獣教官と愛弟子ちゃん3ずきずきと足が痛む。
足袋も履かず薄い草履一つだけで獣道を歩けばそうもなろう。草の葉や、突き出た枯れ枝に何度も引っかけた足は所々に血が滲んでいて、大変痛々しく映っていた。
「こら、とっとと歩け!」
じくりと刺すような痛みに思わずふらつけば、後ろからドンと強く背を突き飛ばされた。
その衝撃でよろけた足が縺れ大きく体勢を崩す。両手を縛られているため、ろくな受け身もとれないまま地に転げてしまった。
「おい!あんま乱暴にするな!大事な商品だぞ!」
「分かってるっての!くっそ、このアマ!そんくらいで倒れてるんじゃねえよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらも、彼女を助け起こそうとするものは一人もいないらしい。
ぐい、と両手の縄を無理矢理引っ張り上げられて、早く立てと促される。
よろよろと立ち上がり、引かれるままに再び痛みを堪えて歩き出す。
「まったく…、モンスターのガキを産んだ女がいるっつうから、わざわざこんなとこまで来たってぇのに…こうも道が悪けりゃな…」
「でもよ、こいつ連れてけば大金で買うっつってる好事家がいるんだろ?それまでの辛抱だ。」
がさがさと藪を掻き分ける音に混じって、男達の会話が静かな山林に響く。
あんな山奥になぜ賊などが現れたのかと不思議におもっていたが、自分達の存在が人里に知られていたらしい。
いつ見られていたのかは分からないが、ハンターや旅人が山奥に迷い込み、偶然あの家を見つけた…、という所だろうか。
「しっかし、モンスターの幼体もいるって聞いてたのに、一匹も捕まえられなかったのは勿体ないな…」
「だなぁ、人間の血を引くモンスターなんて良い金になったろうによ。」
「ちげえねぇ!爪や牙をへし折ってもガキならすぐに生えるしな!あの帯電毛とやらも高く売れるんだぜ?」
子供達が逃げきれて本当に良かった。
あの時、家屋の外から複数人の足音が聞こえてすぐ、子らを裏口から逃がしたのだ。
こんな外道な人間達に捕まっていたらと考えるとゾッとする。
もっとも足首の枷に付けられた鎖のせいで、自分が逃げることは叶わず、そのままこの男達に家から連れ出されてしまったのだが。
相手の目的が分からない以上、下手に抵抗することは避けていたが、ここまで聞き出せれば彼らに用はないのだろう。
視界の端でちらちらと青白く輝く虫達がそう告げている。
「けど、こんな女買ってどうしようってんだろうな。モンスターのお手つきだぜ?」
「ばーか。世の中にはいろんな趣味の奴もいるんだよ。それに何も自分じゃなくて、他のモンスターに女犯させて楽しんでるイカれた物好きもいるしな。」
「ああ、しかも獣のガキ孕める女なら良い見世物になるし色々使え……、なぁ…なんか静かすぎねぇか?」
一人だけハンター崩れのような格好をした男がようやく気がついたらしい。
さっきから矮小な獣達の鳴き声一つ聞こえず、己達の足音と声、そして葉擦れの音だけが不気味に響く異常さに。
かつてハンターを志したなら、大なり小なり耳にしているだろう。
かの狩人が顕現せし時、弱き獣は遁走し、その行く手を阻むものなしと謳われる、森の王の存在を。
「まさ、か…、雄の雷狼、」
男の言葉はそこまでだった。
ひゅ、と青い閃光がまっすぐに宙を走り、ハンター崩れの男のこめかみに一本の苦無が突き刺さる。穿たれた男の目がぐるりと上を向き、そのままどさりと倒れた。
もはや息をしていないことは誰の目にも明白だった。
「う、うわあああ?!」
「なっなんだ!?」
恐慌状態に陥る男達。その隙をついて両手の縄を外し男達から距離を取るが、もはや彼女のことを気にしてられないのだろう。
刃の欠けた武器をあらぬところに向け振り回し、四方を必死に威嚇している。
だが、それは無駄というものだ。
もう彼らを救うことは出来ず、また、救ってやる理由もない。
ふ、と影が辺りを覆う。
直後、頭上から男達と自分の間に巨大なものが、どうと地響きを立てて着地し、真っ直ぐに男達に向けて突進していく。
「ぎゃあああ!?」
「や、やめっ…!ぐげッ!」
ざしゅりと肉が掻き削げる音、ばきばきと骨が圧し折られる音。ぐしゃりと頭が潰される音。
人だったものが肉塊へと変わっていく音が無情に響き渡る。
無双の狩人の番に手を出した愚か者達の末路だ。
「教官」
悲鳴の残響すら掻き消えた頃に巨体へと声をかける。
振り向いたそれは噛み砕こうとしていた何かをぼとりと落とし、ぐちゃぐちゃと肉片を踏み潰しながら、此方へと向かってきた。
そして彼女の目前で獣はその姿を変える。
「大丈夫かい、愛弟子…?」
そこに立っていたのは、雷狼竜を思わせる武具に身を包んだ偉丈夫。海松色の髪と目を引くような整った顔立ちの男性だが、頭部から生えた二対の角と、付いた血を飛ばすようにぶんと振っている鱗のついた大きな尾が、ヒトではないことを示していた。
彼は彼女に手を伸ばそうとするが、その両手が賊の血にまみれていることに気がついたらしく、行き場を失った手が宙に留まる。
そんなこと気にしなくても良いのにと、変なところで弱気になる夫に内心嘆息し、その胸へと飛び込む。
「!?待って、ダメだよ…!キミに血が…」
「…いいんです。ぎゅってしてください。」
「…愛弟子……、うん…分かったよ…」
恐る恐るといった様子で、背中に腕が回るのを感じた。一度触れてしまえばふっきれたのか、そのままぎゅうと強く抱き込まれる。
「子供達は、無事ですか?」
「うん…みんな無事だよ。あの子達が呼んでくれたから…、今は家で待たせてるよ。
ごめんよすぐに助けて上げられなくて。怖かったよね、足も痛いだろう…?」
「平気です、教官が来てくれるって信じてましたから」
怖くなかったと言えば嘘にはなるが、本当に怖かったのは彼のほうだろう。
子の遠吠えで危機を察し、慌てて家に戻ってみれば室内は荒らされ、大事に囲っている珠玉の如き番がいないのだから。
不届き者達に追い付き、彼女が生きていることを確かめるまで気が気ではなかっただろう。
抱きしめてくる大きな身体から小刻みに伝わる震えが、彼の味わった恐怖を教えてくれている。
「帰りましょう、教官。あの子達が待ってます。」
「…そうだね、キミの傷の手当てもしないとだし…、また巣も変えなきゃ…」
そういって一度離れようとするが、予想に反して彼は腕を解こうとはしなかった。
いつものように雷狼竜になった男の背に乗っていくのではないか?と首を傾げれば、彼は少し眉を下げ、帰るまでキミをこの腕から離したくないと呟く。それに応えるように小さく微笑み、その大きな背を抱きしめ返した。