パステルカラーの面影 店先から中を覗き込む怪しい影。
やたら目立つ、淡いみどり色の丸い後頭部をローが見つけたのは偶然だった。
【パステルカラーの面影】
梅雨の走りか、ここ数日は天気の悪い日が続いていた。
しとしとと降る雨がようやく上がった休日の昼下がり、ローは隣町にあるショッピングセンターにひとり繰り出していた。上階にある大型書店で用を済ませ、エスカレーターでひとつ階を下る。上から見下ろす目線の先、ローは見覚えのある後ろ姿を見つけた。
気づかないそぶりで無視しても良かったが、スルーできない違和感に抗えずにローはスタスタと早足で影に近付く。
「何してる、ゾロ屋」
「のわっ……あ、先輩?」
びくりと肩を跳ねさせ振り向いたのは案の定というべきか、ローの通う高校の後輩にあたるロロノア・ゾロだった。特徴的な淡く明るいみどり色の髪は見間違うべくもない。
背後から声を掛けたのがローだと知ってゾロは目をぱちぱち瞬かせた。
「先輩……こんなとこで何してんだ?」
「おれがそれを聞いたんだが。其処は……お前にはあまり用のなさそうな店に見えるが」
チラリとわざとらしくローが目を向けたのはゾロが覗き込んでいた店だ。ローの視線にゾロがきまり悪そうに目を逸らした。
それもそのはず、ゾロが見ていたのはパステルカラーに彩られたキャラクターショップだった。若い女性や子供に人気の、さまざまなキャラクターのグッズがフリルやリボンがあしらわれた棚に所狭しと置かれている。フリフリでキラキラした店はバリアーでも張られているようになかなか入りにくい雰囲気だった。
そんな可愛らしい店を竹刀袋を背負った強面の男子学生(ゾロ)が覗き込んでいる。その様子があまりに周囲から浮いていたせいでローは声を掛けずにいられなかったのだ。
なんせこの後輩は度が過ぎた方向音痴で、「道場の場所が変わった」だの「駅が消えた」だの言っては行方不明になる天才だった。入部当初はフザけているのかと思っていたが、ゾロが至極真面目にそう言っていると気付いてからは先回りして軌道修正する癖が主将だったローにはついている。
また摩訶不思議な能力でキャラクターショップを何かの入口と勘違いしたのかと思ったが、店の前に留まり続ける様子とゾロの表情を見る限りここに用があるのは事実なようだった。
ローはふむ、と得心したように頷いた。
「実はこういったキャラクターものが好きだったのか。それなら声を掛けて悪かったな、おれは帰るから好きなだけ見ていくといい」
「アホか‼︎ ちげえよ!」
硬派に思えた後輩だが、実は可愛いものが好きらしい――納得してその場を離れようとしたローだが、ゾロは勢いよく顔を上げて声を荒げた。
「違うのか」
「違うに決まってんだろ! おれがそんなふうに見えるか?」
「見えないから意外なシュミがあるんだなとは思った。だが嗜好は人それぞれだからな」
「それは同感だが、おれは別にキョーミねェよ」
唇をへの字に曲げて不満をあらわにするゾロは嘘を吐いているようには見えなかった。ならば、と最初の疑問が再びローの頭に浮かぶ。
「じゃあお前はここで何してるんだ」
そう口にしたローに、ゾロは言いにくそうに口をもごもごと動かす。あーとかうーとか言いながらしばらく逡巡したあと、はっと何かに思い至ったように顔を上げた。
期待を含んだキラキラした目。聞いてはいけない。嫌な予感にローの顔が引き攣った。
「ゾロ屋、待」
「先輩! 今、時間あるか?」
……間に合わなかった。
◇◇◇
斯くしてローはゾロに連れられ、フリフリでキラキラな店内にいた。
デカい男二人連れのキャラクターショップ。嫌でも目立つ二人に周囲からの視線が痛い。
『頼む‼︎ 一緒に店に入ってくれ!』
ローが制止する間もなくそう言ったゾロは、慌てるローの腕を無理やり引いて店へと足を踏み入れた。きらびやかな店内の装飾がチカチカして目に痛い。
「ゾロ屋テメェ……」
顔を引き攣らせるローに、ゾロは必死な様子で言い募った。
「悪い! どうしても一人じゃ入れなくてよ、もう先輩しかいねェ!」
「部活の時ですら一度も言ったことねェような頼り方すんじゃねえ」
「アンタなら大丈夫だ! こういうのも似合ってる!」
「さすがに嘘だろそれは」
「少しだけ! 少しだけ付き合ってくれ」
必死な様子のゾロを不思議に思って尋ねてみれば、どうやら今日はゾロの姉の誕生日、らしい。
当日にそれを思い出して「何か渡さねえとうるせェし」と部活帰りに好きそうな店まで来てみたものの、雰囲気に負けて中に入れず二の足を踏んでいた、ということだった。
ハァー……とデカいため息をローが溢す。ゾロはすまなそうにはしているが、ローの腕を掴む手の力を緩める気はなさそうだった。
「とりあえず、離せ」
ゾロの眉が下がる。掴む手にぎゅっと力がこもった。ローは力なく首を振る。
「違う。買い物には付き合ってやるから、手は離せ」
ぱっとゾロの顔が輝いた。
「いいのか?」
「もう店内に入っちまったしな。仕方ねェ」
「恩に着る! ありがとう!」
諦めたローの腕から手を離し、ほっとしたような気の抜けた顔でゾロが笑う。存外子供っぽい表情をするんだなと、ローは意外な気持ちでゾロを見つめた。
「? なんだよ」
凝視されたゾロが首を傾げる。ローはハッとしてゾロの顔から視線を引き剥がし、「いいからさっさとすませてくれ」と顔を逸らした。
◇◇◇
「で? お前は何を探してるんだ」
「んー……姉貴がすきなやつ」
「名前は?」
「知らねェ。なんか黒? っぽくてブリブリしたやつ……?」
「わかるか馬鹿。もう少しヒントはねェのか」
「いや、見ればわかるんだけどよ……」
店内を居心地悪そうにウロチョロするゾロを見兼ねてローが声を掛ける。実のところローはこの店の配置に明るいのだ。ただでさえ方向感覚が狂っているのに目的地さえ不明では一生辿り着けない。
手掛かりを求めるローに、ゾロは一生懸命に頭をひねっている。
「たぶん、どーぶつ」「あー黒じゃなくて白、かも……?」といった断片的なゾロの記憶をもとに「○○か…? いや、△△か。ならあっちだ」とローがあたりをつけてやる。
紆余曲折を経て、ローとゾロは目当てのキャラクターが陳列された棚に到着した。
「これだ……助かった、ありがとう先輩」
「あァ。あとは好きに選べばいい」
「…………」
近くにいても選び辛いだろうとその場を離れようとしたローだが、ゾロが物言いたげにこちらを見ているのが気になった。
「……なんだ?」
「いや、先輩ってこういうキャラクター、もの? 詳しいのか」
「別に詳しくもねェが。普通だろ」
「ふーん」
ツンと顔を逸らす。明らかに信じていない。なんだこの会話、と思いつつもローは一応弁明した。
「……妹だ」
「へ?」
「妹がこういうやつが好きなんだ」
「先輩、妹いるのか」
「あァ。まだ小さい。××が好きでな、やっぱり誕生日にプレゼントが欲しいと言うんで一緒に探したことがある」
「へェー……」
「納得したか」
「した」
「よし、なら探せ」
「へーい」
よく分からないが損ねていた機嫌は良くなったらしい。目に少しの喜色を浮かべたゾロが棚に向き合ってプレゼントを物色しはじめる。
数分もしないうちにゾロが手のひらサイズのぬいぐるみを手に取った。黒をベースにピンクのレースがあしらわれたドレスを着たぬいぐるみ。「姉貴に似てる」と言ってそれを選んだゾロが会計を済ませるのをローはぼんやりと眺めていた。
◇◇◇
ショッピングセンターを出ると、曇天から少しの晴れ間が覗いていた。
店を出た瞬間に出口と逆方向に進もうとするゾロの首根をひっ掴み、ローはゾロと並んで歩く。
「これで姉貴にどやされずに済む。先輩、ありがとな」
「まあ、ついでだ。弟ってのも大変だな」
「あ~まあな。……アンタは妹がいるんだな」
「あァ、意外か?」
「いや。だから面倒見がいいんだなとは思った」
「そうか?」
「そうだよ。自覚ねェのか」
首をひねるローに、ゾロはくくっと含むように笑った。ゾロがちらりとローを意味ありげに見上げる。
「……さっきの店、アンタ来た事あったろ」
店内を案内できるローにさすがに気付いたらしい。ローは嫌そうに顔を顰めた。
「不本意ながら。妹の付き添いで、だ」
「……カノジョでもいんのかと思った」
「いねェな」
「今は、な」
「そうだな」
あっさりと頷くローにフンとゾロが鼻を鳴らした。面白くなさそうに口をとがらせている。「ま、そりゃそうだ」とつまらなさそうに言い、プイっと前を向いた。
話を振った割にはさして興味もなさそうだ。変な奴、と思いながらローは話題を変えた。
「……今は勉強で忙しい」
手首にぶら下げた、本屋のロゴ入りの紙袋をローが掲げる。ゾロは途端に強い反応を示して目を吊り上げた。
「そうだ! せっかく強ェやつがいると思ったのに! あんたさっさと引退しやがって」
インターハイまでは残ると思ってたのに……とぶつくさ言いながら憤慨しているゾロをローは面白く見つめる。
「こちとら受験生なんでな。本分は勉強だろ」
「聞いてる。医者になるんだろ? でもずっと学年トップで志望校だって余裕なんじゃねェのかよ。アンタなら両立できただろ」
「中途半端にやるのは嫌なんでな」
「むう……」
不満そうに頬を膨らませているゾロの横顔をローは眩しい気持ちで眺めた。
実のところ、今年の四月まではローもそう思っていた。勉強と剣道、どちらもそれなりにやればいいと。それでうまくやれる能力が自分にはあると傲慢にも思っていた。
考えを改めたのはゾロの影響だ。
新緑から零れる光差し込む道場の床の上で、初めてゾロと手合わせしたときの衝撃を鮮明に覚えている。面越しに光る鋭い瞳、周囲を断絶するような圧倒的な気迫。そのときはローが勝利したが、適当に過ごしていればローなぞすぐ敵わなくなるだろう。
ゾロの剣道への向き合い方。剣にすべてを懸けたような、あまりに一本筋の通った眩しい生きざまに目を奪われ、自分も本気になろうと思ったのだ。
――ゾロ本人には絶対言わないが。
ローは負けず嫌いである。キャンキャン吠えるゾロの文句を心地よく聞き流しながらローは微笑んで目を伏せた。
◇◇◇
「さて。ここまで来りゃあわかるな? この階段をまっすぐ下りろ、左右どちらでも構わねェから来た電車に乗れ」
「ガキ扱いすんな! おれをなんだと思ってんだ」
「自覚がねェのがお前の恐ろしいところだな……」
他愛のない話をしながらゾロを駅のホームまで送る。ここまで来ればいつかは家に辿り着くだろう。毎度迷子になりながらもどうにかはしているようだし、こんなところまでエスコートしているローが過保護には違いなかった。
ふっと苦笑し、ローは「じゃあな」と言って踵を返そうとする。
「あ、」
ゾロが小さく声を上げた。疑問に思ったローが肩越しに背後を振り返ると、目の前にファンシーな色合いの小さな紙袋が突き出された。思わず紙袋を受取ったローが中身を確認する。
中には、パステルカラーの、有名なシロクマのキャラクターが印刷されたかわいい鉛筆が数本転がっていた。
「買い物に付き合ってくれた礼だ」
「礼って、お前な……」
いくらなんでもローが持つには可愛すぎるのではないだろうか。困惑するローに、ゾロはニカッと明るく笑った。
「受験生はエンピツ使うだろ。アンタなら心配いらねェだろうけど、まあ頑張れよ」
満面の笑みに虚を突かれたローが押し黙る。ゾロの顔とファンシーな紙袋を交互に眺めたあと、ローはその袋をそっとポケットにしまい込んだ。
「……ありがたく貰っておく」
「ひひ。似合うぜ」
「……本気かよ」
溜息を吐いたローに、ゾロは声を上げて笑った。
階段を下りるゾロの姿が消えるまで見送り、ローは踵を返す。ポケットに手を突っ込むと、カサリと乾いた感触が指に触れた。
パステルカラーの、キャラクターものの可愛らしい鉛筆。
今度の模試にでも使ってみようか。ローは小さく笑う。
灰色の受験生活とはよく言うが。ほんの少しだけ、世界が色付いたような気がした。
了