だからシーツにケチャップを垂らせ 帰るために電車に乗るところで着信音が鳴った。タップで通話を繋げると、もうずいぶん聞きなれた声がする。
「大門くん、今日うち来ない?で、腹減ったからなんか買ってきてよ、金出すからさぁ」
突然、そうやって呼び出された大門は腹いせに、レジで購入できる中でいちばん大きな袋がぱんぱんになるほど食材を買ってきた。ふすんと鼻を鳴らしながら玄関を通り、乱暴にドブのいるリビングの扉を開ける。ドブはひらひら手を振って「いらっしゃい」などと言う。大門は舌打ちで返して、レジ袋をキッチンカウンターにどさりと置いた。
「で、何買ってきたの」
「ホットドッグ」
「えー?腹膨れねえだろ、ンなもん」
「とビール」
「大門くん、天才。さっすがぁ。惚れた。きゃあー抱いてぇー」
「あとでな」
「うわマジでゴムも出てくんじゃん……」
大門を呼びつけた本人であるのに、ドブはソファから動かない。首だけキッチンのほうに向けて、大門がレジ袋から買ってきたものをどんどん出すのを面白そうに眺めている。
「お、うまそうな肉買ってきてるじゃねえか、焼いてよ」
「いや、これは俺んちに持って帰るやつ」
「金出すって俺の昼食って意味だよ?大門家の食事になんっで俺が金出すんだよ」
「手間賃」
「お前さあ、いつもいけしゃあしゃあとさぁ〜!」
ついでに言えば肉だけではなく、食器用洗剤と柔軟剤と袋麺と豆乳とコンビーフ缶も大門家に持って帰るために買ったものだ。金額を伝えられたドブはそれに勘づいているが、大門が一緒に消費するために買ったものの中に自分と弟の分を滑り込ませるのは今回が初めてではないので、もはや諦めて何も言わない。
「ラップどこだっけ」
「レンジで温め直すのかよ、ふにゃふにゃになってまずそうだな」
「は?馬鹿ちげえよ、ソーセージだよ。フライパンで焼く前に一回温めるんだよ、そうしたらあんまり熱いれなくて済むだろ」
「なになに?大門くんの手作りなわけ」
大門が自分の顔を覆うような大きなウインナーのパッケージを取り出す。ファスナー付きのビニールパッケージにはこんがり焼かれたウインナーの写真がのっていていかにも美味そうだ。
「デカ。高くないこれ」
「そんなしねえよ。自分の金なら買わねーけど」
「最悪だな」
いつの間にかドブが大門の横に立って、勝手にレジ袋に手を伸ばし、ビールのプルタブに手をかけて、もう開けている。カシュ!という小気味良い音とごくごくと喉のなる音を聞いていたら大門は腹が立ってきた。自分はわざわざ仕事帰りに買い物までしてきたのに、なぜコイツが当然のように、先に酒にありついているのか。
「ふん!」
「あぁ!?お前あっぶねえなぁ!つうかあんだろ、お前の分も!六缶パックとか買ってきてんだから!」
「ごふ、ごふ」
「あーあー急いで飲むからむせるんだよ、もぉ仕方ねえやつだよ堅志朗くんは」
無理やり缶を奪って飲み干したら、案の定気道に入ってむせた。ビールの炭酸が痛くて辛くて、背中をさするドブの手つきが優しいのがまた苛立ちを増加させる。クソ、ビールも残ったのは家に持って帰ってやる……と大門は思う。
「パンこれ?コッペパンって売ってんだな」
「早くラップ出せ」
「ラップはここ。お前この前も俺に聞いたろ」
「ラップなんか外に出しときゃいいだろ、わざわざ引き出しにしまうな」
「大門くんの家、生活臭凄そう。俺無理だわ」
「生活してるからな!」
言いながら、パック売りのキャベツの千切りをボウルにうつす。このボウルもまた雑貨屋で売っているような、洒落た色と形をしているのだから笑えない。大門は今更わざわざ聞かないが、ドブという男は粗野で粗雑な割に百円均一だとか、ディスカウントショップで食器や生活用品を買わない。それが彼の育ってきた環境の当たり前なのか、憧れなのか大門にはきっと分からない。
(外食は安いラーメン屋とか居酒屋のくせにな……)
大門の家にはワンコイン以下で買ったこまごましたものがたくさんある。食器だってほとんどを百円均一で買った。丈夫だし割れても後腐れがない。何より安い。ドブの家にある、ひと皿ウン千円の皿は正直洗うのに緊張するのだ。
「それなに?白ワイン入れてどうするんだよ」
「即席ザワークラウト作んの。前に弟が作って美味かったから」
「ふうん」
ボウルだって果たして本当に耐熱仕様なのか。溶けて歪んでしまったら、それがドブの所有物だとしても大門としては悲しい。
「あと粒マスタードと、パンは縦に切って中にマヨネーズとチーズな、これ。最初から切れてるやつ。便利だろ。チェダーチーズってツマミ用のやつは高ぇけど、これは安いし」
「どれどれ」
「おい食うなって」
「うーん、なんか……あれだな、給食に出てくるチーズっぽいな。俺はあんまり好きじゃねーわ」
「食ってから言うなって」
テキパキと大門が作業を進めるたびに、横からドブの手が伸びる。つまみ食い、くすくす笑い、大門へのちょっかいと続いてアルコールなんぞビール缶半分も摂取してないくせに、やたら緩んだ表情で周りをちょろちょろしているのだ。
「で、温めが終わったウインナー乗せて、このチーズ乗せて焼くわけ」
「あー、これは確かにツマミだわ。ビールと合うわ」
レンジからザワークラウトを取り出す。ボウルは溶けていない。ザワークラウトもひとつまみ食べたら、即席の割にはまあまあの味だった。
「あとどのぐらいで出来るの」
「五分かかんねえだろ」
「うわーまじか、ビール開けちゃお」
「フライングするなって」
ドブはそわそわしながら、トースターの前にしゃがみこむ。その様子が幼い頃の弟と重なって、大門は微笑み……すぐに思い直した。こんな憎たらしいヤクザものが、かわいいかわいいあの頃の弟と同じだなんて絶対に嫌だ。
「大門くんさあ……」
「何だよ」
「俺の事好きだよなー」
「……は?」
「いや、なんかこの頃さ?ちょいちょい弟と作ったやつとか美味かったやつ、食わせてくれるじゃん?昔のお前じゃ、そういうのなかったからさあ」
言いながら、ドブは照れくさくなったようでビールを一気に煽った。まだトースターの中でホットドッグは焼き上がりを待ってるのに、ビール缶を置いて、キッチンカウンターに置きっぱなしの炭酸水とコンドームの箱を持ってドスドス足音を立てながら寝室に消える。
「……は?いや、おい!飯!」
「あとで食う!!」
「はぁ〜〜!?焼きたてなんだから、今食え!」
「やーーだ!大門くんのえっち!」
「テメ、四十路近いオッサンがンなこと言ってもキモイんだよ!」
続けて大門も足音を立てて寝室に向かう。手にはトレイがある。もちろん、そこにのっているのは焼きたてのホットドッグとビール缶だ。