部屋も気持ちも散らかるばかりで「あっこれ懐かしい!まだ着られるかな」
シャツやパーカーを出しては広げ広げては出しを繰り返す男が一人。いちいちコメントを付けないと気が済まないのか、とキースは自室に設けたバーカウンターを背に丸椅子に座り、ディノのとっ散らかった部屋を見つめていた。カラフルな部屋のカラフルな出で立ちの主がカラフルな衣装をベッドや床、様々な場所にぽいぽいと並べていく。この調子だと最悪夜までに終わらず、寝る場所を失ったディノはキースに泣きついて同衾したがるかもしれない。建前としては面倒臭い。本音は、それはそれで美味しい展開。
「ディノ、お前さっきから出してばっかじゃねえか。どんだけあんだよ」
「だって~!一回出さないと夏物入れられないし……そ、それに状態が綺麗だから捨てるの勿体ないだろ」
よほどの覚悟をもって取り組まない限りディノは物を捨てられない。人も物も大切にする男だ。そうして部屋がごちゃごちゃになる。
断捨離をしろと言うのは簡単だった。けれどキースにはそれをディノに告げる潔白さがない。死んだと聞いても信じられず、まるですがるように、彼が生きていた証の数々をすべて引き取り自分の目の届く範囲に置き続けた男には、使わないものは捨てろなどとドライに言い放つことは出来なかった。結果としてディノは戻ってきたし、使ってくれる主に再会できた物達はなんとなく幸せそうに散らかっている。
「収納が足りねえんだよなあどうも。チェストとかカラーボックスでも買ったらどうだ?それこそ通販で」
「おっ!いいなあ収納!確かつい最近深夜の通販番組で紹介してた。白と黒とオレンジとピンクの四点一気に買うと安くなるんだよ確か。ちょうどいいな!」
「話の流れから察するにお前オレらに一個ずつ押しつけるつもりだろ……」
「消去法で俺が白かなあ」
「いらね~」
ディノは何故かいつも人の分まで買いたがる。キースの部屋にも実際、返品した方が送料分損をするせいで結局迎えてやった商品がいくつかある。ゆで卵の殻剥き器、耐熱グラス。オレンジリキュールのチョコレートは徳用でなかなか減らなかったが、リビングに置いておくとちょこちょこフェイスが摘まんでいくので少し面白かった。なんだかんだ半数以上は彼が消化した気がする。
「というか手ぇ動かせ~マジで今晩寝る場所ねえぞお前」
「そのときはキースのベッドの下半分をお借りしまして……」
「いやどんな割り方してんだよ……普通横半分だろ……」
「えっ、隣いいの!?やったーキース大好き!」
床に座って衣類とにらめっこしていたディノがぱっと顔を上げるやいなやぶつけてくる大きな愛情と笑顔に、ノーガードのキースが椅子から尻を些か滑らせる。落下こそせずなんとか持ち直したが動悸は滑稽なほどやかましかった。これでディノの部屋に足の踏み場さえあったならうっかりキスくらいしに行ったかもしれないくらいには、まあ、可愛い。
けれど二人は恋仲ではなく友人だし、このまま本当に片付かず同じベッドで眠ることになるとすれば、なんのやましさも持ち合わせず夜を越すことは拷問に近いものがあるので、キースはよっこらせと重い腰を上げて隣の部屋へ赴いた。
「おっ、ついに手伝ってくれるのかキース!」
「ついにって言ったな」
「やばい、口が滑った」
「あてにすんなよ~。ほれ、もう捨てらんねえならちゃっちゃと冬物だけ出しちまえ」
「もうこんな時間だもんな。急に寒くなっちゃったから急いで始めたけど、もう細かい分類とか無理!」
「これあれだな。最初の片付けのときにもうちょいちゃんとやっときゃよかったな……」
キースが回想するのはそう昔のことでもない話だ。ディノの復帰と、ウエストセクターのメンターに就くことが正式に決まった日。色のなかったこの部屋が鮮やかな色彩に染まった日だった。
忙しい時間の合間を縫って来てくれたブラッドを含めて荷ほどきを始めたのだが、四年ぶりに三人揃ったことで皆うきうきとした空気感を漂わせていた。あのブラッドまでもがだ。そうして服に縁のある思い出や家電にまつわる失敗談など、一つ手に取るたびにあれやこれやありとあらゆる話に花が咲いてしまい、ろくに作業が捗らぬうちに多忙なメンターリーダーは会議に呼ばれ戻ってこられなくなった。しっかりと場を仕切る人間がいなくなったことで、とりあえず人一人暮らせるスペースさえあればいいかという話になり、一旦衣類は元詰めていた箱に封印する流れとなったのだ。
それから弄っていないどころかさらに物が増えたため、至急必要という今日みたいなタイミングで大いに困るのである。
「見てキース、よく着てたカーディガン!これあったか素材って書いてあったからいいな~と思って買ったんだけど、本当にあったかいんだよ」
「おお、見覚えあるな。よく似合ってた」
ヒーロースーツが身体のラインの出るぴったりとした作りであるのとは反対に、日頃のディノが好む服装はゆったりとした着心地のものが多い。昨冬気に入ってよく羽織っていた薄いブラウンのカーディガンも、太股ほどまで丈があり、袖口が長めでよく手が半分くらい隠れていた。なかなか良い、とキースがこっそり眺めていたらフェイスに含みのある笑い方をされたので、それ以降は気をつけていたが。
そう思いつつもカーディガンの袖をぼうっと見ていたキースだが、ふと視線を戻すとディノの頬が少し赤くなっていた。目を丸くした様子も気になる。
「なんだ?どした?」
「……キース、急にずるい」
「?」
身に覚えがないという表情で首を傾げるキースがやはりずるいので、ディノは真面目かつ速やかに衣替えを終わらせようと決意して服に向き直った。よく似合ってた。なんて、着るものにあまり頓着しないキースがするりと落としていく言葉にしては格好が良すぎて、反芻すればするだけ顔に熱が集まってどうしようもない。この調子でベッドを同じくするなんて、自分から言い出したもののとてもじゃないがディノは安眠出来る自信がなかった。
「……あれ、そういえばキースはしなくていいのか?衣替え。寒くない?」
「替えるほどのもん持ってねえからなあ」
「そうか?…………そういえばそうかも」
頬の赤みが治まったあたりでふと疑問が生じ、ディノはキースの持ち衣装を思い浮かべてみる。確かに、仕事で宛がわれたものを除けば片手で足りるくらいの数しか出てこない。そういえば以前見せてもらったカジノでの潜入捜査の際着用したというディーラー衣装、あれは良かった。深い緑のシャツと、洒落たチェックの入ったベストがキースによく似合ったことだろう。ここで着て見せてほしいと頼んだけれど面倒だと着てもらえなかったディノにとっては、似合う似合わないも想像でしかないけれど。
「気に入ったものはずっと使い込むタイプだもんなキースは」
「まあな。最低限あれば回せるし、乾かねえときは部屋くらいパンツ一枚でいてもいいしな」
「それでリビングうろついて前ジュニアにだらしない!って叱られてただろ……」
「あいつは細かすぎんだよなあ、若いのに。ガミガミ・ライト・ジュニアだ」
キーッと目を吊り上げて憤慨するルーキーが目に浮かんでキースは小さく笑う。けれど信条を変えるつもりはなかった。寝間着、制服、ちょっとした外出着。キースにとってはこれだけで充分なのだ。ディノとキースは親しい仲とはいえ違う人間だから理由を無理矢理くっつける必要はないけれど、共に暮らしている男の所持品があまりに多いので、こちらの物欲がなんとなく失せるのだ。だからなのか、そのぶん既に懐に入れてしまっている存在への執着はきっと、強い。何誰とは言わないが。
「でもそれじゃ風の強い日に飛んでっちゃったり、通りすがりの狼に噛みちぎられたりしたら大変だよ!裸で過ごさなきゃいけないじゃないか」
「いやそんな日に干さねえし平気で狼うろついてるニューミリオン怖ぇよ……」
サブスタンスやイクリプスだけでなく獣からも市民を守らないといけないのなら、こんな給料でやってられるかとキースは少しだけ真面目に悩んだ。とくに意味もないのですぐ止めたけれども。
まだキースの衣服についてうんうんと腕を組んで唸っているディノは勿論衣替えを中断していて、もういい加減本腰を入れなければどう考えても日付が変わる。おいディノ、と声をかけようとしたキースであったが、はっと閃いた顔のディノとばっちり目が合ってしまった。
「なあキース、今度服買いにいこう!」
「え……ええ~……」
「モール行っていろんなお店見て試着して買おう!キースが気に入るやつ絶対見つかるから」
「やだやだ~外出んの面倒臭え~」
ディノと出かけると。朝は軽くテイクアウトの一ピースピザを食べ歩き、昼こそキースの好みに合わせてくれるが、夜には重めのピザを出す店に付き合わされる。食事に限らず、動きたがり見たがりのディノはとにかくキースを連れ回すのだ。人の機嫌を察するのが上手いので、本当にキースが疲れていると判断すれば座れる場所を見つけたり飲み物を奢ったりして休憩を入れてくれるが、キースのいわゆる「疲れたフリ」に関しては容赦してくれない。つくづく扱いが上手い。
だがそうやっていつも理由をつけては明るいところへ連れていこうとするディノにキースは随分と絆されたのだから、どうしても彼に甘くなるのだ。しかし今回はキース自身の買い物が目的なので、どうしても腰が重い。三十手前にもなって子供みたいな駄々をこねるキースに対して、ディノがどう反応するかというと、柔らかな笑みをにこにこと浮かべているのみだった。
「にひひ」
「な、なんだよそんな上機嫌で」
「キース、俺とデートしよう!」
「デッ…………!?」
面白いほど動揺してしまったキースにディノがうきうきと畳み掛ける。
「朝早くてもお昼からでもいいからさ、朝ならタワー近くのスタンドでピザ買って食べ歩いてもいいよな。モールでいろいろ服見てお腹空いたらキースの食べたいもの食べよう。夜は……大きなピザ食べたいなあ……窯で焼いたやつ」
楽しそうに提案するディノを、キースはただただ眩しそうに眺めていた。キースが先ほど思い描いていたディノが言い出しそうなコース内容とまるで変わりはしないのに、デート、とたった三文字の名が付くだけでいとも簡単に心が跳ねてしまう。二人は友人なのでそのような関係ではないけれど、ひそかに真に受けてしまったとて罰は当たらないだろう。キースは大きな溜め息ののちがしがしと頭を掻いた。
「しゃあねえなあ……そこまで言うならしてやるよ、デート」
「えっ……ほんとに?」
「こんなことで嘘つくかよ。朝も夜もはピザ食いたくねえから昼からな」
「う、うん!うわぁ嬉しいな……いつにしようかな……」
「週末確かオフ被るだろ、その日でどうだ?」
「すぐだ!やったー!楽しみだなあキース!」
「まあ……そうだな」
嬉しい、楽しい、幸せだと全身で伝えてくるディノをキースは可愛い人だと思う。
面倒事は苦手と言いながら優しく寄り添ってくれるキースをディノは格好いい人だと思う。
お互いが友情以上に好きあっているのに、お互いが友情以上の気持ちを秘め抱えているのは自分だけだと信じて疑わない彼らの進展は非常にゆっくりとしたものだった。けれどそれでもいいのだろう。離れた時間が長かった二人の交遊に、今は明確な名前が付けられずとも。
結局、嬉しくて堪らなくなったディノがごきげんモードで手を動かしたことで衣替えは無事に終わりを迎えた。床やベッドを占領していた衣類が各々行くべき所に辿り着いたため、キースのベッドで眠るのはキース一人のみとなり、それが最良の結果であるはずなのに、二人はなんとなく損をした気分になるのだった。