ちょっと嫌なことが続いていたから飲みたい気分だった。同じ勤務時間のやつが今日は一人だけで、ダメ元で誘ってみたら意外にもOKと返ってきたから正直驚いた。
「空なんか見上げて、どうした?」
背後から現れた人物はすっと横に並び、俺が見上げていた空を上目で伺う。絵になる横顔のこの男は同期配属のVegas。あまり人と関わらないタイプの警官で一匹狼を貫いていたから飲みに誘ったところで、てっきり断られると思っていた。珍しいことが起きたせいで明日雨が降らなよう祈ってた、とは流石に言えない。
「いや、何でもない」
署を出て近くの屋台へ向かう。軽く食事をしながら何で誘いをOKしたのか聞いてみたら"明日は休みだったから"とシンプルな答えが返ってきた。なるほどな。
お互い明日が休みだと分かって遠慮なく杯数を重ねたが、三軒目の店で彼の住まいは郊外で実は随分と遠くから通っているのだと聞いた。当然、車は置いて帰ると言うVegas。流石に終電前には帰してやらないとな〜と、ふらつく足で一緒に店を後にした。
「家、何時に着く?」
「さあな、今からだと…何時だろうな」
MRTの駅に着く手前、目を細めて腕時計を睨むVegasがそんなことを言うから、なら泊まってくか?と軽く冗談のつもりで目の前のビジネスホテルに指を指す。
「…………」
(ぷっ、、なにその顔。どんだけ嫌なんだよ、分かりやす過ぎるだろ)
指先からホテルへと視線が移り、怪訝に寄った眉間と細まる瞳がまたこちらに戻ってくる。
「怒るなよ、冗──」
「いいな、行くぞ」
「へ?」
急に酔いが覚めていく感覚がして戸惑った。俺も行くの?嫌だったんじゃ??てか、冗談…だったんだけど、という呟きはもう聞こえていない。数歩先行く黒い背中を取り敢えず小走りで追いかけた。
「キング(サイズ)なら、一つでいいか?」
と唐突に聞かれ、一瞬何のことか分からず答えに詰まる。フロントのお姉さんに助けを求めてみても、にこやかな微笑みを返されてしまい、俺はといえば引き攣った笑いを返すことしかできない。
もたもたしているうちに、スーペリア1部屋でとVegasが決定を下してしまい絶句する。何で男ふたりでキングのスーペリアだよ!?と、心の中で叫んでみても意味はなかった。
ルームキーを受け取り、相変わらずにこやかなフロントレディに見送られ、エレベーターへと向かったVegasの後について行く。
「な、何でキング…?」
「折角なら広いベッドで寝たかっただけだ」
うちのは狭いんだ、と不貞腐れたような小さな声を発して上階行きのボタンを押すVegasの指先を見つめた。寝相は悪くないと思うけど、男ふたりはやっぱり狭くないか…??と不安になったものの、部屋に着いてみれば案外心配なさそうな広さのベッドで胸を撫で下ろす。
ここまで来たら仕方ない。飲んで寝るだけだと覚悟を決めた。脱いだ上着を無造作にベッドへ放り、ミニバーを物色してると背後から声が掛かる。
「まだ飲むのか?」
「ダメ?寝るだけならとことん飲みたい」
そう、飲まなきゃダメな気がする。俺が放り投げた上着を律儀にハンガーへ掛けたVegasは、好きにすればいいと言い残してシャワールームに消えてゆく。
(さて、ビールにするかSPYにするか)
スパークリングワインはあんまり得意じゃないけど酔うならこっちだなと、赤くて可愛らしい瓶を一本、手にして一人掛けの椅子に腰掛ける。
「Vegasはシャワーか」
少し間を置いて聞こえてきた水音で彼がシャワーを浴びているのだと分かった。トイレかと思ったが、どうやら違ったらしい。
静かな部屋に響く柔らかなシャワーの音に耳をそばだてていると、突然落ち着きをなくした心臓が不規則な鼓動を刻みはじめた。
「は、、なん…で?飲み過ぎ??」
いやいや、さっきので大分酔いは覚めた。だからこそのSPYだ!キャップを勢いよく回して一口呷り、リモコンを手繰り寄せてTVをつけた。深夜のニュース番組をぼんやり流し見していると、しばらくしてシャワールームの扉が開く。
「お前は?」
浴びないのか?と言いたげな目線に、飲み終わったらと答えた。
「飲み終わるのか?」
と、テーブルの上の空瓶を見て笑われた。ほんの20分ほどで空けた酒瓶は3本。今まさに4本目に手を付けたところだった。
「お前は飲まないのか?」
「飲むのは構わないが、お前の取り分が減るだけだぞ」
「さ、流石にミニバー空にするほど、もう飲めないよッ…」
「どうだかな」
鼻で笑った彼は肩に掛けた真っ白なバスタオルで頭を拭きながらミニバーの扉を開け、ビールを一本取り出すとカウンター上に用意されているオープナーで栓を抜く。
(身体鍛えてんだな──…)
椅子の上に両足を乗せて膝を抱えるように丸くなって座るPeteはVegasの動きを窺う。同じ男から見ても思わず見惚れる筋肉だなぁ…と、酒瓶の口をいじらしく齧りながら、まじまじと見つめてしまっていることに本人は気づいていない。
「何だ?」
「!??」
いつの間にか振り返っていたVegasは、じっとりと睨むようなPeteの視線を訝しむ。
「あ、いや…鍛えてるんだなって」
「警官なら当たり前だろ」
「そうだけど…俺、鍛えてもあんまり筋肉つかないから。羨ましいなって」
「そんだけ甘めな酒ばかり飲んでたら、別のモノがついても仕方ないんじゃないのか?」
「はぁ!?コレは…たまたまだッ!」
「ちゃんとしたトレーナーについてやったことは?」
「?」
「だから、トレーニング。ジムとかだよ」
「ない。だってそんな時間ないだろ」
「時間は作るものだ」
「うわ、出来る男っぽいセリフ…」
「………そんなつもりはない」
Vegasって感情を表に出さないし、取っ付きにくいヤツかと思ってた。でも、そうじゃないのかも。酒が入ってるせいもあるかもだけど普通に不貞腐れたり、照れたりしてる気がする。
「かわいい…」
「何か言ったか?」
「い、いやっ…何でもない!」
「?」
「…………」
「やり方教えようか?」
「やり…方」
なんの?って、えっと…な、んか俺。今、何か変な想像したな。どうした、俺。
「鍛えたいんだろ?」
「ぅあああぁって、それ!そっち!!」
「他に何がある?大丈夫か、Pete」
「大丈夫!大丈夫ッ!」
「筋肉がつきにくい体質なら、それに合わせたトレーニングメニューを組めばいい。時間はかかるが──…」
うんたらかんたら。普段寡黙なVegasは酔っているせいか饒舌で懇切丁寧に説明してくれた。が、全く頭に入らない。俺はさっきナニを考えた…?ギャップ萌えにしても甚だしい。
「おい、聞いてるのか?Pete」
上の空だった俺に気づいたVegasは椅子へと近づき目の前に仁王立ちすると、ビールを一気に呷って顎をしゃくる。頭の上から降ってきた不機嫌な声に顔を上げると、声と同じく不機嫌そうな瞳が俺を見下ろす。
「人が話してるのに上の空とはな。お前は人としてどうなんだ?ん?」
あれ?Vegasも結構酔ってる??赤く縁取られた目尻や、ほんのり上気した頬はシャワーのせいだけじゃないみたいだ。
「また聞いてないな?」
そう言われて瓶の底で軽く額を小突かれた。痛いだろ!と酒瓶を片手で払い退け、怒りを訴えながらも目線は無意識に顔から下へとさがり、張りのある大胸筋から続く程よく割れた腹直筋の隆起に釘付けになる。
(間近で見るとホント綺麗だな──…)
触りたい。そう思うより早く、冷たくなった肌に指先を這わせ隆起する筋肉の硬さを確かめてた。
この時、俺も相当酔ってた。じゃないと説明がつかない。ギャップ?綺麗な筋肉?見下ろしてくるVegasの濡れた瞳?どれにやられたかなんて…もう分からない。
「誘ってるのか、Pete?」
「ッ──…」
言葉を発する前に俺の唇はVegasに塞がれてしまっていた。
◆
「車、取りに行くだろ?」
「ああ」
送ってやろうか?の一言を期待したわけじゃないがVegasの態度は朝目覚めた時から、かなり素っ気ない。
「了解。じゃあ、また明──」
「お前は署長が好きなんだと思ってた」
別れ際、ぼそりとVegasがそう呟いた。
「な、なん──…ん???」
何のことだよ?署長ってKorn署長のことか!?
「ぅおいッ!Veg…痛ッ…」
くっそ。二日酔いで頭痛がする。痛すぎて思わず頭を抱えた隙に、言わなきゃよかったみたいな顔をしたVegasは、さっさと俺の前から去って行った。
「なん、、なんだよッ!おい…ッ」
確かに署長は好きだ…あ、いや!違う違う。恋愛的な意味じゃない。俺は小さな頃に両親を亡くしてばあちゃんと二人暮らしだったから、もしも親父がいたら署長みたいな感じなのかなって勝手に憧れてただけ。三人の息子がいるKorn署長はみんなに優しい。だから部下は皆、彼のことを父親のように慕ってる。
「ん?Vegasだけは別か。あいつときたら署長が挨拶してもニコリともしないもんな」
というか。あっさり?いや、ぞんざいすぎやしないか?俺たちヤったよな。夢??にしちゃ頭だけじゃなく、腰とあそこも痛い。
「初めてだったんだぞ…」
二日酔いのせいで頭はガンガンしてるけど記憶はしっかり残ってる。後悔?そんなの、めちゃくちゃしてるに決まってるだろ。同僚と酒の勢いで寝るなんて、どうかしてる。
「雨、降らないかな」
がしがしと頭を掻きむしったPeteは空を仰ぎ、一言ぼやく。見上げた先には澄み渡る青空。当然、雨の気配などない、眩しさが目に痛いくらいの青い青い空が広がる。
「あーあ、明日からどうしよ」
不安を抱えたPeteは翌日、この出来事を目撃していたPolとArmに詰め寄られることになるのだった。