本を読んでいる時の兄貴が好きだ。
正確には、本を読んでいる兄貴を眺めるのが好き。一見、本なんか全然読まないように見える兄は、実は読書家で、ひと月に分厚い本を何冊も読む。短時間で集中してすごい量を読むから、本を読んでいる時に限っては、いくら兄貴のカッコいい顔をじっと眺めていたって、気付かれない。だから玄弥は、兄貴が本を読み始めると決まって、同じ部屋のちょっと離れた場所に移動してスマホを弄ったり、宿題を広げて悩んでいるフリをしたりする。
ちょっと伏せられ気味の視線。鋭さのある目が隠れると、また違った印象になる。意外に長い睫の落とす影。血管の浮き出た手の甲。節くれだった指の関節。
何を読んでいるのか、ふっと表情が緩む時もある。それは最高にレアで、貴重で、兎に角、そんな兄貴の顔を見れたら、ものすごくラッキーだ。うぉっしゃー!って、叫びだしたい位に玄弥は嬉しくなる。
「・・・何見てやがる」
けれど、兄貴は気配だとか視線だとかに敏い人だから、5回に1回くらいは気付かれる。でも、兄貴が読書している時の、尤もらしい台詞や言い訳はいくらでも容易してあるから大丈夫。
「それ、面白い?」
「・・・まあまあだな」
兄貴は滔々と感想を述べるようなタイプじゃない。でも、楽しそうな感じはあるから、きっと気に入ってるんだなあって思う。兄貴は本当に本が好きだ。
「お前って、意外に読書家だよな」
「別にそうでもねェ」
本屋に平置きされたハードカバーの本を適当に見繕って、レジに向かう。話題の長編ミステリーに、歴史小説、実用書。6冊で締めて1万三千円。それなりの出費だが、微塵も惜しくはない。
「そんなに、面白いのか?」
「さァな」
「じゃ、感動系?」
「いや、全く」
なら、なんでそんなに熱心に買うのかと問われれば、答えは明白だ。
「・・・弟がなァ、面白れェんだよ」
実弥が本を読み始めると決まって近く迄寄ってきて、チラチラこっちを見てくる。それも、教科書でガードしてみたり、如何にも熱心に動画を見るフリをしながら。至極真面目な顔をしたかと思えば、ニヤニヤしたり。偶に、ふと、妙に幸せそうな顔をして笑う時もある。穴が開くほど熱心に見られれば、何やらくすぐったいし、尻の座りも悪い。けれど、迂闊な事を言って、ゆっくりと玄弥の観察が出来なくなるのは困るから、実弥はせいぜい平生を装って本を読む。
「まあ…何ていうか、お前も苦労してんな」
呆れ顔が言うで宇髄に、「まあな」と、実弥も肩を竦めてみせた。いい年をした大人が、幸せそうな顔を拝むだけで我慢するなど。自分でも、自分の辛抱強さに呆れてしまう。だがまあ、折角ここまで我慢して来たのだ。今更あと数年、食べ頃になるまで待つくらいのことは何て事もない。それに、我慢に我慢を重ねた分だけ、その後の食事は美味いと相場が決まっている。
「まあ、気長に待つさ」
右にさっき買ったばかりの本が6冊、左にさっき見つけた弟の好きなスイカ味のゼリー。「悪い兄貴だな」と言われて、実弥は愉快そうに笑った。