「なあ、俺はいつまでここにいりゃ良いんだ?」
「さあ、いつだろうね。私にもわからん」
そう言って溜め息を吐けば彼がやや申し訳なさそうに首を竦めた。
あわや未曾有の大惨事となるかと思われた強大な吸血鬼達の大進行は、あちらもこちらも誰一人として血を流すこともなく終わった。いや、終わったというよりは始まりもしなかったのだ。
やってきた吸血鬼たちは各々かなりの力を持つ者たちであったが、やたらとフレンドリーであった。誰一人としてこちらに敵意はなく、人にも物にも害を為そうとは一切しなかったのである。
気配を察知してからこっち、生きるか死ぬかの闘いを覚悟して緊張感に苛まれていた我々としてはありがたいと思うよりもふざけるなという気持ちである。いや、勿論のこと闘いたくはないのだけれど。しかし最初に彼らの気配を察知したのは私であり、必然的に尤も長時間頭を悩ませていたのも私であるので全くもって釈然としない。私の心労をなんだと思っているのだ。
その上に、まだ私だけがあの吸血鬼たちから解放されていない。
その理由は先ほどから大人しくしつつもそわそわと落ち着きのない様子で、その恵まれた体躯を折り曲げるように小さくなって座っている彼の所為である。
『俺は死んで蘇って畏怖くなる!』
そう第一声でそう言い放った彼の次の言葉は、誰でも良いから自分を殺せ、である。
どん、と腕を組んで仁王立ちになった彼──ロナルド君であるが、その力の強大さはやってきた吸血鬼たちの中でも群を抜いていた。その姿を目に捉えた瞬間に、本能が絶対に敵に回すなとけたたましい警鐘を鳴らす程であり、それは間違いがないと確信もしていた。
もし彼に攻撃をする意志があったのならば、こちらは良くて全滅か悪くて街が丸ごと消えるようなレベルだろう。
しかしそうはならずに、むしろ自分からは何もしないと宣言して無防備に立つ彼であるが、じゃあで攻撃出来る訳もない。
話かけてみれば意外にもきちんとこちらの言葉を聞いてくれたのは実に僥倖だったが、彼の主張の理由を聞いて呆れるよりも何よりも背筋が凍った。
吸血鬼の弱点とされるものが何一つ効かない吸血鬼。しかも日光すら平気だと言う彼に恐ろしさを感じない訳がない。自分の予想以上に危険な存在だったらしい男を注意深く観察するが、見目すらこれ以上ないほどの麗しさであり、吸血鬼として人を傷つけるも惑わすもさぞお手のものだろう。
と、思っていたが実際のところは全く違ったのだった。
暴れださない内に彼を捉えようと射出された吸血鬼捕獲ネットが微かな発泡音と共に空に広がった。しかしそこで運が悪く突風に煽られたそれは目標を逸れ、私の方へと落ちてきてしまったのである。
捕獲用とは言えそれなりの重量はあり、当たりどころによっては屈強な吸血鬼ならばともかく貧弱なこの身においては痛いでは済まないだろう。また労災案件だろうか。今度はせめて半月くらいで治ってくれよと思えば、ただでさえさきほどから痛む頭がますます痛んだ。
たがそれは本来の目標とであった件の吸血鬼が、恐るべき素早い動きで降ってきたネットを引っ張り丸めてぽいと置いて終わった。その上にだ、大丈夫か? などと、その麗しいかんばせを心配そう歪めながら問われれば、警戒するのがなんだかバカらしくなってしまった。
まあそこから向こうの事情というか目的とその理由を聞いて痛む頭を抱えたわけではあるが。
しかし一先ず敵対する意思は無くとも、はいそうですかで野放しできる筈もない。とは言え拘束もできない。多大なる人的被害を覚悟して、よしんば彼を捕らえられたとしてもまだ他にも十人以上の手練れが控えているのだ。今はこちらを攻撃する気がなくとも、仲間に手を出されれば一気に牙を向いてくるだろう。それは絶対に避けなければいけない。
しかしこちらがどうするべきかと頭を悩ませていると、なんと彼の方から「……悪かったな」と言われたのだ。
曰く、こんなに大事になるとは思っていなかったのだと言う。そう言われた瞬間に警戒態勢を作るための人員及び物資の確保や民間人の避難などで多忙に多忙を極めたこの数日のあれこれの鬱憤が爆発した。してしまった。
そして怒りと苦労をぶちまけた結果、目の前の強大な力を持つ麗しの吸血鬼は泣いた。そりゃあもう号泣だ。エーン、ごめーん! とバカデカい声で泣き謝りをする姿を見ながら、取り出したトランシーバーに向かって様々と準備していた作戦が無駄になったことを伝えたのだった。
それからなんだかんだとあって、ロナルド君は私の預かりになりましたとさ。
──クソが! まじでふざけるなよ!
勿論抗議に抗議を重ねたが、捕縛するにはリスクが大きすぎるので、“保護”という名目の監視役を押し付けられたのである。世の中クソすぎる。
隊長だから、仮に逃げられてもすぐに解るだろうから、などと言われたところで体の良い押し付けでしかない。あの夜から特別休暇という名の、一日中監視をしていろという給料の出ない仕事ももう三日目だ。あのクソヒゲ野郎、今に見ておけよ。
しかしここで一応は良かったと言うべきか、彼は案外と大人しかった。まあ迷惑をかけたという負い目があるからか、こちらの言うことは素直に聞くし反抗的な態度は全く取らない。
彼も保護だと説明されてはいても、実際は監視だと理解しているだろうがあの夜以来、彼はこの家から勝手に出ていく様なこともなかった。
そして今は手持ちぶさたにソファに座りながらこちらを伺っているという訳だ。
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「そういえば君、死んで生き返れるという保証はあるんだろうね」
吸血鬼として畏怖を求める本能があるのは勿論知っているが、その手段として殺してくれなどと言う吸血鬼は初めて見た。しかしそもそも彼を死に追いやるには一体どういう手段を用いれば為せるのかという話だが。
しかしそれで仮に死ねたとして、ちゃんと生き返れるという保証はあるのだろうか。まあ無ければそんなことは言わないか、とすぐに自分の疑問のバカバカしさに恥ずかしくなりそうになった。
実際に彼もその疑問を聞いて、ばかだなぁ、と笑ったのだからそうだろう。おかしな事を聞いてしまったと、そう思ったのだ。
「そんな保証なんてあったら、生き返っても全然畏怖くねぇじゃん」
と、彼は当たり前のように言った。なんてこともなく、笑い声混じりにすら言ったのだ。
「……は?」
「だってそうだろ。生き返るのが当たり前ならそんなん意味ねーじゃん」
どっちか解らないからこそ、生き返りに畏怖さが出ると、確かにその理屈自体は解らなくもない。だがその主張を理解できるかと言えば出来るわけがないのだ。
「じゃあもし生き返れなかったらどうするつもりだったんだ」
これに、その可能性を考えてなかったなんて愚かな返答があればまだ良かったのかもしれない。しかし彼は、今まで子どものように目を輝かせながら食事をしていた姿とまるで全くの別人のような凪いだ目を伏せて、微笑むように口を開いた。
「それでもいいんだ」
その声音に込められた感情は覚悟ではなかった。そしてそれを聞いた時に、彼の生きてきた年月というものが伺えたが、そんなものこっちはちっともよくない。
これだけ私の様々を掻き乱しておいてそんなことが許されるものか!