タイトル未定厨房からお菓子の甘い香りが漂う。
こんなものでしょうか? と言いたげな様子で味を見る。そのお味は好みではなく、苦いような芳醇さがある。甘いお菓子なのに若干渋い顔になってしまう……。
「趣向が違いますからね。好みが出ますし」
作る前から察していたから、こういうものだと割り切る。
今食した手作りお菓子はコーデリア名産の酒を使った砂糖菓子──砂糖衣に甘いお酒を含ませたボンボンは自領では人気のお菓子。砂糖で作られた衣を自領名物のお酒を包んだお菓子は戦時中でも人気を博していた。チョコレートで包む場合もあり、酒造が名産のコーデリアでは使うお酒の種類が多く、特徴が出ていた。
貴族間での流行り菓子から広まり、平民にも手が伸びやすく生産にしているという余談はさておき、先のお菓子の作り主はお酒は詳しくとも趣向が偏っている。甘いカクテルやサングリアなら飲めるが、苦いビールは飲めないという感じの生粋の甘党。
今回の砂糖菓子には辛党が好むお酒を使用したのでリシテア向きではない。
「うちの職人のレシピだから問題ないと思いますが、評価は何とも言えませんね。ここは適任者に頼みましょうか……」
一人呟くとお菓子を包んで、いくつかの茶葉を携えて後にした。お茶会を開く事を期待し、胸を弾ませて……。
さて、お菓子に使われるアルコールは強い物が多い。味や風味を深めるだけでなく、長期保存のために多量に注がれる事も珍しくない。特に冷蔵庫がない時代においては、砂糖や塩や酒による保存性は重要視されていた。
焼菓子に使用にした場合はアルコールを抜く工程があるがボンボンの場合は少量のため省かれる。一般的には。
「いや〜うまいなあ〜アハ、アハハハハ!」
「あの、落ち着いてくださいレオニー! まだ昼ですよ……」
軽快な笑い声が響くそれは、お茶会より宴会が当てはまる。部屋の外にまで漏れ出る陽気な笑い声は、偶然通りかかった者に苦情を申したくなるほどであった……。
「失礼する。……陽が高いうちに飲むなと言わないが、嗜む位に留めた方が良いと思う。適さない時間での宴は周囲への配慮を考えてほしい」
リシテアに言ったところで意味はないとわかっているが、苦情主のローレンツはため息を吐いた。
「ち、違うんです。ううぅ、すみませんでした……」
「なんらとー! わらしはお酒なんて飲んでないんから酔ってないろー。んでー、宴はどこらー!」
「……酔っ払いほど自分が酔ってないと言うのは毎度不可解に感じている」
「そうだよなー! まだ飲んれないからこれから飲んでもいいってことだよらー!」
「十分摂取したように見えるのが!」
お菓子の味見をお願いしたら酔っ払いが出来上がった。攻撃力が5上がった。知性が10下がった、というテロップが流れそうなレオニーがいた。
再度ローレンツは状況を確認した。レオニーはともかく、リシテアは素面で昼間からお酒を嗜まないため彼には事態がわからなかった。
「なんだって、こんな状況になっている?」
「あの、その……砂糖菓子を作ったのでレオニーに味見をお願いしたんです」
「そうか、砂糖菓子は僕も好ましく思っている。柔らかな衣を崩すと果実酒のまろやかなコクと甘味と合わさり、それでいて後を引かない口触りには驚嘆している! ……コホン、話が逸れてしまったな。しかし、レオニーさんが酔っ払うには圧倒的に酒量が足りない」
横目で陽気なレオニーを窺う。今も尚、リシテア自作の砂糖菓子を食して上機嫌でいる。
「まあレオニーさんは酔っ払いやすい質と言えるが……」
「ええと……ローレンツの言う通りなのですが、実はわたしが作った砂糖菓子はうちの職人の特別レシピですから。だから、自領のお酒を使用していまして……果実酒ではなく蒸留酒でして」
全部言わずともローレンツは察した。
コーデリアにはヴァダという高級な名産酒があり、それに連なる幾多の酒造を抱えている。ヴァダほど高級でなくてもコーデリア産のお酒は多くの民に親しまれており、総じて辛党好みのお酒が多かった。つまりアルコール度数が高い。
「ちょっとお酒が多かったかもしれません」
「リシテア君は優秀だと常々感じているが、時々大雑把な采配になるのを改めた方が良い」
「だって、甘くないようにするならお酒多くした方が良いと思うじゃないですか! そんなに強くないですし、入れたのだって少しですよ」
「おそらく麻痺しているのだろうが、君は自領の辛味を覚えた方が良い。今後も菓子に役立てるのなら尚のこと、アルコールを使うのならサガルトやカヌレなどの焼菓子を検討してほしい。……レオニーさん、先ほどから僕の頬を突くのはやめてほしいのだが」
アドバイスをしてからローレンツはケラケラ笑いながら絡んでくるレオニーの相手をしていった。
酔っ払いに説教する形だが、わりと見る光景だったので慣れた彼は疲れた様子でリシテアに退散を促す。
「とりあえず、水を持ってこよう。もうリシテア君は退散した方が良い。こうなったレオニーさんは長い」
「すみませんでした……」
「以後気をつけたまえ。幸い、酒量が少なくて良かった。泥酔の時よりずっと良い!」
お疲れ様です。あとでちゃんとローレンツにお詫びをしようと決意して、ハイテンションなレオニーの元から去った。
ほとんど食べられてしまったが、幾つか砂糖菓子は残っていた。試作品だから渡すつもりはなかったが、甘いお酒以外好んで飲まないリシテアでは判断が難しい。
ローレンツに言われたようにコーデリア産の銘酒は純度が高く、玄人向けと言われる事情もあってレオニーに味見を頼んだのだから。
「レオニーは美味しいと食べてましたから大丈夫でしょうか? ……彼女は酒好きだから何とも言えませんが」
酒豪のレオニーがアルコール入りお菓子を気に入っていたのだから、似たような嗜好なら口にしてくれるかも。どの道、食べてくれないと改善の仕様がないと決めて、砂糖菓子と共に歩みを進めた。
「この程度なら酔わないでしょう。下戸ないですし」
リシテアは酒造が有名の領地故か、父の名代で蒸留酒やワインを試飲する事が多かったため見かけによらずアルコールに強い。たまに世間とズレている事があるが果たして……。
⭐︎⭐︎
訓練所に行けば大体いる。いつも通りにお茶の誘いをして、事情を話すと渋っていた。
「悪いが後にしてくれ」
なんだかんだ付き合いが良いので意外だった。断られる事に慣れてないせいか、リシテアの胸にちくりと刺さる。
「今日は忙しかったですか?」
「違う。ファーガスでレスター産の上質の酒なんて滅多に飲めん。少量でも飲み慣れない酒だからな……できれば食後が良い。
「そうでしたか! それでしたら仕方ありませんね」
「悪酔いしたくないからな」
「……ちょっと見てみたいですけど」
酔っ払いのフェリクスに興味を持つリシテアに眉間を寄せてしまう。そして、そんなに多くないはずなのにレオニーは酔っ払ったのか……とフェリクス不信を抱く。
他国のお酒を飲む機会は多くないが、それでもレスター産のヴァダなどは美味いと聞いているので期待している。
「お前は味見をしたのか?」
「しましたけど、わたしの好みではないお酒でイマイチわからないんです。苦味がありますし……領民の献上や視察の際に振る舞われたら飲みますが、辛いのはそんなに好きではないです」
「飲めるのが意外だ」
「ふふ、自領の銘酒が飲めないのは領家の名折れです。少し前まで父の代わりに確認にしてましたから!」
ドヤっと胸を張るリシテアにフェリクスは驚く。見かけに寄らず、強い酒を飲めるのは想像できなかった……当人は大の甘党で果実酒を好むから意外性が大きい。
「それでしたら夜のお茶会にしますか? 大して残ってませんが、お菓子に使ったお酒も持っていきますよ」
「それは茶会なのか?大層、大盤振る舞いだな」
「先日、うちの使者が持ってきてくれたんです。お菓子用に少し頂いて、余った分どうしようか困ってましたから。……あの様子ですとレオニーに上げるのはまずいですから」
思わぬ棚ぼたで、フェリクスの口角が上がる。彼としてはお菓子よりお酒の方が喜ばしかった。
「いいのか!」
「あからさまに嬉しそうだと思うところがありますが、構いませんよ。お酒のお供に甘いものも良いですし」
「考えたことないが……」
珍しく表情にわかるほどフェリクスの喜びが出ていた。
フェリクスのリシテアへの好感度が大幅に上がった。リシテアはフェリクスへの不満度が上がった。
月は半月で曇り空。辛うじて月が見える空模様が、今の戦況を表しているように見えた。
光照らす月は時と共に大きくなれど、暗雲は未だ晴れずに留まる……なんて詩的な事を考えながらリシテアは部屋で準備をしていた。
「たまには良いですよね」
お茶の誘いだったはずが、もはや宴の誘いになっている。
フェリクスからすれば足りないだろうかと気にして、手際良くお酒を入れた小さい瓶とお菓子を籠に入れていく。今晩はお菓子でなく、お酒の力が必要だと思えた。
待ち合わせの遅い食堂は、既に何人かの出来上がっている達がいた。食事提供の時間が過ぎた食堂は少しの酒を提供している。
殺風景な酒屋と化した食堂では宴にならず、足りない時は持参するのが通例だった。
「あら、もう来ていたんですか?」
「少し前だ」
水場からだいぶ離れた外れにフェリクスが既に着席していた。既に自前のエールを欠けたカップに注いで飲んでいる。
水やら傷みかけた果物を用意をして、彼女も隣に座る。
「少しください」
「お前、飲めるのか?苦いだろ」
「好きじゃないですが、あんたがどんなのを飲むのか興味があります」
「安酒だ。あまり冷えてない」
そう言うと少しだけリシテアのカップに注いでいった。見るからに舌に合わないと判断したリシテアは一気に飲んで、水で喉を潤す。苦い…と口と顔で訴えて、用意したお菓子を出して食べていく。
「……つまみになるのか」
「そういう目的で食べません。美味しい物はいつだって美味しいですから」
しれっと答えるリシテアに酔いは見られない。そういえば二人で飲むのは初めてだと気付く。宴やらで交わすことはあったが、それぞれ別の者と過ごす事が多かった。
「酔っ払うのは構いませんが、部屋へ運べませんよ」
「そこまで飲む気はない」
「介抱くらい良いですよ。レオニーで慣れてますから」
「深酒してもああはならない……」
豪快に酔い潰れたり、絡み酒はしないようだ。それはそれで面白くないなと思いながら、リシテアは早速目的の砂糖菓子を小皿に乗せる。
「つまみに合わないかもしれせんけど、せっかく作ったんですから食べてください」
「いつも有無を言わせず食わせてるだろ」
「人聞きの悪い事言わないでくださいよ。あっ、でも良いお酒使ってますよ。特別ですからね」
ふふんと胸を張るリシテアは小さい酒瓶を幾つも出して勧めてくる。うちの自慢の品ですからと宣伝してるが、レスターでも珍しい逸品なのは見て取れた。
「……悪いな」
「封を開けたら風味も味も落ちますからお構いなく」
「ああ……感謝する」
少し他人行儀な礼を述べるフェリクスにリシテアは何も言わなかった。この日は久々のお菓子布教日で酒を交えたかったのは他ならぬリシテアだった。
アンヴァル奪還に向けての遠征が控えている中でのささやかな宴……フェリクスの父君、ロドリグ公爵閣下が亡ってからの会合は、お菓子では足りないと思った。
フェリクスの心情はわからない。話すとしても自分ではないと理解していたリシテアは何を告げていいのかわからず、そっとしておいた方が良いと思った。
「お前が声かけてくるのは久々に……感じる」
「そうでしたか?お互い忙しくなってましたからそうかもしれませんね」
嘘だった。リシテアは配慮して、今日までお菓子の誘いはやめていた。
(自分が触れてほしくないことを他の誰かにするのはできませんでしたし……)
いっ時の沈黙が訪れた。勝手に入ってくる喧騒があれど、存外居心地は悪くなかった。
意外と言っていいのかわからないが、フェリクスは落ち込んだように見えなかった。それよりも、ようやくディミトリに瞳に光が差したのが感慨深かったのだろう。
(……哀しみは時間が経ってから深まる場合がありますからね。どう声をかけようと通らない時があります)
家族を亡くしてはいないが、多くの身内を亡くした経験からか彼女は不必要な発言をしない代わりに気の利いた事も言えずにいた。
「……案外悪くないな」
ぽつりと呟いたフェリクスの声で我に返る。耽ってて、彼が砂糖菓子に手を付けていた事に気付かなかった。普段なら食い入るように見つめて「美味しいでしょう!美味しいと言ってください!」と訴えているのに。
「それは辛党向けですね。あんたらしいです」
「こっちはお前らしいな」
「そっちは少し甘い酒を使ってます。後味がスーッと引くので爽やかな果実酒で人気なんです!」
「少しなら食える程度だな」
二粒で食べてからはもういいと態度に出ていたので、リシテアは甘い砂糖菓子を口にする。彼女はアルコールが無い方が好みだが、フェリクスは予想通りアルコールが入ったお菓子を好んでいた。
「……思いの外くるな」
「そうですか?お菓子くらいで酔わないと思いますが」
「慣れない酒だからな。安酒が多かったし、こんな上等なのはしばらく飲んでない」
「レオニーも似たような事言ってましたね」
わりと何でもイケるフェリクスなのだが、砂糖菓子と自前の酒で頭がボーッとしてきた。これ以上は支障が出るかと思いつつもちびちび飲んでは食べていく。今日はそんな気分だった。
「お前……意外と素面だな」
「普通ですよ。わたしは何でも飲めるわけじゃないので、好きじゃないのは飲まないんですよ」
「……そうか?」
それなりに飲んでるように見えた。水や果物で割ってるが、リシテアにとっては慣れた味なのかもしれない。好みでなくても利き酒ができるくらい飲んでた……そんな風に見えないが。
「ヴァダを使った果実酒って、お菓子と相性が悪くてあんまり美味しくないんですよね。目的は味見でしたので構いませんが」
「そう言えばそうだったか……」
「よく摘んでましたから気に入ったようですね。たまには良いんじゃないですか?お酒に溺れるのも」
何を言っているんだ、とフェリクスは顔を顰めた。
「こんな時にできるか」
「フェリクスは溺れさせようと思っても意地で這い上がってきますよ。少しは溺れて恥ずかしい思いした方がちょうどいいんじゃないですか?」
「わざわざ醜態を晒すか!」
「あら、酒は百薬の長と言うじゃないですか。薬を浴びてると考えれば悪くないと思いますよ」
「はあ?」
苛立ちを感じつつも奇妙だと気付いた。どちらかと言うと介抱に回ることが多いリシテアが、酒を勧めるのは不自然だ。効率や時間重視する彼女とは思えない勧めにようやく察した。
そういえば、お茶や菓子どころか誰かと長く話すのも久々だったと。
「……悪い、気を使わせたな」
「何のことですか? お菓子の味見と自領のお酒を分けたくらいですよ」
「ああ……そうだったな」
「酔っ払ったフェリクスを見てみたいのは本当ですから遠慮なく飲んで構いませんよ」
「減らず口は叩くのか……」
「それ、あんたにだけは言われたくないですよ」
惚けるのならそういうことにしておけば良い。リシテアは今まで無遠慮に踏み込んできた事はない、おそらく余程でなければ自分から聞いてこない。
彼女自身も踏み込まれたくないのだろう……けれど、何もせずにいらない。他者を想う気持ちは伝わる。
なんと返したらいいか……もう数日も経っているし、他の者に何度も声をかけられているのにフェリクスは言葉が出なかった。
「……お前の気持ちはありがたく思う」
「言わなくていいですよ」
ピシャリといなされる。真剣味を帯びたリシテアの声音に圧倒された。
「わたしは何か話してほしいと思ってません。強請るほど子どもじゃありませんよ」
「…………」
「あんたは不器用で無愛想で何考えてるかよくわからないですけど」
「おい」
「人の親切を無碍にできるほど無神経じゃありません。心にもない感謝を聞くくらいなら何も言わないでください。少なくとも、今のあんたに何か求めてませんよ」
もっと言葉が出なくなった。半ば慣れていた謝辞は否定される事態に呆然とするフェリクスだが、こいつはこういう奴だったな…と気付かされる。
決して深く聞いてこない代わりに、見なかった振りをする。定型分と化した上辺の謝辞なんて彼女は求めてこないし、聞きやしない。
知っているんだ──近しい者の死がどれほどの重みを持っているかを。身をもった経験した者にしか感じ取れない暗澹たる思いを。
またも静寂が落ちた。いつの間にか喧騒は収まり、時折誰かの寝息が聞こえてきた。
ぎこちなくなる空気……のはずが、リシテアは素知らぬ様子でヒビの入ったカップを傾ける。何にもなかったかのように振る舞っている。
「……もう少しくれるか」
「割りますか?」
「頼む」
言うが否や、手早く水割りを作っていく。
手慣れてるのを告げると、隠れて水で薄めないと飲めなかった頃もありましたからと秘密話を含めて答えた。変わらぬ日常のように。
ちびちびと飲んで、少し話しては沈黙してを繰り返して、ゆるりと月が昇っていった。
特別何かあった訳でもない。深く話し合っていない。ただ同じ時を過ごした……それだけで満たされた。
「酔い潰れるのを期待していたのですが残念です。千鳥足のフェリクス見たかったです」
「しないと言ってるだろ。それよりお前が素面なのが意外だ」
「これくらいで酔いませんよ。わたしは好きな物しか飲まないんです」
「通好みに聞こえる台詞だな」
深夜になる頃お開きになった。食堂から部屋までの僅かな帰り道でも二人は顔も態度も変わらなかった。
変化がない、今まで通り、苦境な戦況でも、士気が高い時でも、誰かがいなくなった時でも……日常は舞い戻る。
「俺は安酒でいい。麦酒の方が馴染む」
「安いのは悪酔いしやすいですよ。余ったから、あんたに分けたんですよ。引き取ってくれて感謝します」
「ああ、そうだな。深酒する気はなかったが、思ったより進んだ。お前の所のは美味かったと思うが、正直よくわからん。……飲んでいけば慣れていくのかもな」
つらつら紡いでいくフェリクスにリシテアは安堵する。酒は好きだと知っていたが、予想以上効果があったようだ。
「ふふっ、酒の席だと変わらなかったですけど、酔うとお喋りになるんですね」
「煩い……」
「二日酔いには薬草を吸うと少し治りますよ。まあ、たまになら良いんじゃないですか? いつも顰めっ面してて怖そうな隊長が、二日酔いで休む事があるって知られるのも」
「誰が休むか!顰めっ面は元々だ。怖がられたところで、どうでもいい」
「鏡で笑顔の練習した方が……あっ、やっぱり無しでお願いします。薄気味悪いですね」
茶化すリシテアを一瞥して、空を見上げる。雲に隠れて月が出てない。明かりのない道は昼間と見違えるほど暗い。
今夜はリシテアと共に帰路へ向かっているから足元には魔法の光が照らされている。彼一人であれば気にせず真っ暗闇の中を歩く。それが当たり前で、これから変えるつもりもない。……だけど、今は明かりがある方が良かった。
「……一応言っておくが、お前が気にするほど堪えていない。元から仲は良くなかったし、感傷的になる時間も余裕もない」
「酔ってますね。心の内を話すなんて」
「酒の勢いだ……何か考えるより剣を振るってる方が冴える。今はそれでいい、どうせ後から沸いてくるんだろ。……面倒くさい。後回しにしても問題ないだろ」
時が経つにつれて、現実を受け入れる際に軋んでいく。後悔や無念や感謝や色々な気持ちが混ぜ合わさって浮かぶ度に、心に針を刺される。
弔う悼みはフェリクスもリシテアも痛感している。
「……何のことか知りませんが、もう夜も遅いですから早く休みましょう。夜風は差し障りますよ」
「ああ。本当に言わないんだな……お前らしいか」
「そういうの……不得意ですから」
慰めがほしい訳じゃない。でも、何か言って助けてほしいと思ってるのに何を言われても響かない……そんな思いをかつて抱いた彼女には、フェリクスにかける言葉が見つからないだけだ。冷たい、と思われても何もしない方が良いと考えていた。
それでも……何かしたいという気持ちは日に日に増していた。
「……すみません、かえって気を使わせて」
「お前の考えは相変わらず、さっぱりわからん。理解不能だ。そんな奴のことを俺が気を使えるわけがないだろ」
「……なんだか癪に触りますね。もっと飲ませた方が良かったかもしれません」
「余計酷くなる結果が見える。帰るぞ、くだらん事に付き合ってられるか」
早足になるフェリクスに慌てて付いて行く。彼にとってはくだらない事……そういうことにしておいた方が良い。
余計なお世話だと思っていたが、満更でもないフェリクスの様子にリシテアは安堵した。
「今回はお菓子よりお酒の方が効きましたね」
「何か言ったか?」
「いえ、何も。今度はもっと強めのを用意しますね」
「人前で酔えるようになった時なら歓迎する」
早足になれば部屋に着くのはあっという間。
就寝の挨拶をして別れ、自室に戻ったリシテアは机に置いてあった酒瓶を手にする。
「果実酒はやめといて良かったですね」
彼女の好みのお酒をグラスに注ぐ。幾多の果物を漬けたサングリアは甘い喉越しを伝えてきた。
「……酔った振りをした方が、ロマチックに進んだの良いんでしょうか」
できないですけど、と心の中で答える。彼には通じないと思うし、そんな気はなかった。
息抜き、そうなったら良いと思ってた。リシテアにできる精一杯は自身の心も抉ってしまう……喪った人は何をどうやっても帰ってこない。残された家族は何を思って悼むのかを彼女は知りたくなかった。──遅かれ早かれ、大切な家族にそう思わせてしまう。
「……わたしが落ち込むのは変な話ですね。今は関係ないです」
再び、手酌をして煽る。
酔えるほどの酒量ではないのに、明日は二日酔いになってもいいかもと未来予想してしまう。
本当は自分の方が酔いたかったのかもしれない。お酒のせいにして、赤裸々に秘密を打ち明ける……そんなありもしない巡らせてるうちに微睡に落ちていった。
明朝の二人は、二日酔いとは程遠いよくある日を迎えた。溺れたい時に限って、溺れれないものだ。