おいしい研究会会員番号2番 午後15時。
それは、ロナルド吸血鬼退治事務所がもっとも静かな時間のひとつ。
事務所の主であるロナルドは日中の依頼へ出向き、住人のほとんどを占める吸血鬼たちは深い眠りの中。ブラインド越しにやわらかな午後の日差しが射しこむ事務所は、しんと静まり返っている。
――ギィ。
そんな静けさを破らぬよう控えめな音を立てて、リビングと事務所を隔てるドアが開く。
「ビ」
その音を聞きつけた事務所の門番兼帽子掛けであるメビヤツは、ぱっちりと大きな目を見開いた。
「オヌヌー」
「ビビッ」
未だ夢の中の主を起こさぬよう小さな声であいさつをするのは、アルマジロのジョン。そしてその背に背負われているのは――本マジロより大きな風呂敷包み。
音を立てぬようゆっくりとドアを閉め振り返ったアルマジロは、コロコロと近づいてきたメビヤツに向けてにんまりとした笑みを向ける。
「ヌイシイヌンヌーヌイ、ヌヌヌヌヌン!」
*
「ヌヌヌヌヌン、ヌヌヌヌーヌ?」
「ビビビービビ ビビービビービー ビービビビービ ビビー 」
事務所の机に広げられたのは、ジョンセレクトのオヤツよりどりみどり。しょりしょりの砂糖がかかったミニドーナッツ。巷では〝魔法の粉〟と呼ばれるハッピーになるパウダーがかかった軽い口当たりのおせんべい。甘からいみたらしタレがたっぷりかかったお団子。しっとり食感にチョコチップがアクセントのソフトクッキー。コンソメ味のポテトチップス。抹茶クリームの挟まったラングドシャクッキー。もちもちの求肥にかるい生クリームといちごを包んだやつ。ふわふわオムレット生地にたっぷりの生クリームと一本まるごとのバナナが入ったやつ。蒸し栗をたっぷり使ったどっしりした甘さの羊羹。粉砂糖がかかったさくほろ食感のクッキー。さくさくシュー生地にとろりとしたカスタードといちごのはさまったシュークリーム。ぴかぴかつやつやにグラサージュされたチョコのかかったザッハトルテ。和洋の駄菓子からきちんとした店で売っているようなものまで、机の上はあふれんばかりのオヤツに埋め尽くされている。
差し出されたちいさなドーナツは最近のロナルドのお気に入りのオヤツのひとつで、こっそり事務所のデスクの引き出しに隠しては昼間につまんでいるものだ。メビヤツは知っている。もちろんジョンも知っていてお相伴に預かっているし、なんならプライバシーとデリカシーということばをロナルドに対してだけはルーマニアの土の中に置いてきているドラルクも知っている。知られていないと思っているのは当人だけである。
「ヌョリヌョリヌヌヌヌヌ、ヌーヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌヌヌイヌイ」
「ビビービービビー ビビービ ビービビービビー ?」
ジョンのコメントにメビヤツは首を傾げる。【甘さ】の度合いをセンサーで測ることはできるけれど、その尺度はメビヤツの知らないものだ。
「ビービービービ ビービービー ビビービビ ビビ【ビビービビビ ビビー ビービービビービ ビビー 】?」
「ヌー……」
ううん、と考え込むジョンの様子に、どうやら違うらしいと悟る。
「ビー……」
「ヌッ! ヌイシイヌ、イヌイヌヌヌヌ!」
だから、色々食べて研究するヌ。メビヤツくんもきっと〝おいしい〟がわかるヌ。
ぱたぱたと短いおててを振って力説するジョンの姿に、メビヤツはにこりと笑って応える。うれしい。以前はロナルドになでられたりするときにだけ感じていたそれを、最近は他のことからも感じるようになってきていた。
メビヤツは優秀な帽子掛けなので、ビームでセロリを追い払ったり、ロナルドにちょっかいをかける吸血鬼を殺したり、ロナルドの帽子を守ったり、ORUSU-BANを遂行することができる。それだけでなく、大きな目から映像を投影してロナルドを楽しませることもできるし、半田にキャスターをもらってからはロナルドを守るためにかけつけることだってできるようになった。最近はロナルドが一緒に食べようというから、オヤツやごはんを一緒に食べることもできる。
『うまいか? メビヤツ』
小さくちぎったドーナツや、ほかほか湯気をたてるバナナフリッターを差し出したロナルドがとろけるような笑みでそう尋ねるから、メビヤツはいつも元気に「ビッ!」と返事をする。
『うんうん、そうだろ! 俺もこれ、だいすき』
〝だいすき〟はわかる。めびも、ろなるどさまが『だいすき』。
だけどめびには〝おいしい〟がわからない。
「ビービービービー ビービービー ビービビビ ビビー 」
「ヌッチャヌヌヌ」
「ビビービビー ビビービ ビービビービービ ビビビービビ ビビ ビービビービビー ビービビビー ビービビビ 、ビービビービビ ビービービビービ ビビ ビビービ ビビー 」
「ヌー……ヌヌヌヌヌンヌ、ヌヌヌヌヌヌヌヌ」
このほろ苦さがおいしいんだヌ。と言いながら大人マジロはヌシャヌシャと抹茶クリームのラングドシャをほおばる。ほろ苦さ、というのはわかる。食品に含まれる苦み成分が少ない状態のことだ。だけどそれがなぜ〝おいしい〟になるのだろうか。メビヤツにはわからない。
メビヤツは、ロナルドの好む味を学習して記憶することはできる。
ロナルドの〝おいしい〟はわかりやすい。
「うめー!」と目を輝かせる。「悪くねえんじゃねえの」と目じりをゆるませる。「!」おおきな空色がこぼれそうなくらい見開かれてきゅうっと細められる。
ロナルドの色々な〝おいしい〟顔を、メビヤツは余さず記録している。
そして、ロナルドの〝おいしい〟の食べ物をセンサーで分析して数値化すれば、おのずとロナルドの好む味を記録し予測することはできるようになる。これはろなるどさまが好きな味。だから〝おいしい〟。
だけどそれはロナルドが問いかけてくれる『うまいか?』とは、ちょっと違うと、メビヤツは思うのだ。
だからメビヤツは、ジョンに頼んだ。
『【ビビービビビ ビビー ビービービビービ ビビー 】ビビービービー、ビービビービービー ビビービビービー 』
ちょっとだけ考えて、頼りになるマジロはヌッ! と親指をあげて応えてくれた。それから時々こうして、メビヤツはジョンと〝おいしい〟を研究している。
*
『【ビビービビビ ビビー ビービービビービ ビビー 】ビビービービー、ビービビービービー ビビービビービー 』
メビヤツにそう頼まれたとき、ジョンは少しびっくりした。
ロナルドにオヤツをわけてもらったメビヤツは、いつもほっぺたをもむもむとふくらませて嬉しそうに一つ目を細めてニコニコしている。だからてっきり〝おいしい〟のだと思っていた。
『ビビー ビビー ビビービ 』
『ヌンヌヌヌ?』
『ビービビービ 【ビビービビビ ビビー ビービービビービ ビビー 】ビビービビ ビビ ビビービビービー ビビ ビービビービビ ビビービビービー 』
ヌーン、と、ジョンは考え込んだ。
大好きで慕ってやまない相手とうれしいことやかなしいことをたくさん共有したいきもちは、ジョンにもよくわかる。だけど、別に、全部同じじゃなくてもいいんじゃないのかヌ。と大人マジロは思うのだ。
ジョンはドラルクのことが大好きだし、ドラルクがジョン以外のかわいいものを愛でたりジョン以外にうつつを抜かしていたら盛大に拗ねて拗ねて拗ねまくるくらいには嫉妬もするけれど、ドラルクとすべての感情を共有しているわけではない。ドラルクがおいしいというB型処女の血は血の味で別においしくはない。ドラルク全肯定マジロだけれど、歌声は甘く甘く採点してもヌ点だし、脳が溶けそうなクソゲーしかできないのに発火するようなクソゲーハードはさっさと捨ててほしいと思っている。
それでも、大好きなことには変わりないのだ。
ロナルドだって、メビヤツが一緒にオヤツやごはんを食べてくれればうれしいだろうし、喜んでくれればもっと喜んでほしくて色々食べさせようとするだろう。その行為が、その気持ちがうれしくて幸せであれば、それは充分〝大好き〟だと思うのだけれど。
ヌヌーン、と、ジョンはさらに考えた。
でも、メビヤツがロナルドへの〝大好き〟をそうやって表現して感じたいというのであれば、それはそれでいいのかもしれない。だって、メビヤツの好きのかたちと、ジョンの好きのかたちは全然違っていてもそれはそれでいいのだから。
ヌン、と、ジョンはひとつ頷く。
本当は、今のままでもロナルドくんはメビヤツくんのことが大好きだし、メビヤツくんのその気持ちはとてもかわいくてすてきなものだからロナルドくんに教えてあげたいなってヌンは思うけれど。たぶんそれはメビヤツくんにとってはあんまり嬉しくないことだから、ヌンの心の中にしまっておくことにするヌ。
「ヌン!」
ぐっとサムズアップしたジョンは、力強く頷いて見せる。
「ヌヌヌヌ、ヌンヌ、ヌイシイヌヌンヌーヌヌヌ!」
「ビッ!」
こくこくと頷くメビヤツに、ジョンはにんまりと笑って告げた。
「ヌンヌーヌヌヌヌ、ヌッショヌヌイシイヌヌヌヌッヌイヌヌヌヌヌイイヌヌヌヌヌ!」
研究するには、一緒においしいものをいっぱい食べるのがいいと思うヌ!
*
ガチャリ。
「ただい――……」
「ヌァ――ッ」
「ビビーッ」
いっぴきと一台のひみつの研究会を唐突に中断するドアの音と帰宅の声。聞こえる筈のないその音にパニックに陥った一同が慌てふためく声に、仕事が早めに終わって帰ってきたロナルドは一緒になってパニックになっていた。
「エッ⁉ 何なにえっ、待ってなに⁉」
「ヌッ、オヌヌリ!」
「あっうん、ただいま」
「ビッ、ビビッ、ビーッ!」
「メビヤツどしたの、何そんな真っ赤になっ……て?」
いつものように帽子を預けようとした帽子掛けがひゅすひゅすとオーバーヒート寸前になっているのに慌てたロナルドの視線が、応接テーブルいっぱいに広げられたオヤツに向く。
「あ~♡」
途端にロナルドの声があまくとろけた。
「なぁんだ、ふたりでこっそりオヤツパーティしてたの? カワイー♡」
「ヌヌッ」
「ああ、わかってるって。ドラ公には秘密な」
しい、と人差し指を口の前にあてたロナルドがでれでれとした表情でジョンをのぞきこむ。
「ニュ、ニューン♡」
「あいつ最近やたらダイエットとかうるさいもんな~。食ったらその分動けばいいだけなのに」
そんなことを言いながらメビヤツに帽子を預けたロナルドは、そのままデスクに向かうでもソファに座るでもなくそわそわとした様子でメビヤツの傍らに立っている。
「……ビ?」
「ヌ!」
どうしたのだろう、と見上げるメビヤツの前で何かに気づいたジョンはトテテとソファの上に移動して自分の隣をぽん! と叩いてみせた。
「ヌヌヌヌヌンヌ、ヌッショヌオヤヌヌヌヌー」
「エッ、アッ……いいのぉ♡」
でれでれと相好をゆるませたロナルドがいそいそとソファに座ったのを確認して、ジョンはメビヤツを視線で招く。
「ビッ? ビー」
「メビヤツもこっちおいで」
ジョンの視線に気づいたロナルドが、にっこりと笑って足を開く。招かれたメビヤツは、まるでそうあるように設計されたみたいにぴったりとロナルドの足の間にはさまった。
「ヌヌヌヌン、ヌンヌヌヌ?」
「えーっとぉ、そのちっちゃいドーナツがいいな」
テーブルの上のジョンに問われたロナルドはにこにことお気に入りのドーナツを選ぶ。メビヤツの頭の上に顎をのせているので、メビヤツからはロナルドの表情は見えないけれど、おおきな腕と足に包まれたボディはあたたかい。
「ヌイ、ヌーン♡」
「あーん♡」
ショリショリの砂糖がついた小さなドーナツが、首をのばしたロナルドの口に放り込まれる。
おおきな口に簡単におさまってしまった小さな輪っかは、もすもすと咀嚼されて飲みこまれる。
「ん~おいし」
ああ、いいなあ。すきだなあ。
ロナルドの頬がすこし血色がよくなって、笑顔が浮かぶ。おいしい顔。メビヤツが好きなロナルドのうれしい顔。
「ん、メビヤツも」
「ビッ!」
手袋を取ったロナルドが、小さなドーナツをつまんでメビヤツに差し出す。
先程、ジョンと食べたのと同じ。とても甘いドーナツ。
――ビビビービビ ビビービビービー ビービビビービ ビビー ――
まったく同じ。それなのに、何でだろう。
ぽかぽか。ボディパーツのまんなか辺りが、あたたかい。
ふわふわ。メビヤツの重さは変わらないのに、軽くなった気がする。
あまい。味覚センサー以外のところがそう認識する。
とても、あまくて……――。
「ビビービビビ ビビー ビービービビービ ビビー !」
メビヤツは〝おいしい〟が、少しだけわかった気がした。
完(ビッ)