「は・はじめまして!!!竈門 炭治郎です!この度は、お世話になります!あのっ、どうぞよろしくお願いします!!!!」
キンと、耳鳴りがしそうな程の大声で丁寧な挨拶を述べて、直角に腰を折り、真直ぐに右手を冨岡の方へ差し出す。それは、某お見合い番組の告白シーンを彷彿とさせる光景だったが、生憎と冨岡はその番組の存在を知らなかった。だから、伸ばされた掌を直ぐに取らなかったのには、決して他意はない。ただ単にこの時、冨岡は珍しくも動揺していてたのだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
意図せず、微動だにしない冨岡と子供の間に、気まずい沈黙が流れて、そうこうする内に、冨岡の目の前の小さな頭はぴょこんと跳ね上がる。その幾分眉尻の下がった顔と、申し訳なさそうに引っ込められてしまった掌に、冨岡は慌てて重たい口を開いた。
「冨岡 義勇だ」
よろしく頼むと、同じ様に右手を差し出せば、今にも床に置いたばかりの鞄を引っ掴んで踵を返しそうだった子供が、見る間に満面の笑みを湛えて冨岡の掌を力強く握った。
「ハイ!!!宜しくお願いします!!」
『子供を一人、預かってはもらえまいか?』
恩師である鱗滝から電話があったのは、つい昨日の事だった。思わず黙り込んだ冨岡を気にするでもなく、鱗滝は立て板に水を流す様に続けた。
『なに、よく出来た子だ。炊事、洗濯、掃除。何をやらしてもよく出来るし、頭も良く、礼儀も正しい。部屋さえ空けてやってくれれば、お前は何もせずとも良いから、心配は要らん』
冨岡は他者とのコミュニケーションと言うものがあまり得意でない・・・らしい。らしいと言うのは、冨岡本人にはまるでその自覚がないからであって、甚だ不本意なのだが、どうやら寡黙なのが災いするようだ。常日頃、何かと無用な誤解を生むことが多い。どう考えても上手くやれる気がしないし、他人が家にいるという状況が何と言おうか、煩わしい。電話が切れるまでの間、冨岡の眉間には、始終、深い皺が刻まれたままだった。それでも渋々ながら引き受けたのは、他ならぬ鱗滝からの頼みだからである。何せ鱗滝は冨岡の恩人である。
―――ひと月でいい
鱗滝のその言葉に、何とか一縷の望みを見出して、冨岡は、隣に人が引っ越して来たと思えば良いと、無理矢理自分を納得させた。自身の家を、トイレ、台所、風呂共同のアパートだ考えれば、何とかなる。酷く大雑把な考えを以て、冨岡はこのひと月を乗り切ろうと考えだのだが。
「・・・女とは聞いてなかった」
「え?何ですか?」
冨岡はあまり朝に強くない。起きれない訳ではないが、頭が覚醒するまでに少々時間を要する。だから何時も、スマホをアラームは秒で止めた後も、ウトウトと二度寝を決め込み、その後はスヌーズと二度三度格闘する。そんな冨岡の毎日は、子供が来てから一転した。山奥の田舎育ちなもので、そう言う子供の朝は異常なまでに早い。今日も今日とて、アラームを掛ける迄もなく、パタパタと忙しなく廊下を行き来する人の気配に、否応無しに起床を促されて、冨岡は緩慢な動作で身を起こした。
「あ、おはようございます!」
「・・・おはよう」
「すみません、この洗濯物干してしまいたいんで、朝ご飯もう少し待っててくださいね」
「別に、構わない」
この冨岡の言葉には「自分の分は自分で用意するから、不要である」「自分の分だけ用意すればいい」と言う意味が込められているのだが、極端に不足しがちな冨岡の言葉は、子供には伝わった試しがない。案の定、狭いベランダから飛んできた「卵はスクランブルエッグがいいですか、目玉焼きの方がいいですか?」と言う、隣まで聞こえそうな位の元気な問いかけに、今日こそはハッキリ言わねばなるまいと密かなる決意を籠めて、息を吸い込み、ベランダの少女に向き直る。だが残念ながら、そんな冨岡の決意は不発に終わった。全開で開け放たれた窓から、朝の爽やかな陽光と共に、控えめなレースのついた純白の下着が冨岡の寝ぼけ眼に、突き刺さったからである。
・・・何故、見える位置の干す・・・?
仮にも年頃の娘が、と、些かオッサンくさい事を頭の中でぐるぐると考える。さりとて、その年頃の娘に何をどう言っていいのやら分からないまま、卵は何が良いのかとせっつかれて、心の動揺そのままに「卵焼き」と選択肢になかった料理の名前を思わず口にする。ベランダからは直ぐに「わっかりましたー!」と、相変わらず元気の良い返事が返って来て、結局、冨岡は何をどうする事も出来ず、よく分からない敗北感を抱えて、すごすごと洗面所へ引っ込んだ。
「は?女が下着を見せつけて来る心理?」
重ねて言うが、圧倒的に言葉足らずな冨岡の言葉は誤解されやすい。
冨岡が訊きたかったのは、「仮にも異性の同居人がいるにも関わらず、下着を見える位置に干すというのは、果たしてどういう心理だろうか?」と言った内容だったが、案の定、上手く伝わらなかったと思われた。
見るからにその手の経験が豊富そうな美術教師は、ぶはっと盛大に噴き出して、「この朴念仁に果敢に挑む兵がいるとはなあ」と、ヒイヒイ腹を抱えて笑っている。一体何が面白いのだろうかと、冨岡は内心首を傾げた。
「俺は朴念仁ではない」
「いや、そういうところだろ?」
「どういうところだ?」
訝し気な表情の冨岡を指さしながら、尚もおかしそうに顔を歪めて、宇随はとんでもない事を言った。
「決まってんだろーが。そりゃ、誘われてんだろ?」
「どうかしたんですか?」
「‥‥・何の話だ?」
「いえ、あの、ココに物凄く寄ってたので」
此処、と指先が触れそうな位置で眉間を指されて、冨岡は思わず肩を跳ね上げた。宇随がおかしなことを言うものだから、そんなはずはないだろうと思いつつも、変に意識してしまう。大仰に仰け反ってしまった冨岡に、竈門は暫し吃驚眼で冨岡を見つめて、それから分かり易くシュンと項垂れた。
「あ…すみません。私、弟妹が多かったので、つい。…あの、不躾でしたよね?」
「いや!違う!」
子供に泣かれるのが苦手でない大人なんているものだろうか。増してや、鱗滝から預かった大切な子供だ。見る間に意気消沈してしまった子供に、冨岡は慌てた。勢い余って思った以上に出てしまった声の大きさに、更に子供が委縮するもんだから、余計に焦った。普段ニコニコと笑顔を絶やさない子供がしょげ返る姿は、想像以上に冨岡の心を抉った。罪悪感が半端ない。「そうじゃない」と言い訳する様に続けたものの、逆に「じゃあ、何ですか?」と、半分泣きそうな声で尋ねられて直ぐに言葉に詰まった。何、と言われても。
「竈門に触れられるのは好きだ」
同僚に変な事を言われて体が変に意識してしまい、妙な態度を取ってしまったのだが、別に他意はなく、決して竈門に触れられた事が嫌で、ああいう態度を取った訳ではないので気にしないで欲しい。
そう言った事を全部ひっくるめて、尚且つ、驚かせた詫びの気持ちも籠めて、真摯に真直ぐに子供の目を見つめて冨岡はそう告げた。
「え?」
「ん?」
ポカンと口を半開きにして固まってしまった子供には、冨岡が割愛した言葉の数々はどう伝わったものか。竈門、ややあって、ぶわわっと全身を朱に染めた。
「え?え?あの・・・それは、どう言う?」
「どうも何も、そのままの意味だが?」
思っていたのとは些か違う反応に、冨岡が小首を傾げると、子供は酸素不足のようにハクハクと口を開閉する。これでも真っ赤に染まった顔は、その昔、姉と並んで夜店で釣った金魚によく似ていた。窓辺に置かれた水槽の前を陣取って、小さな身体を必死に震わせて泳ぎ回るその生き物を、飽くことなく一日中眺めては、幾度も姉を呆れさせたものだ。それは、幼気でとても可愛らしい。
小さな身体を必死に震わせて泳ぎ回るその生き物は、幼気でとても可愛らしい。竈門の顔を眺めている内に、唐突に脳裏に蘇った遠い日の思い出を、冨岡は一人懐かしんで、ふと笑みを零す。竈門が「ひゃあ」と変な声を上げた。