#第1回さねげん人外祭り2022 『被害の女子高生は午後9時半過ぎにこちらの塾を出た後、駅までのわずか数分の間に殺害されたと見られ…』
朝の情報番組は、このところ女性ばかりを狙って頻発している連続殺人事件の話題で持ちきりだ。テレビでは、被害女性の共通点と推測される犯人像について、コメンテータと評論家が繰り返し言葉を交わしている。いずれも被害者は、首を鋭利な刃物で切断。その切り口は、どんな刃物を使ったものか、人間技とは思えぬほど鮮やかだという。人通りが決して少ないとは言えない夜道での、一瞬の犯行。果たして、人間にそんな所業が出来るのか。世間では、令和の辻斬りなどと言われいるらしい。
「・・・辻斬りだって」
「食事中にテレビつけるな。消せ」
「うん」
確かに食事中に見聞きして気持ちのいい内容でもないから、言われた通りにリモコンを手に取る。スイッチを押せば、それきり四角い箱は沈黙したが、玄弥の頭の中では、まだ先程の被害者の顔が明滅している。『果たして現代の人間にそんな所業ができるのか』。アナウンサーの硬い声も耳に残ったまま。それを消したくて、殊更に大きく目の前の食パンに嚙り付く。何か流行ってるらしいからと、兄ちゃんがわざわざ買って来てくれた有名店の高級食パンは、すごく生地が柔らかくて美味い。
「うまい」
「そうか」
「兄ちゃんは食わねえの?」
「もう食った」
「もっと食べたらいいのに」
「お前じゃあるまいし。朝からそんなに食えねえよ」
そう言う兄の前には、空っぽの皿と湯気の立つ黒い液体だけが並んでいる。パンくず一つ落ちてない、使用感のない白い皿。どうせ嘘つくなら、もう少しマシな噓をつけばいいのにな。兄ちゃんは、そういうところがある。変なところで神経質なのに、変なところで雑。俺も人のことは言えないし、兄ちゃんと違って頭の出来もいま一つだけど。それでも、思う事は沢山はある。
「最近、あんまり食べないよね?」
「・・・外で済ませてる」
「何処?」
「あー…ラーメン」
如何にも適当な答えに、腹の奥底にチリチリと焼けるような痛みを覚えた。嘘つき。そう詰りたいのを我慢して、黙って口の中のものを咀嚼する。くちどけの良いパンは、直ぐにほろほろと口の中崩れて消えた。そう言えば。前に焼き立てのフワフワ白パンを一緒に食べた時に、柔らか過ぎるのはあまり好きじゃないって、言ってたっけ。ガリガリと音のするような、噛み応えのある食感が、兄は好きらしい。
「・・・美味かった?」
「何が?」
「…ラーメン」
「普通」
普通なワケないだろ、と思う。あんな美人、不味いはずがない。
玄弥に好きだと言ってくれた女の子、親切にしてくれたクラブの先輩、席が隣になって仲良くなったクラスメイト。殺された三人を、玄弥は知っている。三人共美人で、かわいくて、評判だって悪くなかった。何故、あんなにいい子達が。教師も生徒も、近所の人も、皆口を揃えて言っている。玄弥も暗澹とした顔つきで思う。何故、彼女たちが。
「何か、言いたそうだな」
「・・・兄ちゃん」
殺された女の子達の頭部は、警察の必死の捜索にもかかわらず、未だ見つかっていない。何故、犯人はそれを持ち去り、それは何処に消えたのか?手がかりも目撃情報もない犯人の糸口を何とか掴もうと、警察は躍起だ。他府県からも増員され続けている警察官の姿を、この小さな街で見ない日はない。けれど、犯人が捕まる事は絶対にない。兄ちゃんは人、間に捕まるようなヘマはしない。
「お前、俺が喰ったと思ってんのか?」
「ち・ちが
「顔に出てる」
「・・・・・」
「お前は、すぐ顔に出るからなァ」
クック、と肩を揺らして笑う兄は、悪戯に成功した子供みたいに楽し気だった。そんな兄を見るのは久しぶりだが、それを、喜んでいいのか、今一つよく分からない。兄と暮らすようになって八年。玄弥は未だ、兄のことがよく分からない。
「喰う訳ねェだろ?あんなマズそうな女」
「でも!誰にも見られずに一瞬で首を落とすなんて、そんなの兄ちゃん以外、
「殺されて当然だろ?あんな女」
ブスが色目使いやがって。
心底忌々しそうな声音と言葉に、玄弥はハッとして息を吞んだ。いつだって血の気のない兄の目尻に、僅かに浮かんだ赤の色が、俄かに玄弥の体温を押し上げる。玄弥は掌のパンを放り出して、向かいの兄に詰め寄った。勢いよく掌を付いた座卓から、皿の踊る派手な音が鳴った。
「兄ちゃん!今の、ホント!?本当のっ、本当に、喰ってない?」
「しつけェな。喰うかよ、あんなクソまずそうな女」
「ホント!?喰ってないの?俺だけ?」
「ああ」
お前だけだと、甘い媚薬のような言葉を流し込まれて、玄弥は歓喜の声を上げて、座卓に乗り上げて、兄にぎゅうぎゅうとしがみ付いた。1mmだって離れるまいと、思い切り背に腕を回して、兄の冷たい顔に頬を摺り寄せる。
「だったら、兄ちゃん、約束して。絶対に俺以外に食べないって。兄ちゃんの好きなだけ、いくらだって食べていいから。俺だけにして」
ねえ?何でもするから。兄ちゃん。
子供のような玄弥の言葉の、その一つ一つに兄は頷いて、玄弥の背を優しく抱き返してくれた。ぬるりとした冷たい舌が、頬を這う。玄弥はうっとりと目を閉じた。噛みつくように口を吸われ、錆びた鉄の味が口いっぱいに広がる。濃く血の混じった唾液を、兄が喉を鳴らして飲むのに、眩暈がする程の、強い酩酊感を覚えた。もっと、もっと。舌を出して「喰ってくれ」と強請るのは、いつだって、玄弥の方だ。捕食者である兄は、下手をすると再生した時に傷になると眉を顰めるが、玄弥は何でもいいから、兄に喰ってほしくて仕方ない。自分の身体なんて、どうでもいい。
「兄ちゃん、はやくっ、」
「そう、ガッツくな」
そんなに心配しなくても、ちゃんと骨まで残さず喰ってやる。
兄が幼子に言い聞かせるように言うのも、もう何度目か。宥める様に兄にキツク抱き締められ、幾つもの所有印をつけられても、玄弥は安心出来ず、兄の歯が玄弥の薄い皮膚を切り裂いて、それでいつもようやく安心出来る。刺すような痛みも、血がダラダラ皮膚を伝う不快感も気にならない。被食者たる玄弥にとって、最愛の兄に喰われる事こそが、最高の幸せだ。兄に肉抉られ、血を啜られる度に、どうしようもない興奮を覚える。はあはあと熱い息を零しながら腰を揺らし、「もっと」と譫言のように繰り返す。
「っ、…に・にいちゃ…」
「ん・・・もうちょっと辛抱しろよ」
兄が喰らっても喰らっても、喰われた端から、次々と再生していく身体が呪わしい。本当に、兄に骨まで残らず喰らいつくしてもらって、兄の一部になれたなら、どんなにいいだろう。愚にもつかぬ事を思いながら、今日も玄弥は兄に喰われる。