転生晏沈 5「晏宗主、ご飯ができましたよ。どうぞ」
「……」
晏無師と沈嶠の同居が始まって一週間。沈嶠は夜はホストとして働きつつ、昼は甲斐甲斐しく晏無師の世話をしていた。仕事が終わると真っ直ぐに帰ってきて、朝起きたら買い物に行き、晏無師の健康を考えて手料理を用意する。
今日の食卓に並んでいるのは糖醋肉に茹でたアスパラガス、インゲンと卵のスープに蒸し立ての花巻だ。椅子に座った晏無師は沈嶠の作った料理を一口口に運ぶ。
「味はどうですか?」
「……まあまあだな」
「よかった」
沈嶠はうれしそうに微笑んだ。しかしよく見れば晏無師は肉だけを食べ、野菜は箸で丁寧によけている。沈嶠は眉を顰めた。
「野菜もちゃんと食べて下さい」
「今は野菜の気分じゃない」
「昨日もそう言っていましたけど」
「私は好きな時に好きな物を食べる。お前の指図は受けない」
沈嶠は小さくため息をついた。
「晏宗主、私はあなたに健康でいて欲しいんです。バランスのいい食生活になるように、記憶が戻ってから料理の練習もしたんです。以前のあなたほどではないですが、私も少しは作れるようになったんですよ」
「長生きしてどうする? 老いて弱り、醜く惨めな姿を晒す気はない。もう十分に生きた。私はいつ死んでも構わないと思っている」
沈嶠は悲し気に首を振る。
「ようやく会えたのにそんなことを言わないで下さい。年を重ねてもあなたはきっと強く美しいままです。でも私は前回そんなあなたを見ることが叶わなかった。今度こそ最後まで側で見届けたいんです」
晏無師は沈嶠の言葉に鼻を鳴らし、肉だけを食べ終わると箸を置いて立ち上がった。煙草を吸うためにバルコニーへと向かうその背中を沈嶠も追いかける。
「もう食べないんですか? また煙草ですか? 身体によくないので、代わりに果物にしませんか? あなたが好きな棒付きの飴も買ってありますよ」
温かい室内に反して窓の外は寒い。薄着の沈嶠は冷たい風にぶるりと身体を震わせた。晏無師はチラリと沈嶠を見ただけで、そのまま無視して唇に挟んだ煙草に火をつける。
「いきなり禁煙しろとは言いませんから。徐々に数を減らしていきましょう」
室内で吸ってもいいのにわざわざ外に出たのは沈嶠が鬱陶しいからだというのがわからないのか。晏無師は沈嶠の顔に白い煙をふっと吐きつけた。
「沈嶠、私は人にとやかく言われるのが好きではない」
「知っています。でも、あなたには健康でいて欲しいし、私はあなたを守りたいんです。煙草は百害あって一利なしと言われているじゃないですか。今まであなたが吸っていた本数を考えてもできるだけ早く禁煙を……」
晏無師は熱心に訴える沈嶠を無視して吸い続け、一本吸い終わる。この一週間、晏無師が煙草を吸おうとするたびに沈嶠が口を出してきたが、晏無師は沈嶠の言うことを聞く気など毛頭なかった。
「晏宗主……」
沈嶠が何度訴えても、今の晏無師に自分の言葉は届かない。晏無師がふうっと吐いた煙が冬の空へ溶けていく。伝わらない想いが虚しく、言葉が喉の奥へと消えた。晏無師は二本目の煙草に火をつけ、大きく肺に吸い込む。結局何を言っても晏無師は変わらないのだ。それならば……
「失礼します」
沈嶠は晏無師の煙草を持っていた手を掴んだ。なんだ、言葉が伝わらないからと強制的に取りあげるつもりか? と晏無師が冷ややかに沈嶠を見れば、沈嶠がぐい、と懐に入って来た。もう片方の手が首の後ろに回され、綺麗な顔が迫って来る。沈嶠はそのまま晏無師の唇を塞ぐと、煙を吸い取るように晏無師に口づける。
「んっ……ゲホッ、ゴホッ」
唇を離した沈嶠が煙にむせて咳込んだ。
「何の真似だ?」
晏無師が眉を寄せると、沈嶠は冷静にその顔を見上げる。
「どうしてもやめてくれないと言うのなら、一緒に吸って私も寿命を縮めるしかありません。今度は一緒に逝けるように」
そう言ってまた唇を押し付けてくる沈嶠の唇を晏無師は黙って受け入れた。柔らかく押し当てられた唇の感触は悪くないし、煙草よりも美味いかもしれない。何より身を挺して必死で自分に煙草をやめさせようとする沈嶠に悪戯心が疼く。晏無師は灰皿に煙草を押しつけた。
「そんなにやめて欲しいのか?」
「はい」
「じゃあ煙草が吸いたくなったらどうすればいい?」
「禁煙補助薬がありますし、あなたの気がまぎれるように私も努力します」
晏無師は唇の端を上げた。
「じゃあ、私が煙草を吸いたくなる度に口づけしろ」
「え……」
晏無師は沈嶠の腕を引いて部屋の中に戻ると沈嶠の腰を抱き、更に深く口づけた。煙草の代わりだ、と言わんばかりにジュッッと舌を吸い、背中を撫で上げる。腕の中で身震いする沈嶠を見ていると何かが満たされた。しかし煙草を吸いたいという欲が収まる代わりに、別の欲が湧いてくる。
二人はそのままソファに倒れ込み、晏無師は沈嶠の服と肌の間に手を差し込んだ。
「ま、待ってください! まだ怪我も治っていないですし、これ以上は……!」
「さっき、気がまぎれるように努力すると言わなかったか?」
「言いましたが……ッ」
「安心しろ、手は使わないし最後まではしない」
「う……ん、ん……ッ」
晏無師は沈嶠のシャツをたくし上げ、胸の先端に軽く吸い付いた。沈嶠の腰がビクンと跳ねる。
「見ろ、たったこれだけですっかり硬くなっているぞ。この一週間で少し目立つようになってきたな。着替える時に何か言われるんじゃないか?」
「あなたが弄るせいでしょう!」
実はこの一週間、晏無師は何度も沈嶠に手を出そうとしていた。一緒のベッドで寝て、隣で無防備な寝姿を晒しているのだから悪戯の一つもしたくなる。沈嶠が妙な感覚に目を覚ますと、半裸にされていて慌てたことが三度ほどあった。
「あ、だ、だめです……」
どうやら沈嶠は乳首が弱いらしい。舌先で圧し潰し執拗に舐めしゃぶると、腰を震わせ良い反応をするのが面白くてたまらない。沈嶠も一週間前はあれほど抵抗していたのに、繰り返しの悪戯のせいか段々と抵抗の力が弱まっていた。また晏無師に怪我をさせたくないと思っているのか、快感に抗えなくなってきているのかはわからないが、そろそろ次の段階に進んでもいいだろう。そう思った晏無師は唇を臍の辺りにまで滑らせ臀部を鷲掴みにした。沈嶠は両手で必死にシャツを引き戻そうとする。
「晏宗主! 時間なので私はそろそろ店に行かないと……」
「今日は休め。やっぱりこのままお前を抱く」
晏無師は沈嶠の足を肩に持ち上げ、ズボンのチャックを下げる。
「いえ、予約のお客様がいるので! 行かないと店の売り上げに影響します!」
持ち上げられた足を半回転させ、素早く自分の下から逃げた沈嶠に晏無師はチッと舌を鳴らす。
「お前はいつまで私にお預けさせる気だ? そもそもお前が禁煙しろと言ったのにお前がいない時に吸いたくなったらどうする気だ」
沈嶠はさっと服装の乱れを直し、呼吸を整えながら晏無師に飴を差し出した。その顔は興奮で赤い。
「私がいない間はこれをどうぞ」
「……なんだこれは」
「棒付きの飴です」
「私がこんなもの食べると思うのか?」
「好物でしたよ。以前は」
「……」
晏無師は閉口した。こんな小さな子供が好むようなものを食べるわけがない。
「では、晏宗主は怪我が治るまで家で大人しく待っていて下さい!」
沈嶠は上着を羽織り、バタバタと逃げるように玄関へと向かった。が、すぐに戻って来た。晏無師は肘をついた腕で頭を支えながらその様子を無表情で見ていた。
「何だ? やっぱり気が変わって抱かれる気になったか? お前もそんな中途半端では辛いだろう?」
沈嶠はまだ赤いままの顔を俯かせて首を振った。
「抱かれません。行く前に晏宗主に餌をあげなければ、と思っただけです」
沈嶠は水槽に近寄り、熱帯魚の水槽に餌を入れる。
「たくさん食べて下さいね、晏宗主」
沈嶠が黒い闘魚に話しかけているのを見て晏無師の目が据わる。
「魚なんぞに私の名をつけるな」
沈嶠は振り向いて微笑んだ。
「でもあなたも以前は動物に名前をつけていましたよ。この子は堂々としてて力強く泳ぐし、長いひれが揺らめいてとても美しいです。まるであなたみたいだ」
沈嶠は慈しむようにうっとりと魚を眺めている。晏無師はしばらく無言でその様子を見ていたが、立ち上がり水槽に歩み寄った。また何かされるのではないかと警戒している沈嶠を横目に、白い闘魚と黒い闘魚の水槽の間にある目隠し用の板を外す。すると、互いを認識したのか二匹の魚は水槽の壁越しに近づいていった。
「互いがわかるようですね。何をしているんですか?」
「これはフレアリングと言う。雄同士が互いのエラやヒレを広げ威嚇しているんだ」
晏無師が何もしてこない様子を見て、沈嶠は安心して肩の力を抜いた。見つめ合う二匹の様子を静かに眺める。
「威嚇ですか……でも、求愛行動のようにも見えますね。美しい羽根を広げて雌を魅了する孔雀の雄のように。この世界の中で彼らにとっては互いが唯一なんでしょうね。私にとってのあなたのように」
「……」
「では、行ってきます」
見惚れるような美しい微笑みを残して沈嶠はまた部屋を出ていった。部屋に残された晏無師は、渡された棒付きの飴を手のひらの上でしばらく転がしていた。口うるさい沈嶠が出て行ったから、もう煙草を吸おうが何をしようが自由だ。しかしなぜかそんなに煙草を吸いたいとも思わない。
晏無師は飴の包み紙を開けて口の中に入れる。久しぶりに食べる人工的な甘味の味。眉を顰めた晏無師はガリガリと飴を噛み砕いて飲み込んだ。
~続く~