11月。己の誕生日のあるこの月を、実弥はいつも複雑な気持ちで迎える。
いい年にもなってくれば、生んでくれた親に感謝こそすれ、誕生日を迎えるのが嬉しいなどと思う事もないが、弟妹達が祝ってくれようとする気持ちは、素直に嬉しいと思う。それも何週間も前から、念入りな準備をしてパーティーを開いてくれるとなれば、猶更だ。少ない小遣いを持ち寄って、遊びに宿題にテレビ、子供ながらに忙しい時間を縫っては、顔を寄せ合って何やらヒソヒソとやっているのを見る度、気まずいやら、面映ゆいやら。何せうちは兄妹が多い。何も自分だけではなく、順番に誕生日は祝うのだから、そんなに懸命にサプライズを演出してくれずとも、粗方の内容は想像がついてしまうのだが、「兄ちゃんをビックリさせよう!」と、張り切る幼い弟妹達の手前、誕生日までの凡そひと月は、細心の注意を払わねばならない。例えば、押し入れの隅に押し込まれるようにして隠されている見覚えのない紙袋だとか、締め切った部屋の向こうで繰り広げられる内緒話だとか。そういったモノから、全力で目を背け、耳を塞ぎ、知らぬフリをする。
「・・・兄ちゃん、コンビニ行ってくるわァ」
「う・うん!実弥兄ぃ、行ってらっしゃーい!」
今日も今日とて、部屋に足を踏み入れようとした途端、慌ただしく机の下に隠された花の飾りに、慌てて回れ右をして、用もないのに玄関に足を向ける。いつもは、自分が出掛けようとする度に纏わりついて来て、「一緒に行きたい」と強請る弟妹達も、11月ばかりはついて来ない。それどころか用もないのに、笑顔で「出来るだけゆっくりしてきて」と言われる始末。玄弥に至っては何の遠慮もなく「最低でも1時間は時間潰して来て」などと言ってくる。万が一にも、パーティーグッズなる物の準備中にウッカリ足を踏み入れようものなら、「実弥兄ぃは、入っちゃダメ!」と、一番下の弟にまで怒られてしまうのだから、長兄の威厳もなにもあったモンじゃない。
「あ”ーーー…寒ぃ」
上着を取りに行く間もなく、半ば強制的に外出させられてしまったから、家を出て10分もしない内に、体が冷えてきた。が、今頃、部屋中に花輪だの色紙だのを広げて、せっせと準備をしているであろう弟妹達を思うと、今さら取りに戻る訳にもいかない。用もないのに近所のコンビニに足を向けるのは、今月に入ってこれで三度目だ。何も買わずに出るのも何なので、その度ごとに、弟妹へ土産用に菓子を買っていたら、すっかりコンビニの新商品に詳しくなってしまった。店員に顔も覚えられたのか、「いつも有難うございます」と言われて、バツの悪さに頭を掻きながら、早々にコンビニを出る。家を出てからまだ20分。帰るにはまだ早過ぎるだろうと、コンビニで買ったホットコーヒー片手にブラブラと駅の方へ向かう。馴染みの商店街を抜けて、信号のない線路沿いの道を通って、大回りで家に帰れば丁度小一時間。頃合いの時間だろう。弟妹達に家を追い出されて、この大回りのルートで時間をつぶして帰るのも、殆ど毎年の事で、更に言えばその昔、保育園から真っ直ぐ帰りたがらないチビ共を散歩がてらに連れて歩いたルートでもある。緑のフェンスが続く店一つないこの線路沿いの道を、不思議とどの弟妹も好んで歩いた。うちは貧乏子沢山の典型で、電車に乗ってどっかに出掛けるような事も少なかったから、電車を見たかったのかもしれない。昭和のまま時を止めたかのようなオンボロアパート。線路脇に誰かが植えたネギ坊主。記憶の中の、『兄ちゃん、兄ちゃん』と呼ぶ声は、もはや誰のモノともつかない。みんな大きくなったなァと、爺むさい事を考えては、騒がしくて、馬鹿みたい平凡で、何事もない日常の繰り返しの有難さを嚙み締める。薄く色付き始めた薄い雲。カァカァと喧しい鴉に急かされて、自然と足が速くなる。
もうそろそろ、帰ってもいいだろうか。
家に着く前に一度、玄弥にでも連絡を入れたほうがいいかもしれない。それで、まだ帰って来るなと言われたら、どう時間を潰したものか。今度は反対のコンビニ行ってみようか。さっき買った土産を眼前にぶら下げて、頼むからこれで入れてくれと頼んでみるのもいいかも知れない。
「・・・取り合えず、帰るかァ…」
ゆっくり遠回りして帰りたいと言っていたはずなのに。日が暮れ始めると急に心細くなって、決まって誰かが『早く家に帰ろう』と言い始める。その内に早足になって、最後はいつも皆で競争するみたいに駆け足で家にたどり着く。点滅し始めた信号が、急げ急げと急かすのだ。『早く、早く』と、皆を急かしては家に帰りたがる子供。あれはどの弟妹だったかと首を捻って、不意に、それが自分だと気付いておかしくなる。見事な金木犀のある庭の白壁。その隣の古びた木造アパート。角を曲がれば、家はすぐそこだ。玄関扉までの僅か数段の階段を一つ飛ばしに駆け上がって、扉の前で深呼吸をひとつ。扉横の色のくすんだチャイムを鳴らせば、幾つもの小さな足音がバタバタと忙しなく駆けてくる。その騒がしさを、気に入っている。
「実弥兄ちゃん、お帰り!!」
「・・・ただいま」