飛ばして全く別の場所、例えばもっと人家近くに噴出口が出来ても困るんだと、ラーハルトの無茶な提案を極自然にポップは受け止めた。
    「調べてみたらここ数年旅人の被害が増えてると分かったから、もうこの湖の危険性はロモスの王様に進言済みだよ。近くの宿場町を中心に注意喚起するし湖も立ち入り禁止にしてくれるそうだ」

     ヒュンケルの意志を尊重し無理にカールへ療養の為に連れていく事はせずとも師であるアバン王に相談をし、ロモス王とは面会を済ませていると分かりラーハルトは内心舌打ちをした。
     17.8才の若輩者で爵位も官位すらない者が一国の王に日をおかず面会する権利と進言をする伝手を持ち、尚且つ王がその言を即座に受け入れた事を知るのはこれで何度目だろうか。
     そろそろヒュンケルの所へ戻るからしっかり掴まれ、とニカリと笑い左手をさしだすポップは大魔道士という厳つい名乗りがいつの間にか可哀想なほど似合うようになっていた。

     ルーラの呪文の響きが耳から去る暇もなくヒュンケルの待つ家に仕掛けた破邪結界の前に着くと、ポップは右手の人差指と中指を揃え何も無い空間に文字を書くようになぞって結界を解除し、ラーハルトと内側に入るとまた同じような仕草で封鎖していく。
     その一連の動作は最小かつ滑らかで、大魔宮でカイザーフェニックスを解呪したスキルを応用したものだとラーハルトが知るのはかなり後の事になる。
     慣れれば鍵いらずで楽だぜと片眉を跳ね上げる得意気な顔は湖で見せた人の気配が薄い様子と落差が激しくてラーハルトは混乱した。

     湖でポップから感じた人ならざる気配は竜に似たものだった。
     ラーハルト達竜騎衆が馴らし使役するモンスターの上位種に堕ちた地上生まれのドラゴンどもではなく、姿かたちは人間と変わらぬバラン様やダイ様からも感じた「知恵ある竜」の気配だ。
     バラン様から与えられた一滴の竜の血はポップを何処迄変えるのだろう。
     ラーハルトは答えを知りたくないとはじめて思った。

    ☆帰属
     また控えめなルーラの着地音がラーハルトの耳に届いた。
     もう3日も経ったのか、と胸の中で指折り数え、ヒュンケルの熱はまだ上がり下がりを繰り返してはいるものの昨日から少しは起き上がれるようになったことに如何に浮かれていたのかと自分自身に呆れた。
     ヒュンケルが頻りに庭先に出たがるのを日が高く暖かい時分だけにしておけと宥め、そんなに元気なら茶でもいれてくれと厨に押込んでから辺りを一回りしてくると言ってラーハルトは家を出た。
     家に残されたヒュンケルは前回ポップが持ってきた薬を咳に効く茶だと信じて俺の分まで用意してくれるだろう。
     生水は体に悪いし白湯を飲む習慣が無いと一日に何度も水分をとるのは煩わしいだろう?とポップが手土産代わりにと持ってきたアバンが特別にブレンドしたという甘苦い茶には、細かく刻んだ体力を回復させる薬草とパデキアの茎が少なからず入っていた。
     表情にだすことはないが薬代が嵩みポップやラーハルトに負担を掛けるのを気にしているだろうヒュンケルに悟られずに病の治療薬の他に「滋養強壮の薬湯」を飲ませることができる、とポップは悪戯が成功したように笑っていたが、今日ポップは俺たちに何を齎し何を突きつけるのだろう。無駄だと分かっていても考えてしまう。

     目視できる範囲であれば瞬きの間に辿りつく事ができるラーハルトの駿足が槐の落ち葉を巻上げポップに彼の到着を告げた。
    「待たせたな」
    「いつもながらどっから湧いてくるかわかんねぇほど足が早ぇよなお前さんは」
    ポップは最近よく見せるようになった穏やかな笑顔でラーハルトを迎えた。
    ……良い兆候ではないが今は問うべきではない。
    ポップの両肩に掛けられた荷物の内食料が入っているだろう重そうな方に黙って片手をさしだし受け取ってからラーハルトは真上にちらりと視線を向けた。
    「アルミラージの鞣した毛皮と角を10匹分この木の梢近くに括りつけた。部屋代と薬代の足しにしてくれ」
    えぇっそんなに?と分かりやすく驚き、部屋代なんていらねぇのにと言いかけてグッと口を噤むポップにやはりあれはお前の家か、とラーハルトは畳み掛ける。
    「よく分かったな」
    「家財が全て二人分だが片方しか使われた痕跡がなかった。俺達の為に用意された服の他にしまってあった服もお前のサイズともう少し小柄な男物だったしな」
    ダイ様とポップの身の回りの品以外に身分証を二つ見つけた事は口にはだせなかった。……ポップの事だ、彼らとは名が異なる三歳差の少年の身分証をわざと俺に見つけさせたのだろう。
    あいつは、ダイ様の魔法使いは常に戦いと撤退の備えを怠らない。

    ラーハルトが素知らぬ顔で「ダイ様」に療養していただく為の家だったのに俺たちが使って良かったのか?と問えばポップは頭をかいてから仕方無さそうに答えた。
    「あいつなら兄弟子の為になるなら使って欲しいというと思ってな。人が住まない家は傷みやすいし、怪我か病気かは分からねぇがもしダイが療養するなら実際に必要な物を先に洗い出したいと前から思ってたんだ」
    だから俺もヒュンケルを利用してたんだからあんまり負担に思わねぇでくれ、と秘密が明らかにされ胸のつかえが取れたからかポップは精々とした顔になった。

    「しかし大して近道にもならない険しい山を横切る間道とはいえ街道へぬける道を封鎖までしたのはやり過ぎではないのか?」
    庭からラーハルトの視力でギリギリ見える範囲にある山間の間道を数日経っても唯の一人も旅人が通らないので不審に思い、ヒュンケルの看病の合間に街道まで辿ってみると土砂崩れで入山口が塞がれていた。
    もしやと間道の先にある別の街道に繋がる入山口も調べてみればそちらも大量な倒木で塞がれていた。
    道理で人が通らぬ筈だと納得はしたが、崩れ方が不自然でもあり山の所有者や付近の役人が道の修繕をしないのは何故かと考えて服の件も含めて誰がこの家と周辺の所有者か察しがついたのだが。

    「あの道から向こうの池まで含めた山全体が俺の名義だから問題ねぇよ」
     ロモスからの褒賞の一部なんだとポップはケロリと答える。
     流石に驚き目を見張ると、ポップは材木にして売れる木が植わってる訳でも鉱山な訳でもねぇから見ての通り資産価値は0に等しいけどな、書類上で一代限り無税な土地を贈っておけば王様を誤魔化せるとお役人は思ったんだろう、と鼻先で笑った。
    「ロモス王は太っ腹なお方だがお役人やお貴族様は、ぽっとの出の庶民に下級とはいえ「領主」にはなって欲しく無かったのさ。それに俺も社交だの政治だのに関わるのは最小限にしたかったからwin-winだぜ」
    「地上を救った勇者パーティーの一員だというのに虚仮にされて腹は立たないのか?」
     実年齢から年々遠ざかる少年のままの顔からふっと大人びた微笑だけが返る。
     答える代わりにそろそろ行こうぜとポップに促されヒュンケルの待つ家に今度は二人歩いて向かった。

     ポップは改めて「家」へのびる獣道にしか見えないか細い山道を見渡した。
    「だがなぁここなら理想的だと思ってな。ダイが勇者でなく唯の少年として暮らす準備をするにはさ」
     ラーハルトも不本意だが首肯かざるを得ない。
     ダイ様の功績を鑑みれば本来一国の玉座ですら釣り合わないのだ。
     勿論パプニカの姫はダイ様を配偶者にと擬えているだろうが、もし竜の騎士がパプニカの王となればただでさえバーン大戦で疲弊し国力も兵力もガタガタになっている他国は一瞬の祝福の後に彼の国を疑いの眼差しで見るだろう……大勇者が王配でなく「共同統治者」になったカールに対して既にそう見ているように。

     大魔王バーンを討伐されたダイ様はお一人でさえ人類国家の軍事力を上回るのだ。
     そして畏れ多い考えだがダイ様に対抗しうる戦略眼や戦闘力を持つのは人間ではもはやカールのアバン王と大魔道士ポップだけだ。
     アバンと、アバンの使徒(ダイ様の仲間)だけがその力を持つという事実に何時まで人間たちは耐えられるだろうか?
     そう遠い先ではないとラーハルトは幼い日々にうけた迫害の記憶から容易に予想できた。

     だがモンスターのみが住む島でお育ちになられたダイ様がもし勇者や王族として生きることを望まれず、庶民として暮らす常識や市井で生きるための術を学ばれるのであれば、素性を悟られずにそれらを身につけるには人里離れた場所の方が理に適っているし腹立たしいがその教師役には庶民の出で尚且つ不世出の天才二人から教えを受けたポップが最適だろう。 
     ダイ様もルーラ修得者なのだから街から離れて暮らされても生活に不便はあるまい。

     それに比べて俺は戦い以外でダイ様をお守りする術を持ち合わせていないのではないか?
     忸怩たる物思いに耽るラーハルトに彼の機嫌を損ねるてまで深入りするのを避けて、ポップは家から離れた所で落ち合う本来の目的であるヒュンケルの容態を訊ねた。
    「ヒュンケルの熱は順調に下がってるか?今回の薬は解熱と咳止めと痛み止めに分けたんだけど、症状が無ければ解熱剤は半量にしてくれ」
     解熱薬で一時的に熱が下がっただけかもしれねぇから急に止めるとぶり返すかも、とポップは肩から下げた布袋から色で分けた薬包紙を見せる。
    「昨日から熱は下がって大分楽になったようでな、今朝から庭にでて鈍った体を鍛え直すと言ってきかぬのだ」
     目を離した隙にヒュンケルが畑の野菜に水遣りをしていた、と聞いてポップは目を丸くした。
    「あいつが水遣りをする姿なんて聞いてもイメージわかねぇわ」
    「あれには俺も驚いたが、なんでも子どもの頃に地底魔城で失態をおかした植物系モンスターがハドラーからの仕置きで水も肥料も碌にない所に植えられた事があって、それに水をやるよう命ぜらて覚えたらしい」
     死火山を利用して築かれた地底魔城を知るポップはあんな岩だらけの所に植えられてよく枯れなかったな、流石はモンスターだと呟いた。
    「なんでも最初は知能が低いモンスターが担当していて真面に水をかけて貰えなかったらしくてな。流石に魔王軍の四天王に対して哀れだと同格の幹部が世話係としてヒュンケルを指名したとか」
    「え?ヒュンケルはその頃まだ6才になるかどうかだろ?満杯の如雨露を持って何百段もある階段を往復するのは重労働だったろうに」
    「如雨露は重たかったろうがそのモンスターにお前は賢いだの流石はバルトスの子だと煽てられてせっせと水遣りに励んだらしい」
     あの「三年に片頬」も笑わぬような真面目が服を着たとしか見えない男も煽てにのせられるほど幼い頃があったのかと思うとなんとも微笑ましい。
    「そっか。当たり前だよな、あいつは地底魔城で育てられたってこたぁそこに住まうモンスター達にも仲間だと思われてたってこった」
     仲間という表現に腑に落ちない顔をしたラーハルトにポップはデルムリン島での魔王の影響下に入ったモンスター達の凶暴化とアバンによるマホカトールによる鎮静化を説明した。
    「魔王ハドラーのお膝元でだぜ?ブラスじいさんみたいに言語まで操れる程知能が高い奴どころか下っ端のモンスターまで“敵である人間”を傷つける事もなく仲間扱いしてたってことだよな」
    「奴隷扱いだったとは思わんのか?」
    「もし本当に苦役だったなら植物系モンスターへの水遣りの事もヒュンケルはお前に話しはしねぇさ」
     ポップはヒュンケル達の仮住まいの方角へ眼差しをそそぐ。
    「親父さんの敵は結局ハドラーだったが、あいつにとっての仲間や家族はみんな先生達に討ち取られたんだな」
     苦いものを口にしたようなポップの声音にラーハルトは鼻を鳴らす。
    「今更だ。それを言うならヒュンケルがパプニカを滅ぼした件はどうなる?」
    「姫さんが引導を渡してくれたろ?父親を不死騎団に殺された人の決断を国民にだって無下には出来ねぇさ」
     レオナ姫自身が被害者だからこそヒュンケルを降将として裁いた判決に重みがある。
     復讐の連鎖を止める為に生きながら償い続けるより公開処刑の方が余程慈悲深い判決だったと、パプニカの民には思わせねばならないとまで当時の姫に考え到っていたのかは分からないけどなとポップは溢した。

    「そうだ、今日はこいつをお前さんとヒュンケルに渡すつもりできたんだ」
     薬が入っていたのとは違う小さな革製の巾着を開けてポップが見せたのは上部に紐を通す為の穴が空いた赤子の掌程の大きさをした正方形の金属板だった。
    「カール王国の身分証だ」
     は、と乾いた笑いがラーハルトの喉を通り過ぎた。こんな馬鹿げた冗談は聞いたことがない。
    「貴様ついこの間カールを壊滅に追い込んだのは誰だと思っている」
    「分かってるさ。でもお前が受け取らないとヒュンケルもそうしねぇだろうからな。それに見てくれ、お前さんのは今回作られた物だがヒュンケルのは違うんだ」
     正気で言っているのかと呆れるラーハルトの前にズイと掌にのせられた札が突き付けられた。

     二枚の札の表には「ラーハルト」と「剣士バルトスの子 ヒュンケル」そしてその裏には「フローラ=カール及びアバン=デ=ジュニアールⅢ世」と「フレデリック=カール」とありヒュンケルの名を刻んだ文字は心なしか角が丸くなっていた。
    「フレデリックはカールの前国王の名前だ。アバン先生はヒュンケルをバルトスさんから引き取った後直ぐにカールで身元を登録したのさ」
     だからなんだという白けた顔のラーハルトにポップは懐からもう一枚の楕円形の札を出した。
    「これは俺の身分証だ。国や領地によって大きさ、形は違うんだが耐熱性の素材で作られているんだ」

     ポップはラーハルトにゆっくりと札の両面を見せながら説明する。
    「子どもが生まれると親や親代わりの人が役場に子どもの名前を届けでて、国民なり領民として登録された証として身分証が発行されるんだよ。俺の場合は 鍛治師ジャンク 母スティーヌの子 ポップ、裏書きはベンガーナ王国 クルテマッカⅦ世になってるだろ?そして子が成人するか奉公にでたり独立して実家から離れる時に親から渡されるもんなのさ」
     俺の場合家出してたから親父から渡されたのは結構最近でさ、と頑固おやじに殴られたのを思いだしたのだろう顎のあたりをさすりながら苦笑いをした後でポップは不意に真顔になる。

    「メルルの占術に新しい卦が出た」
     言い終わる前にラーハルトはポップの両肩を掴んだ。
    「ダイ様は何処に居られるのだ!」
    「放せよ馬鹿力!」
     手を振り解こうと暴れるポップをラーハルトは難なく抑え込み今や遅しと急き立てる。
     やっとダイ様のお役に立てる。
     俺は役立たずではないと、子どもの頃に住んでいた村の悪童に石を投げられて泣いていた弱者のままではないと証明してみせる。
     バラン様の御遺言を実行できる喜びを噛み締めラーハルトはポップの言葉に耳をすませた。

    ☆遺言
    「イーピゲネイア。魔界のバーンが治めていた領土の辺境部にある地名だ」
     もうロン=ベルクに確認したと告げるポップ は諦めたのかラーハルトの手を振り解こうとしない。
    「地上の捜索は終了だ。これからは魔界へ降りる方法と魔界でダイと合流する方法をカールのアバン先生を中心にして検討する」
     とはいえもう目星はついてるんだ、と続けるのを聞きいつの間に?と疑問がよぎるがこの師弟にとってはいつもの事だと短く無い付合いで知っていた。
     アバンとポップは常に思考を、行動を止めない。
     一つの事象に多数の対応策を考えその反応を想定した布石を先行して散りばめる……この山あいに密かに建つ家も、俺がダイ様を見つけだす事しか考えていなかった間にその先に何が待っているのかを予想した対処法の一つに過ぎないのだろう。

    「魔界への入口の有力候補の一つはカールの破邪の洞窟だ。カールの重要拠点に出入りする為にお前にはカールに恭順しろとまでは言わないが和解してもらう必要がある」
    「俺が諾といってもカールの国民が是というまい」
    「そこんところは先生が上手くやるから気にするな。それに魔王軍に傷つけられた側から手を差し伸べたんだ、一度くらい手をとってもいいだろう?」
    「憐れみを乞うつもりも魔王軍に所属した覚えも無い。俺は竜騎将バラン様の命で喜んでカールを滅ぼしたのだ」
     虐殺者と謗れば謗れと言い放つラーハルトにため息を一つ吐いてからポップは肩から彼の両手を振り払い姿勢を正す。
    「お前はバランの遺言を理解していない」
    「言うに事欠いてっ」
     かっとなったラーハルトが再び掴みかかろうとするがポップの身体に触れる前に戦闘になじんだ経験が距離を置くことを選択した。
     俺が退いただと?選りによって人間の後衛職(魔法使い)に対してなんと無様な事を。

    「バランはお前にダイの忠実な下僕になれなどと馬鹿げた命令はしていない」
     混乱する相手をひたと見つめポップから紡がれる言葉がラーハルトの怒気を煽る。
    「貴様如きがバラン様を語るな!」
    「バランがダイ、いやディーノと生き別れてから何を考え何を行ってきたのかには口をはさむ気はねぇよ。だがなぁダイが竜の騎士で父親も竜の騎士だということはバーン大戦中にサババやカールの秘密基地に集結した奴らは知っている」
    「それがどうした」
    「ヒュンケルは壊滅したカールで、カール騎士団長の弟と出会ってその兄の亡骸を探す手助けをしたんだ。騎士団長は魔王軍の軍団長と戦ったが剣では死ななかった。亡骸が纏っていた鎧にこれと同じ紋章が刻まれてたんだ」
     ポップは左袖を二の腕まで捲くりあげ二年経っても消えない傷痕を見せた。
    「紋章閃……」
     ラーハルトの目が無意識に揺らぎ拳に力が入る。
    「そう紋章閃だ。竜の騎士の証であり竜闘気を込めて攻撃する手段でもある……ああ先に言っとくがその紋章の跡は破壊されてる。鎧は形見として弟の家に保管されていたんだが、アバン国王が慰問に訪れた時に劣化が激しかったのか何故か紋章が刻まれた部分が崩れて穴が空いたんだそうだ」
     偶然って恐ろしいよな、とポップは白々しく笑みを浮かべた。

    「つまりダイと竜騎将バランが親子だということはテランにいた俺達とカールの秘密基地に集った中でも一握りの人しか知らないが、知ろうとすれば誰にでも解るヒントはもうでちまってるのさ」
    「なんの話だ」
    「先代の竜の騎士と魔王軍の軍団長、竜騎将バランが同一人物だってことがさ。一握りのダイと共に戦った者以外に広まる前に対処するべきだ。こいつぁダイの為にならねぇ話だかんな」
     ポップはラーハルトに向かい一歩進む。

    「ラーハルト、お前がいくら魔王軍に所属した覚えはないと言っても無駄だ。バランは元魔王軍軍団長でカールとリンガイアを滅ぼした張本人だ。パプニカの国民に骨の髄まで恨まれてるヒュンケルと同じくな。そしてリンガイアとカールの国民は超竜軍団長を憎む理由がある」
    「バラン様が人間を滅ぼすと決意された理由もあるのを忘れるな」
    「忘れちゃあいねぇさ。だがな、アルキード王とバランの処刑に携わった兵士は兎も角アルキードやカール、リンガイアの民になんの罪があった?」
     また前に出るポップに気圧され後退るラーハルトの後ろ髪がいつの間にか張り巡らされたマホカトール結界に弾かれ小さくスパークがはしった。

    「バランは竜の騎士として生まれもった使命を果たし冥竜王を討ちとった。そして歴代の竜の騎士の中で初めて決戦から生きのびて恋をし愛する女性との子どもを授かり、その両方を失った心の隙間を大魔王バーンに突かれたんだ」
    「バラン様はバーン如きに惑わされて人間を滅ぼそうとされたのではない!竜の騎士として裁きを降されたのだ」
    「ならなぜ11年も人間達を放っておいた?息子が行方知れずになった時にはもう邪魔をしそうな地上の覇権に拘るハドラーは身動きがとれなかったし大魔王バーンは人間なんざ眼中に無かった。それに幾らアバン先生でも怒り狂ったバランを倒すのは難しかったろうよ」
     当然だとかえしながらラーハルトはバラン様が怒りを露わにするのを直接見たことがなかった事を今更思い出し愕然とした。
     最初は孤児である俺を拾って下さった恩人としてお慕いし、長じては部下として忠誠をお誓いしたがバラン様の怒りは半分とはいえ人間の血をひく俺にはただの一度も向けられる事は無かった。
     バラン様と同じく俺が人間を憎んでいたからか、それとも俺でなくとも嘗てのヒュンケルのように人間を憎む者なら誰でも良しとされたのか?
     もし俺がバラン様にお会いした時に人間に味方する振舞いをしておれば、魔族の血をひきながら人間に媚びる愚か者と切捨てられていた可能性に思い至り今更血の気が引く。

    「バーンが言葉巧みに唆すまで竜の騎士としての最後の一線は越えなかったが、バランは超竜軍団長と成りカールとリンガイアを神勅ではなく(大魔王バーンの命令)で滅ぼしたんだ。バランは竜の騎士としてあるまじき所業をなしたが天は、神々はそれを咎め無かった。誰に三界最強の武力を揮おうと竜の騎士の裁量に任されていたからだ」
     神々にとってはバランの負の感情なんて理解できないバグに思えたろうよ、いやどっちかってぇと神勅(ルール)の隙間を突かれたのかとポップは笑う。
    「神々は自ら定めた法則から逃れられないから、被造物である竜の騎士もずっとそうだと思っていたのかもな。俺を見てたら分かるだろうが、子は親の思い通りに成長したりはしねぇのさ」
     バラン様がテランでディーノ様を取り戻そうとして果たせなかったようにだろうか。ラーハルトは苦い舌を動かす。
    「ダイ様はお父上を慕われていた筈だ」
    「だとしても父さんの言いつけを全部きくって条件付きの愛情じゃあ、記憶喪失になったディーノはともかくあいつの心には響かなかったのさ」
     ポップは詰め寄る代わりにまるで巨体を誇るドラゴンが自らより小さな使役者を見つめる時のように小首を傾げラーハルトをしげしげと見上げながら話題を変えた。

    「ヒュンケルの身体は死の大地へ行くまでに疾うにボロボロだったがバーン大戦を最後まで戦った。そんなことができたのは何故だと思う?それはな、あいつがアバンの弟子の長兄だから弟妹たちを見捨てられなかったんだよ。特にまだ幼いのに勇者として、更に竜の騎士って出生のプレッシャーに耐えながら傷だらけになっても止まることも逃げることも許されなかった末弟の事はな」
     だからバランの遺言にあったように〘ダイの兄弟〙になってやってくれねぇか?と願うポップの眼は暖かく凪いでいる。

    「あいつは、ダイはデルムリン島育ちでモンスターの友達はいても俺と先生がやってくるまで人の友達も親兄弟もいなかった位肉親の縁が薄い奴なんだよ。だからせめて“バランからの竜の血”を分け合ったあんたに兄貴でいてやってほしいんだ」
     頼むよ、とポップの手がラーハルトの肩にかかりそっと結界から遠ざけながら視線をカールのある方向へ彷徨わせる。
    「カールの騎士団長の弟が何か事をおこさねぇかアバン先生がしっかり目を光らせてる。あの人は国王に目をかけられてると信じてるのによ、可哀想に」
     ポップの声音には細やかな嫌悪と憐れみが含まれていた。

     リンガイアと違いカールに対するラーハルトの想いは複雑だ。
     バーン大戦時は単に人間への復讐を遂げ思う様破壊する快感を味わったものの、戦後にダイ様を捜索する旅の途中でカールを通るたびにアバン王の屈指の頭脳と指導力、フローラ女王の揺るぎない統率力で瓦礫の山でしか無かった王都や主要な都市の機能が驚異的な速度で復興されてゆくのを呆れ半分に見ているしか無かった。
     先日カールを通過したときなど国一番の広さを誇る川に架けられた真新しい木造の橋を見て、この前の石橋を破壊するのは結構手間だったのにとつい呟いてヒュンケルに肘打ちを食らったのは記憶に新しい。

     俺達竜騎衆の破壊した跡が修復されるにつれ、街の賑わいとそこかしこに人間の笑顔が増えていく。
     あの時は竜騎衆の騎竜や使役する竜の吐く炎に逃げ惑い尾で薙ぎ払われ瓦礫に押し潰され牙で爪で切り裂かれ為す術なく死んでいったのに、我々の奮った暴力は結局人間全体には大した痛手ではないと突きつけられたように感じる。
     
     何時ぞやポップが師匠と呼ぶ年老いた大魔道士が誂い混じりに言っていたな。
    「人間ってぇなあ一人一人はか弱いが寄り集まると下手なモンスターより強ぇのよ。お前さんは半端なく強ぇがそいつを忘れると痛い目に遭うぜ」
     俺も酷ぇ目にあったと諧謔と嫌気が半々の声音で語ったが、どこかしら面白がってもいるようにも聞こえた。

     だが肉体の弱さと精神の強さを鏡に写したような人間と魔族の関係を平等な眼差しで見ることができた筈の竜の騎士(調停者)はもう居ない。
     人間の心を取り戻して亡くなられたバラン様ならば、踏みにじられてもいつの間にか立ち上がる人間の強かさを今なら良しとされるのだろうか。
     それとも、所詮地上の主は人間どもでしか無いだけなのか。

     アバンの使徒の中で、王族であるレオナ姫を除く者たちには国土の大規模な破壊を免れたベンガーナとロモスから報奨金と官職を、カールやパプニカからは爵位と共に騎士や宮廷魔道士などの地位が授けられようとしたらしい。
     ヒュンケルはどちらも固辞したが結局アバン王の養子としてカールの准王族の地位を断る替りにカールへの定期の報告の義務とダイ様を捜索する旅費の援助を受けることを約束させられたと青ざめていたが、ポップは各国から受取った報奨をダイ様の探索に纒わる他人には識られることを拒む謀(はかりごと)に費しているようだった。

     ロモスの公式記録に載っていて例え隠れ棲んだとしても足がつくここではなく、またアバンにさえ識られる事のない隠れ家をポップは既に用意しているに違いない。
     だから今回アバンにこの「公然の秘密の隠れ家」の存在を知らせて見せ札にし、何処かに用意した本命の家と新たな身分証の取得とを伏せたのだろう。

     カールの身分証もいつでもヒュンケルに渡すことができたのに、このタイミングを狙ってきたのはアバンからの「貴男を私は忘れていません、そして子どもの頃手放してしまった償いをさせてほしい」と師が望んでいることを耳元で囁いて心身を弱らせたヒュンケルに後ろめたさを殊更に吹き込み師のもとで治療を受けさせる為だ。

     それがわかっているからヒュンケルが回復し始めた筈なのにラーハルトは素直に喜べない。
     それにポップから先に聞いている「死の湖」の毒にあたった者の病状は、十日から十五日ほどで一旦回復し、旅人の場合は復調に喜んで旅を再開した数日後にまた倒れるのが通例なのだそうだ。
     ロモスの湖沼地帯の病に詳しい医師によると体力や病に対する抵抗力が著しく弱っている者が湖の毒に冒される事が多く、回復期を挟んで顕在化するのが本来の持病であるらしい。
     ポップがカールのアバン王の元へ最初から連れて行かなかったのはヒュンケルの持病が明らかになり治療方針が固まるのを待っていた、と言う方が正解なのだろう。
     あの師弟は隙をみせたと錯覚させ油断を誘うこと、彼らの望む行動を相手に悟らせず自ら選ぶよう思考誘導をする搦め手を好む。

     正しく清廉な心を持ちその視点からのみ語る他のアバンの使徒たちは、対話でも交渉でもなく敵や味方にすら正論をぶつけるだけに終始しているだけだと、本人も気づいてさえいないようにラーハルトには思えた。
     対象的にポップのアバン流口殺法と揶揄されることさえある師譲りの交渉術は戦いだけに有効ではないのだと納得するしかない。
     恐らく、いや確実に俺やヒュンケルも今正に搦めとられている最中だ。
     アバンとポップ(師弟)らしいとその手を振りほどければ良いが、奴らは現実という鞭と相手によって異なる飴をちらつかせて追い込んでくる。 
     ほら、このように。

    「カール城の一角にある療養施設でヒュンケルを治療させる体制が整った」
     元々伝染病に罹った兵士達の療養設備として城から隔離させた建物だったが、超竜軍団に破壊されたのを機に全面的に見直されアバン先生のひいた設計図で建て替えられたと無駄に胸を張るポップは篤々と語る。
    「映えある患者第一号だぜ、光栄に思ってくれ。この話はお前と俺のどちらからヒュンケルに話す?」
    「……俺から言う」
     一瞬の躊躇いの後、ラーハルトの喉が答えで軋む。
    「そうか。いつ迎えに来たらいいか?」
    「五日後の日没前にしてくれ。ヒュンケルは隠そうとしているが夜になると咳が止まらなくなる時がある」
    「分かったよ。その頃にはあいつが病にかかってから十日以上過ぎるからそろそろタイムリミットだったしな」
     ラーハルトは先程までの言い争いを忘れたかのようにポップが辿り慣れた道を真っ直ぐに進んでいくのを恨めしく見守るしかなかった。


    ☆昼餐
     ヒュンケルは食前の薬湯を飲み終わるとお前の分も洗ってくると言ってラーハルトのカップも一緒に持っていった。
     熱が下がったのだから家の中くらい好きに歩かせろと苛立つヒュンケルの勢いに負けて、これくらいならと食器を洗うのを任せたら急に機嫌をなおしたところを見ると余程ベットに縛り付けられたこの数日で鬱屈が溜っていたのだろう。 
     熱が下がったなら早く気をきかせて無理のない範囲で動かせてやるべきだったとラーハルトは反省した。

     出会った時のヒュンケルの「俺は不死身だ」と自殺願望でもあるのかと思うほどに怪我も生命も惜しむことなく敵に立ち向かっていた姿が強烈すぎてヒュンケル=無茶の図式から離れることが難しいがいい加減思いこみから脱却する頃合いだろう。
     .....いやヒュンケルは魔族に相当する相手と戦って勝てない体ではあるかもしれないが無茶をできなくなった訳ではないのだ。
     地上生まれのモンスターや或いは人間の兵士ならばそうそう負けることはあるまいが、魔王軍に所属していた時の振る舞いを悔いている男が、もし家族の仇と詰め寄る人間に刃を向けられたとしたら闘うのは論外としても果たして逃げる道を選ぶだろうか?
     武人としての誇りを守り潔く命を投げだすよりも、最後の最後まで活路をみつけようと足掻くのがアバンの使徒の力だと超魔生物に自らを変えた····ある意味自分の力で高みに到る道を諦めたハドラーが拘り認めた人間の魂の力をヒュンケルも持っているはずだ。
     だが、精神力が肉体の限界を容易に越える戦士職の悪い意味での思い切りの良さを甘くみるのはやめよう。
     ヒュンケルには目を離した隙にあいつにとって大切な何かの為に軽やかに命を燃やし尽してしまいそうな予感がする。
     それはアバンの使徒の姉妹弟子には無く兄弟弟子にだけ共通する残酷な相似点だった。
     彼らは自らが重んじる他者を護る為になら呆気ないほど刹那の判断で自らを犠牲にして憚らない事をラーハルトはバーン大戦を通じて思い知らされていた。
     ヒュンケルが生き残ったのは単なる偶然だ。
     そしてポップとダイ様は出会ってそう長くないにも関わらずお互いの為なら自らの生を投げだす事を厭わなかった。

     ラーハルトの思考が内に向いている間にいつの間にか壺に汲み置いた水をつかって食器を洗う音がとまり、鍋に水を入れる音がする。
     湯を沸かそうとしているのか竈の熾火をかきたてる為細く切った枯れ枝を更にへし折りくべる音が聞こえた。
     この山の中の一軒家はヒュンケルとの旅で立ち寄った集落や街より静かなのかと思いきや、ラーハルトの鋭敏な聴覚には野鳥や獣にモンスターの縄張りを喧伝する遠吠えや少し離れた池に注ぎ込む小さな滝のざわめきが常に飛び込んでくる。
     人間どもの気配が不協和音をよぶ雑沓よりは気分が良いが長閑な田舎はあれども全く生き物の声音が聞こえない静かな田舎というのは、そう言えばオーザムの雪原ぐらいかとラーハルトはひとりごちる。
     あれはあれで一度嵐になれば金切り声に似たブリザードが強弱はあれど常に響いていて、よくこんな土地に人間が住み着いたものだとそしてフレイザードに滅ぼされた後国ごと放棄されたのも宜かるかなとヒュンケルと話し合った……俺達が滅ぼした国は再建されつつあることは暗黙の了解で口にはしなかったが。

     ドーン、と特徴的なルーラの着地音が直ぐ側から聞こえた。
     今日はポップの来る予定の日ではないと思考する前にラーハルトは魔槍を掴み音源に辿りつく。
    「よお、おはようさん」
     ポップは気安い声でラーハルトに挨拶をしひょいとばかりに右手を上げ、傍らにはずいぶん大きな布包みが置いていた。
    「大荷物だな、急にどうした?」
    「ポップか。この間から随分世話をかけたな」
     戸口からヒュンケルが顔を見せるとポップが途端に慌てた声をだす。
    「おいおい出歩いていいのかよ」
     チラリと病人を甘やかすなよと批難の目をラーハルトに向けポップは足早に庭へ入ってきた。
     無造作に結界を越えるのを見てラーハルトは一瞬身を強張らせた……自分が結界に触れた時のまるで雷撃を受けたような強烈な痛みと閃光が蘇るがポップは気にする様子もない。
     真実マホカトールとは魔に属する者だけを排除するのだと関心している間にポップはヒュンケルの元へ辿りつき額に手を当て熱を計る。
    「良かった、熱は下がってるな。でも無理するとぶり返すから程々にしたほうがいいぜ」
     子ども相手のような手当てをされたヒュンケルがポップを軽く睨みつけ、無理をするというなら竜魔人と化したバランや完全体バーンに肉弾戦を挑んだ魔法使いには言われたくないと返すとポップはあからさまに目をそらした。
    「赦してやれ。ここしばらく庭より外には出てはおらぬ」
     退屈しておるのだと続けるラーハルトにそうだよな、とポップは目尻を下げた。
    「退屈しのぎっちゃあなんだが、アバン先生からの差し入れを持ってきたんだ」
     ヒュンケルの背を押し早く家に入ろうぜと騒ぐポップに思わず口角があがる。
     騒がしい人の気配でも快いものはあるのだとラーハルトは吐息分だけ笑い、置きざりにされた布包みを手に取った。

     差し入れはアバン王手作りの大量の料理だった。
     アバン王は我々が何人連れと誤解しているかと疑問になるほどずしりとした重さの布包みを食卓の脇に置く。
     布を解き中の二つの木箱の一つを開け、ポップはテーブルいっぱいに料理が詰まった大小さまざまな容器を出してから最後に一番大きな箱をじゃじゃーんとBGM付で開けた。
    「これは……アバンか?」
     くるくる髪をした男のにっこり笑顔が食材で象られた珍妙な箱を見下ろしヒュンケルと二人で首をひねるとノリが悪いな〜とポップは口を尖らせた。
    「バーンパレスに先生が持ってきてくれたお弁当はお前さんたちは食べらんなかったろ?だから先生があのランチセットを忠実に再げ」
    「ちょっと待て。バーンパレスに弁当を持ってきただと?!大魔王と決戦している最中に?」
     ラーハルトが食い気味に聞くとヒュンケルもポップも遠い目をして力なく応えた。
    「アバン先生だからな…」
    「流石大勇者…なのかねぇ…でも美味かったよ」
     さあ食べようぜ!と無理矢理話題を変えたポップにヒュンケルも茶を入れるから二人とも手を洗ってこいとバーンパレスでの捨て身の闘い方を指摘されたくないからか話題をそらす流れに乗る気満々な様子で厨へ入っていった。

     井戸から水を汲むのは面倒だと湧き水に柄杓を突っ込み先ずラーハルトの手を清めようとするポップに今日は何の用だと問うと、お前さんの知恵を借りてぇんだとボソボソと囁く。
    「貴様には借りがある。要件によってはきかぬでもない」
    「有り難てぇ。詳しくはヒュンケルの前で説明する」
     再び掬いあげた水を自分の両手にまんべんなくかけて清めた手から滴る水滴を振り落とし、ポップは先生の料理は美味えんだぞ驚くなよ!と自慢気に片眉をはね上げた。

     アバンご自慢のランチセットと何種類かの野菜や肉詰めのパイ、ラーハルトには名前が分らない副菜の数々と具沢山のポトフにデザートetcは療養中のヒュンケルにあわせたのか油分が控えめで、薄味だが出汁やスパイスが効いているのか確かに冷めていてもどれを食べても旨かった。
     とはいえ米の蒸し煮らしい物をベースにソーセージや野菜や卵でアバン王の顔を模ったメインディッシュとやらに手をつけるのは少々抵抗がある。
     味はどうあれ仮にも人の顔面にフォークを刺すのは中々勇気がいるので、ヒュンケルやポップも揃って所狭しと広げられたパイや魚の煮つけから手をつけているから人間も似たような気持ちになるらしい。

     手の込んだ料理は久しぶりだから皆しばらく無言で食べていたことに目の前の料理が粗方腹に収まってから気がついた。
     少々気恥ずかしいがヒュンケルもポップもお互い様だからか指摘する気はないらしい。
     メインディッシュの周りに置かれた料理が大半腹に収まった頃、三人揃ってはたとフォークが進まなくなった。
    「なんだよ二人ともあんま腹減って無かったんか?無理すんなよ、まだまだ箱の中にも沢山あるからな手をつけてないのは夕食にまわしてくれよ」
     ポップはアバンの顔を模った弁当にさっさと蓋をし元々入っていた大きな木箱を開けた。
    「日持ちさせる為にこの箱には先生考案の工夫がしてあるんだ」
     手にした蓋を裏返しすと木目でなく内側が白く霜がついている。
    「内張りされている金属にヒャドをかけたのか?」
    「御名答!」
     ポップは一旦中に料理が入った小箱を全て取り出してから木箱の中と蓋に両手を触れて小さくヒャドを唱えた。
     内張りを凍らせ冷気を木箱で逃さないようにした保温箱の中にもう一度残った料理を詰め直してポップは振り向く。
    「頻繁に開け締めしなけりゃ明日の夜まで冷たいままだと思うぜ。花丸印がついてる方の箱の料理は保存の為に砂糖や塩を効かせてるから食べる時は加減して下さいって先生が言ってた」
    「先生にくれぐれも礼を言っておいてくれ」
    「わかった。でも身体を治したら後で自分でもちゃんと言えよ。定期連絡することになってんだろ?」
    「わかっている」
     どうだかねぇと嘯くポップは自分もずいぶんアバンに心配をかけていると自覚しているのだろうか。
    「忘れてた。二人にこれを渡すように頼まれてたんだっけ」

     花丸とやらがついている箱の上の布袋を手に取りポップが差しだすのをつい反射で受け取ると開けてみてくれ、と急かしてくる。
     話している間にヒュンケルが片付けてくれたテーブルの上に袋の中身をとりだすと、数種類の獣の鞣し皮に艶出し用の大小様々な動物の牙、荒い研ぎ出し砥石から磨きあげの砥の粉に曇りを拭う為の油と織りを変えた何枚かの磨き布までが整然と帯状の道具入れに収まっていた。
    「槍の手入れ道具か。魔装の槍には修復能力があるが手入れを怠りなくすれば更に良い働きをしてくれるだろう」
     ヒュンケルが常に我が傍らにある魔装の槍を頼もしそうに見るものだからラーハルトは人間の情けは受けぬ、と断わる言葉を飲み込まざるをえなかった。
     アバン王の手料理を散々食べた後では尚更だ。

    「前にアルミラージの皮と角をくれただろ?アバン先生を通じてフローラ様に献上したら殊の外お喜びでさ。これならラーハルトの役に立つだろうってお二人が選ばれたお返しの品なんだ」
     薬代にあてるつもりで狩った獲物をポップに渡したとヒュンケルにも話していたから、アバン本人が使うなり売るなりするものだ思っていたのでヒュンケルともども当惑した二人の目線が絡んだ。

    「アルミラージの角は眼病に良く効く薬の原料になるんだが人間にゃあ中々手に入らねぇのよ。あんだけ纏まった量は見たことがないって先生喜んで踊りだす始末でさあ。早速施療院に渡しますよって言ってたし、毛皮はリンガイアへ贈るそうだ。あの国の冬はカールどころじゃない極寒の地ですからって。“我々持てるものより寄る辺ない者から”がフローラ女王、アバン王の方針だから王族として威儀を正す必要がない所に金や手間をかける贅沢はなさらないよ」
     アルミラージの毛皮はなめらかな手触りと毛並みの美しさで人間の間で持て囃されているから、てっきりフローラ女王のマントにでも仕立てるのかと思っていたから些か拍子抜けした。
     それにしても角はカールへ毛皮はリンガイアへか、皮肉が効いている。
     まるで俺が超竜軍団の一員として滅ぼした国へ詫びをいれたようではないか。

     次いでヒュンケルに渡されたのは信心深い旅人が肌身はなさず持つ祈祷書のような小型の本だった。
     ヒュンケルがまさか、と常ならぬ性急さでページを繰り本の中を検めて目を丸くした。
    「アバンの書じゃないか。だが以前の本と少し違うような…」
    「アバンの書改訂版だってさ。従来の各種殺法解説と正義の使徒心構えに加え、ヒュンケルバージョンとしてなんとアバン流健康法と秘伝のレシピを大増ページ!」
     書物を増やすには手間をかけて写本するしかないし、かと言って下手な者の目に触れて彼の志を捻じ曲げ悪用されないようアバンの手元に戻ってからはカール城の書庫に厳重に保管されていたはずだと記憶しているのにまさか王自身が写本をしたのか?と驚かされた。

    「カールは復興半ばでいくら時間があっても足らんというのに俺の為にこんなことまでさせてしまうとは」
    「気にすんなって!先生は気分転換になるからかえって政務の効率もあがったって喜んでだぜ」
     そこまで言ってポップは声をひそめ、
    「改訂版は一番弟子から二番弟子へって続く予定なんだ。ヒュンケルがグズグズしてると俺たちの番が遅くなるから早く受け取ってくれよ」
     そこまで言われては俺には過ぎた物だとアバンへ返す訳にもいかずヒュンケルは有り難くいただく、と頬を染めた。

     引き込まれるようにページを捲りだしたヒュンケルが思わずといった調子でポップに問いかけた。
    「確かに以前読んだ時より分厚くなっているが……増えているページの八割がたがレシピなのは気のせいか?」
    「え?あぁ…まぁ、アバン先生の事だからな」
     どれだけ料理が好きなのだアバン。そして元不死騎団長に何を期待しているのだ。
     珍妙な髪型はそのままに、いつの間にか曰く言い難い髭まで増やしたアバン王の顔を思い浮かべ、魔王ハドラーを倒してから行方を十五年もくらませた勇者にぞっこん惚れこみ待ち続けたフローラ女王の男の趣味は分からんと改めてラーハルトは思った。

    ☆親子竜
     ついに立ったままアバンの書を読み耽りはじめたヒュンケルの腕を引っ張り椅子に落ち着けてから、ポップが今日の本題なのだろう頼み事を切りだした。
    「ロモス王都近くの村なんだけど、上空をここんとこ毎日二頭の竜が飛んでいくんだと。村人がすっかりパニックになっちまってさぁ」
    「ほう」
    「ほうじゃねーよ。竜騎衆にゃあかわいいドラゴンちゃんかもしんねーが俺たち普通の人間には脅威なんだよ!」
    「ドラゴンちゃん?……普通っ……?」
    「ヒュンケル。寒いのか?震えてるぞ?」
     とうとう本に突っ伏し遠慮も呵責もなく笑いはじめたヒュンケルにジト目を向け、長兄の笑いのツボは判んねぇなとぼやくポップにラーハルトは飛竜と俺になんの関わりがある?と続きを促した。
    「一緒にロモスに行って竜たちがなんで急に王都の周りを飛ぶようになったのか調べて欲しいんだ。竜が人間を襲わないように人里から離す方法が分かればなお良いんだけど」

     バラン様と竜騎衆の騎竜は初手から重力魔法で殺しておいていったいどの口が言うのか、と呆れたのが分かったのかポップがヒュンケルに目顔で助けを求めた。
     珍しく頼み事をする次兄にあっという間に絆された長兄は尤もらしい言い訳をはじめた。
    「人間の為でなく竜の為に一肌脱いではくれないか?幾ら竜が強靭な生き物とはいえ数で勝る人間に追い回されるのは迷惑だろう」
    「そうそう。俺だって竜と会えば見敵必殺って訳じゃあねぇのさ」
     元々ポップに返しきれない借りがつのっていくばかりなのだから、よほどの事でなければ頼みに似せた要望は最初から飲むつもりだった。
     ヒュンケルにもそれは分かっているのだろうが、下手に藪を突いて機嫌を損ねないかと心配しているのが透けてみえるのが面白く無い。

    「善は急げだ。今からその村へ行けば丁度竜が飛んでくるのに間に合うはずだぜ」
     よく言うものだ、タイミングを見計らっていたくせに。
     ポップのあまりの現金さに一瞬臍を曲げてやろうかと大人げない気がおきたが、また明日同じ騒ぎを起こされるのも面倒だし今の内に·····ヒュンケルの体調が良い内に済まそうと軽く身繕いをして魔槍を手にする。

     その僅かな間に厨に行っていたポップが何やら手にしているのが見えた。
    「食後の薬湯だろ、忘れんなよ」
     ヒュンケルの手にいつの間にか煎じ終わった薬湯のカップを渡して、もう一度まじまじと長兄の顔色を覗ってからポップは軽く部屋を見渡す。
     まるで暫く帰らない家から出立する時の様だ。それはまだ、数日は猶予がある筈なのに。
    「夕方には戻れそうか?」
     開け放った扉から青空を見上げヒュンケルが問うた。
     つまりヒュンケルは俺の帰りを待ち、一緒に夕食を食べて一日を終えるつもりなのだとわかりラーハルトの胸奥が柔らかく燻る。
    「竜たちを村から遠ざけるか村人に竜が近づいた時の避難の仕方を教えてから、ロモス王宮で王様にも謁見するから早くて夕方、遅けりゃ夜になるかもな」
    「おい王宮まで行くとは聞いておらんぞ」
     ラーハルトが眉根に皺を寄せるとポップが伝家の宝刀、ダイのエピソードを持ちだした。
    「ダイがはじめて勇者として王様から国民にお披露目されたのがロモスでさ。あいつもロモスには格別に思い入れ深ぇだろうと思うんだけど」
    「仕方ない。今回だけだぞ」
     ラーハルトを宥めようとしてヒュンケルの中途半端に上がった手が行き場を失いパタリと落ちた。

     竜の体色やおよその体長を聞き竜種の見当はついたが、うったえてきた村人も遠目でしか見ていない情報なので対処法は結局ラーハルトが現物を見て判断するしかない。
     魔槍の出番がこなければ良いがと、ラーハルトは久方ぶりの出番がきたと喜ぶように小さく唸る槍を握り締めた。
    「俺にもできることがあればいいんだが」
     戸口まで見送りにでてきたヒュンケルが視線を落とす。
    「せっかく療養しているのだ、無理は本末転倒だ」
    「ようはラーハルトの為になる事がしてぇんだろ?新アバンの書にはスープのレシピもあったから、ここの畑にある野菜でできるものを夕飯用に作ってみちゃあどうだい?」
     ヒュンケル用の本だといっていたが先に一度は目を通したらしい弟弟子の提案に長兄はやってみようと頷いた。
    「じゃあ行こうか。ラーハルトを借りていくぜ」
    「行ってくる。スープを作るのは良いが夕方までに時間はある。無理せず一度は休んでからにしろよ」
     分かったと声が聞こえるや否やポップの全身から魔法が、まるで毒の湖から揺らめきだした毒のような白い靄が立ち昇る。
     呪文が魔法使いの唇から滑り出すと共にグイと風が顔に叩きつけられるのに逆らい、ラーハルトが振り返ると既に家は遥か彼方に飛び去っていた。
     驚いたことにヒュンケルはもう俺には見えないと思っているのか子どものように“いってらっしゃい”とばかりに手を大きく振っていた。

     その仕草で「我が家」から見送り見送られた頃からもう何年たっただろうかと、仮住まいをしているのは両親と暮らしていた家に似ているからかつまらない事を考えてしまう。

     ヒュンケルの待つ家が山並みの陰に完全に消えた頃ポップは進行方向に見えてきた村を指し示した。
    「そろそろ着くから気をつけてくれ」
     ポップの呼びかけに応えラーハルトは竜たちへの対応へ頭を切りかえることにした。

     ドーンと飛翔呪文らしい音と土煙をたてラーハルトたちが着いたのは典型的な農村の中心にある広場だった。
     時ならぬ大音声に広場を取り巻くように建つ家や近くの畑から驚いた村人達が飛びだしてくる。
    「大魔道士様!良く来て下さいました」
     村で一番大きな家からまろびでた小太りの男は王宮に陳情にきた時にポップと面識のできた村長らしい。

     わらわらと集まってくる村人より恰幅の良い男は恥も外聞もなく自分の子どもの年頃にしかみえない「大魔道士様」に縋りつき、竜の飛来に怯えた村人の中には妻子を知り合いの所へ疎開させる者も出始めたと泣き言を連ねた。
     あまりの剣幕に二の句が告げなかったポップが村長をしばらくなだめてやっと「竜の専門家」を紹介すると、ラーハルトが目深に被せたフードを除けその人外ながら秀麗な容貌をさらけだすと村長も村人たちも息をのむ。
    「魔族.....」
     縋りついたのと同じ速さで村長はポップからも距離を置き村人たちは恐怖を隠さない目で二人を見つめた。
    「竜の習性に詳しい奴といえばラーハルトをおいて外にはねぇんだ」
     慌てて仲介に入るポップに対してすら村人もありありと疑惑の目を向けている。

    「帰った方が良さそうだな」
     助けを乞うたというのに相手が魔族であれば不満だというならば、ラーハルトとて暇ではないからさっさと引き上げるのみだ。
    「勘弁してやってくれよ。見慣れてねぇだけさ。それより今日はまだ竜は飛んでこねぇのかい?」
     強引に話を進めたポップに対して顔を引き攣らせながらも村長はまだです、と答えた。
    「噂をすれば影だな。来るぞ」
     ラーハルトの目に青空を穿つ染み、遥か彼方を飛ぶ竜の姿が映り村人たちが浮き足立つのを後目にジッと目を凝らした後短く息を吐いて声を張った。
    「狼狽えるな。あれは草食性の母子の竜だからこちらが動かなければわざわざ襲って来はせぬ」
    「ははこ?」
    「小型で青みがかった方が雄の仔で大型で灰色の方が母竜だ。一月程前から定期的に飛んでくるのは巣分かれの時期だからだ」
     ポップにも竜影が見えたのだろう喉奥からヒュウと吐息が漏れ、どうすりゃいいんだ?と慌てて問うてくる。
     己一人ならどうとでもできるだろうに態とらしく騒ぐさまが鬱陶しい。
    「貴様らも騒ぐと余計に寄ってくるから建物に入れ。建物がなければ近くに物陰があればなるべくそれに身を寄せて動くな。開けた所で出くわしたら逃げ回るよりしゃがんで姿勢を低くしろ」
    「竜がくるってぇのに逃げるなってのかよ!」
    「そうだ。彼奴等は動かぬものが木石か動物かを見分けることができない」
     その証拠を見せてやる、と腰を抜かした老婆を抱えて教会の壁際に逃れたポップと、避難先から俺の言葉に耳をそばだてているだろう村人たちに言い放ち、ラーハルトは魔槍をぐさりと地に突き刺し両手を組んで唯一人広場中央に立ち尽した。
     間断なく聞こえていた家畜の鳴き声もいつの間にか止み、竜の翼音だけが大きくなっていく。
     あの音は死の囀りと呼ぶのだと幼いラーハルトに教えてくれたのはガルダンディーだったとふいに懐かしさとともに何か熱いものが胸の奥からこみあげる。
     あいつは友なる竜ルードとあの世とやらで会えただろうか。

    「く…るっ」
     老婆を自らの身体で覆い隠すように庇っているポップから圧し殺した悲鳴が漏れたが、ここに着く前に言い含めたように攻撃魔法を放たないよう、既に魔法使いとしての本能に近いあの白い靄を纏わぬように懸命に耐えている。
     竜やモンスターは敵意に敏感だから攻撃魔法が発動する気配があれば直ぐ様降りてくるだろう。
     村人たちが頼りにしている「大魔道士」こそが最も竜を呼び寄せる可能性が高いことを知らないのだから皮肉なものだ。
     ラーハルトの確信に満ちた言葉に戸惑いながらも物陰に隠れ動かず息をひそめた村人たちを一顧だにせず、竜たちはあっさりと村の上空を飛び去っていった。

    「ヒュ〜ッ おっかねえ」
     態とらしく額の汗を拭ってポップはラーハルトのもとに駆け寄った。
    「だから巣分かれの時期だと言ったろうが。父竜の縄張りを教えて、この範囲の外に出ていけと促しておるのだ」
     怖怖と身を起こす者、隠れた場所からでてくる村人にも聞こえるよう再度声を張る。
    「雄の仔竜は巣立つと長い年月をかけて自らの縄張りを勝ち取り、番いにした雌をその中に住まわせる。そして我が仔が生まれたならば、雄の仔なら成竜になる前に巣立たせ、雌の仔は自ら離れるまで手元に置く」
     人間みたいだなあと、少し余裕がでてきたのかラーハルトを遠巻きにしている村人の中で若者が軽口を叩いた。
    「父竜の縄張りから雄が出てゆくのは近親姦を避ける知恵だそうだ。生まれた地域に住む竜は全て血縁があるのだから」
     ラーハルトは魔槍を地面から引き抜いた。
    「用は済んだ筈だ。行くぞ」
    「あのっ」
     ポップのもとに大股で歩み寄るラーハルトを村長が呼びとめた。
    「ありがとうございます」
     村長は深々と頭を下げ礼をのべるが膝が震えているのは竜の襲来を逃れた安堵が原因だけではないだろう。 
     村長の振る舞いを見て慌てて他の村人も怖ず怖ずと頭を下げるのは知恵を授けにきた俺に非礼を咎められるとでも思ったのだろうか。
     逃げださないのは天晴だがかと言って目を合わそうともせず「魔族」に怯える人間どもにはうんざりだ。
    「礼なら大魔道士に言え。あいつに頼まれてした事だ」
     つき合っていられんとポップ肩を掴み、さっさと行けと促すと素直じゃねぇなあと笑いながらポップはルーラを唱えた。

    ☆試金石
     村から飛び立ってから左程かからず二人が降り立ったのはロモス城の人気が無い中庭だった。
    「大魔道士として正門から入らずともよいのか?」
    「王様と面会の約束…あー謁見だっけ?そいつはしてるからいいんだよ、ってぇかここではあんま目立ちたくねぇ」
     無造作に頭を掻いてポップは迷うことなく王宮の奥へと案内も無しに入っていく。
     途中で出会う警備兵や役人がポップが連れた魔族であるラーハルトにギョッとし身構えるのに対して「勇者ダイの仲間だ」と告げながら明るく挨拶をかえしていたが、貴族相手には身分にあわせ宮廷礼をした後相手に話しかける隙を見せずポップは更に足早に進んでいった。
     程なく本宮の最奥に当たる謁見の間につき、ポップはラーハルトにここでは突っかかるまねはよしてくれよと窘めた。
    「何の話だか分からんな」
     にべもない返事に溜息をつきポップは分厚い扉前で改めて名乗ると警備兵は恭しく最敬礼をしてから重厚な扉を開けた。

     予想とは裏腹にロモス王は謁見の間に居並ぶ家臣と違い魔族であるラーハルトに恐怖や嫌悪の表情を見せる素振りは無かった。
     そういえば妖魔師団長ザボエラの息子にまんまと潜入を許した警備が笊な宮廷だったと思い出し、そんな経緯があっても王の面前でよく魔槍を取り上げぬものだとラーハルトは内心呆れた。
     武装解除を迫られればそれを理由に退散しようと目論んでいたのにどこまで御人好しなのか、彼我の差を自覚した上で開き直っているのか。
     大魔道士がそばに控えているから安全だとでも思っているのかもしれぬ。

     ポップから促されラーハルトが嫌々竜が迫った時の避難法について話すのに王は穏やかに相槌をうっていたが、切りの良い所で髪と同じく雪白の髭を撫でのんびりとした口調で問うてきた。
    「貴公は竜を操るドラゴンライダーだとパプニカのレオナ姫から聞いたことがあるが、どうであろう飛竜をロモスの人里から遠ざける術はないものかのう」
     流石に一国の王は一見好々爺に見えてどうして抜け目がない。

    「飛竜は操るより追い払う方が難しい」
     手の内を何処まで見せるべきか悩みつつラーハルトは慎重に答える。
    「追い払うなど生温い。民を脅かす怪物は退治するのが当然でしょう!」
     矢鱈と張り切った発言をしたのは謁見の間に控える者の中で最も若く、如何にも貴族らしい豪奢な衣装にゴテゴテと宝石を散りばめた剣を自慢気に腰に佩いている男だった。
     ならば滑り止めの革紐すら巻いておらず、恐らく素振りすら碌にしたことがないのが丸分かりなご自慢の剣を振るって自分で討伐に行けば良いと喉元まででそうになったが、堪えてくれとポップが小さく首を振るのでラーハルトは矛先を変えた。
    「言うは易いが飛竜をどうやって退治する?」
    「…っそれはっ 貴様らアバンの使徒一党の役目だろう」
     他力本願この上ないがこの場に居並ぶ者たちの本音は皆こんなものなのだろう。
     ポップはいつもこんな欲しくもない物を押しつけられ有り難くもない期待を負わされているのか。
     いっその事ポップがもっと俗物な地位や権力を好む奴であったならお互い気楽だったろうに。

    「確かに俺にもポップにも飛竜を斃す手段はあるが、その後始末まで期待されては困る」
    「後始末だと?死骸の始末なら兵が処理するから心配するな」
     結局それも他人(兵)頼みの癖に威勢だけは良いがその態度がいつ迄続くのかとラーハルトの口元に思わず冷笑が浮かんだ。
    「竜にせよモンスターにせよ、死闘を繰り広げるならばお互い無傷とはいかぬし必ず戦闘の痕が残る」
     一旦話を止めラーハルトはロモス王と側に仕える貴族や兵士たちを端から端まで見渡した。
     きっとあの日ピラァオブバーンを凍らせる為にルーラでオーザムへ飛べる者を探しにきた男たちの前で項垂れていた者たちと似たような顔ぶれなのだろう。
     喉元過ぎれば熱さを忘れる危機感のない奴らにこれからの話が本当に通じるのか甚だ怪しいが、ヒュンケルの言葉を借りるのなら「竜の為に一肌脱いで」やろう。

    「母子の竜が己のもとへ戻らなくなれば父竜は必ず縄張りを隈なく探し、殺された事に遅かれ早かれ気づく。竜の知能を侮っているようだが竜を斃せるのは同じ竜族か、人間共だと判らぬほど竜は愚かではない」
     先程の威勢のよい若造もその周りの王の側近達もラーハルトの話を聞いてポカンと口を開けている。
     竜に、というより怪物(モンスター)に親子の情や知性が備わっているとは考えたこともないらしい。
     ならば同じ言葉を話す目の前にいる「魔族」も言うに及ばぬのだろう。
     
    「母子の血肉の臭いを嗅ぎつけ、その場に残る人間の臭いにも気づく。そして近くの人間の寄り集まった所、あの村へ報復に行くだろう」
    「そなたらが人里離れた場所で竜を倒せばよかろう!」
     そうだそうだと言わんばかりに頷く馬鹿ども等を目の当たりにしてラーハルトはため息しかでない。
    「魔の森の何処から飛んでくるのか解らぬ竜を、定期的に目撃されている村以外の何処で待ち伏せよというのだ?」
    「血肉が残るのが問題ならば大魔道士のなんとかという魔法で消せばよいのではないか?サババで集落ごと山を削り取ったとかいう…」
     あっけらかんとした物言いにラーハルトの背が強ばった。
    「……それこそ取返しがつかなくなるぞ」
     俺の声は震えていないだろうか。
     斜め後ろに佇む勇者の魔法使い(竜の守護者)が密かに微笑っているのが見ずとも解る。
     ダイ様やバラン様と同じ、人の姿をした竜の気配が声無き哂いと共に強くなるにつれラーハルトの心臓は冷たい鉤爪が喰いこむように痛んだ。
     自分達に手に負えぬ強者に対して強硬に排除するのか、それとも懐柔し味方へと取り込もうとするのか?
     ロモスがダイ様の敵味方どちらの側に立つのか選別する為に竜の脅威に託つけ、ラーハルトという試金石を回りくどくも竜の知識を持つ者として連れて来たと分かり奥歯を噛み締めた。
     
     単に飛竜の来襲に晒された村人の問題ではなく、人間を遥かに凌駕する力を秘めた魔族であるラーハルトやロン・ベルク、バーン大戦において人間でありながら一度も瞳に成らず数千年不敗を誇る天地魔闘の構えを攻略した魔法使い、そして歴代の竜の騎士を遥かに超えた双竜紋を所有するダイ様の敵になる者なのかを判断する試金石にしたのだ。
     ただ自分たちより強く恐ろしいというだけの理由で気安くメドローア(死の光)で竜を殺せと叫ぶ者は、容易く竜の騎士の隔絶した力を疎み排斥することを望むだろう。
     想像するだけでも悍ましいことだが、ダイ様を直接害することができる者は限られている。
     ならば奴らは、ニンゲンどもは自分の手を汚さず誰にダイ様に対して刃を向けさせるつもりなのか火を見るより明らかだと、ラーハルトは無意識に魔槍を握り込んだ。

    「先程から竜の討伐には消極的なようだな貴公は」
     ロモス王が意外そうに言い、周囲の者たちをひと睨みで黙らせた。
    「確かに最後に我が国の騎士団が竜と戦い倒したのは先王の時代だが竜一頭ならば我らでも対処できよう。かなりの被害がでるじゃろうがな」
     ロモス王は居並ぶ家臣に厳しい目を向けた。
    「ロモスを我らの力で守れぬのではロモス騎士団の名折れであろう。最初からアバンの使徒殿の助力頼みでなく被害を減らす知恵を絞らねばならぬ」

    「いい事を教えてやる」
     ラーハルトはロモス王に聞かせる体で家臣たちに釘を刺す。
    「メドローアで母子竜を消し飛ばせば次に父竜に襲われるのはロモス王都だ」
     藪から棒と言わんばかりな間抜け面を晒す奴等の頭に染み込むようラーハルは緊張からくる頭痛を堪え丁寧に言葉を重ねた。

    「どれだけ探しても母子の行方が知れず、縄張りに入り込んだ竜の匂いも無いならば人間が仇だと父竜は判断するだろう。先ほども言ったが竜を害せるのは竜か人間と相場が決まっているからな」
    「だからといって王都にくるとは限るまい?」
    「父竜は勿論母子が飛行していた航路を知っている。いくらその線上にあるとはいえほんの数十人の集落である村よりもその側にあって掃いて捨てるほど人間が群れをなす王都の方が敵がいる可能性が高いだろうが」
     陸竜ならば被害を度外視すれば陸戦に特化した騎士でもなんとか対応はできようがバーン大戦時にルーラの使い手が居なかったロモスの事だ。
     飛竜にさえ攻撃手段を持つヒュンケルのような卓越した戦士も、ポップのような地形すら変えるような遠距離に威力を発揮する攻撃魔法の使い手も所属してはいまい。
     竜の気の済むまで破壊の限りを尽くされるゾッとしない未来予想図に顔を見合わせる家臣の中から凶悪な竜を見過ごせというのか、と大分トーンが落ちた声がした。
    「ただ上空を飛び去るだけの相手に下手な刺激をするなと言っておるのだ。奴らにとっては人間など地を這う虫と異ならぬ。触らぬ神に祟りなし、と言習わすだろう?貴様らはポップに飛竜を殺させるつもりだったのだろうが残念だったな」
    「ラーハルト。勝手な想像で他人を悪く言うもんじゃねぇぜ」
     最初にラーハルトを紹介してから殆ど黙って見ていたポップがやっと話しに加わり竜の専門家であるラーハルトの意見を全面的に受け入れる、とロモス王の言質をとって短いながらも精神的に消耗する「謁見」を終えた。

     謁見の間の扉が彼らの背後で閉じるとポップは意味不明な呻き声をだしながら伸びをして、肩凝った緊張したぁと傍目を憚る事なくボヤいた。
     扉の両側を守る警備兵は見慣れた光景なのか無作法なポップを咎める様子はない。
     やんちゃな子供を見守るような目でみる兵士たちにとってポップは大魔道士ではなく、勇者と共に百獣軍団や超魔生物と戦った魔法使いのままなのだろう。
     それだけでもあの年齢にしては大概な戦歴だが。

     兵士らにまるで近所の親父にするような軽い別れの挨拶をしてずんずん進んでいくポップを耳障りな甲高い声がかけられた。
    「これはこれは大魔道士殿。お父上から私の申し出は聞いていただけましたでしょうな?」
     国の復興すら半ばだというのに贅を凝らした上質な絹織物を身に纏い両手指全てに下品なまでの大ぶりな宝石を飾る指輪を填めた初老の貴族は、ポップが自分の要件を優先すると信じ切った馴れ馴れしい態度で立ち塞がった。
    「ご機嫌ようダンカン侯爵様。生憎忙しくしておりまして、実家には暫らく帰っておりません」
    「それはいけませんな。いつまでも(個人的な)行動をしている訳には参りますまい。アバンの使徒ともあろう御方には相応しい地位が必要ではありませんか?ですから·····」
     あろうことか勇者ダイ捜索を揶揄するような口振りにポップの瞳は剣呑な光を帯びる。
    「非才の身には勿体無いお話しです。どうかお捨て置き下さい」
     謙ってはいるがきっぱりと断わるポップに庶民に口答えされた経験が無いだろう侯爵は苛立ち声を荒げる。
    「若造が。大人しくしておればつけ上がりおってっ」
     何の話だか分からんが埒が明かぬとラーハルトは謁見の間をでて直ぐに深々と被ったフードを跳ね除けると「魔族」を間近に見た侯爵は腰を抜かした。
    「なっ なぜ魔族を王宮に連れこんだっ」
    「失礼な。彼は近頃王都近くに飛来する竜について情報提供をする為に王命で俺が連れて来たのですよ」
     王を引き合いに出されては貴族にはぐうの音もでない。
     へたり込んだ侯爵をそのままにしてポップとラーハルトは足早に去った。

     もうすぐ中庭にでるところでポップは申し訳無さそうにラーハルトに頭を下げた。
    「悪ぃな、変な奴に絡まれちまって」
    「気にするな。人間のすることには元々興味がない」
     きっぱり切り捨てられたというのにポップはやっぱり?と笑った。
    「一応説明すっか。俺を養子にしたいって何度断わっても諦めない人なんだよ。他にも縁談とかさぁ…」
     後半は消え入りそうに小さく口篭るポップの表情は照れるでも自慢気でもなく、気味の悪いモノに纏わりつかれたように不快感で引き攣っていた。
    「アバンの使徒が我が子同様となれば貴族として箔がつくとでも?」
    「そのくせ言葉の端々に庶民の分際でとか貴族に加えてやるからなんでも自分の言う通りにしろって透けてみえんのがさぁ」
     大体親父なんてもんは一人で充分だと口を尖らせる。
     そうか?と返しながらラーハルトは亡き実の父と偉大なる…恐れ多くももう一人の息子と書き残していただいた今なお慕わしいバラン様のお姿を思い浮かべる。
     俺だとて自分の将来の為にどちらかを切捨てよと言われたならば巫山戯るなと反発するだろう。
     ポップが拘るのはそんな貴族の優越感にまみれた庶民に対する差別感情への反感と、大戦時に大魔王と戦う理由の一つだった「家族」を守る為なのだろうか。

     身内と呼べる者に次々と先立たれてきた自身の来し方に気を取られていたラーハルトの耳に一向に声変りせぬ少年の声が届いた。
    「詫びの代わりといっちゃあなんだがまだ日は高けぇ。今からヒュンケルの故郷へ行ってみねぇか?」
     ついさっきのイザコザをつるりと忘れたような顔でポップはラーハルトに右手を差しだした。
     暖かく心地よい風が吹く王宮の美しい中庭で、再び大魔道士でも武器屋の倅でもない気配を纏う少年がラーハルトの動揺を見透かすように微笑っている。
     今から俺の何が試されるのだろうか。
     薄氷に素足でのるような痛みを呑み込みラーハルトは竜の騎士の魔法使い(ポップ)の手をとった。

    ☆銀髪
     今度の行き先はホルキア大陸だとポップは言った。
     ロモスを横断し海へ出てカールを遠目に見ながら北進するポップに地底魔城へ行くのか、と訊ねるとその前に行くところがあるとだけかえってきた。
     パプニカの姫にでも会うのかとも思ったがパプニカ王都のダイ様の剣が安置された丘のある方向にポップは視線を向けただけでそこからは更にスピードを上げて飛んでいく。
     パプニカ北端の街を越えると人家は絶え険しい山並みが続く野生動物とモンスターのみが跋扈する太古から変わらぬ世界が続いている。

    「ハドラーは本拠地をホルキア大陸に構えたが本格的な侵攻は宣戦布告をしたカールを含むギルドメイン大陸を中心に行ったのは何故だと思う?」
    「他でもない。幾ら魔族やモンスターが人間どもより強大な力を持とうと本城を攻められては世界征服どころではないからな」
     ラーハルトは遥か後方のロロイの谷を再訪した時の事を思いだした。

     ヒュンケルと残骸になったバーンパレスの中に魔界や魔族に関する情報がないかと随分探索したが、あの日傲然と人間共を見下ろすかのように天空に舞っていた白亜の城は劫火に焼き尽くされ唯の黒ずんだ瓦礫になりはてていた。
     魔界の隔絶した技術や魔法を、唯でさえ恵まれた地上にまんまと盗まれぬように今度は灰塵に帰したのは天界や精霊どもの意向であり証拠隠滅、いや機密保護なのかもしれない。
     前魔王軍からキラーマシンや魔界産の凶悪なモンスターを掠め盗りパプニカの王座を狙った、ある意味目端の利いた男たちも結局ダイ様〜竜の騎士(神々の遺産)に倒され無に帰した。
     ヒムがグランドクルスで突破口を開きアバンとポップがルーラで仲間を連れ出さねば俺も「地上に似つかわしくない魔族」としてバーンパレスの主要部のように灰すら残らず消えていただろう、と自嘲の笑みがこみあげる。
     
     瓦礫の前で兵どもが夢の跡だな、とラーハルトがつい口にした台詞にヒュンケルが目を見張った後俯き零したのは、兄弟弟子の前ではとても言えないだろう心の奥底に秘めた悔恨だった。

    「俺を覚えていたんだ」
     ヒュンケルが両手の拳を握り締め絞りだすように囁くのを聞きラーハルトは瓦礫にかけていた手を止めた。
    「ハドラー……魔王様は俺を覚えていた。ミストバーンに伴われ鬼岩城で再会した時、名告る前にヒュンケルお前は生きていたのか、と驚いていたんだ」
    「大魔王の城でそれなりの身分として遇されているニンゲンであれば噂位されただろう。それで見当がついたのではないか?なんと言っても六大軍団長の上に立つ魔軍司令だったのだから」
     ヒュンケルは頭を振る。
    「俺は六才の子どもから、大人になっていたんだ。容姿も声もすっかり変わっていたのに一目でヒュンケル、と。お前は十五年前にあったきりのモンスターをその同種族から見分けられるか?」
     そう言ったものの直ぐにヒュンケルは答えを待たず話題を変えたので、ラーハルトもそれ以上追求するのを止めた。

     だがその後高熱に魘される度にラーハルトはヒュンケルの譫言を何度も聞くことになった。
     魔王様 死なないで······ 
     まおうさま ごめんなさい
     生きてきた刻のほぼ全てを二人の魔王の配下として過ごしたヒュンケルの、六才の時に胸に刺さった棘は今だに抜けてはいないのだ。
     
     前だけを見つめていたポップもバーン大戦を思いだしたのかぽつりと話しだす。
    「鬼岩城はギルドメイン山脈の中に、バーンパレスは死の大地の中に。人里離れた所に拠点を構え尚且つどちらも移動可能になってた。地上なんて蓋くれぇにしか思ってなかった割に用意周到だったよな」
     覇気と野心でモンスターを束ねたハドラーと、老獪さで竜の騎士すら軍門に下したバーンとの違いだろうか。
    「慢心か虚栄心か、魔界の三巨頭の一角としてライバルに手柄を誇りたかったのか。ピラァオブバーンを落として地上を爆破する前に神々に偏愛されたニンゲン共を絶望させたかったのかもな」
    「不思議なもんだよ、彼奴ぁ神々と冥竜王くれぇしか気に留めて無かったのに」

     だから貴様に足を掬われたのだろうに。
     満身創痍の魔法使いの安い挑発に乗り天地魔闘の構え(必殺技)を破られた上、カイザーフェニックス(魔法)を不可思議な技でたかが人間の魔法使いに無効化されては大魔王たるもの必殺技と魔法を封じられたも同然だ。
     ラーハルトが知らないアバンの使徒達の武勇伝を他ならぬヒュンケルから、アバン王から、街場の庶民の噂話から、果ては吟遊詩人の歌から数限りなく聞く機会があったが、どれも主敵を葬るのは勇者の役目で「魔法使いの魔法」は仲間の守るためのものだと謳われていた。
     バーンパレスでの戦いでも何度も打ちのめされ仲間を尽く無力化され絶望しながらもポップはいち早く立ち直り、闘志を喪失されたダイ様を鼓舞して再び立ち上がらせていた。
     「勇者の魔法使い」としての役目を果たしていた姿が、無様に瞳に貶され己の無力を噛み締めていたラーハルトにとってどんなに眩しく映ったことか。

     そんなラーハルトの葛藤を知る由もなく軽い着地音をたて丘の上に降り立つとあの日と同じ横顔と少年のままの指先が崖下の一角を指す。
    「ここがヒュンケルの生まれた村だ」
     朽ち果て山に飲み込まれようとしている廃墟を見下ろし、ポップは自信有りげに告げた。
    「ヒュンケルはホルキア大陸の何処かとしか解らぬと言っていたが」
     魔王や四天王の命で蹂躙しうち捨てるだけの場所なのだから、死霊騎士やモンスターにとっては町の名は意味がなかっただろう。 
     懐疑の眼差しには頓着せずポップは断言する。
    「特定するヒントの一つはヒュンケルの髪の色だ」
     ポップはラーハルトの肩を掴み今度はトベルーラでふわりと舞い降りる。

     村の入口だったろう木の柵の崩れた所から一面膝丈まで生い茂る藪を踏み倒しながら、時折崩れた壁の陰から獣や鳥が慌てて逃げるのをよけポップは淀みない足どりで歩いていく。
    「髪の色?銀というか白銀に近いな。それがなんの証になるというのだ」
    「ダイと旅をしてる時さ、俺たちはよく兄弟に間違われたんだ」
     ラーハルトはまじまじとポップの口さえ開かねば美少年と言える容姿を見つめ、不敬な発言は命とりだぞという意味を込めて魔槍を右手に持ち替える。

    「数才違いで同じ黒髪に似たような濃い琥珀色の瞳の二人連れなら兄弟ってぇのが一番確率が高ぇだろ?生まれも育ちも全く違う勇者と魔法使いだなんて赤の他人にゃあ想像もつかねぇさ」
    「高貴なお血筋のダイ様と武器屋の倅(庶民)では似ても似つかぬ。人間というのはつくづく見る目がない奴等だ」
    「よく言うぜ。人間の容姿の見分けなんかろくにしないくせに」
     ポップはひょいと肩を竦める。
    「通りすがりの他人にとっちゃあ目鼻立ちなんてその程度の認識なのさ。でもヒュンケルと俺たちのどちらかが一緒にいても兄弟たぁ思わねぇ」
     ヒュンケルと6才差のポップと9才差のダイ様なら年齢差だけ考えれば兄弟の範疇だが確かに容姿や体格、職種を表す装備からしてそうとらえる者は少ないだろう。

    「地上の人間達、つまりラインリバー大陸とギルドメイン大陸、ホルキア大陸に住む殆どの住民は黒髪に色合いは濃淡あるが茶褐色の瞳をしてる。ヒュンケルみたいな銀髪や金髪に淡い色の瞳をしてるのはリンガイアと更に北、マルノーラ大陸のオーザムの住民の特徴だ」

     ポップは見て欲しいものがあるんだと比較的形を保った家を指した。
    「庶民は大抵同じ村や隣町の人と結婚するからどこの国でも黒髪にしろ金髪銀髪にしろ、当然生まれる子も同じ髪の色や瞳の色になる事が多いんだが黒髪の人と銀髪や金髪の人との間に生まれる子はちょいとばかり事情が変わってくる」
     促されるまま家の中を覗くと屋根は落ちているが壁は四方ともまだ残っていて、住人の手作りらしい拙い細工の家具もあった。
     過去の陰惨な悲劇の舞台で一見関わりの無さそうな髪の色の話が続くのはポップお得意のフェイクだろう。
     ラーハルトは足を掬われまいとポップの語り口に耳をそばだてる。

    「大雑把に言うと生まれてくる子どもが四人いれば黒髪と銀髪が一人ずつ、黒っぽい褐色の髪が二人って計算になる。更にその子らも黒髪の人と結婚すれば、孫世代はほぼ黒髪ばかりになる」
    「ロン・ベルクの弟子は親が黒髪だが本人は銀髪だぞ?」
    「バウスン将軍の曽祖母がベンガーナ出身で黒髪だったそうだ。先祖代々銀髪の一族でさえ、一度黒髪の血が入れば隔世遺伝で時たま黒髪の子が生まれてくるほど黒髪は子孫にあらわれ易いんだよ。ましてやこれからノヴァが結婚するならランカークス村や近隣の町に住む黒髪の娘になるだろうからさ。彼らから銀髪の子が生まれる確率はかなり低い」
     ラーハルトは無意識に自分の髪に触れた。亡き父や母と同じ黄金の髪。
    「つまりオーザムが滅びリンガイアの住民が激減したこれから先は金髪銀髪を持つ庶民は今まで以上に悪目立ちするのさ」

     ラーハルトは来し方を振り返る。
     父譲りの肌の色も人とは異なる頑丈な爪もバラン様に拾っていただくまで排斥される要素でしか無かった。
     ヒュンケルがたまに立ち寄った町で必要に迫られ目深に被ったフードから素顔や髪を人前に曝す度起こったざわめきや注視は彼の秀麗な容姿に対する反応だけでは無いとわかってはいたが、自分が金髪なだけに髪の色だけでそこまで異端視されるものとは思いもよらなかった。

    「他国と婚姻関係を結ぶのは所謂身分のある人が殆どさ。マアムも親父さんがカールの元騎士団長だったそうだし、アバン先生やフローラ様に姫さんも何代も他国の血が入っているから自国の庶民とは髪や瞳の色が違う」
     冷害旱魃によく悩まされる北国は幸いっちゃあなんだが美男美女の産地だから、実り豊かな国と婚姻で縁を結ぼうと王家も貴族も必死だったんだろう、とポップは切立った崖に塞がれた北に目を向ける。

    「俺の親父はベンガーナ出身で今五十手前だが、子どもの頃夏に雪が降る程の冷害が二年続いた時の話をしてくれた事がある。なんとか食いつなげたベンガーナやカールにギルドメイン山脈を越えてリンガイアからの流民が押し寄せたそうだ」
     リンガイアでその惨状なら更に北のオーザムはもっと酷かったろうが今二十数歳のヒュンケルには直接関係があるとは言い切れまいに。
     ラーハルトの懐疑の眼差しに気づいたのかポップは寂しげに笑う。
    「リンガイアの民なら陸伝いに南下すればいい。だがオーザムは晴れた日ならリンガイアの北端が見えるとはいえ舟が無いと国から出られねぇ。そしてその海峡は潮の流れが強ぇからよっぽど運が良くなきゃリンガイアどころか海の藻屑と消えるのが殆どだ。そうでなくとも流されて辛うじてホルキア大陸北端に着くこともある」

     ジャリ、とポップの爪先が瓦礫を踏んだ。さっき迄五月蝿いほど鳴いていた虫の音は途切れていた。
     この村はヴィオホルン山まで大人の足で4〜5日ほど離れていて、山からは崖に隠れて見えない位置にあるから、モンスターの目を避けて隠れ棲むには手頃な所だったとポップは断言する。
    「この村の何処を探しても黒髪一筋すら見つからない。ここは遥か北の大地、今は亡きオーザム王国から逃れてきた流民の、パプニカにとっては化外の民の村だ」

    ☆擬傷
     ポップは屋根が落ちて直接傾きかけた陽に照らされた壁の、ラーハルトの肩の高さにある黒ずんだ染みを指し示した。 
     モンスターの三本爪が木壁深くに食込んだ跡から銀糸が数十本垂れ下がり、髪の持ち主自身の血潮で半ばまで糊づけられて二十数年の年月を越えて証言している。
    『私はここにいた』
     私は長い銀髪をもつ成人した女で、モンスターの鉤爪の一撃で生命を刈り取られるまで、ここに生きていたと無言で語りかけている。
     一度意識するとそこかしこに声無き証言が渦巻いているのが分かる。
     崩れ落ちた天井の下敷きになったベッドの近くには刃を半ばで断ち切られたナイフと戸口には流血で黒ずんだ斧が転がっていて、モンスターから家族を守ろうと虚しい抵抗をした跡は鈍い金糸を纏っていた。

     ラーハルトはかつてそれらを加害者の立場として目撃していた。 
     リンガイアで、カールで。
     竜騎衆が笑いながら手に掛けたのは武器や防具に身を固めた兵士だけでは無い。
     人間にとって恐怖と怨嗟の対象であるハドラー率いる魔王軍とラーハルトとの間に差はないのだ。

     ポップに促されるまま数軒の「証言」を見ながら村の奥に進むラーハルトの足が止まり、何が気になったのか考える前にポップが耳元で囁いた。
    「死霊騎士バルトスは自分たちが襲った村で捨て子を拾ったとヒュンケルに教えたそうだ」
     俺もヒュンケルからそう聞いた、と首肯くラーハルトに視線で背後の家々を指し示す。
    「この村は貧しくて家の中に赤子を隠せる場所なんてなかった。子どもを連れて走って逃げてもモンスターの足には敵わないから、大事な者を隠すなら家の外しかねぇ」
     ポップはラーハルトの足を止めさせたモノをもう一度見るよう促す。
    「陸戦騎ラーハルト。もし戦場でアレをみたら今ほど気になったか?」

     まだ村の範疇にある、崩れた石の破片が大人の腰丈ほどに積み上がった瓦礫の塚としか言い様のない物と、その側には錆つきながらも今なお剣先を地に突き刺し佇む両手剣。
     戦場なら見たことすら意識しないだろう風景は戦風が過ぎ去った今、見過ごせない違和感を醸し出していた。

     ポップは口角を微かに上げ、いつの間にか揺らめく魔法力の靄を纏っていた。
    「ラーハルト、お前さんは擬傷って知ってるか?」
    「ギショウ、擬傷か。親鳥が卵や雛を守る為に怪我をした振りをして外敵を巣から遠ざける習性だったな」
     獣には魂が無いと軽んじる者がいるが、人間よりよほど親子の情愛が深く心をもつ証拠ではないかとラーハルトは思う。

    「家の中や壁の近くじゃいつモンスターに蹴散らされるか分からねぇから、既に壊された後の瓦礫の隙間を使って赤子を隠したんだ」
     ポップはヒュンケルを、とは呼ばない。その時はまだ『死霊騎士の養子ヒュンケル』では無かったからだ。
    「そしてなけなしの武器を側に突き刺して、子どもを守る為にモンスターの気を自分にひきつけながら逃げたんだよ」
    「見てきた様に語るのだな魔法使い。吟遊詩人にでも転職するつもりか?」
     わざとでも嘲笑わねばポップの術中に嵌まりそうだ。
    「この石を持って上に置いてみな」
     塚に立てかけられた、明らかに瓦礫とは異なる幅広の石は地面から離されると土泥の跡を残し、丁度塚の窪みの蓋になった。
    「まさか俺がご丁寧に後から証拠を偽造したとは言わせねぇぜ」
     もう一度石を外すと窪みは赤子を納めて窒息しない程度のゆとりがあるのが分かる。
    「足手まといの子を置いて行ったのではないとなぜ分かる?」
    「ほんの一瞬でも自分の死を遅らせる術を、恐らくは剣の心得があった者が剣を手放す理由が他にあるか?それにこれは保険なんだ」
     ポップが錆びた剣に跪き祈りを捧げると魔法力の靄が一段と輝き、その様はいつもポップがダイ様の剣へ祈る姿に似ていた。
    「戦場では目立たず、モンスターが立ち去った後には違和感がある。咄嗟に考えついたんだとしたら凄えと思うよ。我が子を守るに必死だったんだな」
    「自分が生き残らずに誰が赤子を助けるというのだ」
    「村の誰かが一人でも生き延びていれば、パプニカ北端の砦まで近くの川伝いに舟で逃げても3〜4 日はかかるから逃げる前に必ず一度は旅支度の為に村へ戻ってくる。その時に見つけて連れていってくれる可能性に賭けたのさ」
     ポップは剣から目を離さずに続けた。
    「人間は臆病で自分勝手な生き物だが、自分で生きる術がない赤子を見殺しにするほど薄情じゃねぇ」
     その証拠を見せてやる、とポップは膝の土埃を軽く払い再び歩きだした。
     
     村の境界線になっていた低い石垣を越えて少し斜面を上がると雑草に飲み込まれかけた小さな墓地が見えてきた。
     子どもが一抱えできそうな石に聖印を刻んで墓標にした個人の墓がいくつかと、もう一つ集団墓らしい土盛には更に大きめの石に他とは異なる宗派の聖印が印されている。

    「これがヒュンケルの生まれた村だってもう一つの証拠だ」
     明らかに墓が荒らされているが獣に掘り起こされたようには見えず、どうも様子が可怪しい。
    「外から遺体を掘り出したんじゃねぇ。自分で起きだしたんだよ、バーンの魔力によって不死騎団に加わる為にな」

     村がモンスターに襲われたとしたら、いくら二十数年前の話でも家の中や道沿いに遺骨の一本もない方がおかしいが、確かに見当たらなかったとラーハルトもついさっき通り過ぎた村を振返った。

    「地底魔城に勇者アバンパーティーが攻め入った日、カールのフローラ様や師匠の知り合いや、パプニカの魔法兵も魔王以外のモンスター達と戦ったそうだ」
     墓地の斜面を登りきると遥か彼方にヴィオホルン山がそそり立つのが目に入る。
     この村はそれほど魔境に近く、ホルキア大陸唯一の人間の国パプニカの国境から遠いのだ。

    「地底魔城から陸性のモンスターが泉水の如く湧きだし火口からは飛行性の奴等が雲霞の如く飛びたち夜空を埋め尽くした。そりぁ壮観だったって師匠が言ってたよ」
     ロロイの谷に描かれたミナカトール結界を地上側と魔界側とで攻守したように、か。
     そして勇者アバンは仲間と地上の国と力を合わせ見事魔王ハドラーを討ち果たしましたとさ、めでたしめでたし。
     そう思う(ハッピーエンド)のは人間どもだけだ。

    「クロコダインのおっさんがロモスでダイに負けた時さ、それまで暴れてたモンスターが蜘蛛の子を散らすように逃げてったんだ」
    「当然だ。統率者がいなくなれば奴らは餌でもないものを態々襲うような割に合わぬことはせぬからな」
    「ああ。バーンがヒュンケルに地底魔城を任せたのはマホカトールみたいな魔法でバーンの魔力が途絶えた時のバックアップの為だって任官の時に言ってたそうだけど、ありぁハドラーへの嫌がらせ半分と材料調達の手間を省いたんだろうぜ」
    「材料…」
     地底魔城の内外に散らばっていただろう夥しいモンスターの遺骸のことか。
     ラーハルトはわずかに鼻に皺を寄せ、大魔王の計算高さに不快感を覚えた。
     バラン様は「大魔王」の余裕と尊大さから時たま顔をだす、冷酷さに似たみみっちい小物振りに内心辟易されていたのではあるまいか。

    「ここは他所の戦場跡と違ってキレイ過ぎるんだ」
     ポツリと呟くポップにラーハルトは内心首を傾げる。
     村と同じく八重葎を体現するように伸び放題の草木が、墓石と不自然に盛り上がり暴かれた墓土を覆い隠した墓地は午後の和らいだ日差しの中でも静かに佇んでいる。
    「お前さん達はピラーオブバーンが落とされた所にあった街の跡を訪ねたことはあるかい」
    「ああ、全てではないが。どこもピラーを取り囲むように鎮魂の祭壇が祀られていたな」
    「俺はあの日から一年近く経った頃に行ったが、(ここ)と違って酷ぇもんだった」
     ポップが鼻に皺を寄せ嫌な物を見ているような声を出す理由が分からなくて周囲を見る。
    「あんたは霊…死者の残留思念が感じ取れないんだな。羨ましいよ」
     その台詞で何時かのヒュンケルの表情に合点がいった。
     ヒュンケルは魔王軍が破壊の限りを尽くした街の残骸や襲い掛かるモンスターから逃げようとして力尽き葬られる事無く野ざらしになった人間の白骨に向けて、痛みを堪えるような表情をしながら弔いの聖句を唱えていた。
     そして同じく白骨を晒したモンスターの亡骸にも、「人間の弔句しか知らなくて済まない」と言いながら祈りを捧げていた。
     ヒュンケルはモンスターの弔いに参列したことがないというが当然だろう。
     地底魔城に集うモンスターたち、魔王軍であれば強者のみが生き残る権利があるのだから敗者や怪我を負ったものはその場にうち捨てられるのみで、子供の頃のヒュンケルが瀕死のモンスターや死骸を見たことがないのも首肯ける。
     よくよく思いおこせばヒュンケルは旅の途中で出くわした全ての戦闘の爪痕に対して鎮魂の祈りを捧げていた訳では無く、その時々で祈りの作法も違っていた……「浮かばれぬ霊魂」が遺されていた時に行うものだったのだろう。
     不死騎団長であったならば屍は極身近な存在でなんら忌避感を覚えるモノでは無いだろうに、と不思議に思っていたがラーハルトは敢えてヒュンケルの好きにさせていた。
     親友が過去の凶行に対して後悔の念に苛まれているのを知っているが故にそれが一時でも軽くなるならばラーハルトには理解できない行動でも妨げる必要を感じていなかったからだ。
    「人は死ぬと肉体と魂に分かれ、魂は天に昇りいずれ輪廻の輪に加わると人間の僧侶や神官は教えてるんだ」
     ポップは青空を振り仰いだ。
    「途中までは本当だったよ。(あの時)俺は雲の上を歩いてたし、何処に向かってたのかはわからねぇがゴメ公が止めに入っても中々足は止まらなかった。きっと行き着く先はあの世だったに違いねぇ」
    「だがピラーが落とされた所にたまたま居合せた人の中には自分が死んだ事すらわからなかった人もいてな。そんな人の魂はすんなりあの世にいかねぇのよ」
     肉体は一瞬の内に霧散して今だに墓もなく弔いもできていない人たちもいるんだ、とポップは続けた。

    「あれだけの戦いがあったのだ、一家全滅して方不明になった事すら判らぬ者も多かろう」
     ラーハルトにとっては特に感慨のない話題だった。
    「この世に留まるだけならまだいい、神官が弔えば昇天するからな。問題は悪霊化する死霊さ」
     見ててくれよ、とポップが跪き昇天への導きの祈りを墓地に向けて捧げると全身を包んだ白い靄が光り輝き彼の体を中心にして眩しい光が同心円状に広がる。
     ラーハルトの足元を光が走り抜けた瞬間身の毛がよだつのを止められなかった。
     誠に破邪、浄化の力は魔に属する者には不快でしか無い。
    「魂を昇天へ導く浄化の祈りは聖なる光だ。もしこの世に留まる霊が居て光に触れれば昇天まではしなくとも姿を現したり何等かの反応がある筈なんだがな」
     ポップの祈りに対して貴様の力量の問題では?と茶化す気にはなれなかった。
     若くして賢者となり更に神官の力である破邪の力まで開花している男に祓えぬ悪霊はそうそういまい。
    「今も、以前俺が初めて訪れた時も。ピラーが落とされた所と違ってここは霊が留まっている反応が綺麗さっぱりない。誰一人この場に想いを残していないんだよ」

     ラーハルトはもう一度あたりを見回しポップの言葉がやっと腑に落ちた。
     朽ち果てた廃村と見捨てられた墓地にも関わらずこの場所は、ヒュンケルが祈りを捧げていたどの戦場跡やうらぶれたスラムの掃き溜めよりも(明るい)。

    「ここで一番大きな慰霊の塚はパプニカの軍隊が作ったんだと思う」
     一つだけ刻まれた聖印が違う墓石を目で示してポップは続ける。
    「ハドラーを討伐する決戦前に師匠は各地にキメラの翼を配って一気に戦力を集めたはいいが帰りの分までは用意でき無かったんだ。当然パプニカの兵士も徒歩で帰る羽目になった」
     ヴィオホルン山の裾野から細く流れ出た川は今いる村の辺りから海側に曲がっている。
     兵士たちは険しい山脈超えを避けて海岸を目指し路なき路を、当然水を補給できる川沿いを進むから川にほど近い「廃墟になった村」を偶然見つけたのだろうとラーハルトにも察せられた。
    「そして廃村に散らばる遺骨を見つけて哀れみから元からあった墓地に纏めて埋葬したんだ。既に5〜6年前には亡くなってた人たちに対してできることはそれしかねぇからな」
     地底魔城で自分たちが殺したモンスターの死骸は野晒しにしたのにな、とポップは苦笑する。
    「敵味方、立場の違いは行動も変える。大した意味は無い」
     かつてテラン城攻めの途中でヒュンケルとポップと交戦した時のラーハルトはたとえ仲間として長く過ごしてきたとはいえ、否だからこそ人間相手に人質をとるボラホーンの下劣さを許せ無かった。
     例え過去に戻る奇跡がおきたとしてもあの状況にでくわすことがあれば俺はまた仲間だった男に槍の一撃を放つだろう。

    「そしてまた忘れたのさ。化外の民であるこの村の人々の存在を」
    「忘れる?パプニカ王都から大分離れた辺境にあるこの村のことなど最初から知らなかったのではないか?」
    「全員とはいわねぇが治安維持を司る兵士なら流民が押し寄せる恐ろしさを知ってるもんさ」
     親父から聞いた話だが、とポップはつづける。
    「生まれ育った土地を離れざるを得なかった流民たちは、まだ持ち堪えてる国にとって常に悩みのタネだったんだと。辛うじて生き残った妻子の手を引き南下したものの、そうそう新天地なんざ見つかる筈もねぇ。飢えに泣く子どものためにただでさえ乏しい畑の作物を盗んだり、一人旅の商人を襲うこともある。なんたって背に腹は代えられねぇからな。長くまともに食べてなくて体を壊している者も多いから疫病を運んでくることも多い」

     確かに哀れみや同情心で流民を受け入れるのは多大なリスクがあり、それを防ぎ追い返すのが平時の兵士たちの重要な役目の一つだろう。
     リンガイアやオーザムが冷害に襲われているということは、他の国も天候不順で不作がちだから、共倒れにならない様食料を求めやってきた流民を武力をチラつかせ押し返すこともあったろう。
     当時のパプニカ施政者側が慈悲を垂れ流すお花畑思考で無かっただけの話だ。

    「ホルキア大陸に流れ着き海岸沿いに南下してパプニカ王国に助けを求めて、追い返されたオーザムからの流民は仕方なくまた北上してパプニカ国民でなくても住むことができる土地を求めて流離って、運良くこの村にたどり着いた人たちはやっと受け入れ先を見つけたんだ」

     以前の冷害旱魃で北国から流れ着いた人々が細々と暮らしていた村は故郷から来た同族の新しい血と労働力を受け入れ、やがてヒュンケルになる子も生まれたんだとポップが語る内にラーハルトは墓標の数を数えたが三世代以上定住していた筈だという割に少なすぎるように思える。 
    「飢え餓えた上に長旅に耐えてここまでたどり着ける体力がある女は少ねぇからな、男女比が偏れば次世代の子どもも生まれにくい。やっと授かった子どもはさぞ村の皆に可愛いがられたろうよ」
     だから実の親でなくとも赤子の面倒を見てくれると信じて囮になったのか。
     真実は二十数年の時の彼方だがポップに限って当て推量だけではないのだろう。
     この話をヒュンケルにでなく友である俺にする意図を問いただすのも癪だが続けろ、と意味を込めて首肯く。

    「バーンに黄泉帰らされてこの村の人はさぞ喜んだろうよ。自分たちを皆殺しにしたモンスターに拐われた赤子が生きていたことも、立派に成長したその子から下された命令が助けを求めた自分たちを切り捨て追い払ったパプニカを攻め滅ぼすことだったことも」
     お前さんもやったことだろう?とポップは澄ました顔で胸の前で再び祈るように指を組み合わせる。

    「ネクロマンサーでもないヒュンケルが不死騎団を束ねるよう命ぜられたもう一つの理由がそれさ。更にいえば地底魔城に骸を晒したモンスターたちにとっても、勇者に拐われた一番幼い家族が帰ってきたんだ。今度こそヒュンケルを憎き勇者どもから守ってやろうと奮起したに違いねぇ」
     勇者に拐われた“家族”か。
     多種多様のモンスターが等しく愛し可愛がっていた人間(異種族)の子ども。 
     人間の村や街で殺戮の限りを尽くして地底魔城に帰ったモンスターたちは、何ごとも無かったようにヒュンケルと同族の赤い血潮に塗れたままの手で幼兒を抱き上げ肩に乗せて遊んでやったのだろう。
     それを怪物の浅慮、矛盾と切り捨てることはラーハルトにはできない。
     ガルダンディーやボラホーン、そしてバラン様は俺が人間を殺す度に褒めてくださった。
     バラン様は兎も角、獣人の二人は半人の俺が人間が憎いと口先で吼えるだけでなく実際に人間を手に掛けたから仲間だと認めたのだろう。
     だがもしヒュンケルが剣士として成長するまで魔王軍が健在であったなら、彼の養父バルトスは人間である我が子を人間と戦わせただろうか?
     勇者アバンに対する最悪の刺客と成りうる「魔王軍に与する人間の戦士」に育て上げる事が魔王の側近にとって正義だと分かってはいても、バルトスの遺言から察するにそうはしなかっただろう。
     魔王ハドラーの四天王の内二体までもが敵対する「人間の子」を拾い結局は魔王軍に所属する魔族とモンスターに将来弓引く戦士として育てたとは皮肉な事だ。
     人間を偏愛する神々の導きとでも思わねば理解し難い。
    「人間は自らと異なるモノを忌むがモンスターは種の違いに寛容だからな」
     父から魔族の容姿を受け継いだラーハルトは母と自分を遠巻きにする村人からの肌に突き刺さるほどの憎悪の視線を覚えていた。
     それはかつて人間離れした魔法力と叡智を隠そうしなかった傲慢な大魔道士を、魔族と見紛うほどの覇気と闘気を纏った竜の騎士を、竜の群れをなぎ倒し単騎でヒュドラを屠ってみせた幼い竜の騎士を、そしてもしかしたら人間離れした竜の騎士の魔法使いを見る時の、弱く群れをなす人間どもからの暗い眼差しに似ているのだろう。

    「だからさ……お前さんに頼みがあるんだ」
     ポップの声はバーン大戦以来見ることが少なくなった彼の涙を予感させた。
     差しだされた小さく薄い板状の物を今度は素直にラーハルトは受け取る。
     爪先で探ると側面に目には見えないほどの細いスリットがあり、慎重に触れると半面がずれて思った通り身分証が入っていた。
    「オーザムからの避難民 ヒューバートと……ラインハルト?」
     ラーハルトは鼻白む。いくら身分証が有れど俺の姿形を見て「普通の人間」だと思う奴は相当イカレているとしか思えない。
     よほど表情にでていたのだろう、ポップは宥めるように苦笑した。
    「お前さんがモシャスを契約すれば良いだけの話だろ?なにもずっと変身してろって訳じゃねぇ。人目につくような、例えば宿を取るときや関所を通るとかの、要所だけ「北国生まれの若い男の二人連れ」に見えりゃいいのさ」
     ラーハルトは自分の契約済みの魔法の数を胸の内で数え、既に大魔道士マトリフ以上の魔法を契約済みの二代目と一緒にされては困る、と口を開こうとしたが。
    「無理にでも契約してもらう」
     頭一つ下から睨め上げる瞳は力強く、容易にラーハルトを束縛した。
    「ヒュンケルには“剣豪ヒュンケル”の二の舞になって欲しくねぇからな」

    ☆“剣豪”
     “剣豪ヒュンケル” 魔界にその人ありと伝説となるほど永く讃えられ、死霊騎士バルトスが愛する養い子に彼の強さと武功にあやかり名付けたほどの男だ。
    「あれは…“ヒュンケル”の逸話は事実の伝承というより油断大敵といった教訓を伝える話だろう?」
    「教訓話にしちゃあ可怪しいっつーか矛盾もイイところだと思わねぇか?」
    「歴史は勝者が作るっていうが、言い換えりゃあ生き残ったもん勝ち、語り残したもん勝ちなんだが、剣士がいくら女の子に変化したからって敵を見誤って殺されたんなら士道不覚悟って烙印を押されても仕方が無ぇのに“ヒュンケルは魔界最強だった”って評価は今だに変わらねぇ」
    「つまり勝者ですら剣豪ヒュンケルを貶めることが叶わなかったといいたいのか?」
     親友の名の由来以上の意味を持たなかった逸話を頭の中でさらえてみる。

    『魔界一の剣豪は小さな女の子に変化した者に自らの剣で殺されました』
     枝葉をはぶけばこれだけの話だ。
     
     ポップはラーハルトの正面に立ち背後からブラックロッドを引き抜いて彼の左手に両手剣程の長さに調節して握らせた。
    「どんなに油断していようと、剣士が身に着けた剣を他人が鞘から引き抜くのに気付かない筈がねぇ」
    「例え眠っていたとしても誰かが剣に触れた瞬間に気づいて取り返し斬りつけるだろうな」
    「だろう?姫さんがバーンにパプニカのナイフで斬りつけた時が丁度良い例だ」

     バーンの半分位の身長しかなかった姫さんと逸話の「小さな女の子」は同じ程度のリーチと筋力しかなかった筈だ、とポップは言いながらブラックロッドを両手で掴んで引き抜きラーハルトの心臓目がけて突き上げる真似をする。
    「例えあの時パプニカのナイフより殺傷能力が高い両手剣が側にあったとしても剣の心得がねぇ姫さんには重くてバーンの急所まで持ち上げることすらでき無かったろうしな」
    「バーンに斬りつける事ができたのは姫自らが得物を身に着け更にナイフだったからと言いたい訳か」
     すると“剣豪自らの剣”で致命傷を負わせることができたのは少なくとも彼はその時剣を身につけていなかったと言えるだろう。
    「常に争乱状態の魔界で剣士が剣を身から離す時は睡眠位のもんだろ?あとは自分の意志で手放した時だ」

    『テラン近くの峡谷で、俺を人質にとられて脅されたヒュンケルがそうしたように』
     二人しかいないというのにあたりを憚るようにポップは囁いた。
     
    「ヒュンケルはほんの数日前に出逢ったばかりの弟弟子を見殺しにでき無かった。“剣豪ヒュンケル”もそうだったんじゃねぇか?」
     小さな女の子に化けた何者かが武力で剣豪を殺したのではなく、我が子かそれに等しい存在を人質にとられて抵抗を諦めたのだとしたら。

    「魔族と人間じゃあ考え方が違うって言いたそうな顔だな?まあ矛盾があるってぇだけで証拠がある訳じゃねぇ。だかな、人間のヒュンケルには人質が効くんだ。今でこそ各国王連名で元不死騎団長ヒュンケルに罪を問う事も直接危害を加える事も禁じられてるが、あいつやお前さんに対して恨みを晴らしたい奴は掃いて捨てるほどいる」
    「有象無象の遠吠えに耳を貸すほど暇ではない」
     ラーハルトにとって所詮人間は「ダイ様のお気持ち」に添うために一時手を貸す程度の価値しかない。
     無論ダイ様が人間を見限る事になれば再び魔槍を振り降ろす仕儀になるだろう。
    「ヒュンケルにとって人質になる相手はいくらでもいる。兄弟弟子、アバン先生、フローラ様と生まれたばかりの王子様に、勿論ラーハルトお前さんもだ」
     ラーハルトは眉根を顰めた。
    「この俺が人間如きに遅れをとるなどあり得ぬ」
    「そうだろうともよ。だがヒュンケルは自分のせいでまたお前さんが人間を傷つける羽目になることを恐れてる」 
     ポップは身分証を入れた細工の蓋を元に戻し再びラーハルトの掌にのせた。
    「今の王様達が代替りする頃にはバーン大戦を直接知らない世代が増えてくる。バーンを倒した功績は都合よく忘れてラーハルト(魔族)には手は出せなくてもヒュンケル(人間)になら意趣返しができるだろうって、あいつが大切に思う者を人質にとって自裁を迫る狡っからい奴がでてもおかしくない」
     ポップはわざとらしくお手上げとばかりに両掌を空にかかげる。
    「ヒュンケルは今の俺やアバン先生が眼の前で武器を突きつけられているなら脅迫者に屈することはねぇさ。だが戦う術をもたない俺たちの家族を盾にとられたら?」
    「そんなもの人質ごと俺が吹き飛ばしてくれるわ」
     ポップは目を見張り肩を揺らして笑いだした。
    「そうやって助けてだしてくれるわけか」
    「人質とやらに命があるかは運によるがな」
    「まあいい お前さんは人間にどう思われようと気にしねぇだろうがそれじゃあダイの理想、人間を守りたいってぇのと噛み合わなくなる……ラーハルト、あんたはヒュンケルより戦士としての技量は勝っていたがあいつの魂の強さや優しさに惹かれて敵のままで居られなくなったんだろ?そしてあんたは別にヒュンケルって名前に拘る訳じゃねぇ」

     ラーハルトは手の中の身分証に目をおとす。
     そこに刻まれた名はヒューバート。
     人間界に悪名高き不死騎団長ヒュンケルと違い極ありふれた“明るい精神”に因んだ名前で、もしかしたら彼の生みの親が名づけたかもしれない我が子の未来を言祝ぐ名前だ。
    「アバン先生は死霊騎士バルトスに“我が子ヒュンケル”の命乞いをされた。主を倒すことで自分をも消滅させる勇者にしか、これからの苦難の道が目に見えている愛する子の行く末を託す道しかなかった父親の想いを受けとったからにはアバン先生には一番弟子が“ヒュンケル”であることを諦める道はねぇんだ」
     ヒュンケルが不死騎団長としてパプニカ王国を滅ぼしたと知った後ですらアバンは一番弟子を「私の誇り」だと語った。
     ならばヒュンケルを庇えば庇うほど己の立場が不利になったとしてもアバンは彼の師であり続けようとするだろう。
     例えヒュンケルが師の立場を思い彼の助力を拒もうとしてもだ。

    「俺の頼みは“ヒュンケル”として生きる道が閉ざされる事態になったら、あいつがなんといおうと“ヒュンケル”を死なせて“ヒューバート”として生きる手伝いをして欲しいってことさ」
    「あいつに“ヒュンケル”(贖罪の道)として生きるのをやめさせるのは至難の業だと分かっておるだろうに」

    「アバン先生でも俺たち兄弟弟子でも無理なんだ、所詮“人間の側の存在”だから。でもお前さんなら、ヒュンケルの家族だった魔族やモンスター側の奴なら言えるだろう?名前だの“人としての生き方”なんて自分達には大したもんじゃねぇってな、だから………」

     ロモスの山深い隠れ家から竜に脅かされた王都近くの村へ、王城へ、そしてホルキア大陸の“ヒュンケル”の生まれたという村へ。
     山際にかかり始めた夕陽が辺りを茜色に染め、ラーハルトが今日まで体験してきた中で最も長距離を移動した一日が終わろうとしていることを告げるのを一顧だにせずアバンの使徒の次兄は淡々と長兄を世間の眼から葬る策謀の数々を述べている。

     ポップの常には濃い琥珀色の虹彩が金色に、瞳が竜のように縦に裂けて見えるのは陽の射し方による幻視にものだとラーハルトは信じたい。
     かつて仰ぎ見たバラン様の夕陽に照らされた横顔に透けて視えたあの金色とは違うと。
     
    ☆亡都
     企みを語り終えた頃にはヴィオホルン山から吹き下ろす風は日の翳りに従って冷え、ポップは小さくクシャミをした。
    「日が落ちる前に帰らねぇとな。地底魔城はフレイザードが溶岩で埋めちまったからヴィオホルン山を上から眺めるしかねぇけど最後に見ていきてぇだろ?」
     ラーハルトの答えを待たず翠色の革手袋に包まれたしなやかな指先が彼の二の腕を掴み、移動呪文(ルーラ)の響きが消えや否やヴィオホルン山が眼前に迫っていた。

     フレイザードによってマグマを噴出させられたかつての死火山はまだ深部まで冷えきらず地盤が不安定な為に迂闊に山肌へ降り立つ事はできない。
     ポップは山頂の遥か上空でトベルーラに切り替え毒の湖でもしたように安全な高度を保ってゆっくりと山の周囲を巡っていく。
     ヴィオホルン山はラーハルトにとって初めて来訪する場所であるが、ヒュンケルの昔語りを聞くうちにまるで既知のように思えるようになった不思議な土地だった。

     ポップがぽつぽつと語る地底魔城で戦った思い出話を聞くに、不死騎団長の根城はヒュンケルの語る魔王様の御座所でもあった「俺の家」と形は似ているがそれより随分恐ろしく冷たい動く死者のみが蠢く墓所のようだった。

    「俺も地底魔城に立ち入ったのはダイと一緒に人質になったマアムを助けだした時だけだったけど、人間の城やバーンパレスとも違う地下牢がズラリと続いたような独特な造りだったよ」
     そんなふうに言われては擁護できるほど地底魔城のことは知らないはずなのにラーハルトはつい口をだしてしまった。

    「以前酒場で吟遊詩人が歌うのをヒュンケルと聴いたことがある。オーザムの都を復興を断念した廃都、アルキードの都を天罰により海に沈んだ滅都と詠うのを聴いたヒュンケルが、ならば地底魔城は亡霊の集う亡都とでも呼ぶのかもしれんといっていた」

     その時のヒュンケルはもはや記憶の中にしか無い故郷をなぞりあてどなく視線を彷徨わせていた。
    「ヒュンケルはこうも言っていた。不死騎団長として自分が実力で地底魔城の主になったつもりだったが所詮バーンの気まぐれ、借り物の動く死体の寝床だったにすぎぬと。俺が育った“家”は魔王様が己の野心と魔力と魔物達への影響力で築き上げたあの日までは確かに生者の集う都だった、とな」

     浪の底にも都はございます、と神の怒りをかい雷鎚で打ち砕かれ白煙の柱だけを残して瞬く間に万波の底に沈んだとされているアルキードを偲び吟遊詩人が詠ったように地の底にも生きた魔物の集う都として地底魔城はあったのだ。
     
    「亡都か、言えて妙だな……感じねぇか?ここ地底魔城にはさっきの村にはなかった“気配”があるんだ」
     いつの間にか後ろ腰から引き抜いたブラックロッドをヴィオホルン山の火口に向けてポップは静かに浄化の祈りを捧げ杖の先端から白い光が迸ったが光は先ほどの墓地のように円を描かずパンッと軽い音をたてて弾かれた。

     飛翔呪文(トベルーラ)と浄化呪文との二つの魔法を同時に操るのを目の当たりにすると、あのバーンまでもが「器用な事をする」と控えめながら魔法使いとしてのポップの力量を認めた事を思い出す。
     この男は危険だ。
     ダイ様を捜し出すという共通目的が終わった後どう対処するべきか……

     内心悩むラーハルトに気づく気配がないポップが黒杖で指し示す。
    「ほら見てくれよ。ここは浄化の光をはじくんだ」
     確かに廃村の墓地とは違い見えない波のような何かがざわめいているのを感じた。
    「貴様らが悪霊と呼ぶ物か?」
    「正確な名前は分かんねぇけど悪意は感じねぇ。神官や僧侶なら大騒ぎして悪霊祓いの儀式をおっ始める所だろうがな。お高くとまった奴等は邪悪だ穢れだって御託を並べたがるが結局のところ化外の地(ここ)まではこねぇさ」
     ポップは遥か南、パプニカ王都のある方向をブラックロッドで指し示す。
    「決戦の日にヴィオホルン山まで駆けつけた、言ってみりゃあ“連合軍”に参加した王族はカールのフローラ姫唯お一人だった。同じホルキア大陸の唯一の人間国家だってぇのにパプニカは魔導兵団を送りこんだだけなのによ。それにバーン大戦時、パプニカ王は王都がヒュンケル率いる不死騎団に攻められてやっと御輿をあげたんだ」
     ポップの視線は火口に向けられたまま、喉から乾いた嘲りが滑りだした。
    「悪霊だろうと亡霊だろうと奴らがヒュンケルの家族である事にゃあ変わりねぇし、ここから他所に被害がでなけりゃパプニカにだって口だしする権利はねぇさ。ここは魔王ハドラーが支配する前から今にいたるまでずっと化外の地なんだから」
    「人間どもは地上全てを己が支配地だと信じて止まぬがな。バーンに言わせれば脆弱さ故に地上に住まうことを神々に許されたらしいが」
    「神々の力ってなぁよく分かんねぇよな。確かにずっと昔は魔法の威力や神の力を直接借りるザオリクも使えて成功率もずっと高かったらしいし」
     話している内に近づいた山腹に突き出した形のコロシアムの跡地も無惨に溶岩で塞がれていた。
    「あそこでヒュンケルと俺達は戦ったんだ」
    「ヒュンケルから聞いている」
     ダイ様はともかく貴様が良く生き残れたものだ、と正直に漏らすとポップはタハッと力の抜けた苦笑いをした。
    「俺はほとんど相手にされなかったけどな、ラナリオンを唱える為に両手を空にかざして棒立ちだったってぇのによ。ヒュンケルを倒したのはダイだし、改心させるきっかけをつくったのはマアムだ」
     そう卑下してみせるが当のポップはヒュンケルの生い立ちに同情し戦意を失ったダイ様を鼓舞し、剣技の差を埋めるべく魔法でサポートしたというのに相変わらず自己評価が低い奴だ。

     我が主とその魔法使いが我が友と死闘を繰り広げた舞台は表面が冷え固まった溶岩に覆われているが、その上にしがみつくように青草がちらほらと生えはじめている。
     ヒュンケルが再び“慣れにし故郷”に還る頃にはヴィオホルン山もあの村のように草木に覆われているのだろうか。
     
    「なあラーハルト。あいつは、ヒュンケルはどうしてモンスターの巣窟で生きていけたんだと思う?」
    「地獄の騎士バルトスの酔狂と魔王の憐れみだとヒュンケルは言っていたぞ、大分不本意そうだったが」
    「そいつぁ違うね。ヒュンケルは地底魔城全てのモンスターとハドラーに、いや魔王(にも)愛されてたからだよ」
     思いがけない、聞きようによってはヒュンケルどころかハドラーに対しても侮辱的な表現を聞かされてラーハルトはぽかんと開きそうになった口元に既のところで力を込めた。
     いつもの鉄面皮に僅かながらひびが入ったラーハルトに対してポップは意外なほど真剣な眼差しで続ける。
    「愛って表現が気に入らねぇなら他者として存在を認めていた、と言い換えようか。大魔王バーンと違って魔王ハドラーの世界には最初から“他者”が存在したし、事によっちゃあ他者を守る事までしたんだ」
    「師であるアバンを、メガンテを実行するまで追い込んだ敵に随分甘い評価ではないか」
     ポップはヤレヤレとばかりに大袈裟なため息をついてみせた。
    「ハドラーは実際にダイと俺、それにマアムも命を救けて逃がしたじゃねぇか」
    「ハドラーがヒュンケルを気に掛けていたとしたらバーンパレスを貴様ら毎切り落とした時にヒュンケルを救けなかった事と矛盾するだろう。ヒュンケルとクロコダインが捕囚となり処刑台へ磔にされるまで命永らえたのは大魔王の都合、人間共の耳目を集める為に過ぎん。大魔王の思惑など地上の誰も知らなかったのだから過大評価もよいところだ」
    「ハドラーは俺たちよりずっと魔族の思考パターンを知っていたし、何より“勇者ダイ”を逃がす事に傾注した結果さ。流石に勇者パーティー全員を海に落としたら魔王軍の奴らも捜索しただろうからな」
    「大人二人を残したのも、俺たち子どもを逃がす時間稼ぎの為に態と裏切り者の元軍団長を囮にしたんだよ」
     大魔王はヒュンケルたちに意趣返しができる上、人間の勇者パーティーや有力者の耳目を集めるという元々の目的も叶うと悦に入り生死不明の勇者パーティーにまんまと興味を失った。
     人間たちは仲間になった元軍団長を見捨てる訳が無い。
     そこまでハドラーは考えていたんだよ、とポップは瞳を揺らす。
    「それにダイヤ9の時も。ハドラーの命と魂まで燃やし尽くしたメガンテとも言える魔法力の支えがなくちゃあメドローアは撃てなかったし、アバンの使徒とはなんたるかを思いださせてくれなきゃ俺も諦めるところだった。ダイの命が掛かってたってのによ」
     そもそも魔界ですら伝説の域である“真竜の闘いに人間の身で割って入ろうという発想自体が可怪しい事にポップは未だに気づこうとしない。
     ラーハルトが危ぶむのはポップのダイへの献身が無意識下で選ばれる処だ。
     己より“世界”が必要とする者と判断すれば、死への恐怖すら瞬時に捻じ伏せ躊躇いなくその命を燃やし尽くすのは師アバンの自己犠牲呪文を目の当たりにした兄弟弟子の悪癖、いや負の連鎖と言えるかもしれない。
     ヒュンケルも同様に限界の更に先まで命を燃やし尽くして戦いぬいた。
     生き残れたのは単に運が良かったに過ぎないが、本人にとって「良い事」だったのだろうか?
     人生の禍福は棺の蓋に釘付けられるまで判らないものだ。
     バラン様に納めていただいた棺から甦った俺ですら判るはずもない。

    「ヒュンケルが生きている間なら俺たちが手を尽くせるが、いずれあいつが亡くなった後は彼らの領分だかんな」
     ポップが寂しそうに笑うのをラーハルトは沈黙で肯定する。
     老魔道士のように彼も百歳程まで歳を重ねるかもしれないが半魔であるラーハルトにとってそう長い先ではない年月の後に確実に訪れるヒュンケルの死後は、ハドラー率いる魔王軍と大魔王バーンに操られ不死の軍団に加えられた彼の血族たちと····ポップによるならばハドラーですらも、必ず彼らの子は我がもとへ帰ってくると確信しているが故の傲慢な沈黙がヴィオホルン山を満たしている。
     当然だろう。ヒュンケルは彼ら魔王軍(Region)の一員で最も幼く、何年経とうと彼らにとって小さな子どもなのだから。
     
     ラーハルトは火口に蟠っているだろう目に見えぬ死霊の存在を感じようと努めて気配を探る。
     ポップの浄化の力で救済される事を拒み待ち続ける彼らのもとに、いつの日にか勇者に拐われた六才の少年に戻ったヒュンケルが“俺たちの家”へ帰ることだろう。 
     ポップがダイ様と共に仲間を取り戻すべく怖々降りた、巨体を誇るモンスターが優にすれ違えるほど幅広く分厚く均一に切り出された石造りの螺旋階段は大量の溶岩に埋もれているが魂になった身には差し障りはない。
     まるで目に見えるようだ……片手に如雨露を提げた少年が二度と上ることがない螺旋階段を軽やかに駆け降りる姿が。
     ヴィオホルン山の山裾や山腹で、螺旋階段の彼方此方で、地底魔城の迷路として造られた通路で、堅牢な居住区で、人間共に鏖殺されたモンスターたちは斃れたその場で再び立上り生前の姿を取り戻しヒュンケルの家族として彼を迎えるだろう。
    「ただいま みんな!」
    「「「「「お帰りヒュンケル」」」」」
    「さあバルトス殿も待ち侘びておられる。もう地底魔城からでてはならぬぞ」
     あるものは咆哮でまたあるものは言の葉で、ヒュンケルに挨拶を返し長旅を終えた家族の帰りを喜びあう。
     そして彼らの背に肩に乗せられ今度こそ勇者どもから幼子を守る為に設えられた安全な子ども部屋のある階層へ降り、地獄門で“父さん”と再会して久闊を叙した後最深部である玉座の間で魔王に帰参の赦しを得る為に謁見を願うのだ。

     ヒュンケルに叛かれ一度は生命すら害された魔王ハドラーはすぐに目通りを許すだろうか……もし最初は冷たく突き放したとしても魔王に勝ち目は無いだろう。
     老魔道士曰く「泉水の如く湧きだし、雲霞の如く夜空を埋め尽くす」ほどのモンスターたちは全てヒュンケルの味方なのだから、ハドラーが音を上げるまで彼らの幼子を再び家族として受けいれて下さいと取り成す為に粛々と列をなすだろう。
     地底魔城という万魔殿を埋め尽くすモンスターたちは玉座の間でかわるがわる跪き頭を垂れ赦しを得るまで哀切な鳴き声をあげるに違いない。
     禁呪法で最後に創り出したハドラー親衛騎団位はハドラーの意を汲んでモンスター共を追い払おうとするかもしれないが、所詮ポップの言葉を借りれば「ハドラーは魔王なりにヒュンケルを愛している」のだから魔王ハドラーの、父なる者のもとへ戻ろうとする子を最後まで拒める筈はないのだ。

     ラーハルトは直接ハドラーに会った事はないが魔王が、魔族として一角の人物であった者が配下であるモンスターたちの果てしない陳情が続く有り様に玉座でうんざりとして頭を抱える姿が容易に想像できた。
     皮肉な事にモンスターたちがヒュンケルを家族として受けいれ愛するのは魔王自身の心の反映なのだ。
     モンスターとは魔王の自我に半ばのまれ彼の邪気とカリスマと心情にすべからく影響されるモノなのだから。

     ふと西を見ると陽の名残りが海と空の境を淡くしていた。
    「すっかり遅くなっちまったな。ヒュンケルが首を長くして待ってるから急いで帰ろうぜ」
    「そうだな。早くしないとヒュンケルお手製のスープの味がおちてしまう」
     ラーハルトから彼なりの精一杯のユーモアを感じ取りポップはやっといつもの人好きのする笑顔を浮かべ、おうと応えて弟弟子の顔に戻りラーハルトをヒュンケルの待つ家へ送り届ける為に移動呪文(ルーラ)の白光に姿を変えた。

    ☆Touch-and-go
     今日がポップとの約束の日だというのにラーハルトはまだヒュンケルにカールで治療に専念してくれ、と言うことができなかった。
     ラーハルトは短気というほどではないが回りくどい迂遠な態度は好まない。
     それだのにいつまでも手をこまねいている自分が信じられなかった。
     もしダイ様の行方の手掛かりが見つかっていない時であれば、恐らくもっと早くにヒュンケルにカールでの療養を勧める事ができた筈だ。

     この二年間ラーハルトたちは勇者ダイ様を探し続けていた。それはヒュンケルにとっては贖罪の巡礼でもあったのだ。
     カール王城へと留置かれ治療という名の歩みを留める苦痛を味合わせぬよういっそのことヒュンケルを連れてここから二人で逃げてしまおうか。

     我が主君にして健やかな少年が2年余りも見つからないのだから、病の身でもヒュンケルと俺なら1 年位は……いや我々に逃れられる場所はこの地上に残されているのか?
     アバンの使徒の次兄たるあの魔法使いは人の寄りつかない毒の湖、オーザムの見棄てられた旧都、アルゴ岬、ヴィオホルン山と、ダイ様をお捜しする旅の先々にルーラで現れたではないか。

     この地上に数える程しか居ないルーラ契約者(ポップ)にとって地上のあらゆる街や島、荒野に山頂に谷底に断崖岸壁でさえも今や既知の場所だ。
     今や本気で探しだそうとする魔法使い(猟犬)から病人を連れて逃れる事は至難の技だろう。
     合理的ではない。ただの……ただの感傷だ。

     ラーハルトは魔槍の石突で結界石を軽く押して破邪結界を消した。
     ここはロモスとカールに知られているからもしヒュンケルが人間どもに追捕された時には避難所(アジール)として使えない。
     それにデルムリン島をダイ様の友であり家族である「魔王ハドラーの麾下であったモンスターたちの楽園」のままにする為にも魔に心を寄せる遊撃戦力が常にマホカトール結界に守られたデルムリン島の外に有るべきだ。

     日が陰り夕寒の風が吹いてきた。約束の時間だ。
    「ヒュンケル。外に出てみないか?」
     苦悩を隠しきれない表情を見せたくなくて顔をそむけながらかける声にヒュンケルは素直に首肯く。

     この半月程の療養でも癒やしきれ無かった持病による喘鳴は日が落ちきる頃に始まるから今は比較的身体が楽なのだろう、ヒュンケルの足取りは軽い。
     彼のベルトにはカールの身分証が入った小さな巾着が括りつけられ歩みに連れて揺れている。
     ラーハルトがポップから受け取るのに抵抗がある素振りをするのを見て俺が預かっておこう、とその場で身につけた物だった。
     それに目を遣る度にアバンの使徒の長兄としてその身を命を削るように戦いに邁進していた時には見せなかった、弟子が師を想う幼くさえ見える表情の穏やかさにラーハルトの心はざわめいた。

     ヒュンケルの生来の気性は争いを好むものではないからアバンの元に憩う間、病から回復し再び己に課した贖罪という名の生き方に戻る迄の僅かな時はラーハルトと共に旅した間に見せなかった表情をするのだろう。
     それを見たいと思うのと同じ熱量で見たくないとも思う。
     見てしまったらもう彼を置いて魔界へ行けそうに無いからだ。
     どうかもう少しだけ、何故俺が庭にでるだけで魔槍を手にしているか気づかないで欲しい。

     ラーハルトの視界の隅に白い光が届いた。
     あれはポップのルーラの軌跡だ。
     いつもの槐の木に向かうのではなくこの家を目指してくるということは、俺がヒュンケルにカールへ療養に行こうといいだせ無いと予想したからだろう。
     ヒュンケルに自分を置き去りにしてダイ様の行方を探しに行くと告白できなかった俺を「勇気の魂の力」を持つ彼奴は嘲笑うだろうか?
     否、やっと自分に弱さがあると認めた俺にあの静かな何より恐ろしい微笑みをみせるだろう。

    「どうした?ラーハルト」
     ヒュンケルの頭を己の胸へと抱き寄せたラーハルトに彼は穏やかにたずねる。
     ただ無言でかき抱き自分の目を耳をふさごうとするのをそのままにしてヒュンケルは幼子にいい聞かせるように続けた。
    「大丈夫だ。俺は不死身だと言ったはずだ」
     大丈夫、と繰り返すヒュンケルの声はあくまでも透明で優しい。
     ヒュンケルの左腰には剣帯はあれど剣は帯びていない。
     その代わりラーハルトの脇腹に押しつけられているのはヒュンケルが左手に抱えた、インクの香りも新しいアバンの書だ。
     天性の剣士が剣を帯びず、師の志を象る書物だけを後生大事に携えている意味は明らかだ。

     嗚呼 ヒュンケルは今から何がおきるのかもう知っている。
     知っていてラーハルトの為に知らない振りをしていたのだ。
     もしかしたら病に倒れた最初から。

     人間とはなんと優しく愚かで美しく残酷な…儚くも強い生き物なのだろうか。

     ラーハルトとヒュンケルの肌に髪にルーラが巻き起こす風が吹きつけ、彼らをカールへ連れ去る為に肩に触れる魔法使いの手の感触と共に鮮やかな呪文が耳をうつ。
     天翔る魔法使いの眼差しはklares Gift(澄みきった毒)のように透き通り残酷なまでに清らかだ。

     魔法使いの自ら巻き起こす風に従い天を目指してたなびくマントは夕焼けをうけて深紅に赫いている。
     それはバーンパレスでラーハルトやヒュンケルも味わった、大魔王の忿怒を模る不死鳥の姿をした業火に似ていた。

     大魔王をも恐慌に陥れた魔法使いは訪れと同時に二人を無慈悲な魔法で包みこみ彼らが一時を過ごした家から連れ去った。

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    ムーンストーン

    DONEダイの大冒険 リア連載時から疑問だったバルトスの敵討ちについて書き連ねました。
    以下バルトスファンとヒュンケルファンには申し訳ない話しが続きますが個人の感想なのでお許し下さい。

    ハドラー(造物主)のから信頼より子への愛情を取って責任追及された事をメッセージに残す=ハドラーへ遺恨を残すことになりませんかとか魔物と人間とは騎士道精神は共通なのねとか。
    ダイ大世界は生みの親〈〈〈育ての親なのかも。
    20.審判(ヒュンケル/ランカークス村)〜勇者来来「勇者が来るぞ」
    「勇者に拐われるから魔城の外に出てはならんぞ」
    懐かしい仲間たちと父の声が地底魔城の地下深く、より安全な階層に設えられた子ども部屋に木霊する。
    この世に生をうけ二十年余りの人生で最も満ち足りていた日々。
    ヒュンケルがまだ子どもでいられた時代の思い出だ。


    「暗くなる前に帰んなさい!夜になると魔物がくるよ!」
    黄昏に急かされるようにランカークス村のポップの家へ急いでいた時、ふいに聞こえてきた母親らしい女の声と子供の甘え混じりの悲鳴を聞いてヒュンケルとダイは足を止めた。

    ヒュンケルが声の主はと先を覗うと見当に違わず若い母親と4〜5才の男の子が寄り添っていた。
    半ば開いた扉から暖かな光が漏れ夕食ができているのだろうシチューの旨そうな匂いが漂う。
    2661

    ムーンストーン

    DONEダイの大冒険 ナバラによるアルキード滅亡の日の回想です。
    テランの人口が急減した理由の一つに理不尽すぎる神罰があったのではないかと思います。
    あの世界の殆どの人は結局アルキードが何故滅びなければならなかったのか知らないままだから神の力の理不尽さに信仰が揺らいだ人も多いと思います。
    夢から覚めた日〜ナバラ「あの日」のテランは雲一つない穏やかな陽気だった。

    暑くもなく寒くもなく、洗濯日和と言わんばかりの優しい風が吹きすぎる。
    そんなうららかな日だというのに何時にないむずがりかたをするメルルにナバラは朝から手を焼いていた。

    「いつもお利口さんなのに今日はご機嫌ななめだねぇ」
    女所帯のナバラ達を気にかけて何かと助けてくれる近所の若者、ドノバンがあやしてくれたが更に大声で泣いてメルルは家の中に駆け込んでしまった。 
    「全くだよ。せっかく忙しいお兄さんが遊んでくれたのに」
    悪いねぇと詫びるナバラに、たまにはそんなこともありますよと気の良い笑顔を向け、若者は花と香炉の入った籠を取り上げ竜の礼拝所へ朝の礼拝に向かった。

    「全く信心深い子だよ。テラン人の中でも朝晩欠かさず竜の神殿に詣でるなんてあの子位だ」
    2604

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    asamag108

    MAIKING魔界旅中のダ様とラー。CPではない、と思っている。
    話にあんまり絡んでないけどダインさんも一緒に旅してる。
    「ラーハルト、これ読める?」
    魔界の旅の途中、主君に差し出されたものは手書きのメモであるようだった。
    魔物ばかりの島で育った主君――ダイが読み書きを苦手としていることは聞き知っている。本人曰く、勉強して簡単な本くらいなら読めるようになったということだったが、何か彼の知らない難しい言葉でも出てきたのだろうか。
    そう思ってメモを受け取り、ラーハルトは眉を寄せた。
    一文字目から、ラーハルトにも見慣れない字が連なっていた。
    全体を眺めればいくつかは知っている文字が現れて、それが魔族の文字で書かれたものだということに気付く。
    一体どこでこんなものを、と思うと同時、その思考を読んだようなタイミングでダイが口を開いた。
    「旅に出る前にヒュンケルから『魔界で役に立つかもしれない情報を纏めておいた』って渡されたんだ。もしも落としたりした時に面倒があるといけないから魔族の文字で書いたって言われたんだけど……おれ、人間の字はちょっと読めるようになったけど、魔族の文字なんて全然分かんなくて。さっきクロコダインに聞いてみたけど、読めないって困った顔されちゃったんだ」
    2370