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    ちくの

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    ちくの

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    2023.2.19「メは口ほどに物を言う」展示小説(再録)
    ヒナイチと秘密を共有するメビヤツの話。

    #メビロナ
    mebilona
    #メは口ほどに物を言う

    梅香のひみつ「ドラルク! 今夜の監視任務を」
     ぴょんと勢いよく床板を跳ね上げロナルド吸血鬼退治事務所に顔を出したヒナイチは、暗い室内に「留守か」と呟く。入口に佇むメビヤツの頭にいつもの帽子がないところを見ると、仕事に出ているのだろう。
    「仕方ない、今日のおやつは……ん?」
     よいしょと事務所に上がり込んだヒナイチは、部屋じゅうに漂う香りにくんと鼻をうごめかせた。
     甘い香りだ。けれど、いつもこの家でしているバターや砂糖やフルーツを煮込んだあたたかい香りとは違う。この、暗がりにうすく広がっていくような、やわらかくてほのかな香りは――……。
     ぐるりと事務所を見回せば、香りの元はすぐに判った。
    「ああ、これか」
     ロナルドの机の上に、ぽつぽつと花をつけはじめた梅の枝が活けられている。
    「ふふ、いいにおいだな」
     実家の庭にもあったその香りが少し懐かしくもあり、ヒナイチは大きなガラスの花瓶に投げ入れに活けられた花に顔を近づける。ふわりと濃くなる甘い香り。ほのかに紅色を含んだ淡い色のまあるい花びらが、鼻先をくすぐる。
     ロナルドは花を活けるタイプではないし、ドラルクも何かイベントごとでもない限りわざわざ花を買ってくるようなタイプでもない。ということは、これは依頼人か誰かにもらったものだろうか。
     そんなことを考えながらしばしそのたおやかな五弁の花を愛でていたヒナイチの隣で、不意に「ビ!」という声が上がった。
    「メビヤツ?」
    「ビッ!」
     視線を落とすと、いつのまにか隣に来ていたメビヤツが何か言いたげにヒナイチを見上げている。
    「ど、どうした?」
    ビビービビビ ビービビビービ ビビビ ビービ おはなもらった!」
    「ん? お、おおお?」
     ロナルドのことが大好きなメビヤツは、基本的にロナルドがいないときは大人しくスリープモードになっていることが多い。ヒナイチのことはロナルドの友人と認識しているようで比較的友好に接してくるが、こんな風にメビヤツの方から接触してきたことは今までなかった。
    「えーと、何だって?」
     (ロナルドに何かあったのならもっと慌てているだろうし……ということは、ただおしゃべりしたいだけ、か?)
     ひざまづいて大きな一つ目に視線を合わせると、メビヤツは心なしか嬉しそうな表情をして、さらに電子の声を上げる。
    ビビービビー ビビービ ビービビービービ ビビビービビ ビビ ビービビービビー ビービビビー ビビビービビ ビビービビビ ビービビービビー ビビービビービ ビービビ ビビビービービ ビービービビービ ビビービビービー ビービ ビビビ ろなるどさまと おさんぽしてたら
    「わ! わ! すまない!」
    「ビー……」
     連続する声に圧倒されたヒナイチが慌てて顔の前で手を振ると、メビヤツは今度はしょんぼりと声を上げる。悲しげに歪む一つ目は表情ゆたかにその心境を伝えてきた。
    「うーん……困ったな、お前が何か話してくれようとしているのは判るんだが……」
     せっかくメビヤツから話しかけてくれたのに判ってやれないのが何だか申し訳なく、ヒナイチはぎこちない手つきでいつもロナルドがしているようにメビヤツのまるい頭に手を置く。
    「判ってやれなくてすまない。けれど、お前の気持ちは嬉しいぞ」
    「ビ……」
     くるくるとなでてやると、悲しげだった表情が和らぐ。
    (こういうところ、ちょっとロナルドに似ているな)
     思ったよりつるりとした感触が、手のひらに伝わってくる。石づくりのざらりとした見た目をしているからもっとざらざらしている気がしていたのだけれど。
    (あ)
     そんなことを思いながら目をやった模様がところどころ掠れているのに気づき、ヒナイチはふっと笑った。
    「お前は本当に、ロナルドにかわいがられているんだな」
     頭を中心につるりとして、体の模様がところどころ掠れているのは、いつもそこをロナルドがなでているせいだろう。
    「ビ!」
     今度はにっこりとメビヤツの一つ目が笑みに細められ、ヒナイチは『目は口ほどにものを言う』という慣用句をこれ以上なく実感する。
    「ビ」
     くるん、とメビヤツの首が動いて、視線がデスクの上を示す。
    「うん、あの梅か?」
    「ビビ!」
     頷くように動いた一つ目は、今度は事務所の白い壁を向く。
    ビビービビービー !見て!」
     それは先ほどまでと変わらぬ電子音であったけれど、ヒナイチの耳には『見て!』という弾んだ声に聞こえた。
     パッと映し出されたのは、うらうらとした春の青空と、その下できらきらと銀色に輝く髪。青い視線がこちらを――メビヤツをとらえてゆるゆるとやわらかくゆるむ。
    『いい天気だなぁ』
    『ビ!』
     いつものジャージを着たロナルドとメビヤツが、おそらく昼下がりくらいだろう住宅街を歩いている光景だ。
    「散歩か?」
    「ビ!」
     ヒナイチの声に答えたそれは肯定だろう。
     ぱちり、とカメラの――メビヤツの視点がまたたきをする。はらりはらりと視界をよぎる何かに、メビヤツは首を傾げて辺りを見回す。
    『ビー……』
    『ん? どうしたメビヤツ』
     そんなメビヤツに気づいたらしいロナルドが、同じ仕草で首を傾げる。
     ロナルドのやわらかい髪先が風に揺れ、横合いからひらひらと雪のかけらのようなものが舞う。
    『ビ!』
     その出どころを追った視線が止まった先には、竹垣の上から枝を伸ばした淡い紅色の梅が美しく咲き誇っていた。
    ビビビービビー ビービ ビビー ゆきみたい
    『ああ、なんかいい匂いすると思ったらこれかぁ』
     てくてくと近づいたロナルドが、道にはみ出した枝先に顔を近づけ香りをかぐ。
    ビービービビビー ビビービ ビービビビービ ビービービビービ ビビービビービー ビービひなも してた
    「わかるぞロナルド、いい匂いのする花があったらやりたくなるんだよな」
     先ほどの自分の行動と重なるロナルドの行動にヒナイチは思わずつぶやく。メビヤツが何を言っているのかは判らないけれど、なんとなく『似ている』と言われた気がして少し気恥ずかしい。
    『ほら、メビヤツも嗅いでみろよ』
     ひょい、と視界が宙に浮く。ロナルドがメビヤツを花の高さに持ち上げたのだろう。さっきまで見上げていた薄紅色の花が大写しになる。
    ビビー ビビー ビービビービ ビビービビビ ビビーいいにおい
    「お前、匂いとかわかるのか?」
    「ビ!」
     思わず問いかけると返ってくる答え。なんとなくだが、肯定な気がする。
    『桜……にはまだ早いから……梅、かなぁ』
    『梅ですよ』
     確信の持てないロナルドのつぶやきに、男の声が答えた。
    『あっ、すみません勝手に……』
     声のした方に視線が向く。視線の先では、片手に枝切ばさみを持った初老の男性が、ロナルドとメビヤツに笑顔を向けていた。
    『退治人のロナルドさんではありませんか?』
    『えッ、あっ、はい~ロナルドです~』
     完全にオフモードだったロナルドが慌てて〝退治人ロナルド〟の顔を取り繕おうとして、逆に挙動不審にへらつく。
    『ああ、やっぱり。僕、以前あなたに助けていただいたことがあるんですよ』
     会社帰りに下等吸血鬼が大量発生した現場に居合わせてしまったことがあって、電車が止まってしまいましてね。と続く話に、ロナルドはあいまいに頷く。吸血鬼発生のホットスポット新横浜での遅延理由のナンバーワンは下等吸血鬼によるもの、その次はオッサンアシダチョウの線路内侵入なので記憶が絞り込めないのだろう。
    『開いていた窓から入ってきたデカイ蚊に吸血されそうになったところでね。あなたの撃った銀の弾丸が、他の乗客にも僕にもかすることなく蚊だけを撃ち抜いたのが実に見事で――……』
    『いや……そんな、俺は……退治人として当然のことをしただけなので……』
     メビヤツの視線がぐるりと回ってロナルドに向く。メビヤツを盾にするようにもにゃもにゃと言い募るロナルドの耳先が赤い。
    『あのときは、ありがとうございました』
    『――っ、はい』
    (ロナルド、変わったな)
     そのやりとりに、不意にヒナイチの中にそんな思いが浮かぶ。以前のロナルドであれば、謙遜して受け取ることのできなかっただろう言葉を、素直に受け取ることができるようになっている……気がする。
     照れの残る、しかし毅然とした表情は、無理に〝退治人ロナルド〟の顔をしようとしていたときよりずっと彼らしい。
    『お礼というには何ですが、良かったら少し持っていってください』
    『えっ、いいんですか?』
    『ええ。梅は花が咲いたら剪定してやらないといけないんで、切ってやった方がいいんですよ』
     そう言いながら男性がぱちんぱちんと枝を選んで切っていく。
    『相棒の吸血鬼さんにも見せてあげてください』
    『う……ご存じなんですか』
    『ええ』
     切った枝を花束のように新聞紙でくるみ、渡した男性が微笑む。
    『僕はすっかり、あなたのファンですから。ロナルドさん』
    『ありがとうございます』
     メビヤツを抱えたのと反対の手でそれを受け取ったロナルドは、誇らしいような照れくさいような、そんな表情をしていた。
     ブゥンと映像が消え、投影が終わる。再び薄くらやみに沈んだ事務所で、ヒナイチはメビヤツの方を振り返って問うた。
    「私に、これを見せたかったのか?」
    「ビ!」
    「うん、ロナルドが認められて好かれているのは嬉しいものだな」
    「ビビッ!」
     我が意を得たりと言わんばかりにこくこく頷くメビヤツが健気でかわいくて、思わず手を伸ばす。くるくるとなでた頭は少し冷たくて、やはりつるりとしていて、ロナルドが無機物に自我を芽生えさせた愛情の一端が見て取れた。
     そして、たぶん。元来のロナルドの気質にプラスして、彼にそういう愛情を注ぐという行為をさせる余裕を生ませた原因は。
    「これ、ドラルクには見せてやらないのか?」
    「ビー……」
     途端、にこにこと機嫌よさげにしていたメビヤツがしかめっ面になる。背後に『審議中』の三文字が浮かんでいるのが見える気さえする。
    「あいつもロナルドが好かれているのを見るのは嫌いじゃないと思うぞ」
    「ビビー」
    「でもまあ、一言多いんだよな」
    「ビッ!」
     素直に一途にロナルドを好いているメビヤツからしてみれば、口を開けばロナルドを煽り散らかすドラルクに思うところがあるのもわからなくはない。
    「……ビ」
     ぱちりと何かを思案するように瞬いたメビヤツの目が再び壁を向き、何かを映し出す。
    『俺さ、お前たちが来るまで昼間起きててもこんな風に散歩したりとか絶対しなかったし』
     それはたぶん、先程の光景の続きなのだろう。ロナルドの腕には梅の枝が抱えられている。
    『――……なんだろ、よくわかんねえけどさ』
     梅の包みに鼻先をうずめたロナルドがもにゃもにゃと言葉を探しながらメビヤツに語るそれは、自分の中のつかみどころのない感情にかたちや色を与えようとしているようだった。
    『花はきれいでいいにおいがして。冬は寒かったけど、それはそれで空気がきれいで悪くなくって。でも、やっぱあったかくなってきたらちょっとうきうきして。なんか……そういうずっと変わんない筈のこと、俺、前はさ全然わかんなかったっていうか気づかなかったっていうか――……あのさ、メビヤツ』
    『ビ』
     立ち止まったロナルドが、ひょいとしゃがみこんでメビヤツと視線を合わせる。
    「ちん……ッ!」
     その表情に、思わずカァッと頬が熱くなる。見てはいけないものを見てしまったかのような、そんないたたまれなさと恥ずかしさに同時に襲ってくる。
     腕に抱えた梅の花のように薄紅色に頬を染め、春の空よりずっと深い青をわずかに潤ませたロナルドは、見たことのないふにゃふにゃした笑みを浮かべ、内緒話をするようにメビヤツに顔を近づける。
    『ドラ公には秘密な』
    『ビッ!』
     視界いっぱいにひろがる、青。
     少しだけ何かを堪えるような、だけど幸せをかみしめるような不思議な表情をしたロナルドがささやく。
    『俺、―――………』
     ――ぱつん。
    「あ……」
     唐突に途切れる映像。急な終わりに少々面くらいながらも、ヒナイチはロナルド第一の筈のメビヤツがこれを自分に見せた意味を考える。
    「もしかして……秘密だから、ドラルクには見せない、ということか」
    「ビーッ」
     肯定の返事をしたメビヤツが、さらに続ける。
    ビービービービー ビービービー ビービビビ  ビービビビビー ビービービビビー ビビ ビビビービー ビビビービビ ビビビビー ビ ビビ ビビービービこれは めびのとくべつ
    「う、うん?」
    ビービビビビー ビービービビビー ビビ ビービ ビビ ビービビービー ビビービビ ビビ ビビービビービー ビービビービービ  ビビービビー ビビービ ビービビービービ ビビビービビ ビビ ビービビービビー ビービビビー めびだけが知ってる ろなるどさま
    「う、ううん?」
    ビービ ビビ ビービビービー ビビビービビ ビビ ビービ ビビ ビービービー ビビービビ ビービビービ ビビビービビー ビビービビービー ビービビ ビービービビービ ビビビビー ビビービビービーだけどだれかに見てほしくて
    「……うん」
    ビービービビビー ビビービ ビービビービ ビビビービビー ビビービービービ ビービ ビビビビー ビビービ ビービひなに見せたくなった
     懸命に訴えるメビヤツの言っていることは、ひとつも判らない。判らないけれど、なんとなく伝わってくるものはある。
     だからヒナイチは、映像の中のロナルドと同じように視線を合わせ、メビヤツの胴体に腕を回した。
    「詳しくは判らないけど、何だかお前、私のことも案外好きでいてくれるんだな」
    「……ビー」
     抱き締めた腕の中から、困惑の声が上がる。よしよしと上下になでながら見たメビヤツは、『それはちょっと違う、けど、全然違うわけでもない』というような微妙な表情をしている。
    「ふふ、かわいいな」
    「ビ」
     あきらめたようにヒナイチの手を受け入れるメビヤツをなで続けていると、カツカツと響く革靴の足音と共にバァンと事務所のドアが開いた。
    「たっだいまー」
    「ヌッヌイヌー」
     ドラドラちゃんご帰宅~! などと上機嫌に告げながら薄暗い事務所を見回したドラルクが、デスクの前でかたまっているひとりと一台にびっくりして顔の半分を砂にする。
    「オワッ、なにしてんの君ら。電気ぐらいつけなさいよ」
     パチンとまたたいた蛍光灯が、事務所の中を照らす。薄闇に慣れた目に突然の光が染みて、ヒナイチはしょぼしょぼと目をまたたかせた。
    「おや、若造はいないのか。珍しい組み合わせだね、何してたんだい?」
    「うーん」
     ドラルクの問いに、ヒナイチは首を捻る。何をしていたかと改めて訊かれると、何をしていたのだろう。
    「メビヤツとロナルドの秘密を教えてもらっていた」
    「ビッ⁉」
    「ハァ⁉ 何それ絶対おもしろいやつじゃん、ドラドラちゃんにも教えて~!」
    「ダメだ」
     おろおろとした様子のメビヤツが見つめてくるのをじっと見返し、ヒナイチはふっと相好を崩す。あの男のやさしさと信頼を一身に受けた世界一の帽子掛けの気持ちを裏切るわけにはいかない。
    「秘密だからな」
     な! と同意を求めれば、メビヤツはにっこりと笑い返した。
    「ビーッ!」


    nextpage→メビヤツの台詞をそのまま書いたVer.

    「ドラルク! 今夜の監視任務を」
     ぴょんと勢いよく床板を跳ね上げロナルド吸血鬼退治事務所に顔を出したヒナイチは、暗い室内に「留守か」と呟く。入口に佇むメビヤツの頭にいつもの帽子がないところを見ると、仕事に出ているのだろう。
    「仕方ない、今日のおやつは……ん?」
     よいしょと事務所に上がり込んだヒナイチは、部屋じゅうに漂う香りにくんと鼻をうごめかせた。
     甘い香りだ。けれど、いつもこの家でしているバターや砂糖やフルーツを煮込んだあたたかい香りとは違う。この、暗がりにうすく広がっていくような、やわらかくてほのかな香りは――……。
     ぐるりと事務所を見回せば、香りの元はすぐに判った。
    「ああ、これか」
     ロナルドの机の上に、ぽつぽつと花をつけはじめた梅の枝が活けられている。
    「ふふ、いいにおいだな」
     実家の庭にもあったその香りが少し懐かしくもあり、ヒナイチは大きなガラスの花瓶に投げ入れに活けられた花に顔を近づける。ふわりと濃くなる甘い香り。ほのかに紅色を含んだ淡い色のまあるい花びらが、鼻先をくすぐる。
     ロナルドは花を活けるタイプではないし、ドラルクも何かイベントごとでもない限りわざわざ花を買ってくるようなタイプでもない。ということは、これは依頼人か誰かにもらったものだろうか。
     そんなことを考えながらしばしそのたおやかな五弁の花を愛でていたヒナイチの隣で、不意に「ビ!」という声が上がった。
    「メビヤツ?」
    「ビッ!」
     視線を落とすと、いつのまにか隣に来ていたメビヤツが何か言いたげにヒナイチを見上げている。
    「ど、どうした?」
    「《お花もらった》!」
    「ん? お、おおお?」
     ロナルドのことが大好きなメビヤツは、基本的にロナルドがいないときは大人しくスリープモードになっていることが多い。ヒナイチのことはロナルドの友人と認識しているようで比較的友好に接してくるが、こんな風にメビヤツの方から接触してきたことは今までなかった。
    「えーと、何だって?」
     (ロナルドに何かあったのならもっと慌てているだろうし……ということは、ただおしゃべりしたいだけ、か?)
     ひざまづいて大きな一つ目に視線を合わせると、メビヤツは心なしか嬉しそうな表情をして、さらに電子の声を上げる。
    「《ろなるどさまと おさんぽしてたら》」
    「わ! わ! すまない!」
    「ビー……」
     連続する声に圧倒されたヒナイチが慌てて顔の前で手を振ると、メビヤツは今度はしょんぼりと声を上げる。悲しげに歪む一つ目は表情ゆたかにその心境を伝えてきた。
    「うーん……困ったな、お前が何か話してくれようとしているのは判るんだが……」
     せっかくメビヤツから話しかけてくれたのに判ってやれないのが何だか申し訳なく、ヒナイチはぎこちない手つきでいつもロナルドがしているようにメビヤツのまるい頭に手を置く。
    「判ってやれなくてすまない。けれど、お前の気持ちは嬉しいぞ」
    「ビ……」
     くるくるとなでてやると、悲しげだった表情が和らぐ。
    (こういうところ、ちょっとロナルドに似ているな)
     思ったよりつるりとした感触が、手のひらに伝わってくる。石づくりのざらりとした見た目をしているからもっとざらざらしている気がしていたのだけれど。
    (あ)
     そんなことを思いながら目をやった模様がところどころ掠れているのに気づき、ヒナイチはふっと笑った。
    「お前は本当に、ロナルドにかわいがられているんだな」
     頭を中心につるりとして、体の模様がところどころ掠れているのは、いつもそこをロナルドがなでているせいだろう。
    「ビ!」
     今度はにっこりとメビヤツの一つ目が笑みに細められ、ヒナイチは『目は口ほどにものを言う』という慣用句をこれ以上なく実感する。
    「ビ」
     くるん、とメビヤツの首が動いて、視線がデスクの上を示す。
    「うん、あの梅か?」
    「ビビ!」
     頷くように動いた一つ目は、今度は事務所の白い壁を向く。
    「《見て》!」
     それは先ほどまでと変わらぬ電子音であったけれど、ヒナイチの耳には『見て!』という弾んだ声に聞こえた。
     パッと映し出されたのは、うらうらとした春の青空と、その下できらきらと銀色に輝く髪。青い視線がこちらを――メビヤツをとらえてゆるゆるとやわらかくゆるむ。
    『いい天気だなぁ』
    『ビ!』
     いつものジャージを着たロナルドとメビヤツが、おそらく昼下がりくらいだろう住宅街を歩いている光景だ。
    「散歩か?」
    「ビ!」
     ヒナイチの声に答えたそれは肯定だろう。
     ぱちり、とカメラの――メビヤツの視点がまたたきをする。はらりはらりと視界をよぎる何かに、メビヤツは首を傾げて辺りを見回す。
    『ビー……』
    『ん? どうしたメビヤツ』
     そんなメビヤツに気づいたらしいロナルドが、同じ仕草で首を傾げる。
     ロナルドのやわらかい髪先が風に揺れ、横合いからひらひらと雪のかけらのようなものが舞う。
    『ビ!』
     その出どころを追った視線が止まった先には、竹垣の上から枝を伸ばした淡い紅色の梅が美しく咲き誇っていた。
    『《雪みたい》』
    『ああ、なんかいい匂いすると思ったらこれかぁ』
     てくてくと近づいたロナルドが、道にはみ出した枝先に顔を近づけ香りをかぐ。
    「《ひなも してた》」
    「わかるぞロナルド、いい匂いのする花があったらやりたくなるんだよな」
     先ほどの自分の行動と重なるロナルドの行動にヒナイチは思わずつぶやく。メビヤツが何を言っているのかは判らないけれど、なんとなく『似ている』と言われた気がして少し気恥ずかしい。
    『ほら、メビヤツも嗅いでみろよ』
     ひょい、と視界が宙に浮く。ロナルドがメビヤツを花の高さに持ち上げたのだろう。さっきまで見上げていた薄紅色の花が大写しになる。
    『《いいにおい》』
    「お前、匂いとかわかるのか?」
    「ビ!」
     思わず問いかけると返ってくる答え。なんとなくだが、肯定な気がする。
    『桜……にはまだ早いから……梅、かなぁ』
    『梅ですよ』
     確信の持てないロナルドのつぶやきに、男の声が答えた。
    『あっ、すみません勝手に……』
     声のした方に視線が向く。視線の先では、片手に枝切ばさみを持った初老の男性が、ロナルドとメビヤツに笑顔を向けていた。
    『退治人のロナルドさんではありませんか?』
    『えッ、あっ、はい~ロナルドです~』
     完全にオフモードだったロナルドが慌てて〝退治人ロナルド〟の顔を取り繕おうとして、逆に挙動不審にへらつく。
    『ああ、やっぱり。僕、以前あなたに助けていただいたことがあるんですよ』
     会社帰りに下等吸血鬼が大量発生した現場に居合わせてしまったことがあって、電車が止まってしまいましてね。と続く話に、ロナルドはあいまいに頷く。吸血鬼発生のホットスポット新横浜での遅延理由のナンバーワンは下等吸血鬼によるもの、その次はオッサンアシダチョウの線路内侵入なので記憶が絞り込めないのだろう。
    『開いていた窓から入ってきたデカイ蚊に吸血されそうになったところでね。あなたの撃った銀の弾丸が、他の乗客にも僕にもかすることなく蚊だけを撃ち抜いたのが実に見事で――……』
    『いや……そんな、俺は……退治人として当然のことをしただけなので……』
     メビヤツの視線がぐるりと回ってロナルドに向く。メビヤツを盾にするようにもにゃもにゃと言い募るロナルドの耳先が赤い。
    『あのときは、ありがとうございました』
    『――っ、はい』
    (ロナルド、変わったな)
     そのやりとりに、不意にヒナイチの中にそんな思いが浮かぶ。以前のロナルドであれば、謙遜して受け取ることのできなかっただろう言葉を、素直に受け取ることができるようになっている……気がする。
     照れの残る、しかし毅然とした表情は、無理に〝退治人ロナルド〟の顔をしようとしていたときよりずっと彼らしい。
    『お礼というには何ですが、良かったら少し持っていってください』
    『えっ、いいんですか?』
    『ええ。梅は花が咲いたら剪定してやらないといけないんで、切ってやった方がいいんですよ』
     そう言いながら男性がぱちんぱちんと枝を選んで切っていく。
    『相棒の吸血鬼さんにも見せてあげてください』
    『う……ご存じなんですか』
    『ええ』
     切った枝を花束のように新聞紙でくるみ、渡した男性が微笑む。
    『僕はすっかり、あなたのファンですから。ロナルドさん』
    『ありがとうございます』
     メビヤツを抱えたのと反対の手でそれを受け取ったロナルドは、誇らしいような照れくさいような、そんな表情をしていた。
     ブゥンと映像が消え、投影が終わる。再び薄くらやみに沈んだ事務所で、ヒナイチはメビヤツの方を振り返って問うた。
    「私に、これを見せたかったのか?」
    「ビ!」
    「うん、ロナルドが認められて好かれているのは嬉しいものだな」
    「ビビッ!」
     我が意を得たりと言わんばかりにこくこく頷くメビヤツが健気でかわいくて、思わず手を伸ばす。くるくるとなでた頭は少し冷たくて、やはりつるりとしていて、ロナルドが無機物に自我を芽生えさせた愛情の一端が見て取れた。
     そして、たぶん。元来のロナルドの気質にプラスして、彼にそういう愛情を注ぐという行為をさせる余裕を生ませた原因は。
    「これ、ドラルクには見せてやらないのか?」
    「ビー……」
     途端、にこにこと機嫌よさげにしていたメビヤツがしかめっ面になる。背後に『審議中』の三文字が浮かんでいるのが見える気さえする。
    「あいつもロナルドが好かれているのを見るのは嫌いじゃないと思うぞ」
    「ビビー」
    「でもまあ、一言多いんだよな」
    「ビッ!」
     素直に一途にロナルドを好いているメビヤツからしてみれば、口を開けばロナルドを煽り散らかすドラルクに思うところがあるのもわからなくはない。
    「……ビ」
     ぱちりと何かを思案するように瞬いたメビヤツの目が再び壁を向き、何かを映し出す。
    『俺さ、お前たちが来るまで昼間起きててもこんな風に散歩したりとか絶対しなかったし』
     それはたぶん、先程の光景の続きなのだろう。ロナルドの腕には梅の枝が抱えられている。
    『――……なんだろ、よくわかんねえけどさ』
     梅の包みに鼻先をうずめたロナルドがもにゃもにゃと言葉を探しながらメビヤツに語るそれは、自分の中のつかみどころのない感情にかたちや色を与えようとしているようだった。
    『花はきれいでいいにおいがして。冬は寒かったけど、それはそれで空気がきれいで悪くなくって。でも、やっぱあったかくなってきたらちょっとうきうきして。なんか……そういうずっと変わんない筈のこと、俺、前はさ全然わかんなかったっていうか気づかなかったっていうか――……あのさ、メビヤツ』
    『ビ』
     立ち止まったロナルドが、ひょいとしゃがみこんでメビヤツと視線を合わせる。
    「ちん……ッ!」
     その表情に、思わずカァッと頬が熱くなる。見てはいけないものを見てしまったかのような、そんないたたまれなさと恥ずかしさに同時に襲ってくる。
     腕に抱えた梅の花のように薄紅色に頬を染め、春の空よりずっと深い青をわずかに潤ませたロナルドは、見たことのないふにゃふにゃした笑みを浮かべ、内緒話をするようにメビヤツに顔を近づける。
    『ドラ公には秘密な』
    『ビッ!』
     視界いっぱいにひろがる、青。
     少しだけ何かを堪えるような、だけど幸せをかみしめるような不思議な表情をしたロナルドがささやく。
    『俺、―――………』
     ――ぱつん。
    「あ……」
     唐突に途切れる映像。急な終わりに少々面くらいながらも、ヒナイチはロナルド第一の筈のメビヤツがこれを自分に見せた意味を考える。
    「もしかして……秘密だから、ドラルクには見せない、ということか」
    「ビーッ」
     肯定の返事をしたメビヤツが、さらに続ける。
    「《これは めびのとくべつ》」
    「う、うん?」
    「《めびだけが知ってる ろなるどさま》」
    「う、ううん?」
    「《だけどだれかに見てほしくて》」
    「……うん」
    「《ひなに見せたくなった》」
     懸命に訴えるメビヤツの言っていることは、ひとつも判らない。判らないけれど、なんとなく伝わってくるものはある。
     だからヒナイチは、映像の中のロナルドと同じように視線を合わせ、メビヤツの胴体に腕を回した。
    「詳しくは判らないけど、何だかお前、私のことも案外好きでいてくれるんだな」
    「……ビー」
     抱き締めた腕の中から、困惑の声が上がる。よしよしと上下になでながら見たメビヤツは、『それはちょっと違う、けど、全然違うわけでもない』というような微妙な表情をしている。
    「ふふ、かわいいな」
    「ビ」
     あきらめたようにヒナイチの手を受け入れるメビヤツをなで続けていると、カツカツと響く革靴の足音と共にバァンと事務所のドアが開いた。
    「たっだいまー」
    「ヌッヌイヌー」
     ドラドラちゃんご帰宅~! などと上機嫌に告げながら薄暗い事務所を見回したドラルクが、デスクの前でかたまっているひとりと一台にびっくりして顔の半分を砂にする。
    「オワッ、なにしてんの君ら。電気ぐらいつけなさいよ」
     パチンとまたたいた蛍光灯が、事務所の中を照らす。薄闇に慣れた目に突然の光が染みて、ヒナイチはしょぼしょぼと目をまたたかせた。
    「おや、若造はいないのか。珍しい組み合わせだね、何してたんだい?」
    「うーん」
     ドラルクの問いに、ヒナイチは首を捻る。何をしていたかと改めて訊かれると、何をしていたのだろう。
    「メビヤツとロナルドの秘密を教えてもらっていた」
    「ビッ⁉」
    「ハァ⁉ 何それ絶対おもしろいやつじゃん、ドラドラちゃんにも教えて~!」
    「ダメだ」
     おろおろとした様子のメビヤツが見つめてくるのをじっと見返し、ヒナイチはふっと相好を崩す。あの男のやさしさと信頼を一身に受けた世界一の帽子掛けの気持ちを裏切るわけにはいかない。
    「秘密だからな」
     な! と同意を求めれば、メビヤツはにっこりと笑い返した。
    「ビーッ!」

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